居合道について

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刃筋が見えた

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弟子と鞍馬流のすり返しを研究した。

いろんな発見。練習しなけらば難しいですが、できれば何だと。

一般に切り落としとして、一刀流では大変たくさん、むしろ組太刀に

頻繁に出てくる。

戦前までの剣道にもかなり利用されていたように思う。

何回も練習するうちに、この重要性に感じるものがあった。

そしてなによりも、相手の刃筋を眼で追いかける技術と

冷静な眼力も必要だと理解した。

刃筋が見え出すと面白いほどよく効く。

すなわち、相手の刀がはじき返されて・・・・すきが生まれる。

忍者と演武   2

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日本の忍者の脈流もあるにはあるのですが
隠れてしまって、いうなれば、芸能用に
アレンジされているものが多いようだ。

一種の芸能として、子どもたちのフェステイバルに
出る一団があると聞き、お話をお伺いすることに
K党とよばれる忍者集団を率いる。Kさんと奈良で
お会いしました。

とても人の良さそうなかたで、とても忍者とは思えない。
奥さんは服部半蔵の流れを組む、家系であるらしい。
ご本人は太秦映画村で殺陣士の修行をし、福井県の甲賀流
宗家の師匠について手ほどきを得たらしい。

忍者と演武

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えらいこっちゃ、あの有名な結婚式場兼料亭のTK園から
Telがあった。
外人向けインバウンドの企画を・・・・・
早速、かっぽれの先生、京都の花街、日本に3人残された花魁、T太夫に応援を
お願いし、わが道場の居合と日舞、おいらん道中、を
組み合わせ・・・・・
日本文化プログラムの作成に取り掛かる。
アシスタントはうちにいるメアリ
 

なんという週末だったのだろうか。土曜日に続いて、居合いの弟子英国人メアリが枚岡神社で国際結婚、近くのレストハウスのガーデンテラスで
パーテイ。桜満開。英国からの親戚こちらも10名近く。土曜日のオーストラリア人たちに続いてれんちゃんでした。
よせばいいのに、頼まれて又も居合いを披露。芝を踏みしめながら。
説明しながら制定・古流あわせて16本ほどやりました。
少しでも国際交流になればと・・・・途中から花嫁のメアリも参加。
デモンストレーション。
この日メアリの服装はというと、本当にユニークでした。卒業式に女子学生が着る袴(赤紫)と中世風エリザベス女王風のコルセット形上着(絹:ワインレッド)を組み合わせ。和装薄絹で振袖をつけた独自のデザイン。ヘアースタイルも中国式に両側に丸くしてはまるでトンボような東洋風。
イギリス人の感性を改めて関心させられました。
ストラッドフォードアポンエーボンでみたツタが絡まる石の家。こじんまりした空内に御伽噺に出てくるようなインテリア。
新興国にない感性だと思えるのですが。 
参加者のイギリス人たちも服装はしっかりしています。紳士淑女ですね。
宗主国の歴史と文化がそこにあります。刀に興味を
もつのは同じなのですが、オーストラリア人の場合は道具や武器として
興味であり、イギリス人の場合は文化としてみているように思えるのです。
私が剣道の説明をしても、その反応は大変違うものでした。
オーストラリア人はラクビーの話をすると大変のってきます。剣道には
あまり関心がありません。イギリス人もラクビーやサッカーに大変興味
がありますが、剣道をフェンシングとの比較で話をすると、非常に関心
をもって身を乗り出してくるのです。
 ところでメアリの姪御さんご夫婦と仲良く話をしていたら、
私のネクタイに昆虫が描かれていたので興味を示してきました。
私がしていたタイがグリーンでトンボの柄でした。
トンボ(蜻蛉)は英語でドラゴンフライといいますが、これを愛用する理由を説明しようとしました。
「昆虫捕りの名人である鳥のもず(百舌鳥)をもってしても蜻蛉を捕まえることは難しい。よって古人は蜻蛉を「勝ち虫」として武運のラッキーシンボルとしました。」
と説明しようと思いましたが百舌鳥が英語で出てこないのです。
仕方なくスモールイーグルと??????

やがてケーキ入刀となり、二人なならんで、ケーキに・・・・
何か変です。メアリが取り出したのはナイフならぬ刀の小刀(脇差)
でした。これも演出。会場は爆笑。
そのあと・・・・カメラを気にせず。あつ〜い口づけ。何度も。
「エー加減にせー。」
ご主人は日本人で、メアリよりも低い。
わたしにはまるで・・・
蜻蛉(ドラゴンフライ)が百舌鳥(スモールイーグル)を捕まえているように思えたのでした。

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この辺でいったん武蔵に関して筆をおきたいのですが、締めくくりと思い昨日阪神百貨店で、島田美術舘所蔵の宮本武蔵の遺品、掛け軸、刀剣など貴重な資料を見ることができました。ラッキーでした。3日が最終日です。いくつかの驚くべき発見がありました。一般の人は気がつかないと
思えることです。
それは・・・・・・・・若い頃の袴を穿いた掛け軸に、鍔なし大小を持った武蔵の有構え無構えがあったことです。

普通良く出回っている、武蔵鍔は海鼠鍔で大きくすかしが入って、両方に
輪になっています。その分だけ軽いわけです。両刀を使うのに少しでも
軽くしたいと武蔵が考案したものです。はじめ、鍔なしの刀を使っていて、今度は剣も細身、つばもつけるのですが、できるだけ小さめを使ったり、すかしの大きいもの(海鼠鍔)を考えた、思考、工夫の軌跡です。もともと、父親(養父新免無ニ)の当理流の十手術(実手)を基本に二刀の技を工夫しました。父親のスタイルは、右手に大刀、左手に実手を持つものでありました。またこの地方に古くから伝わっていた円明流もその基礎となりました。

この養父から厳しい指導を受けます。負けん気の強い、その当時
隣村でうわさになっている怪童である弁助(または弁之助)少年は
養父があまり好きではありません。どこかに、父親以外でこの少年の
理想的イメージがあったと推測するのです。米堕の村では、悪童と
誰に習うでもなく、そこいらにあった棒切れをもっては剣術ごっこに明け暮れています。同郷に岡本道場があり、いつもその練習をみては、
「俺のほうがもっとうまいのに・・・・・」と一人つぶやくのでした。

賀古の村に養子にきてからも、養父に武士としての心がけや剣の使いかたを教わりますが、どうもピンときません。もっと自由でいいのに・・・・。
弁助はいつもそう思っています。
おこられるとにらみつけるだけで、素直でない姿をみて、養父はきれてしまいます。
「お前はわしの言うことを聞いていない、どこかでわしを馬鹿にしておる」
と小刀を投げつけました。武蔵の耳をかすった小刀は柱に突き刺さります。泣き顔ではありません、目がひと際大きくなって養父を顔をにらみつけ、黙って飛び出してゆきます。弁助9歳のときでした。
「いつか、養父(オトト)様を越えてやる・・・・・」
と心に誓います。

それから・・・この少年が再び歴史に登場するのは13歳のときです。
皆さんもご存知のとおり、新当流有馬喜兵衛にかって、60余りの
勝負に無敗であったとあります。
島原の乱には騎馬隊の指揮を任されて、伊織に策を授けて、
自身の兵法が千人・万人に通じることを実証して見せます。
伊織はその功により、小倉藩の家老に抜擢されます。
武蔵には晩年女性もありました。女子が生まれますが、生後暫くしてなくなりました。武蔵は1週間、其の骸を膝に抱えていたというエピソード
少し大げさですが、余りに人間的な一面、鬼の剣豪の意外な一面ですね。
熊本の霊厳堂に癌に侵されながら、五輪書の原稿を書く武蔵(多くの記述は享を62歳としています)がいます。
「一読してのち、焼いて置くように」と弟子たちに伝えました。
しかし・・・・弟子の何人かはこれを、書き留めました。
本原稿は、肥後細川から幕府に献上され、やがて江戸の火事で
消失してしまいました。 これは其の写しの一つ、楠木本と呼ばれる
物です。武蔵の独行道にある。
「我がことにおいて、後悔せず」 この言葉が一番好きですね。
                    

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