三國志の日々

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呉編の続きです。

<孫亮→孫休の皇帝即位>
252年に孫権は死去し、10歳で孫亮が皇帝になります。
即位時10歳だった孫亮には政治が理解できるはずもなく、太傅・大将軍の諸葛恪が政権を握ります。
諸葛恪は孫権の死後を狙って侵攻してきた魏に大勝して声望を得ますが、翌年の魏への侵攻は失敗に終わり、
疫病で非常に多くの兵士が亡くなります。
諸葛恪は声望を回復するために中央集権を志すが、これに不満を持った皇族の孫峻によるクーデターが
起き、諸葛恪は殺されます。諸葛恪の死後、孫峻が実権を握りますが、256年、唐突に死去します。
孫峻の死後は孫チンが実権を握ります。この頃になると孫亮にも自我が芽生え始め自ら政治を執り行おうと
考えます。しかし、孫峻を排除しようとしが、逆に孫亮は孫峻により廃位されてしまいます。
孫亮のあとは、孫休が即位します。
しかし、孫休は政治には無関心で重臣に任せ、264年、孫休は死去しその後孫晧が即位。

<孫晧の政治>
孫晧が即位すると、彼は聡明な文武両道の人物と謳われており、擁立した呉の重臣たちも期待はしていたが、
これは呉にとって最悪の決定となります。
当初は、食料開放による貧民救済などを行ったが、その後刑法を乱用し孫休の妻と息子たちを皆殺しにし、
莫大な費用を投じて遷都を行いそこに壮麗な宮殿を建てた末、その翌年には再び建業へと都を戻すという
ことを行います。孫晧の腐敗政治が続き、271年ころになると、彼に対する反乱も起きますが、
彼は省みず、逆らう者たちを虐殺していきます。

追記
太傅は、古代中国から使われていた官職名で、天子の師。三公よりも地位は上ですが、実権はありません。

孫亮は孫権の七男。孫休は孫権の六男。孫晧は孫権の三男で廃太子であった孫和の子。

この頃の呉は魏との戦の小競り合いはありましたが、ほとんど宮廷内の騒動が殆どです。

次も呉編が続きます。

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