宇宙とブラックホールのQ&A

Q&A、書評、天文を中心とした科学ニュース、俳句・短歌などを掲載しています

時間論

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もともと「時間について」というトピなので、時間関連の記事でこれまでの書庫に分類できないものがかなりあることに気づきました。
科学的時間論だけでなく、哲学的時間論や宗教的時間論も含みます。
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広松時間論2

広松時間論1:http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/58518137.html
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三.
ここでようやく時間論の問題の構図が明らかになります。
時間という既定の軌道が存在して、この路線を「宇宙丸」が遊牧民的に進行するのでしょうか。
過去現在未来にわたるそのような軌道が果たして存在するのでしょうか。
それが認めにくいとしても、他方では「農耕民型」のように未来から飛来する時間というのも実在するとは考えにくいでしょう。

それでは時間という路線が既在するのではなく、路線的に形象化されるのは、宇宙丸の飛跡と考えればどうでしょうか。
これは「実在するのは現在だけだ」という考え方で、その代表が有名なアウグスティヌスの時間論です。
彼は、存在するのはもっぱら「現在」であって、「過去のものの現在」、「現在のものの現在」、「未来のものの現在」という三者が、記憶、知覚、予期というかたちで現在する心のうちにのみ存在する、と説きました。
しかし、現在しか存在しないというのでは、それはもはや現在とすらいえないでしょう。
なお、広松さんは広い意味ではベルグソン的時間(「純粋持続」)も徹底した現在主義と主観主義という点で同様だと考えているようです。

時間論の真の問題は、いわゆる過去(および未来)の世界といわゆる現在の世界との相関性の構造だと、広松さんはいいます。

われわれの日常的思念においては、過去(の世界)は端的に無だとはみなされていません。
それは何らかの意味で存在するものと了解されています。
しかも、存在するものは必ず一定の空間的場所の大枠内のどこかに在るものと考えられがちです。
とすると、過去の世界は独自の空間的場所において存立するのか、それともあくまでもこの現在的世界のこの場所に存立するのか、という二者択一が問題となります。

死んだ友人と喧嘩をしたという過去の事実はあくまで過去的世界に属するというような場合には、現在的世界空間とは別の空間的世界、過ぎ去りはしたが依然として存在するはずの或る世界が思念されます。
これは先の四類型でいえば「狩猟民型」や「旅商人型」の場合です。
一方で、私の少年時代の頭蓋骨や五年前に庭に植えた苗木といったものは、過去の世界に属するといっても、空間的に別世界にあるわけではなく、依然として現在的空間世界にあるものと了解されます。
この場合には、「農耕民型」であれ「遊牧民型」であれ、ともかく現存する世界空間は単一的です。

少し乱暴にまとめれば、日常的思念においては過去に関する二つの考え方を次のように使い分けています。すなわち
1.実体的に持続しているとみなされるものは、継時的に変化したにもかかわらず、現在的世界空間に帰属され、
2.実体的に消滅したとみなされるものは、追憶的に現前するにもかかわらず、現在的世界空間とは別の過去的世界空間に帰属させられます。

この二重性あるいは二義的態度を否定するためには、「現在しか存在しない」という徹底した現在主義をとれば可能です。
先のアウグスティヌスは同時に徹底した主観主義でしたが、主観主義をとらなくても現在主義は可能です。
存在するのはあくまで、その瞬間、瞬間の世界だけであって、世界は瞬間ごとに生まれては消え、消えては生まれるとするのです。
これには、たとえばデカルトの説いた神の連続的創造が該当しますが、世界がなぜこのように存在するのかを問わなければことさら造物主を持ち出す必要は生じず、論理の上ではこの手の徹底した現在主義は決して不合理ではありません。
(k:仏教でいう刹那滅せつなめつ論もこのタイプの時間論で、仏教哲学にも詳しい広松さんは当然ご存知のはずですが、ここでは触れていません。)
こうした現在主義をとれば、「時間」なるものはまったく主観的な幻影にすぎないということになります。

しかし、広松さんは「現在」とは何であるかも決して自明ではなく問い直さなければならないし、過去(未来)の世界を現在の世界と分離したり二重写しにしたりする二義的態度が生ずる根拠となっている「時間体験」の存立構造を分析する必要があるといいます。
そして、次の第2節でその分析を行なっています。


今回の紹介はとりあえずここまでとさせていただきます。
広松時間論と銘打ちましたが、ここまでの内容は論旨を追ってこられた方にはお分かりのとおり旧来の時間論に対する批判・解体であって、広松さんの積極的な時間論が展開されたわけではありません。
でも、私は4つの類型が非常に面白いと思います。
もしご要望があれば、第2節以降についてもご紹介することを検討します。


★ 時間論に関する宿題がまた一つ片付きました。まだまだ残っていますが、おいおいと・・・

広松時間論1

以前少し触れたことがありますが、哲学者広松渉さんの時間論の論文の載った雑誌が見つかったので、ご紹介したいと思います。

広松 渉 「時間論のためのメモランダ」 青土社 ユリイカ1973年8月号所収 20頁
この号は「総合特集・文学の時間」となっていて、狭義の文学の時間以外に映像の時間、哲学の時間などについても載っており、この論文もその一環です。
また、目玉として天沢退二郎さんと入沢康夫さんによる「銀河鉄道の「時」」という討論も載っていて、当時の私としては買うしかないという雑誌ですね。

広松渉さんは1933年生1994年没。
現代日本を代表する哲学者で、晩年は東京大学教授。定年退官してすぐに亡くなったということです。
正確には「広」ではなく「廣」ですが、便宜上簡単な字を使わせていただきます。

本論文の構成は次のようになっています。
1.時間論の問題論的構成
2.体験的時間の現前様態
3.時間形象の対象的存立
これだけ見てもお分かりのとおり、広松さんの文体というのは独自の思想を表現するために独自の漢語が多用されており、厳密ではあるのですが、とっつきにくいですしまた部分的に引用すると違和感があります。
以下ではこの論文の第1節のみを要約しますが、その際私なりにできるだけ普通の?日本語に言い換えることにします。
当然、かなり不正確になっていることはご了承ください。


近代人の意識においては、時間は直線として表象され、この直線的時間は過去から未来の方向へ流れるものと了解されています。
しかし、この近代人の常識は文化諸民族に共有されているものではありません。
そこで、まず時間観念を歴史的に相対化しつつ、時間論において真に問題なのは何なのかを再確認することとします。

一.
原始の狩猟民族や古代の農耕民族においては、一般に、時間は周期的に循環するものと了解され、それは未来の方から到来して過去の方へと推転していくものと考えられているということです。
これらの民族においては、朝昼夕夜、月の満ち欠け、乾季と雨季ないし春夏秋冬などの周期的変化が時間観念の形成において大きな役割を果したものと考えられます。
アリストテレス:「円運動こそが時間の最も正確なアナロギアを表わす」

さて、今日のわれわれも「春が来た」とか「間もなく正月が来る」という言い方をします。
そのとき、時間は、未来(前方)から到来するものとして表象しています。
これらは、「友人が来た」とか「やがてツバメが来る」というような空間内的移動・到着ではなく、「春の世界」「正月の世界」とでも言うべき舞台的=時空的な「世界」そのものの前方からの到来です。
そこでは、事象と時間とが裁断されてはいません。

原始的には空間的事象と時間そのものとが未分化だったでしょうが、空間的世界と時間とが相対的に分離され地上的世界の空間的布置はほぼ恒常的とされるようになった場面でも、依然として、時間は未来から到来するという仕方で表象されます。
それは、近代以前の文化においては、天体(特に太陽)の運行と時間とが二重写しにされ、天体ないしその運行が運命的な規制力をもって地上的世界を律しているという観念を媒介にしています。
占星術もこの点に根拠をもっていました。

次に、遊牧民族の場合。
遊牧においては、遊牧民が遊牧コースを移動していくにつれて畜獣が成長し、新たに仔が生まれ、群れが大きくなっていきます。
彼らにとっての生活世界は、この畜獣の群を中枢とします。
広大な草原やオアシスは「地」化される傾向にあり、ゲシュタルト的「図」となるのはあくまでも移動する畜群と人間たちです。
こうして、彼らが既定のコースを進むにつれて「世界」に変化が生じるという了解が生じます。
コースを進むことが時間的経過と重ね合わされ、過去から未来へと直線的に進行する時間という観念が生み出されます。

以上から、世界時間の表象にかかわる次の3つの類型を整理できます。
a.狩猟民型:世界が時につれて回り舞台のように次々と到来的に眼前にひらけつつ過去へと推転していくという了解のタイプ。
ここでは認識主観は観望者的に(世界の外から)回り舞台を眺めている。
b.農耕民型:眼前の世界に未来から時間が来臨しこの時間が経行するにつれて世界に事象的変化が生ずるというタイプ。(k:「経行」がうまく言い換えられません(^^;)
ここでは認識主観は空間的世界に内在しており、この静止的視座の前を時間が通過している。
c.遊牧民型:敷設された路線ともいうべき相で時間が存在しておりこの路線に沿って世界が進行していくにつれて世界の内部的状態に変化が現出するという了解のタイプ。
ここでは認識主観は事象的世界に内在ないし雁行しつつ時間路線上を自変的世界とともに進行していく。

二.
近代的(自然科学的)時間概念はニュートンの次の言葉に表現されています。
ニュートン:「絶対的な真の時間は、ひとりでに、いかなる外的なものとの関係もなしに、一様に流れる。」
これに対しては直ちに、時間は座標系の一部であって時間そのものが流れるのではないという反論が想定されます。
しかし、時間が流れるのではないとすると、流れるのは時間以外の何かということになり、ニュートンの世界で本質的に存在するのは絶対時間と絶対空間だけですから、今度は絶対空間が時間軸に沿って流れるという構図になります。
(k:時間も空間も過去から未来まですべて確定しているという決定論的考え方もありえるはずですが、広松さんは取り上げていません。)

ここではまず絶対時間が流れると想定して議論を進めてみましょう。
農耕民型の時間であれば未来から到来して過去の方向に流れるのですが、近代人としてのニュートンは時間は過去から未来へと流れるはずだと考えていたはずです。
つまり、時間の流れは河の流れに例えられるものであり、これはこれまでのa〜cとは別の時間表象になります。
時間という河は上流(過去)から下流(未来)へと悠久に流れており、われわれ認識主体は小船を浮かべてこの時間流に乗っています。
流れ進むにつれて、眼前にひらける世界(河岸の景観)が移ろっていきます。
これは旅商人が、かつて泊まった町々の追憶をとどめつつも、日々新しい町へと歩みを進め、次々と新しい世界に出会っていくのと類比的ですから、d.旅商人型と呼ぶことにします。
時間そのものの表象が「農耕民型」においては「主宰者的」、「遊牧民型」においては「路線的」として形象されるのに対し、ここではそれは河流的ないし「流線的」です。

しかし、ニュートンの絶対時間が「流線的」に過去から未来へ流れるという暗黙の前提から出発していたとしても、実は「旅商人型」の世界時間表象は彼の体系には適合しません。
なぜなら、小船で河流を進む比喩では、空間的世界は小船の外に存在し、世界の空間的座標系に対して小船(認識主体)の位置が変位していきます。
ところが、ニュートンの世界では絶対時間の経過に伴って必ずしも絶対空間座標が変位するわけではありません。
とすると、世界が小船の外に存在するのではなく、絶対空間的世界の全体が船に乗っているのでなければならないことになります。
つまりこの船というのは「宇宙丸」であって、宇宙丸がそっくりそのまま時間河を流れ下りつつ、その内部において継時的な変化を現出するのでなくてはなりません。
こう考えてくると、ニュートン・古典物理学的な世界時間のあり方は、ニュートンの思惑に反して、構図としては「遊牧民型」となっていることがわかります。

したがって、時間は過去から未来に流れるのではありません。
過去から未来へと進行するのは、認識主観をその内に存在させている空間的世界そのものです。

--------------------- 続 く -------------------

時間トピの常連のお一人であるteresokoさんから、日経サイエンス2009年10月号(現在の最新号)に時間に関する特集記事が載っていることを教えていただきました。
http://www.nikkeibpm.co.jp/cs/mag/natu/nsci/saishin.html

問題の特集は
「存在確率マイナス1 天才アハラノフの予言」
で、14ページからなります。他に巻頭にダイジェスト1ページあり。
3本の記事で構成されています。
第1部は全体のタイトルと同じで、2ページの紹介文。
古田彩さん(編集部)が書いています。将来はサイエンスライターになるのかな。

第2部は「宇宙の未来が決める現在」(4ページ)で、テルアビブ大学アハラノフ名誉教授への電話インタビュー。聞き手は古田さん。
監修は鹿野豊さん(東工大博士課程院生)と細谷暁夫(同教授)。お二人は1ページの解説文も書いています。
アハラノフ(日本人以外は敬称略)はアハラノフ・ボーム効果、略してAB効果で有名ですね。電磁場が存在しなくても、電磁ポテンシャルが存在することは可能だというもので、それまでは単に計算上のものと考えられてきた後者の方が前者よりもむしろより基本的だという含意だと思います。

アハラノフは1988年に量子状態をほとんど壊さずに測定する「弱い測定」という概念を導入。後で詳しくみます。

第3部は「量子の“開かずの間”をのぞき見る」(7ページ)で、井元信之さん(阪大教授)、横田一広さん(同大学院博士課程院生)が執筆。

1992年に英ダーラム大学のハーディーは、マッハツェンダー干渉計を2基用意し経路が途中で交差するようにしてそれぞれ電子と陽電子を投入したときに生じるパラドックスを提唱。
電子と陽電子が交差しなければ単独の場合と同じ結果が出て、両者が交差して消滅すれば別の結果が出るはず。しかし、1/12の確率で交差しなくてもまた別の結果が出るというのがパラドックスの内容。
アハラノフは場合わけを行って途中で弱い測定を行ったときの計算を行い、その中の一つの場合が確率−1になることを発見。
しかし、この電子と陽電子を使う実験は、現段階ではまだ制御が技術的に難しくて実際には実現できていない。
最近、井元、横田のお二人は電子・陽電子の代わりに光子を2つ使うことによりハーディーのパラドックスを確認した。
光子の反粒子は光子自身だが、光子二つが衝突しても消滅はしないので、その場合をカウントから除外するなどの工夫をした。

さて、アハラノフのいう「弱い測定」とは何か。

量子力学によれば、われわれが見ていないところでは電子や光子は異なるシナリオをいくつも同時に実現し異なる物理現象を起こす「重ね合わせ」状態になっている。
このとき、中をのぞくととたんに重ね合わせが崩れてしまう。

しかし、従来の測定(「強い測定」)ではなく、弱い測定を行えば量子状態をほとんど壊すことなく、中をのぞくことが可能となる。
つまり、一回あたりで得られる情報量を極端に少なくすれば、測定により量子状態が壊れることはほとんどなくなる。
ただ、弱い測定で得られる情報量は極端に少ないため、一回だけではほとんど何も分からないが、何百回、何千回と繰り返せばきちんとした測定値を得ることができる。
これを「弱い測定値」と呼ぶ。

ここから時間との関係。
熱力学を除く物理のほとんどの分野では、基本法則(方程式)は時間反転可能である。これを時間対称性と呼ぶ。
量子力学も同様だが、ただこれまでの量子力学においては測定だけは時間反転可能ではない。
アハラノフは量子力学の基本であるシュレーディンガー方程式を、未来の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式(これは通常のものと同じ)と過去の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式のペアに書き直した。
そして、弱い測定値は、この二つの方程式によって定義されている。
弱い測定値を得るには、
a.ある特定の初期状態を多数用意し、
b.そこから時間発展が始まるので、途中で弱い測定を行い、
c.強い測定で最終状態を確認して、さまざまな状態がある中で特定の状態になったもののみを選んで、
d.それらの途中での弱い測定値を確認する。
最初と最後は同じ過程でも、途中の弱い測定値はもちろん量子力学らしく(^^複数の状態の重ね合わせとなっている。
弱い測定の前後で時間対称になっているのが従来と比べ新しい点。

アハラノフ自身は、この宇宙全体も最初と最後は一つで、途中でわれわれが弱い測定を何度となく行っているだけかもしれないと述べているが、ここまで行くと本人もかなりの飛躍があることは認めている。

最終状態により選別を行うことが奇妙な結果が生じる原因となっているらしい。


「マイナス1の確率の光子」については、アハラノフ自身はそういう言い方を否定している。
>光子の数がマイナスなのではなく、物理的な特性がすべて逆になった光子が正の数だけ存在する、とみるべきだ。
>粒子の数の測定は、強い測定だ。弱い測定では、粒子の数を数えるのではなく、代わりに粒子の何らかの物理的性質を測定することになる。

それは特性が逆ということで、反粒子のようだが、反粒子とは異なる。
反粒子は電荷やスピンなどが逆になっているが、質量は粒子と同じ正の値で、正のエネルギーをもつ。
アハラノフの提唱するのは、すべての物理的性質が逆になっている粒子で、まったく別の新しい概念。


とりあえず、こんな感じですか。
私は量子力学が弱いので、ちゃんと整理できているかどうか疑問ですが。
間違いがありましたらご指摘いただければありがたいです。

時間生物学

次の本の第4章に時間生物学についての解説が載っていました。
本全体の書評がうまくまとまらないので、当該部分だけを要約しておきます。

秋岡 眞樹 編著 『太陽からの光と風 意外と知らない?太陽と地球の関係』 技術評論社 知りたい!サイエンス 2007年12月発行 本体価格¥1,580(税込¥1,659)
http://gihyo.jp/book/2008/978-4-7741-3298-3

 「第4章 太陽と生体リズム」
執筆者は大塚邦明さん。
大塚さんは、東京女子医大内科教授で日本時間生物学会理事です。
ググるとご著書が高血圧関係と時間医学関係を中心に13冊ヒットしましたが、本書はその中に入っていません。

この章では、ミネソタ大学のハルバーグ教授により確立された時間生物学(その後発展して時間医学となる)が紹介されます。

太陽光がまったく差さない部屋で生活しても、ヒトの身体は一昼夜(地球の自転)とほぼ同じリズムを示します。
これをサーカディアンリズムといい、ヒトのような昼行性動物では約25時間と24時間より1時間長くなりますが、ラットのような夜行性動物では約23時間と逆に1時間短くなります。
サーカはラテン語の "circa" で「約、概ね」、ディアンは同じく "dian" で「1日」を意味します。

身体の中でサーカディアンリズムを作り出している機構を生体時計といいます。生体時計の中枢(ペースメーカ)は、昆虫では視葉、鳥類では松果体、ヒトを始めとする哺乳類では脳の視床下部に位置する一対の視交叉上核にあります。
ただ、体中の細胞にも生体時計は認められ(末梢時計)、視交叉上核を頂点とする階層的構造が考えられています。
生体時計は生体内の化学変化の周期を利用してリズムを作っています。

>ヒトの場合、生体時計を構成する時計細胞の核内にある Clock、B-mal1、Per1、Per2、Cry1、Cry2 と呼ばれる6つの時計遺伝子が時計機構の主たる役割を担っています。
Clock と B-mal1 が対をなし、時計遺伝子(Per1、Per2、Cry1、Cry2)から時計タンパク(PER1、PER2、CRY1、CRY2)への転写を促進します。
そして合成された時計タンパクが、その転写を抑制するという負のフィードバックの連鎖から、約24時間周期の振動が作られています。

生体時計が時計であるための必要条件として次の3つが挙げられます。
1.自動的に時を刻むこと
2.環境(特に温度)に左右されずリズムが安定であること
3.時刻のずれを調整できること

ヒトを始めとする地球上の動物は少なくとも次の4つの時計をもっていると考えられます。
A.置時計型で、サーカディアンリズムを刻む生体時計
B.砂時計型で、数分あるいは数時間という時間の経過を予測する
C.四季を計る時計。日照の変化に反応(光周性)
D.寿命の時計

Q 相対論では、運動する物体の時間は遅れると聞きました。
しかし、地球に対して運動している宇宙船があったとして、地球からみて宇宙船の時間が遅れているのなら、宇宙船からみて地球の時間は進んでいないとおかしいはずです。
それなのに、相対論では宇宙船からみた地球の時間は遅れているとしているのは、矛盾ではないでしょうか?


A 
0.「AからみたBの時間が遅れているのならば、BからみたAの時間は進んでいる」というのは、決して当然のことではありません。
遠くに立っている人同士がお互いを見るとき、「AからみたBの姿が小さく見えるならば、BからみたAの姿が大きく見える」ということはないですよね(Peach_Physさんの示された例)。
相対論では、AとBとが相互に運動しているとき、AからみたBの時間が遅れ、BからみたAの時間も遅れるのです。
このようなことが生じるのは、相対論において時間合わせに光(電磁波)を使うからです。

1.前問「△相対論の時間遅れはどう計るの?」で相対論における時間合わせの方法を説明しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/51993222.html
そこでは、地球から宇宙船に光信号を送って、受け取った宇宙船が自らの時計の示す時間情報を含め地球に返信しました。
これはあくまでも地球上の観測者の立場に立った時間合わせであることにご注意ください。
一連のやり取りにおいて宇宙船の側は地球上の観測者が受信した時刻については知りようがなく、したがって地球側の判断を知ることもありません。
もちろん宇宙船の側も地球上の観測者が行ったのと同じように地球に対して光信号を送って時間合わせをすることが可能です。
しかし、それは以下にみるように地球と宇宙船とで異なる結果をもたらします。

2.前問と同じ数値例で説明します。
宇宙船が地球の脇を通る直線上を光速度の8割の速度で慣性運動しているとします。
特殊相対論によれば、このときの宇宙船の時間経過は
   √(1−0.82) = 0.6
すなわち地球上の6割に遅れます。
ここでは、
 前提1:地球上からみた宇宙船の時間経過が6割に遅れていること と
 前提2:時間合わせは光信号により行うこと
の二点だけを前提として
 結論3:宇宙船からみた地球上の時間経過が6割に遅れていること
を示します。

前問と同様に、宇宙船が地球のすぐ脇を通過するときに、地球上の時計と宇宙船の時計をともに0時に合わせます。

3.前問でみたように、最初地球から送信し始める場合の一連の通信を、地球上の観測者からみて整理した時間と距離は、次の表のようになります。

   第1表 地球からみた時間と距離の整理(地球から通信開始する場合)
 出来事      地球の時刻  宇宙船の時刻  両者の距離
              (秒)       (秒)       (光秒)
出発             0        0         0
地球から送信       2        1.2        1.6
宇宙船で受信し返信  10        6         8
地球で受信       18       10.8       14.4

4.次に、同じように宇宙船から地球に向けて光信号を送信し始めるものとします。
これを地球上の観測者の観点から整理します。

A.宇宙船では、宇宙船時間の2秒後に「2秒後」という情報を乗せた光信号を、地球に向けて送ります。
前提1により、宇宙船時間は地球時間の6割に遅れていますから、地球時間に変換すると、
   2/0.6 = 10/3 ≒ 3.33
つまり宇宙船が光信号を送信した宇宙船時間の2秒後は、地球時間の3.33秒後に相当します。
(ただし、この時刻を地球上の観測者が知るのは、光信号を受信した後です。)
このとき、地球と宇宙船の距離は、
   10/3×0.8 = 8/3 ≒ 2.67
なので、2.67光秒です。

B.地球からみて、3.33秒後に宇宙船の発した光信号が2.67光秒の距離を飛んで、3.33+2.67=6秒後に地球に到達します。
地球上では6秒後に宇宙船からの光信号を受け取り、直ちに光信号に「6秒後」という情報を乗せて返信します。
前提1により、地球時間での6秒後は宇宙船時間の 6×0.6=3.6秒後です。

C.地球からの返信が宇宙船に到達する時刻tは、
   (t−6)c = t×0.8c
となり、これを解くと、t=30 となります。
すなわち、宇宙船は、地球時間の30秒後に地球からの返信を受け取ります。
地球時間の30秒後は、前提1により宇宙船時間の 30×0.6=18秒後です。

   第2表 地球からみた時間と距離の整理(宇宙船から通信開始する場合)
 出来事      宇宙船の時刻  地球の時刻  両者の距離
              (秒)       (秒)       (光秒)
出発             0        0        0
宇宙船から送信     2        3.33       2.67
地球で受信し返信   3.6        6        4.8
宇宙船で受信      18       30        24

5.以上は地球上の観測者からみた時間と距離の整理です。
宇宙船の観測者は、前提2に従って、地球から返信してきた時刻は宇宙船の送信時刻である2秒後と宇宙船の受信時刻である 18 秒後との中間である(2+18)/2=10秒後だと認識します。
宇宙船の観測者にとっては、地球上の6秒後が自分の10秒後に対応している、つまり地球の時間経過は宇宙船のそれの6割に遅れていると認識されるわけです。

   第3表 宇宙船からみた時間と距離の整理(宇宙船から通信開始する場合)
 出来事      宇宙船の時刻  地球の時刻  両者の距離
              (秒)       (秒)       (光秒)
出発             0        0        0
宇宙船から送信     2        1.2       1.6
地球で受信し返信   10        6        8
宇宙船で受信      18       10.8      14.4

第3表は、第1表と比べて地球と宇宙船が入れ替わっているだけで、各欄の数値はまったく同じです。
なお、「地球の時刻」欄の 1.2 と 10.8 については、前問の解説をご覧ください。

6.第2表と第3表を見比べると、出発の行が一致するのは当然として、他は宇宙船時間で計った宇宙船の送信時刻2と受信時刻18、地球時間で計った地球の受送信時刻6の三つだけが一致しています。
この三つの出来事については、それぞれが起こった場所の時計で計っているのですから、一致するのは当然です。
これに対し、離れた場所の時計で計ったらどうなるはずかというのは推測によるので、異なる慣性系にいる観測者では異なる結果となります。

地球上からみると宇宙船は遠ざかっているので、光信号の行き(宇宙船→地球)の時間は2.67秒しかかかりませんが、帰り(地球→宇宙船)の時間は24秒もかかります(第2表)。
他方、宇宙船からみると光信号は行きも帰りも同じ距離(8光秒)を走るので、同じ時間(8秒)しか要しないことになります(第3表)。

以上でみたように、相対的に運動している観測者同士がお互いに相手の時間が遅れていると観測するのは、決して矛盾するものではありません。

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