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7月に前売りを購入していたのですが、暑さにまいって行くことができなくなっていたゴーギャン展に、やっと行って来ました! 気がつけば、もうすぐ終了だったのですね〜。まだ暑いけれど、東京の風は秋らしく爽やかになってきたようです。(横浜に戻ったら、また湿気のある風でしたけどね。海が近いし、横浜は暑いのかも。) ゴーギャンはタヒチの絵で有名ですが、ゴッホと違って、もっとおおらかで苦労のない人なのかと思ってました。でも、仕事も妻子も捨て、35歳から画家になった彼も、やはり芸術家としての生活の苦労があったようです。 一度目のタヒチからパリに戻って展覧会を開きますが、思ったようには彼の絵は当時は評価されませんでした。再びのタヒチ行きは、挫折の思いと貧困と病気、そして最愛の娘を失った哀しみと喪失感でいっぱいの辛いものでした。タヒチも文明の洗礼を受け、彼が好きだった楽園の風景は、失われつつありました。 今回初めて日本公開された、この《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》縦139.1×横374.6cmの大作は、2回目の絶望に満ちたタヒチで、遺作のつもりで描かれた大作です。 ゴーギャンのタヒチ時代の絵は、オレンジや黄色の色彩豊か光に満ちていて、自然や人物の構成も素晴らしいものでした。しかし、この大作は、この絵の完成後に死んでしまおうと思っていたくらい思い詰めたものだったので、どことなく物思いにふけっているような、暗いようなところが、多々見受けられるような哲学的なところのある作品でした。死をイメージした、老婆の絵は、以前観たペルーのミイラのポーズを意識しているようで、怖さがありました。小さい頃観て、トラウマだったのかな? 他にも、ゴーギャンがタヒチ滞在記を書いたので、その本につける挿絵を木版画で作成した「ノアノア」という連作がありましたが、タヒチの神話をベースにしたその挿絵、良かったですよ〜。今回、その連作が一番気に入りました。 髪の長い現地の女装したような男性を描いた絵や、裸でおおらかな美しく逞しい女性たちを描いた絵もいいなーと思いました。 意外と、展示されてる絵が少なかったので、混んではいたものの、早く観終わりました。 美術館の常設展のチケットもあったので、観てきましたが、やはり名前が知れた作家の作品は、観ただけで、なんか違う!というオーラが出てました。藤田嗣治、岸田劉生、東山魁夷、棟方志功、高村光太郎、片岡球子、岡本太郎・・・おーーーっと思いました。 物凄く気持ち悪いオブジェがあって、「こんな気持ち悪い作品、誰が作るんだろう?」と思って作者名を観たら・・・草間彌生でした。。。うーーーん、さすがです・・・。 ゴーギャンは、なぜ熱帯の島タヒチに向かったのか。 文明と野蛮、聖と俗、生と死、男性と女性、精神と物質、これらの両極に引き裂かれながら、人間の根源を探究し続けた画家ゴーギャン。 日本初公開となるタヒチで描かれた大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》を中心に、画家が文明社会に向けて残したメッセージを読み解きます。 19世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、南海の孤島タヒチにひとり向かった画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。 その波乱に満ちた生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家の典型といえるでしょう。 自らの内なる「野性」に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む「楽園」を求めて、 ケルト文化の伝統を色濃く残すブルターニュ、熱帯の自然が輝くマルチニーク島、ゴッホとの伝説的な共同制作の舞台となった南仏アルル、そして二度のタヒチ行きと、終わりの無い旅を繰り返しました。 その過程で、自ずと人間の生と死、文明と野蛮といった根源的な主題に行き着きます。 このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的な言語を通して表現すること、これがゴーギャンの絵画の課題だったのです。 タヒチで制作された畢生(ひっせい)の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98年)は、画家が目指した芸術の集大成であり、その謎めいたタイトルとともに、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言とも言えるでしょう。この展覧会は、日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約50点の作品を通して、混迷する現代に向けられたメッセージとして、あらためてゴーギャンの芸術を捉えなおそうとするものです。(公式より) |
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2009年09月14日
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