|
ルーブル美術館と言えば、やはり“ミロのヴィーナス”“サモトラケのニケ”“モナ・リザ”ですかね。 “ルーブルの三大貴婦人”抜きではこの美術館を語れないでしょう。 以下は“Wikipedia”から・・・ ミロのヴィーナスは、ギリシア神話におけるアプロディーテーの像と考えられている。「ミロ」は発見地ミロス島のラテン語読みで、「ヴィーナス」はアプロディーテーのラテン語名ウェヌス (Venus) の英語読みである。ただし英語では通常ルーヴルで表示しているフランス語式綴りをとって 「Venus de Milo」と表記し、これを英語式に「ヴィーナス・デ・マイロ」に近い発音をする。現代ギリシア語では「Αφροδίτη της Μήλου」と表記して「アフロディーテ・テス・メイロウ」に近い発音をする。 高さは203cm。材質は大理石。紀元前130年頃に、「アンティオキアのアレクサンドロス」と呼ばれる、その名以外の素性が不明の彫刻家によって作成されたと考えられている。 サモトラケのニケは、現存するギリシャ文明の彫像の中で、女神ニケを題材にしたものとして貴重な彫像でもある。その題材のみならず、優美でダイナミックな姿や翼を広げた女性という特徴的なモチーフなどが印象的で、各地にレプリカが作られ親しまれている。 大理石製で高さは328cm。 最初の発見は1863年で、フランス領事シャルル・シャンポワゾによって胴体部分が見つけられた。それに続いて断片と化した翼が見つかった。断片は全部で118片にのぼる。その後復元された像は1884年にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示され、現在に至る。 右腕は1950年に発見され、ルーヴル美術館に保管されている。手は大きく広げられている。 この彫像についての古文書はひとつも発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできない。まず、デメトリオス1世ポリオルケテスの貨幣がこの像を表しているのではないかと考えられ、デメトリオス1世が海戦の勝利を祝って建造したと推測する説があった。この説によれば彫像は紀元前4世紀終わりから紀元前3世紀初頭の彫刻家の作ということになり、サモトラケ島で活動していたスコパスの弟子などが該当する可能性がある。しかしながら、サモトラケ島は当時デメトリオスと敵対関係にあったリシマクスの支配下にあり、ここにデメトリオスが像を建立したとは考えにくい。 次に、ロードス島のリンドスで発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像がロードス島のものであり、コス島、シデ島、あるいはミヨニソス島での勝利を祝したものと考える説がある。年代はそれぞれ紀元前261年頃、紀元前190年、おなじく紀元前190年である。 この時期は大プリニウスにも言及されている。チモカリスの息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスのアクロポリスの彫像を手がけたことでも知られている。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したが、これには「…Σ ΡΟΔΙΟΣ / …S RHODIOS」という表記があり、「ロードスのピトクリトス」に符号する可能性を示すものとして注目された。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていたエクセドラ(半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っている。 他に、この彫像がアンティゴノス2世ゴナタスの奉納物であるとする説がある。すなわち紀元前250年代のコス島でのプトレマイオス2世に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、アンティゴノス朝が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能である。 他の検討の可能性として、ニケの彫像をペルガモンの大祭壇のフリーズに彫られた人物像と比較する研究者もいた。 モナ・リザ(英: Mona Lisa(Monna Lisa)、伊: La Gioconda、仏: La Joconde)は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵。内観的な表現を持って深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。恐らく歴史上最も有名な肖像画であり、これほど賞賛、模写されてきた絵は他に例を見ない。『モナ・リザ』は現在パリのルーヴル美術館に展示されており、同館の目玉展示物となっている。 レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年から4年制作にあたった。完成後もレオナルドの手元に置かれ、フランスのフランソワ1世の招きによりレオナルドと共にアンボワーズ城近くのクルーの館へ移り、その後1510年頃にフランソワ1世によって4000エキュで買い上げられ、フォンテーヌブロー宮殿に留め置かれたとされる。 さらにその後ルイ14世によってヴェルサイユ宮殿に移され、フランス革命後には現在の展示場所であるルーヴル美術館に落ち着いた。ただしその後もナポレオン・ボナパルトが自分の寝室に持っていったり、普仏戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦の際にフランス国内の安全な場所に移されたりしている。 1956年頃には酸による浸食で下部に著しい損壊が生じ、数ヶ月後には石を投げつけられたことから、『モナ・リザ』は現在のような防弾ガラス付き防犯ケースに収められ、ケース内部は湿度、気温ともに管理されるようになった。 1962年、アメリカ合衆国へと貸し出され、ニューヨークとワシントンD.C.で展示された。日本における展示は1974年に東京・上野の東京国立博物館で行われ、その後モスクワへ貸し出されている。 ルーヴル美術館が開館したのは1793年。 目的は、フランス文化の“偉大な様式”の復興・未来の芸術家の“教育”のために、フランス王室のコレクションという手本を提供することだったそうです。 やはり素人には難しいので(-_- 、以下は、公式サイトから・・・。今日でも展示室には常に学生や模作の制作者がいるものの、美術館の実態は大きく変わりました。ルーヴル美術館には毎年、あらゆる国と文化圏から六百万人近い見学者が訪れ、それに応じて様々な美術館の見方があります。しかし、ほぼ普遍的と言っていいほど、いくつかの「傑作」を人々がとりわけ熱心に鑑賞するのは、鑑賞者の国籍や文化を問わず、それが心を打つからでしょう。 紀元前4世紀のギリシアの哲学者プラトンは、いかなる芸術家も「理想美」に到達することはできないと記しました。芸術家は常に、この至高の、時を超越した美という問題に直面し、その時代と個々の天分を反映した解決法を提示してきました。こうした芸術家の応えのうちいくつかは、今日なおその反響が見られます。 しかし、19世紀になって、芸術作品は新しい役割を引き受けるようになり、「傑作」は必ずしも、目を楽しませるための美的な抽象概念である「美」の同義語ではなくなりました。いくつかの作品には、芸術に関するこの新しい考え方が反響しており、多くの点で現代社会における芸術作品の地位やあり方を予告しています。 この見学コースは、時代順ではなく、鑑賞者が自然と足を止めるような作品にスポットを当てるものです。 まず、シュリー翼の方向にお進みください。チケット確認の後、中世のルーヴル宮の壕に向かってまっすぐお進み下さい。壕に入る前に、左側に二つの模型があります。下側の模型によって、現在位置を確認することができ、上側の模型は、十四世紀のシャルル五世治世下のルーヴルを示しています。 ちなみに公式サイトでは、こういった説明が12ページにわたって続きます。 お暇な方はどうぞ(^_^
。。。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年12月20日
全1ページ
[1]
|
私が尊敬する人生の師の一人である、鹿児島在住“HS”さんから、今年も送られてきた“安納芋”。。。 昨年いただいた時も、箱を開けると蜜が皮の外に滲み出てるその姿に思わずびっくり!(>0< !最近ではネットでも取り扱う店が増えてきたので、意外と手に入りやすくなっているかもしれませんが、HSさん推薦の“河野伸市さん”が作る“有機栽培にこだわり育て続けた安納芋”は、まじに感動もんですよ! 一番は”焼き芋”! アルミホイルに包んでオーブン(トースター)で40〜50分じっくり焼くと、蜜が出て焦げた感じが絶品です! やはり“焼く・揚げる”がうまいので、スイートポテトや大学いももgood! “芋”焼酎しか眼中にない、たかが“さつまいも?”と思っているあなた! だまされたと持ってぜひお試しあれ! “芋”に対する人生観(大げさ?)がかわりますよ(^-^)。。。
|
全1ページ
[1]
、以下は、公式サイトから・・・。

