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楽天の意味

これも昔ネタで・・
語り継ぎたい世界の名言からの引用“楽天の意味”について。
 
その昔、イギリス首相チャーチルは言った。「私は楽天家である。それ以外の者であることは、人生において役に立たないと思う」と。
要するに、何事も必ずよくなると信じ、明るく前向きにいこうというのである。
私の尊敬する英語学者で名著「現代読書法」の著者である田中菊雄はこう述べる。 
「二宮尊徳翁の言葉を借りれば、今生きていることがまるもうけなのである。ちょっとやそっとのことで不幸なぞと言っておられるものではない。自分がこうして生きていられるのは、一に人の恩である。この感謝の気持ちに貫かれて今私ははげんでいる。私の人生学の師匠は世界の四聖は言うに及ばず、聞くもの読むもの、ことごとく私に楽天感を鼓吹してくださったように思う。過ぎたことにくよくよせず、明日のことに思い煩わず、ただ今日の日々を感謝と報恩に生きよう。人には誠意を尽くし、決して人に苦い顔を見せない。自分を縁として人をつまずかせまい。こうした祈りに自分は生きている 
今の世では想像できないくらいの苦労をしてきた田中菊雄の言葉だけに説得力がある。 
この田中菊雄は新渡戸稲造の「修養」を愛読していた。私もこの「修養」の中で大好きな言葉があり、ことある毎に読み返している。 
自ら省みて潔しとし、いかに貧乏しても心の内には満足し、いかに誹謗を受けても自ら楽しみ、いかに逆境に陥ってもそのうちに幸せを感じ、感謝の念を持って世を渡ろうとする。それが僕のここに説かんとする修養法の目的である」 
どんな人も、自分の目標に向かって一歩踏み出せば、困難なことがすぐに現れる。それを悲観することなく、必ずやり抜けると自分を信じていくことが、楽天主義の真髄ではないだろうか。
私も楽天家でいようと思う。 
 
悲観的に考えて(仮説検証・・何故なぜを繰り返す)
楽観的に行動する(なるようになるさ)
私はこれでいいのではと思っています・・・
皆さんはいかが?

自分の顔

これも昔ネタ・・
「語り継ぎたい世界の名言」から「自分の顔」
  
「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たなければならない」とリンカーンは言った。
 顔は年齢と共に変わる。
どういう人生を歩んでいたかが如実に表れるから不思議である。40歳を過ぎてからの同窓会に行くと、「あなた誰だっけ?」となることもしばしばある。
何がそんなに顔を変えていくのだろうか?
まずどんな人と付き合ってきたかであろう。付き合う人がよければよい顔になり、付き合う人が悪ければ、それまでの顔となる。
また、どれだけ仕事に打ち込んできたかでも大きく変わる。いい加減な手抜き仕事をしてきた人は、手抜き顔になる。心を込めて仕事をし、成果に手応えのある人は、活き活きとした顔となる
さらには、どんな本を読んで、どんな言葉を使ってきたかも大きな影響を与える。品性のない言葉を使う人は品のない顔になる。
本を読む習慣を持ち、できるだけ品性のある言葉を使ってきた人は、近くにいてもいい気持ちになれる顔となる。
最後に、よい笑顔のあるひとはどうか。こういう顔の人は、心の誠実な人で自分を信頼できている人と言ってよいだろう。
ロシアの文豪ドストエフスキーは言った。「笑顔がよかったら、それはいい人だと思ってよい」と。
 このように、自分の顔は親からもらったものに、自分の日々の生き方で加えていってつくるものなのだ
 いくら作り笑いをしても、化粧をべったり塗っても、顔そのものをごまかすことはできない。勿論、整形をしても無理なのは言うまでもない。
 
孔子(論語)では、
「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所へ従えど、矩をえず」。
 
とっくに50を過ぎたが、天命を知った“顔”になっているのだろうか?
 
皆さんはいかが?

個人の責任ある貢献

久しぶりに相当昔のネタを・・・(^_^;)
 
語り継ぎたい世界の名言 第二章:仕事の向上 “個人の責任ある貢献” から抜粋
 
Indvidual commitment to group effort
集団に対する個人の責任ある貢献が、
That is what makes a team work、
チームを動かし、
a company work,
会社を動かし、
a society work,
社会を動かし、
a civilization work
文明を動かすのだ。
 
                           Vince Lombard(ヴィンス・ロンバルディ)
 
人間が人間であるのは、集団の力を使えるところにある。
これは、いくら個人主義が浸透しても変わることのない原理である。
だから、「私は一人で動くから人に頼ることはない」というのは、錯覚もはなはだしい。
自分が幸せにばれるかどうかは、自分がまず所属するチームにいかに貢献しているかによるのだ。チームが結果(成果)も出せないのに、自分だけ幸せになることはできない。まずチームを動かし、成果を出すのだ。
このチームの力が、ひいては社会の力になる。
会社はチームの集まりなのである。だから会社からお金を引っ張り出し、おんぶにだっこをしてもらい・・・などという甘い考えの人は、会社にとっても損失だが、自分の人生も冒涜してしまっている情けない人なのである。
組織に貢献する仕事をする人が多い会社が社会を活性化させる。現代社会は、会社という組織の活発な働きによって、健全に発展していける。また、社会に活力があると言うことは、文明をも進展させていく力となる。
このように、実は文明というのは、自ら進んで仕事をし、組織に貢献していく人たちによって進められていくのである。
文明とは、こういう責任感のある前向きな人を捜し求める長い道程なのである
 
 ヴィンス・ロンバルディは、アメリカンフットボールのグリーンベイ・パッカーズの第二期黄金期を築いたコーチである。
そのフットボールは「鉄の規律」と呼ばれ、彼に見いだされた内、10人もの選手がその後「殿堂入り」を果たし、当時根強かった人種差別にも断固とした態度で望んだと言われている。
    
このヴィンス・ロンバルディの言葉は、“All for one ONE for all”の精神が、それがひいては会社組織・社会・文明をも動かすと言い切っています。
そして文明とは“このような人材を捜し求める長い道程である”と・・・。
 
私達の日々の仕事は、そのひとつひとつがたとえどのように小さく地味なことでも、それが集積されたときのパワーはすごいということ!
 
どんなに環境が厳しくなっても、この原理原則は決して変わることはない!

ユーモアは大人の条件

これも古いネタです・・

精神科医・作家の斉藤茂太さんの著書「何故か人の心を掴む人の共通点」からの抜粋で、「ユーモアは大人の条件」です。


ユーモアは信頼関係のバロメーターになる。

以前、新聞でこんなエピソードを見つけた。

アメリカ・メリーゴーランド州に住むある主婦が、狩猟と釣りにうつつを抜かしている夫に手を焼いて、地元新聞に「夫売ります」の広告を出した。

「夫格安。狩猟と釣りの完全装備付き。他にジーンズ・長靴・黒の猟犬とシカ肉23kg。好男子なれど、10月〜12月・4月〜10月のシーズン中は外出がち。交換も考慮」

というものだった。

奥さんは冗談のつもりだったが、この広告に問い合わせや申し込みが殺到した。あわてて、「夫の格安売り出し中止」の取り消し広告をうったそうだ。

奥さんにもユーモアがあるが、夫もこの騒動の間、夫もニコニコ笑って見ていたそうだ。

ユーモアを解するひとだ。

それにしても問い合わせをしてきた人たちはいくらで買うつもりだったのか、それとも本当に自分の夫と交換するつもりだったのか・・、会って聞いてみたいものだ。

日本ではこんなことはあり得ないだろう。

こんな広告を出す奥さんもいないだろうし、新聞だってまともには載せないだろう。

もっともニュースになるくらいなのだから、アメリカでも珍しい話だろうが、茶目っ気がある。

ユーモアがあるのはお互いに信頼関係があるからだ。夫がニコニコ笑っていられるのも、夫婦の間に愛情があるからだ。

ユーモアが飛び交うのは、基本に相手に対する信頼関係が成り立っているからなのである。

お互いに精神的に安定していて、自分に自信があることも必要だ。

「自分はだめなのではないか、愛されていないのではないか」と内心びくびくしていたら、ユーモアユーモアにならない。

自分のことも笑える余裕、ゆとりがなければ、きゅうくつでぎすぎすしてしまう。

ユーモアは「大人の条件」でもあるのだ。

ユーモアを楽しめる人は、人の心を引きつける。ユーモアに対して怒り出す人は、相手に安心感を与えることが出来ず、勿論、心を掴むことなどできない。


家族、会社の上司同僚部下、学生時代の友人、趣味の仲間、恋人同士等々、100%完全な関係などあり得ませんね。どこか互いに我慢しあったり、配慮することで成り立つものでしょう。

そんなとき、センス溢れるユーモアや腹の底から笑える話題やネタを提供できる人は、大人の条件を備えたすばらしい人たちだと思いますよ。

ソルチェ名古屋はこんな大人の集まりです!

これも昔ネタです・・。

読まれた方もいると思いますが、「子供達に何を教えるか〜大人になる条件〜」の一節から、「子供の素質に気付くのは誰よりも母親である」、曾野綾子さんの著書からの抜粋です。


・・・・、子供の精神を早いうちから鍛えるという目的のためには、どこから始めてもいいのだが、私の場合、不和な家庭が役に立つからといって、まさか子供のために夫婦げんかをし続けてみせるわけにもいかない。

そんな不自然な操作をしなくても、ごく自然にできるのは、

「自分が他人に正当に認められないことにも耐えること」

「人がそうだから自分もそうでなければならないと思うことをやめること」

の二つのルールを守るだけで十分である。

幼稚園に入るやいなや、世の中の母親達は「自分の子供が先生にどう評価されるか」について最大の関心を持つようになる。

勿論、先生はその道の専門家であり、しかも尚、大勢の子供の中において一人を見るという非常に恵まれた視点から子供を観察する。

故にその判断は正しい場合が多いのだが、先生の視野の中に入り切らぬ子供の素質を知っているのは、本当はその子の母親なのである。・・・。


幼稚園の先生の話はともかく、中程の二つのルールは大人になってなお考えさせられることですね。

人の痛みを分かり、当然起こりうるある程度の矛盾にも普通に耐えていってはじめて大人になるのでしょうね。

まだまだ子供だなと痛感させられました。

皆さんはいかが?

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