三國志の日々

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蜀篇、とうとう最終回です。

<魏の侵攻>
蜀国内では、258年以降、宦官の黄皓が政治権力を握り、劉禅は政治に無関心で酒色や好色にふけり
政治は大いに乱れました。
また、姜維の北伐により国力は疲弊します。
一方、魏では蜀漢の国力が衰えたと考え、大将軍の司馬昭と、その部下であった鍾会は蜀漢を制圧できると
考えて、益州の地形を調査し、状勢を検討し、討伐の計画を練った。

<蜀の滅亡>
263年5月、魏が蜀へ侵攻します。
魏の兵力は大きく、魏の侵攻を防ぎますが、力の差は歴然としていました。
同年11月、とうとう最後の砦を守っていた諸葛誕が守っていた綿竹が破られ、劉禅がこの知らせを聞くと
魏に降伏します。
これにより、劉備の即位から42年、蜀漢は滅亡しました。
その後、劉禅は
魏皇帝から安楽侯に任命され、271年に65歳で死亡します。

追記
蜀滅亡後は、姜維は蜀討伐の功労者の一人である鍾会をそそのかして蜀を再興しようと考えましたが
鍾会が部下に殺され失敗します。

このときの兵力は、魏は18万・蜀は3〜4万とも言われています。

こんな逸話があります。
魏の宴席で宴席で蜀の音楽が演奏されて、蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていました。
それを見た司馬昭は、「人はここまで無情になれるものなのか。諸葛亮が補佐し切れなかったのであるから、
姜維には尚更無理であったであろう」とつぶやいています。
また、司馬昭が劉禅に「蜀を思い出されることでござろうな」と尋ねたところ「ここの暮らしは楽しいので蜀を
思い出すことはありませぬ」と答えた。これには家来のみならず、列席していた将たちさえも唖然とさせらます。
劉禅の馬鹿さ加減に司馬昭は、「こんな男が君主では、孔明が生きていたとしても蜀の(滅びゆく)運命は
どうにもならなかっただろう」と嘆き、志半ばに散った蜀の将兵たちを悼むほどだったと言います。

次回は、呉篇をお送りします。


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