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ケイト・ウィンスレットがオスカーを受賞した「愛を読む人」が近くのシネコンで上映されていました。観たい映画が上映されないシネコンなので、これは映画館で上映しているうちに観よう!と思っていました。上映最終週でしたが、鑑賞することができました。
この映画、観終わって、何か納得できないような複雑な気持ちになってしまいました。。。
でも、映画の主人公だからって、カタルシスを感じさせるような、完璧な立派な人物ばかり登場するわけではないんですよね。特にこの映画はそうでした。
ケイト・ウィンスレットも、レイフ・ファインズも、単純にずっと同じ気持ちだったわけではない複雑な一見わかりにくいような人物像を巧く演じていたと思いました。心の中に、弱さやいびつさも愛憎いろいろ見え隠れさせてました。若い頃のマイケルを演じたデヴィッド・クロスも良かったです。
鑑賞後に思い出すほどに、さすがの演技だったんだとますます思えてきました。
ドイツ人作家ベルンハルト・シュリンクの世界的ベストセラー『朗読者』を、「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー監督はじめ英国人スタッフ・キャストが中心となって映画化した切なく官能的な愛の物語。第二次世界大戦後のドイツを舞台に、ひ弱な一人の青年とはるかに年の離れた謎めいた女性が繰り広げる禁断の愛と、やがてふたりが受け入れる悲壮な運命の行方を綴る。主演は本作でみごとアカデミー賞に輝いた「タイタニック」「リトル・チルドレン」のケイト・ウィンスレット、共演にレイフ・ファインズと新鋭デヴィッド・クロス。
1958年のドイツ。15歳のマイケルは偶然出会った年上のミステリアスな女性ハンナに心奪われ、うぶな少年は彼女と彼女の肉体の虜となっていく。やがて度重なる情事のなかで、いつしかベッドの上でマイケルが本を朗読することがふたりの日課となる。ところが、ある日突然ハンナは姿を消してしまう。8年後、法学生となったマイケルは、ハンナと思いがけない形で再会を果たす。たまたま傍聴したナチスの戦犯を裁く法廷で被告席に座る彼女を見てしまったのだ。裁判を見守るマイケルは、彼女が自分が不利になるのを承知で、ある“秘密”だけは隠し続けようとしていることに気づく。その秘密を知るただ一人の者として、マイケルは葛藤し、答えを見い出せないまま苦悩を深めていくのだが…。(allcinema ONLINEより)
ナチスの収容所で看守の仕事についていたハンナが裁判で被告になっているのを、マイケルは法学生として目撃する。全く知らなかったハンナの過去。仕事に忠実な彼女は、それがどんなに酷い行為だとしても、仕事として勤勉に勤めていた。新しい収容者がやってくると、その分追い出すためにガス室行きになるのを理解しながらも、その人選さえもしていた。体の弱い子やお気に入りの頭のいい子を個人的に自分の寝室に呼んで、本を読ませてもいた。しかし、その子達も、結局はガス室送りにしたのだ。。。マイケルがそれを知ったとき、彼は、その本を読んでいた若者たちと自分の姿を重ね合わせたんじゃないかと思った。同じようにマイケルに本を朗読させていたハンナ。なんの後ろめたさもなく?ハンナの人間性に疑問を持ったんじゃないでしょうか。
でも、それによって彼女が文盲だということを確信。他の仲間の看守に、嘘の供述書を書かれ、彼女ひとりがすべての責任者に裁判では、されてしまった。彼女は文盲だと知られることが嫌で、自分が書いたと言ってしまうのです。そこまでして守りたい秘密なのだろうかとも思ったが、そうなんですよね、きっと。本当に知られるのが恥だったのでしょう。そして、あえて長い懲役を受け入れることで、いままで感じてこなかった罪を償う気持ちが、あの裁判ででてきたのかもしれません。。。彼女は、無学で、いろんなことがわからなかったのでしょう。生活するのがせいいっぱいの環境でずっと生きてきたのでしょう。
でも、知らなかったとはいえ、ナチスに加担してしまったことが、マイケルにも赦せる事じゃなかった。戦後世代の他の法学生が、ナチスの看守たちに怒りをあらわにしたような気持ちもあったんだと思います。だから教授(ブルーノ・ガンツ)に、法の元に冷静に判断して彼女に伝えたほうがいいとアドバイスされたにもかかわらず、面会もせず、証言もしなかったんじゃないかと。彼女のプライドを重要視したというよりも、赦し難い気持ちが強かったのでは?だから、その後20年あまりも連絡もしなかったのでは?でも、それはずっと彼が心に抱えていた彼女に対しての罪悪感も抱えながらのことだった?マイケルが裁判中に確認に行ったアウシュビッツの風景も、殺された人々の大量の靴によって、その残酷さ、酷さがリアルでした。マイケルもその風景が心に焼きついたんじゃないでしょうか。文盲だった・・・とマイケルが証言さえすれば、彼女は4,5年で出所できたでしょう。彼女には、無期懲役が言い渡されることになりました。
しかし、離婚を機に故郷を訪れ、身の回りの片付けにより、以前ハンナに読んであげた本を見つけます。ふたたび朗読者として、マイケルはハンナに、本を朗読したテープを送ります。ハンナは、すぐマイケルだと気がつく。マイケルも本を朗読する時は、昔のマイケルに戻っていたのかも。ただ、字を覚えマイケルに手紙を書いたハンナですが、マイケルはその手紙に返信することはありませんでした。部屋の隅の小さな引き出しに、再びは目にしたくないかのように無造作にしまうところに、複雑な感情から抜け出せないマイケルの気持ちがあったんじゃないかと思いました。ハンナへの愛はあったのでしょうが、本を読む以外はすることができなかったのは、心の葛藤や赦してはいけないんじゃないかという気持ちが消えなかったのでしょう。
でも、ハンナは、本の朗読テープを送ってもらったことで、文字の読み書きを勉強して、文盲を克服。テープを聴くことで、マイケルとの恋の思い出に浸ったり、またいろんな刺激も受けることができました。
そして、いろんな知識を身につけたことによって、自分のしたことの重さを、獄中で理解していったのかもしれません。
出所前の再会で、マイケルは先ず反省したのかと問い、ハンナはどう思おうと死んだ人は生き返らないと言いながら、出所せずに自らの命を絶つ。。。どうしても消えない戦争時の罪について、拭い去れない気持ちが、そうさせてしまったのでしょうか。それとも、赦していないマイケルの気持ちに気付いて?
生き残りのユダヤ人の女性に、お金を渡すようにマイケルに遺言を残していたハンナ。その女性(レナ・オリン)も収容所で学んだことなどないし、彼女を赦すこともないと、はっきりマイケルに伝えるのでした。皮肉にも、ずっと質素に暮らし、晩年は獄中だったハンナに較べて、その女性は、ニューヨークの高級マンションで裕福な暮らしをしている女性でした。でも、大家族はホロコーストで母と自分以外は亡くして、一枚の写真しか思い出がない哀しい女性でもありました。
原作では、マイケルがハンナについての小説を書き、人々に広く知ってもらう・・・とあったそうです。何か、映画での娘にハンナのことを語ろうとするマイケルには、それは自分のエゴじゃないかと、違和感を私は感じたので、原作どおりだったほうが良かったんじゃないかとも思いました。
愛に感動して泣いたりすることは、私はこの映画ではなかった。深く感動できない自分は捻くれた人間なのかもしれない。ただ、無自覚に起こしてしまった戦争時の罪への複雑な思いは感じました。加害者であったことへの意識のなさなど、戦後日本にも重なるようなところがある映画だったとも感じました。
(「私は貝になりたい」とか、「ゆきゆきて神軍」とか、思い出しました。)
特に、法学生のひとりが語ったことは、戦後のドイツの国民の複雑な感情だったと思います。
「だからといって、あなたはどうしましたか!」と裁判長に言うハンナの言葉もその通りなんですが、でも人として赦される行為ではなかったということは事実で、戦争の恐ろしさがそこには存在しています。
ハンナも、わりのいい仕事として、ユダヤ人の収容所の看守を勤めなければならなかったほどの、無知さや生活の苦しさがあった不幸な不幸な女性のひとりでしかなかったのですが、罪は深く重いと、マイケルの病気の心配をしてくれたような元々は優しい女性だから、年月が経つにつれ、その自覚も大きくなっていったのかもしれないです。とても辛いことでした。。。
まとまらない感想になってしまいましたが、一面的には捉えきれない映画なのでは。
ケイト、レイフ、デビッド・クロスの抑えているが細かい感情表現を観ると、いろんな心の葛藤や愛も。まだまだ見えてくるようでした。私には、まだまだ見えてないところがありそうです・・・。
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