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(ほとんど、ネタバレになってしまうので、興味あって観たい方は、ここからは読まない方がいいと思います。)
時代は日本軍がまさに占領しようとしている頃、大人になったふたりは、覇王別姫の演目で大人気の京劇役者になる。舞台の上でも現実でも蝶衣(レスリーチャン)は小樓(チャンフォンイー)に思いを寄せていたが、小樓は遊郭に通いつめ、娼婦菊仙(コンリー)を射止め、菊仙は遊郭を自ら辞め、小樓の妻となる。小樓を挟んでのレスリーチャンとコンリー。レスリーは思いの通じない切なさ、嫉妬心、諦めの涙を演じ、かたやコンリーも、女の強さ、狡さ、何よりも小樓との愛に生きる様子を演じて、ふたりとも正反対ながら素晴らしいです。小樓が日本軍に逆らって救い出すとき、京劇をやめて師匠に怒られるとき、国民党の政府による蝶衣への裁判などでの、ふたりの気持ちの駆け引きが壮絶です。でも、現実が辛くて、蝶衣がアヘン中毒になってしまい、アヘンを身体から追い出す手伝いをする菊仙に、朦朧としながら、「お母さん、痛い」と言う蝶衣。そして、思わず、思わず抱きしめてしまう菊仙。嫉妬心や憎しみから、ふたりは同じ男を愛する同志的にもなったのでは。母と同じ職業の菊仙を、はじめから母と重ね合わせてもいたのかも知れませんね、蝶衣は。菊仙も子を失い、母性が蝶衣にむけられたのかも。いいシーンでした。 国民党支配から、あっという間に共産党支配に変わり、さらにも毛沢東夫人の江青ら4人組による文化大革命の芸術家や知識人にとっての暗黒の時代に。この頃の中国は隣の人も信用できないひどい密告がまかり通っていて、また知識人や芸術家が農村に送られ、過酷な強制的な労働をさせられたりなど、悪政の時代でした。ワイルドスワンというその時代を描いたフィクションを読んで、その酷さを知りました。(学生時代は不勉強だったもので・・・。)この3人も、耽美的な京劇を演じた罪、日本軍や国民党の前で演じた罪、遊郭にいた罪などを、紅衞兵に群集の前で、さらし者にされます。私は最初観た時、このシーンが疑問でした。よくわからなかった。あんなに立派に日本軍に抵抗していた小樓が、なんでふたりを傷つけてまで、自分の保身をしたのか?自分の身を男に捧げていたと蝶衣にあえて言ったのは、そこに愛があり嫉妬心がほとばしった?そういう演技に見えなかった。菊仙のことは遊郭の女だから本当には愛していなかった?男らしい小樓に見えたのに、菊仙を裏切ってまでも、人民の糾弾に耐えられなかったのか。それだけ文化大革命の波は激しいもの?今観ると、PROMISEでリウイエが演じた仲間を裏切って自分だけ生き延びた雪国人にも重なるが、あの後、小樓は、蝶衣と再会して、覇王別姫を演じるまで、どんな人生を送ったのか見えてこない。レスリーが言うように演技プランの問題か、それともそういう鈍い人物として描かれていたのか。わかりにくかった。頭で瓦を割れなくなるくらい年をとってしまったということなのかなー?それで、生きたい気持ちが勝ったのかな。観ている方が納得するような人物造形でないところが、この映画の凄いところでもあるのでしょうか。綺麗ごと、おきまり、ステレオタイプには描いていないんでしょうね。でも、愛はどこにあったの?それもわからないということか。 蝶衣は観客の区別もなく、時代も関係なく、現実と虚構も混在して、ひたすら役者であり続ける人だった。22年ぶりの舞台での覇王との愛の中で消えていった。菊仙は始まりは酔った席の戯言だとしても、愛を信じた人だった。ふたりで生きてきたと思っていたのに裏切られて消えた。ふたりの演技、見直すと、泣けてきます。やはり、この映画は私にとって、特別な一本でした・・・。いろんな思いが浮かんでしまって、うまくまとまらずでしたが、やっとレスリー追悼している気持ちになりました。ひどく感傷的になって読み辛く申し訳ないです。 |

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