■太宰府天満宮をめざして、西鉄・太宰府駅に降り立ちました。
■駅前から始まる、天満宮への表参道がイイ感じなんですね!
段差のないバリアフリーなデザインと、統一感のある色調。
■道幅も広く歩きやすい♪お店を覗くのも楽しい♪
目的地であるはずの御社に行く前に
すっかり目標を見失っております、ワタクシ。
■この明太子・ふくやさんの店舗は秀逸ですよっ 試食し放題 ヽ(`∀´)ノ ウヒョー
手前の黒く四角い炊飯器にごはんがたんまり。
いろ〜んな味の明太子をホイホイ乗せて試食が出来る。
フランスパンとトースターまで用意してくれていて、明太フランス自作も可。
ここまで丁寧にされると買ってしまう(●´∀`)
■わあ
表参道で異彩を放っていました。
■目的はコチラですからね。
太宰府天満宮のご本殿。
■お参りするだけでなく、ご祈祷をお願いしている方の多いこと!
このご本殿の真下に菅原道真公ご自身が埋葬されている・・・
神となった歴史上の人物が、リアルでこの下にいらっしゃる・・・
■そう思うと、日本各地の「天神さま支店」にお願いするよりも
効力があるような、ダイレクトにお願いを聞いてくださるような・・・
凡人おぎんさまにはそんな気がしました^^;
■魔法使いの少年には白ふくろう。
宅急便屋の魔女には黒い猫。
道真公には牛。
お馴染みの必須アイテムですね。
境内各地には「賢くなりますように」の願いを受けてテカテカに撫でくり上げられた牛さんが。
道真公が承和12年(845)乙丑(キノトウシ)
のお生まれだったことも理由のひとつ。
■そして、お亡くなりになった時、
亡骸を乗せた車を引いていた牛が動かなくなったエピソードに因みます。 それを道真公のリクエストによるものだとして、牛車の止まった所、
つまりこの本殿の場所に遺骸を葬ったのだそうです。
■牛さん像がどれも横たわっているのは、
その時に動かなくなった牛さんの様子を表しているのだとか。
※↑画像は境内で「南京玉すだれ屋さん」がパフォーマンスをしていたモノ。
大道芸おもしろかったです!
■「東風吹かば…」の有名な歌の碑。
本殿前の左近にはリアル飛梅が、堂々千年の姿を誇っていて見事でした。
【蛇足】
梅が枝餅を食べ比べ!
①太宰府天満宮境内、
菖蒲池ほとりのお茶屋さん作。
うーん。
フツウ! 次!
② 松屋さん作。
表参道に入ってすぐ右に現れる店
幕末期。
勤王の志篤かった僧侶、月照上人
(京都清水寺塔頭、成就院の和尚)
のエピソードを持つお店。
安政の大獄から逃れる薩摩への旅の途中、
ここ松屋の主人が匿ったとのこと。
甘さに弱いおぎんさま好みの
甘さ控えめバージョン。
サービスで出してくれた金粉入り梅茶
これがしょっぱくて御餅に合う〜♪
松屋さん好印象。
まだ食べます!
③ かさの家
ダントツの行列を見せつける
梅枝餅界のガリバー店。
空港でもお見かけするコチラの店。
故にスルーしようかと思ったが
実際、その行列ってどーなのよ?
・・・と、言いつつ
行列してしまったワケです^^;
きゃー!
ひ、ひとあじ違う気がするんだけど?
他店との差異がちゃんとある気がした
皮の香ばしさに手抜かりがない
餡の小豆の味が濃厚にする・・・
かさの家さん、ナメてましたゴメンナサイ
やはり、行列していればウマイのかしら?
・・・ということで
かさの家さんと同じような行列を形成するコチラへ。
④ 中村屋さん
並んだ。
食べた。
うーん。
フツウ。
ごめんなさい。
結果・・・かさの家>松屋>中村屋>境内のお店 ・・・となりました
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唐津のご近所さん
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【 前の記事よりつづき 】
柳川に来たら、コレを食べねばいけませんよね!
柳川名物・うなぎのせいろ蒸し
そして
どじょうの柳川鍋
■選んだお店はコチラ。 六騎 さん。
屋号をロッキ、と読んでいたら違いました!ロッキュとお読みするそうな。 (ナゼ〜
■せっかくなので・・・ \3000 鰻めし(せいろ蒸し) と、 \1000 柳川鍋の両方!
■出来上がるまでのアペタイザーとして うざく(\500)とビールもお願いしまーす。
■趣ある朱色の蒸籠が登場。 ここ六騎だけでなく、他の柳川地区のお店も
皆さん、同様な朱塗りの器で提供されているようです。
このスタイルの容器は初めて見ます。 他所ではお見かけしないと思います。
■関東人のおぎんさまにはすべてが個性的。
錦糸卵が添えられている点も、焼いた鰻をもう一度蒸す、という調理法も。
■ごはんも変わっている! 鰻のタレが予めごはんにまぶしてあるのですね。
関東では、鰻ダレは白いご飯にまばらにまぶされるのです。
※白い所とタレの味が染み込んだ部分とを、バランスを考えながら口に放り込むの (´ж`)
ちょっと泥臭いのが私にはギリギリ (・ω・A;) でしたが、良い味付けでした。
小型のお魚?と思えなくもない。 骨が気になることもなく。
初めての食材との遭遇は楽しいです。
■柳川は、風情あってよい街でした。
この機会に立ち寄ることが出来て
ホントによかったです。 |
さて、前の記事よりつづきです。
柳川市ゆかりのスターたち。
壇一雄!
妻夫木聡!
松岡修造! (東京生まれですが高校の一時期、テニスの為に柳川高に在学していました)
そして、
詩人・北原白秋!
■柳川名物・舟下りの下船場から徒歩でスグの場所に
北原白秋生家&記念館 があります。
■明治時代当時の建物ではなく、昭和44年&平成元年に復元された物です。
復元でも酒造業を主に商っていた豪奢な商家の佇まいが十分に伝わってきます。
■経済的に恵まれた家庭に育つ。 しかし、豊かだった実家はやがて傾き、
本人は文学の世界に自分の進むべき道を見出す・・・
童謡の作詞者以上のイメージを持ち合わせていなかったので
氏の生い立ちを紹介する資料には唸るばかり。
■19歳の時、父親にナイショで上京し
早稲田大学英文科に入学。
いち早く頭角を現し、新進の詩人として
即、スターダムに。
明治時代の柳川から早稲田に来る勇気。
己の詩歌の才能にもっと磨きをかけたい!
そんな若者らしい意欲に
突き動かされたのかもしれません。
資料館では改めて白秋の作品の多さに驚愕
雨降り、 ゆりかごのうた、 砂山
からたちの花、 この道 、ペチカ
あわて床屋 、 待ちぼうけ ・・・
・・・今でも慕われる童謡たち。
※↑は生家の庭に植えてあったカラタチ。 棘は大きいのですねぇ!
詩集・歌集は20冊を越え、たっくさんの校歌も。
意外なところでは「白洋舎」 (チェーン展開するクリーニング屋) の社歌!(゚▽゚;)
■「頭の回転がものすごく速くて、どんどんどんどん言葉が脳から溢れ出す人」
「脳内の言葉を司る部位を筋肉に例えるなら、その筋肉を徹底的に鍛え抜いた
言葉のアスリート」
・・・そんな北原白秋像が浮かびました。
童謡作詞家のイメージ先行で、温厚なおじちゃん?・・・それでは面白い詩は
湧き出さないよね。
私生活は波瀾万丈、結婚も3回。 ぜったいモテたに違いない (^ー^;)
■57歳の生涯。 短いと言えるでしょう。
それでも白秋氏の詩は1200以上あるのだそうです。
名前は知っていても、彼のその人生を深くは知りませんでした。
とても有意義な「早大OB生家訪問」でありました。
【 つづく お腹がすきました〜。ウナギ!】
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志賀島と金印に迫った翌日。
■本日はここ、柳川の町に迫りたいと思います。
■脳内に、「柳川=川下り」 という図式が出来上がってるおぎんさま。
ステレオタイプな発想でございます ( ̄m ̄*)
が、一度は乗ってみたかった!
■白壁の館。柳の木。客を待つ どんこ舟たち。
いい雰囲気ですぅ♪ (柳川観光開発株式会社)
■竿を巧みに操る船頭さん。操船テクニックだけでなく、トークも軽妙でお上手^^
12月1日以降、冬場には、船内におコタがセットされます。
小さい炭火のおコタなので、実際はそれほど暖かくはないのですケド
足元が寒くなくて助かる上に、情緒があってリラックスできます (#^.^#)
■狭っ! 船頭さんのテクニックの見せどころがここ、柳川城堀水門。
まるで毛細血管のように柳川の町を縦横に走る水路は、元はと言えば
柳川城のお堀でした。
この狭い水門は城の防御用に築造されたもので、城内に入る唯一の水門です。
■水路に面して建つお宅には、そのままアクセスできる階段が備わっていました。
お水がキレイだった昔は、この川で洗濯をしていたのだそうです。
水と親しむ暮らしぶりって、ちょっと憧れます。
■蜘蛛手棚 という魚を採るための仕掛けなのだそうです。
グッと突き出た竹の竿が蜘蛛の脚の様だからかしら?
レプリカであって、もはや現役ではないのですが水郷の雰囲気を盛り立てます。
■城下町の歴史と、水郷の情緒を垣間見れた一時間の舟の旅でした。
■さて、舟を降りた後は・・・
ここ柳川出身の有名人にして早稲田大学OBの生家へ行きませう。
【 つづく 】 |
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以下は、中学・社会科テストにありがちな問題です。
懐かしい設問でしょう? 「奴」 「漢(または後漢)」 「金印」 「漢委奴国王」・・・
そして 「志賀」島
・・・と暗記したのは遠い昔ですが、ピカピカの金のハンコの教科書画像には
強烈なインパクトがありました。
「金の印鑑が畑の中から出てきたら、私だったらどうしよう・・・」 とか
「福岡県にはそんな宝島があるんだー」
・・・などなど、授業中に妄想しまくり中学生だったおぎんさまです。
さて時は経ち、オトナすぎるくらい大人に育ったおぎんさま。
つらつらと「るるぶ福岡」の地図を眺めていてびっくりしたのでした。
えーっ!アノ志賀島って、こんなに博多から近い所にある島だったんだ!
(゜▽゜;) ← バカ
金のハンコが出てきた宝島は、
勝手に「絶海の孤島」なんだと思い込んでいました〜 f(^^;) トホホ
・・・ということで、福岡に来たついでに
あこがれだった志賀島に行ってみました。
■博多港に面してある、ベイサイドプレイス博多。
この複合施設にある桟橋から、志賀島行の船が発着しています。
船の名は・・・その名も「きんいん」だっ。
■志賀島ったらこんなに近かったのねぇ。博多埠頭から船で33分ですよ。 島とは言い切れない陸続きなので、天神からバスもアリですよ。
(実は自分も志賀島のある場所を正確には知らなかった、というシトこっそり募集中^^;)
■海からの視点で博多の街を眺めるのは滅多にない。 ヨイですねー。
■百道浜方面ですね? 夜は灯りがキレイなのではないでしょうか。
■ほどよい33分間のクルージング。 志賀島に着きました。
たくさんの漁船が並ぶ漁港に、フェリーも接岸されます。
■集落を抜けて散策。 金印が発見されたと言われている場所を目指します。
を。第1島ネコ発見 (=・ェ・=)
■間もなく海沿いの車道に沿って歩くことになります。
海の水がキレイです!
金印云々はさて置いても、夏の磯遊びには絶好の島です。
カニ採りがしたくなる〜ぅ ^^
■「金印公園」 あれが、金印発見地とされている場所です。
公園になっているんですね。
■公園内は遊歩道があって・・・
■金印についての説明板等が置いてありますが
「ココ!ここが農民の秀治・喜平が掘り当てたところ!」 等、
ピンポイントで提示されているわけではなかったです。
「うーん。どこだったんだろう」 おぎんさまは妄想するしか術がありませんでした。
■金印公園に掲示されていた説明板。
なるほどー。こうして封印するための印鑑だったんだー。
■第1発見者農民から黒田藩の学者・亀井南冥氏の手に渡った金印。
南冥によって「後漢書に書かれた、日本の奴国が光武帝から受けた金印」
と鑑定された・・・という経緯があります。
↑は南冥が描いた地図。 南の赤い波線部が金印発見場所だそうな。
■「金印偽装説」や「南冥の自作自演説」とかあるそうですが、
↑の分析結果が正確だとしたら、私はホンモノと信じますわ。
江戸時代に、そこまで凝った偽造は出来ないでしょう?
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