ソルチェ名古屋のコントローラー&プロモーターのblog

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生まれ変わり?

昨日無事に母の四十九日法要を終えました。
 
そこでちょっとした事件が・・・
 
納骨をしようと墓の周りに集まったら、すぐそばのテント(掃除道具入れ?)の中からか細い猫の鳴き声みゃあみゃあと聞こえる。
 
近づくと3センチ程度の小さな前足が四本見え隠れしている。
 
めくってみると茶トラの生後間もない子猫が2匹いる。
 
住職も奥さんも知らなかったようで、結局1匹は寺で飼うことになった。
 
もう一匹は動物病院で飼い主を探すことになるらしい。
 
母の四十九日に運よく拾われた子猫。
 
すくすく元気に育ってほしい!
 
イメージ 1
 
イメージ 2

明日は四十九日法要

早いもので、亡き母の四十九日法要を明日富山で執り行う。
 
正確にはまだ10日近くあるが、近い親戚の日程調整等で明日になった。
 
なるべく思い出さないようにしてきたこの一か月間だったが、明日は・・・。
 
2年半にわたる闘病生活を耐えてきた母だったが、明日の納骨で亡き父とより近づくことができるだろうと思うと、なんとなくホッとした気持ちになる。
 
そして自分は・・・、母が亡くなって直後に、人生の第三ステージが見えてきた。
 
これも子を思う母の愛情の賜物かもしれないと思うと、残してくれた他の多くと共に感謝感謝だ。

四十九日の準備

母が他界して2週間、早いものだ。
 
喪主(長男)にもかかわらず、事後の諸手続きはほとんど姉にまかせっきりである。
 
とはいえ二人しかいない姉弟なので、四十九日の参席者、日程や場所、引き出物(内容・店・予算)etcと、決め事は姉ひとりではできないので、諸々の相談は電話でやるしかない。
 
昨日今日と「あーでもない・・こーでもない」と色々と話し合って、ようやく決まった。
 
香典・弔電をいただいた方々へのあいさつや御礼も一通り終了した。
 
こうやってだんだん気持ちも落ち着いていくものなのだろう。
 
不思議なことに最近は、「母を思い出して・・」というより、7年前に他界した父を思い出すことが多く、そのたびに胸にこみ上げるものがある・・・
 
母のことは、2年半の入院期間に比較的見舞うことができたのと、急激に衰えていく姿を見てきたことが、「早く楽にしてあげたほうが・・」と思わずにはいられなかったことから、どこか納得感のようなものがあるのかもしれない。
 
父は「検査入院する」と自分で電話してきてから、約2ヶ月で逝った。
 
最後に見た顔は亡くなる二日前。
 
抗ガン剤とモルヒネの副作用で、全く別人格になったときだった。
 
今でもはっきりと覚えている。
 
とりとめがないのでこのあたりで・・。
 

母の葬儀全般(納棺・通夜・告別式・火葬・初七日・あいさつ回りその他諸々)を終えました。
 
きわめてあわただしい時間が過ぎていきました。
 
通夜のあいさつ、告別式のあいさつ、出棺のあいさつ、初七日法要のあいさつと、つきものの喪主挨拶は、何回やっても感情が入ってスムーズに話せなくなりますね。
 
7年前、父が他界した時は私が現役だったこともあり、、父の経歴や関係諸機関を考慮して、盛大にやろうと決めてやりましたが、今回は必然的に質素にならざるを得ず、こじんまりとした葬儀になるはずでした。
 
でもありがたいことに、お世話になっている非常勤先や元の会社、ソルチェのAssociatesからも生花や香典、弔電を多くいただき、結果としては、家族葬とは程遠い感じになってしまいましたが・・・
 
18歳で実家を出て、大学・就職・結婚・転勤等々、長男で一人息子にもかかわらず36年余りを親とは一緒に暮さず、今後も戻ることない親不孝な息子に対して、母はいつも優しく暖かく接してくれていました。
 
葬儀で久しぶりに会う方との話では、町内会の方や親戚にはいつも息子自慢をしてくれていたそうです。
 
それなのに、誕生日・母の日・敬老の日・正月ぐらいしか℡をすることもなく、父や祖母の法事のときや、仕事が重なるときぐらいししか顔も見せない親不孝なことばかり・・・でした。
 
高齢者の定番「頸部骨折」で入院し、心不全症状が悪化し始めたこの2年半は、まともな会話もできない状況が続き、ましてやこの数か月は意識もなく、いまさら会話もできない・・
 
脳梗塞を併発し、意識は混濁、経口摂取もできず、管だらけで、無理やり生かされている状態でも、「どんな状態でも生きてさえいてくれれば・・」と、勝手なことを思っていました・・
 
「心にポカンと穴が開く・・」という感じを、54年近く生きてきて初めて感じます。
 
いい大人になった子供が言うのもなんですが、美人で、仕事にボランティアに趣味に、何事にも積極的で、働き者で料理もうまい自慢の母でした。
 
しかし7年前に父が他界してからは、病とけがで入退院を繰り返し、どんどん衰えていきました。
 
そういう意味では、55年余り共に暮らした最愛の父のもとに行けたことは、きっと喜んでいることでしょう。
 
でも残された私たちは、「もっともっともっとこうすればよかった・・もっともっとあれもできたのに・・」、後悔やら自責の念やらに苛まれます。
 
父に続き、母の最期も看取れず、ろくな葬儀も出してやれず、仕事も何もかも中途半端な人生を送っている自分がとことん情けなくなります。

 
父の時のような仕事上の縛りは全くなく、比較的時間に余裕があるからなおのこと考えてしまうのでしょう。
 
やはり失くして初めて親の・・息子にとっての母親の・・重さ、かけがえのなさがわかるものなのですね・・・

ついに・・

2012年8月1日11:40に、母が他界いたしました。
 
10:00頃、姉から℡で「こちらに来たほうがいいかも・・」と連絡があり、仕事先や近い親戚へ連絡をしていた矢先に・・
 
両親とも看取ることができず、仕事も中途半端なままで、ほんとに親不孝者です・・
 
 
 
 

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