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8月04日大学院の前期試験のレポートをいくつか仕上げて、またいくつかは残したまま。
その教科書をトランクにつめて、出発に備えた。2年ぶりのインパールだった。
出発前に大阪インド領事館へ、VISA申請に行くと、場所が変わったといわれビザセンターが
できたらしい。どっかで聞いたような名前。ミャンマービザセンターのマネをしたのではないか
と思えるような。
しかもここでVISAを取ったあと、再度領事館で、特殊地域の入域許可を4人以上で申請する。
結局1週間以上かかった。特殊入域には領事のサインはあるものの、ラバーサインがない。
とりあえず、VISAは取れたので予定通り出発した。直前まで現地手配のための連絡やVISAの
問題。現地事情については参考になるのは外務省の安全情報。一般人としてはこれを参考に
せざるをえない。でも実際はもっと深刻である場合や逆に全く問題のないケース。
たとえばミャンマーの場合はマスコミや海外安全情報との食い違いがかなり大きい。
スーチーさんの怨念というべきものがかなり大きく影響を及ぼす。
インパールの場合。かなり安全情報の内容自体厳しいが、実態はもっと厳しいようにおもう。
もっとも、私自身は以前から状況を知っているので、気にならないし、現地で銃をもった軍隊が
いてもいなくても気にならない。慣れてしまったといったほうがいいかもしれない。
現地のひとも、このマニプール州の独立運動については、ずいぶん長い間の動きなので
慣れっこになってしっている。それが証拠に、この路線、コルカッターインパール
の便は増え続けている。交易その他が増えているし、人の移動などもかなり増えて、
コルカッタの資本やビジネスがここまで波及してくるのは時間の問題かもしれない。
この地には、その問題と並行して民族の問題が今後も根強く残るだろう。
いずれにせよ、この地に関しては、安全情報はあてにならない。
インパールとデリーには2000kM以上の距離がある。そのことも原因があるが
このへき地、日本でいうと北海道や沖縄的な遠隔地のイメージ。人種がアーリア人ではなく
明らにモンゴル系チベット系なので、宗教もヒンズー教もあるが山間部はキリスト教が
進出している。TVの普及、通信の自由化もすすんでいることが、今回は裏目に出てしまった。
現地の警察があやまって、無実の農民を誤射してしまったことが、住民の運動や
レジスタンスに拍車をかけてしまった。
それだけ中央政府との軋轢が深いといえるだろう。
出発の前々日に「すいません。戒厳令がでてしまいました。」
私がびっくりして。「入域できますか、飛行機とれてますが。」
「いつものことなので・・・問題はありませんが・・・警察の外出許可取りつけておきます。」
との連絡。
普通の日本人や旅行会社だったら、
「渡航中止となるかもしれない。」
いや・・・・普通はそうなるでしょう。
現地で遺骨収集にたづさわった協力者が、インド日本親善協会を作って、戦友の諸氏のお手伝い
に従事していましたが、協会が割れて、さくら協会というのができて現在にいたっています。
それゆえに信頼していますが、彼らを頼る以外方法もないのです。
その流れをすべて知っている人も旅行業界ではひょっとすると・・・・
●●●だけということに。少ないですね本当に。行く人も年々へって、商社以外は本当に
少ないはずですね。
遺跡や見どころがないというのも原因ですが・・・
話をもとにもどしますが、コルカッタまでバンコク乗継で深夜につきました。
眠かったのですが、ホテルの到着。ヒンズウスタンホテル。人気があってオーバーブック
。ほかの中国からの団体で。部屋が調整できなかったとのことで。同行させていっただいた
Aさんをおいて、私だけ別のホテル。ピアレスインにチェックインしました。
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