三國志の日々

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引き続き、曹叡篇の続きです。

<第三次北伐>
陳倉の戦いの直後の229年、再び諸葛亮が武都・陰平に進軍してきます。
これに対して、魏は救援を向かわせましたが、諸葛亮が救援部隊の退路を断とうとしたので
撤退します。こうして、諸葛亮は2つを戦わずして得て、反対に魏は奪われてしまいました。

<魏の反撃>
曹真は曹叡に対し、たびたび国境を荒らす蜀を征伐することの必要性を説き、曹叡はこれを認めた。
230年8月、長安を出発し、子午谷より蜀に攻め入った。
斜谷道や武威といったいくつかのルートから一斉に蜀に侵攻する大規模なものであったが、
秋の長雨が30日続き、桟道が一部崩壊するなどしたため失敗し、明帝の命令により曹真は撤退。

追記
「第三次北伐」の際、蜀にとっては、北伐の際に兵站のルートとして抑えておきたい地域でしたが
魏ではこの地域をあまり重視していませんでした。

曹真は、曹操の甥にあたります。諸葛亮の北伐の際に防衛に当たり、蜀軍を撃退させた功績から
大司馬(今で言うと、国防長官)になった。そして、蜀の進撃が撤退に終わった直後に、病を発症し
病状は好転せず翌年231年3月に死去。

史実では、曹真が諸葛亮を防いだ功績だったが、「演義」では一貫して司馬懿の功績とされ、彼はその
引立て役に回されています。諸葛亮と対戦し、圧倒的に優れたその知略の前に連戦連敗を喫してしまうという
損な役回りをしています。

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