三國志の日々

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三国志年表

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だいぶ、更新が遅れてしまいました… (; ・`д・´)
| 柱 |ヽ(-公-;) 反省

魏(晋)篇です。

<五丈原の戦い>
234年春2月、蜀の諸葛亮は魏への遠征し、褒斜道を通って長安をめざす構えを見せます。
司馬懿も諸葛亮を迎え撃つために、軍を率いて出撃し、人口が集中している渭水の南に砦を築き、
防備を固めます。両軍は五丈原を望む形で対陣し、諸葛亮は司馬懿に対し挑発して魏軍の出陣を誘います。
魏の諸将の間には撃って出るべきという気運が高まっていたが、皇帝の曹叡から出陣を禁じられていることを
理由に司馬懿は挑発に乗りません。
蜀軍と魏軍の対陣は100日余りに及びます。234年秋8月、諸葛亮は病死し蜀軍は撤退し、魏軍は蜀軍を
追撃しようとしたが、蜀軍は反撃の形勢を示し、司馬懿は慌てて軍を退きます。
こうして、両軍は勝敗がつかないまま撤退し戦は終わります。

<遼東に侵攻>
238年、遼東に拠っていた公孫淵が反乱を起こします。司馬懿は征討を命じられます。
司馬懿が遼東に到着したころ、遼東では長雨が続いていたため、遠征はさらに長引くおそれがありまsた。
重臣たちは遠征の中止を曹叡に訴えたが、曹叡は取り合いませんでした。
ちなみに、司馬懿は明帝に「反乱をどう平らげるか」と聞かれた司馬懿は「1年もあれば充分でしょう」と
答えており、事実、1年で公孫淵を破ります。

追記
蜀と対峙中、司馬懿が出撃許可を求める上奏を行うと、辛が曹叡の命令を携えて陣を訪問し、
出撃してはならないと命じます。これは、「司馬懿が出撃の姿勢を示して上奏したこと自体、
諸将の不満を和らげるためのポーズに過ぎない」と諸葛亮は語っています。

司馬懿は、「狼顧の相」と言われ、首を180度後ろに回転させることができたといいます。
この噂を聞きつけた曹操が、本当か試すためにいきなり司馬懿の後ろから名前を呼んだところ、
真後ろに振り向いたと言われています。

引き続き、魏(晋)篇続きます。
呉篇の最終回です。

<呉の防衛>
孫晧が腐敗政治をしている中、陸遜の息子の陸抗や丁奉が呉の防衛を支えていました。
しかしそんな中、272年に一人が呉に背き西晋に寝返りますが、陸抗がこれを鎮圧します。
しかし、274年には陸抗が死去し、呉の柱を支える人材がいなくなります。

<呉の滅亡>
279年、晋は20万という大軍を繰り出して呉へ侵攻を開始。呉の将兵には孫晧に見切りをつけ、戦わずして
晋に降る者も多く、翌280年3月に晋軍は建業に達して孫晧は降伏、呉は滅亡
降伏に際して孫皓は家臣たちに書簡を送り、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を
発揮するようと伝えています。
晋に降伏した孫皓は帰命侯に封じられ、劉禅と同じく天寿を全うした。284年、洛陽で死去。

追記
孫皓は、三国志に出てくる登場人物の中でも一番残虐な性格と言われ、人の顔の皮を剥ぐなど、
ありとあらゆる拷問を行った暴君であったとされています。

20世紀に入り、呉に関連した考古学上の発見が相次ぎ、研究が続けられています。

蜀・呉が滅び、晋が天下統一を果たします。
そして、次は魏(晋)篇をお送りします。
呉編の続きです。

<孫亮→孫休の皇帝即位>
252年に孫権は死去し、10歳で孫亮が皇帝になります。
即位時10歳だった孫亮には政治が理解できるはずもなく、太傅・大将軍の諸葛恪が政権を握ります。
諸葛恪は孫権の死後を狙って侵攻してきた魏に大勝して声望を得ますが、翌年の魏への侵攻は失敗に終わり、
疫病で非常に多くの兵士が亡くなります。
諸葛恪は声望を回復するために中央集権を志すが、これに不満を持った皇族の孫峻によるクーデターが
起き、諸葛恪は殺されます。諸葛恪の死後、孫峻が実権を握りますが、256年、唐突に死去します。
孫峻の死後は孫チンが実権を握ります。この頃になると孫亮にも自我が芽生え始め自ら政治を執り行おうと
考えます。しかし、孫峻を排除しようとしが、逆に孫亮は孫峻により廃位されてしまいます。
孫亮のあとは、孫休が即位します。
しかし、孫休は政治には無関心で重臣に任せ、264年、孫休は死去しその後孫晧が即位。

<孫晧の政治>
孫晧が即位すると、彼は聡明な文武両道の人物と謳われており、擁立した呉の重臣たちも期待はしていたが、
これは呉にとって最悪の決定となります。
当初は、食料開放による貧民救済などを行ったが、その後刑法を乱用し孫休の妻と息子たちを皆殺しにし、
莫大な費用を投じて遷都を行いそこに壮麗な宮殿を建てた末、その翌年には再び建業へと都を戻すという
ことを行います。孫晧の腐敗政治が続き、271年ころになると、彼に対する反乱も起きますが、
彼は省みず、逆らう者たちを虐殺していきます。

追記
太傅は、古代中国から使われていた官職名で、天子の師。三公よりも地位は上ですが、実権はありません。

孫亮は孫権の七男。孫休は孫権の六男。孫晧は孫権の三男で廃太子であった孫和の子。

この頃の呉は魏との戦の小競り合いはありましたが、ほとんど宮廷内の騒動が殆どです。

次も呉編が続きます。
蜀篇、とうとう最終回です。

<魏の侵攻>
蜀国内では、258年以降、宦官の黄皓が政治権力を握り、劉禅は政治に無関心で酒色や好色にふけり
政治は大いに乱れました。
また、姜維の北伐により国力は疲弊します。
一方、魏では蜀漢の国力が衰えたと考え、大将軍の司馬昭と、その部下であった鍾会は蜀漢を制圧できると
考えて、益州の地形を調査し、状勢を検討し、討伐の計画を練った。

<蜀の滅亡>
263年5月、魏が蜀へ侵攻します。
魏の兵力は大きく、魏の侵攻を防ぎますが、力の差は歴然としていました。
同年11月、とうとう最後の砦を守っていた諸葛誕が守っていた綿竹が破られ、劉禅がこの知らせを聞くと
魏に降伏します。
これにより、劉備の即位から42年、蜀漢は滅亡しました。
その後、劉禅は
魏皇帝から安楽侯に任命され、271年に65歳で死亡します。

追記
蜀滅亡後は、姜維は蜀討伐の功労者の一人である鍾会をそそのかして蜀を再興しようと考えましたが
鍾会が部下に殺され失敗します。

このときの兵力は、魏は18万・蜀は3〜4万とも言われています。

こんな逸話があります。
魏の宴席で宴席で蜀の音楽が演奏されて、蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていました。
それを見た司馬昭は、「人はここまで無情になれるものなのか。諸葛亮が補佐し切れなかったのであるから、
姜維には尚更無理であったであろう」とつぶやいています。
また、司馬昭が劉禅に「蜀を思い出されることでござろうな」と尋ねたところ「ここの暮らしは楽しいので蜀を
思い出すことはありませぬ」と答えた。これには家来のみならず、列席していた将たちさえも唖然とさせらます。
劉禅の馬鹿さ加減に司馬昭は、「こんな男が君主では、孔明が生きていたとしても蜀の(滅びゆく)運命は
どうにもならなかっただろう」と嘆き、志半ばに散った蜀の将兵たちを悼むほどだったと言います。

次回は、呉篇をお送りします。

引き続き姜維篇(蜀篇)です。

<諸葛亮の死後>
諸葛亮の死後、蒋エン・費イが蜀の実権を掌握します。
先に、蒋エンが国政を担当します。蒋エンの没後は費イが国政を担当します。
この二人の時代は、大々的な北伐も影を潜め、内政の充実に努める事を最重要課題としています。
しかしながら、244年、魏が蜀に侵攻してきますが、これを蜀は撃退しています。
一方、軍事では、姜維が昇進を続け、軍の中枢を担います。
姜維は諸葛亮の遺志を遂げたいとう願いから、北伐の軍を起こそうとしますが、この時は、費イが賛同せず
また、彼は姜維に1万以上の兵を与える事はありませんでした。

<姜維の北伐開始>
253年、費?が魏の降将郭循に刺殺されると、姜維は費イの後を受け軍権を握り、数万の兵を率いて
北伐を敢行。
254年、魏領の狄道県長李簡の寝返りに乗じて三県を制圧し、徐質を討ち取ります。
255年、夏侯覇とともに北伐し、魏の雍州刺史王経を撃破し、翌256年、大将軍に昇進します。
しかし、同年、蜀武将の胡済が後詰に現れなかったため、段谷で魏将艾に大敗し、蜀の国力を大いに疲弊
させた原因を作っています。

<蜀の衰退>
姜維は、その後も軍事に力を注ぎ内政を顧みる事はありませんでした。
一方で、蜀宮廷内では、劉禅が黄皓を重用し酒色に溺れ、国政は混乱します。

追記
夏侯覇は、夏侯淵の次男。しかし、魏の宮廷内で身の危険を感じ、蜀に降っています。
また、遠縁の親戚が、張飛の妻であることから、蜀では厚遇されます。

黄皓は、宦官であり蜀の滅亡を招く一因を作っています。「正史」では、蜀滅亡後、艾は黄皓の
邪悪・陰険さを聞き、逮捕して殺害しようとしたが、艾の側近に厚く賄賂を渡した事から死を免れたが
「演義」においては、一時は死を免れるが、後には司馬昭に五体を切り刻まれて処刑されます。
そして、中国においても、とても忌み嫌われる存在として名を残しています。

姜維はたびたび費イ対して、北伐敢行を願い出ていたが、費イは「丞相(諸葛亮)でさえ魏を破れなかった
のに、我らでは到底無理だ」と言って制しています。彼の中では内政の安定を図ることが第一としています。

次回は、蜀篇最後です・・・
とうとう、滅亡です。

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