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今年の夏は、かなりの夏バテだったのですが、そんな参っている状態で、映画館でケイト・ウィンスレット主演の「愛を読む人」を観て、もっと参ってしまい、映画を観るのも嫌になっていました。。。 この「レボリュショナリー・ロード」も、夏にはレンタルで目にしていたのですが、とても観る気になれず、とても映画館で観たいと思っていたのに、やっと寒くなった今の季節になってからDVD鑑賞しました。。。あーー、やはり、夏に観なくて良かったです(笑) 「タイタニック」以来の再共演となるレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが理想と現実の狭間で苦悩する夫婦に扮したヒューマン・ドラマ。原作はリチャード・イェーツの『家族の終わりに』。1950年代のアメリカ郊外を舞台に、一見理想的な夫婦が虚しい日々から脱却を図ろうともがく姿とその顛末を生々しく描く。監督はケイト・ウィンスレットの夫でもある「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス。 1950年代のコネチカット州。“レボリューショナリー・ロード”と名づけられた閑静な新興住宅街に暮らすフランクとエイプリルのウィーラー夫妻は、二人のかわいい子供にも恵まれた理想のカップル。しかし、その見た目とは裏腹に、彼らはそれぞれ描いていた輝かしい未来と現状のギャップに不満を募らせていた。元陸軍兵のフランクは事務機会社に勤めるもセールスマン人生の我が身を嘆き、かつて女優志願だったエイプリルも大成せずに至っている。するとフランクが30才の誕生日を迎えた夜、エイプリルが、家族一緒にパリで暮らしましょう、と持ちかけ、パリでは自分が秘書として働くからフランクは気ままに暮らせばいい、と言い出すのだった。はじめは妻の突然の提案に戸惑うも希望を膨らませ、ついには移住を決意するフランク。それは間もなく、周囲にも知るところとなるのだが…。(allcinema ONLINEより) ケイトもレオも、デヴュー当時から大好きな俳優さんで、出ている作品はできるだけ観るようにしている俳優さんたちです。ケイトの「乙女の祈り」も、レオの「ギルバート・グレイプ」も、自分のベスト作品には必ず入ってくるくらい大好き♪ そんなふたりが、「タイタニック」のロマンティックな運命の恋人たちを経て、この「レボリュショナリー・ロード」で再共演。監督は、今のケイトのご主人であるサム・メンデス。ケイトが、この原作を読んで、是非映画化をしたい!と、ご主人であるサムと、親友であるレオを2年がかりで口説いて、映画化にこぎつけた作品だそう。。。 でも、あの「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督です!これは、「アメリカン・ビューティー」以上の辛口なホームドラマになっていて・・・よく夫婦で映画化したものだと思いました^^; ある意味、「タイタニック」のカップルが、現実生活で結婚してたら、こんな風になってしまっていたかもしれない・・・って思うのは夢がなさすぎかな?(笑) ケイトはこの映画ではなく「愛を読む人」でオスカーを受賞していましたが、それはわかるかも。自分で映画化したいと言っただけあって、この役柄はケイトお得意の役だったです。「愛を読む人」はいつもと違う役柄だったけれど、この役は「グッバイ・モロッコ」や「リトル・チルドレン」などを思わせるようなところがあったし、いままで演じてきたエキセントリックな女性のその後に見えなくもない。ここではないどこかを常に求めているような、幻影かもしれないけれど夢を諦められない女性像がいつもケイトの演じる役柄にはある。 ただ、この女性は、現状に不満はあるものの、夫のことは愛していた。可能性に満ち溢れて輝いて見えた若き日の彼の姿をずっと覚えていて、自分自身も彼とともにその頃の輝きを一緒に取り戻せると思ってしまっていた。安定した生活、可愛い子ども達、素敵な家・・・彼女にはあまり意味がないことだったのか、お金にも興味はなく、生きがい、希望、何かキラキラした思いの中で生きることが重要だった。 日本のこの不景気の中、こんなに衣食住に満ち足りた生活を送っているほうが夢みたいだと思ってしまうけれど、それは彼女の価値観の中では、むしろどうでもいいことだったのでしょう。彼女は周りに流されない。自分たちは特別な存在と思い続けたい。自分が生きてる!って思えることが大事だった。 この生活を変えるために、彼女はご主人にフランス行きを提案。彼も、かつては何ものでもないけれど、何にでもなれると輝いていた時期があった。彼女を理解して承諾するのですが・・・。彼は不満ながらも、この生活以外に何がしたいと言うことは、実はなかったから。。。このあたりの迷えるご主人の心境がよくわかってしまった。(レオが、あのレオがそういった役柄を演じていることに感慨深くなった。微妙な表情や心境の変化が巧いし、やはり映画の中の姿は素敵だ。地味に見える役柄だったけど、レオに主演男優賞のノミネートがあっても良かったのにね。) このご主人には同情してしまった。 自分が、自分が、という気持ちはわかる。けれど、この映画では、ふたりの幼い子ども達の影が薄い。 まるで、そこには存在していないかのように、彼女は子ども達のことを考えていない。小さいからこそ、気を使うということはないみたい。家事も完璧で綺麗にしているけれど、子ども達の上には、彼女の心がないのが一番気になった。自分であることにこだわり続けることに、結局はあまり意味がなく、日々暮らしていくこと、生きていくことが大事とは、思えないのでしょうね。発想の転換?こだわり続ける?それはその人が選ぶ人生なんだけど。。。 この中で、一番真実を語っているのが、周囲に狂人と思われている人というのも、面白い。この社会では、真実をぶっちゃけて語ればいいというものではないようだ。それは夫婦間でも、親子間でも、友人同士でも。本当に思っていることを言えばいいというものでもない。相手に完全にダメージを与えるような言葉を放たない思いやりというものがないのは、どうかと思った。取り繕ってたっていいのかも。。。どうでしょう?・・・。 うーーーん、やはり観終わると、重いものがあり、いろいろ考えてしまうところがある映画でした。
周囲がどうだろうと、ご主人は彼女の思いについていけば良かったのかなあ?・・・ふたりの価値観がずれてしまったのが不幸だった?この時代だったから、離婚という選択がなかったのか、お互いへの愛情はあった、あったと思いたかった?うーーーん、やはり重かったですね〜。。。 |

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