ミャンマー不思議な話

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自宅の近くに司馬遼太郎さんの記念館があります。 昔から福田定一さんという金持ちが住んでいると
聞いておりました。それがご本名でありました。司馬さんとは生前あってお話しをする機会はありませんでしたが高校が同じであるという接点のみ。国語の先生から司馬さんの学生時代のことをよく聞かされたものです。一年生のとき、三年生の国語力を超えていたそうです。 作品の中で、「坂の上の雲」と「竜馬がゆく」が好きです。いまNHKで「功名が辻」をやっていますから、これも読み返そうかと思っています。高知城には千代さんと名馬の銅像があります。
さて、この司馬遼太郎記念館がたって、1、2年たったころ、新聞に幽霊が出たという記事を眼にしました。よく読むと天井のコンクリートに、ベタ塗り特有の染みが現れ、その姿がなんと竜馬だというのです。早速見に行くことにしました。
記念館の地下の一番奥に、コンクリートの天井があり、竜馬のシルエットがくっきりと現れているではないですか。偶然にしてはあまりにも正確にシルエットを形ずくっています。何か見る人すべてに霊的なものを感じさせます。

名医と竜馬の鎮魂

今日は高知県の戦友会にお邪魔して、ミャンマーとインパールのお話しをさせていただき、昨年なくなった戦友会会長のM先生のお墓参りもさせていただきました。享年96歳でした。阪本竜馬の生誕地に病院が立っています。高知県の上町というところにあります。看護婦さんの寮の名前も海援隊寮となずけられています。総合病院ですが、病院の前の電話ボックスの上に竜馬の上半身のトルソーが乗っかっています。会長は軍医として従軍し、野戦病院で、多くの将兵の外科手術をこなした経験は、戦後ここの院長として名医の名をほしいままにしました。年老いても先生の執刀態度は毅然として堂々としていたそうです。
忙しい仕事の合間をぬって、戦友会のお世話をするとともに、高知県下のビルマ戦線遺族に手紙をだして
は、情報を提供し、英霊のなくなられた場所と状況を説明しておられました。通常は戦友会だけでまとま
ってしまうことが多く。遺族との交流が少ないケースが多く。遺族は今、聞きたい情報、すなわち生きた
情報を聞きたくても、戦友の方々が高齢化してしまい。あるいは物故してしまって、相談する人もいなく
なっています。先生はそのことをすでに、見通しておられたように思います。
部隊別の戦友会にとどめない、高知県の戦友遺族全体のお世話をしてこられたことは本当に偉業だと
おもっています。市のはずれに、五台山という山があり、ここにその願いがひとつになったパゴダ(ミャンマー式仏塔)がたっています。1982年に吸江寺(臨済宗)の境内に完成しています。
M先生とは昭和56年から25年あまり、ミャンマー(ビルマ戦線)慰霊の仕事をさせていただきました。私の人生の師匠でもありました。先月の中ごろ先生が夢枕に立たれました。
「おまん、いつ(高知)来る。チート話しもあるぜ、ハヨー来んカ」
昨年12月、訃報を受け、車を走らせていた私は四国の松山道から高知道に抜けようとして、大雪のため
通行止めにあって・・・。ついに葬儀に駆けつけることができませんでした。盛大な葬儀だったそうです。そのことがずーっト私の胸の中で、シコリになっていました。
先生が夢枕にたったその翌日に、戦友会の事務局から電話がありました。今年中に慰霊団の計画を
したいので、来てほしいと・・・・・。不思議なことがあるものです。

戦後Kさんは農業をしながら、夜半に起きては仏教の古文書を読み続けました。
戦友の画家に頼んでこの不思議な体験の部分を屏風に書くことができました。
それでも、収まらない気持ちがありました。4年まえ、Kさんは関市の石屋さんに
頼んで、高さ5Mほどの観音様を彫り、自分の田んぼの一画を埋め立て、観音様の石碑
に加えて庭をつくりました。今は、これを英霊と物故してゆく戦友のための鎮魂碑としています。
Kさんはいま85歳、戦後はまだ続いています。
Kさんには余談ですがこんなこともありました。
一命をとりとめ、マンダレーに駐屯していたとき、コンパウン王朝、王族の血を持つ女性と知り合うことになりました。
二人は恋に落ち、平和になったらと二人は結婚を約しました。戦争が厳しくなりいよいよ別れの日、この女性は小さな箱をプレゼントします。返ってからあけてくださいといいのこしました。復員後Kさんは、農家の養子となり、20数年の月日が流れました。昭和47年、ミャンマーの鎖国政策が続いていましたが厚生省の遺骨収集団第一次があると聞き、Kさんは参加します。各地で戦友の集骨をした後、マンダレーでこの女性を探しましたが残念ながら、すでに亡くなっていました。しかし一通の手紙が残っていました。家族が日本人が尋ねてきたら渡してほしいと言付かっていました。
「戦争がおわり、日本の兵隊さんがたくさんなくなりました。生きておられて、あなたがこの手紙を読まれるときには、・・・・わたしは仏のもとにあることでしょう。功徳を積んでください。お元気で、あなたの幸せをお祈りいたしております。」
Kさんが日本に持って返った箱の中には、ダイヤモンド数個、ルビー数個が絹に包まれて入っていました。

ジャングルを抜け、小川の岸までたどり着きしたが、敵兵があちこちに見えます。川に近づけば
命がないようにおもえました。戦友とここを最後と決めました。
「死ぬことは、ちっとも怖いとはおもわなんだ。」と住職はそのときの心境を語ります。
夜明けとともに、撃って出て潔く散る覚悟はできていました。戦友と最後何気なく手を川の方向へ
向け合掌しました。明日になれば自分たちの屍が浮かぶであろう川に向けて・・・・
とそのとき、薄い霧のような影が浮かびました。Kさんは霧の中に観音様の姿を見ていました。戦友もその表情が固まったまま動こうとしません。
「おい、オカシイゾ、観音さまやー、あの下になんかありそう気がする。」
Kさんが不思議な霊感に引き寄せられながら、這い蹲りながら、用心して下まで来ると、そこに一艘のゴムボートが隠してありました。
Kさんは戦友をよび、このボートで夜陰に乗じて、川を下って行きました。ボートの底に触るものがありました。小指位の薄汚れた観音様像がひとつ、転がっていました。
Kさんはマンダレーまで無事下がることができました。そこに友軍(祭兵団)一個大隊がいました。

 

そのとき・・・・安兵団はカチン州に展開しモガウンまで北上し、一部の部隊を除いて、ミートキーナー
を前にして転進を余儀なくされました。
「一発撃ったら、100発返ってくる。撃ったらアカン」
兵器火力の違いは歴然としていたのです。また降りしきる雨が病気を蔓延させてゆきました。
チンザイにあった野戦病院も、兵隊であふれていましたが、ここもやられ、歩けるものだけ歩いて下がります。ジャングルの中を徘徊し、下がって行きますが、先に行き倒れた戦友の屍が転々と転がっていました。連合軍の追撃が激しいものがありました。この頃から制空権も握られていたのです。空爆もあります。ジャングルでは、それになれたゴルカ兵が、日本兵に襲い掛かります。マラリヤにやられた日本兵は
虫の息で木陰ですわって、最後のときを待っていました。そこへゴルカ兵が来て、息のある日本兵の腹を切り裂きました。肝臓を取り出し、それをさらに盛ると、塩をかけて食べたのでした。Kさんは戦友と草むらにかくれて、こみ上げてくる嗚咽を押し殺しながら、黙ってその光景を見ていなければなりませんでした。
「今度、ゴルカ兵を捕まえたら自分も容赦せんと思うた。・・・」

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