岬めぐり 千葉編

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おせんころがし

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勝浦の市街を海沿いに進むと行川(なめがわ)へ出ます。
以前はここに「行川アイランド」と言う
自然の地形を生かしたレクリエーション施設がありました。

最盛期にはけっこうな入場者数だったようですが、
近年は客足が減り数年前に閉園しました。

勝浦からずっと断崖が続いているのですが
行川アイランドのあった横の海(崖)には悲しいお話があり、
この辺りを「おせんころがし」と言います。

   
    「おせんころがし」

むかし、この村民は重い年貢に苦しんでいました。
豪族の娘の「おせん」は父に年貢を軽くするよう懇願しました。
しかし、父はまったく聞き入れませんでした。

ある日、「おせん」は村人達が父の殺害を計画していることをしりました。

「おせん」は父の身代わりとなり夜の海へと崖から落とされました。
村人達は翌朝になり「おせん」だったことを知り、
深く「おせん」へ詫びる気持ちと罪を感じ
この場所に地蔵尊を建てました。

「おせん」の父は心を入れ替えたそうです。


写真は「おせん」の碑と
「おせんころがし」からの「入道岬」

勝浦へ行って見ると、その海に
神聖な雰囲気や神様を大切にしていることを感じます。
海に鳥居を見ることができます。

独特な景観も勝浦の雰囲気を醸し出しているのでしょう。
こうした雰囲気、気風は大切にしなければいけないとおもいます。

勝浦 八幡岬から

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勝浦の八幡岬の近くで写しました。
沖縄の方は「あれっ?」と思うのではないでしょうか。
ブセナじゃないですよ・・・。

勝浦海中展望台です。
ここはオススメです。
周りを崖に囲まれ、磯にかかる橋を
渡って行くのは迫力あります。

面白いのが、海が荒れていたりして
海の透明度が低いと
入場料が割引になるのです。 良心的でしょ!

もう一枚の写真の白い橋脚は勝浦有料道路で
この正面はサーファーに「マリブ」と呼ばれるポイントで
普段は湾の奥に位置しているので比較的穏やかなのですが、
台風や大型の低気圧が通過した時は
上級者オンリーのポイントになります。

海底はリーフ(この場合岩礁、岩棚を意味します)で
10フィートオーバーのスーパーチューブになることもあります。
もちろんそういう時は超エキスパートオンリーです。

2年位前だったか・・・?マリブでサーフィンの世界ツアーの
コンテストが行われ世界のトップサーファーが集結した時に
デカイ台風が沖を通過して世界に誇れる
凄い波が爆発しました。
トップサーファーは次々に異次元の
チューブライドを決めてました。

マリブのアウトサイドに「ショットガン」と呼ばれる
激ヤバなポイントがあって、
サーフィン界のスーパースターの
ケリー・スレーターとアンディー・アイアンが
コンテストの合間にとんでもない波に挑んで行きました。
ケリーは板を折っていました。

日本にも凄い波があるんです。

ここマリブですが駐車スペースが少なく
近隣の方に迷惑をかけないよう注意しないといけません。

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勝浦の八幡岬(はちまんみさき)へ訪れてみて
とても興味深い歴史と出会いました。
前回のブログでの「於萬の方」(おまんのかた)のお話を
今回は詳しく触れてみたいと思います。


天正五年(1577年)4月4日
上総国勝浦城主 正木右近太頼忠の娘として
勝浦城に生まれる。本名、萬

天正十八年(1590年)6月
豊臣秀吉の小田原城攻めに関連し勝浦は落城
当時十四歳の於萬は海路伊豆韮上へ逃れました。

炎上する城を後に、母と幼い弟を連れて
八幡岬の東側の断崖に白い布を垂らし
小船で逃れたと云われています。
「於萬の布さらし」です。


その後、母が伊豆の土豪、蔭山氏と再婚した機会に
「徳川家康」に沼津本陣でみそめられました。

於萬は江戸城に召され家康の側室となりました。
文禄二年(1593年)十月二十二日
於萬、十七歳の時でした。

江戸城では於萬の方蔭山殿とよばれました。


慶長七年(1602年)三月
京都伏見で長福丸、後の紀伊徳川家の祖
「頼宣」を産み

翌、八年には駿河で徳千代
後の水戸徳川家の祖、「頼房」を産みました。

頼房は水戸黄門で知られる「水戸光圀」の父であり、光圀は於萬の孫にあたります。

紀伊家、水戸家は共に「徳川御三家」として名高いです。


元和二年(1617年)家康が死去した時
四十歳の於萬は仏門の人となりました。

以後、於萬は諸寺を建立し、
教育と信仰に篤く
病める物に薬を与え、貧しい人には依財を与え
人々を助けたそうです。
晩年は蓮華院と号し、承応七年(1653年)
八月二十二日、享年七十七歳の生涯でした。


勝浦の岬から、こうした歴史が始まったのです。
すごい事だと思います。

生誕の地である勝浦城跡、岬には於萬の方様の像が建っています。
二枚目の写真は灯台からの八幡岬です。

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勝浦湾の先端に八幡岬はあります。
かつてこの場所に勝浦城がありました。

この上総国勝浦城主 正木右近太夫頼忠の姫君として
「萬」は生まれました。

のちに「於萬の方」(おまんのかた)と呼ばれます。

歴史の好きな方や大河ドラマ系や時代劇が好きな方は
その名を聞いたことがあるのではないでしょうか?

「水戸黄門」で知られる「水戸光圀」は孫です。
ですから、於萬がいらっしゃらなければ
国民的時代劇も存在しなかったかも知れませんね。

勝浦城が攻め込まれ炎上する城をあとに
この崖に白い布を垂らし、
幼い弟と母と40メートルを下り
船で逃れ、この場所を「於萬の布さらし」と言います。

於萬については次回詳しく書かせてください。
写真4枚目に見える灯台は勝浦灯台です。

台風一過の岬めぐりへ

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10月27日から、ここ千葉県では台風20号の影響で」
雨が降り続き、昼過ぎからは風も多少強まり
房総半島、館山沖をかすめるように
夜半から未明にかけて通過して行きました。

28日の日曜の朝には台風一過の晴天となりました。

岬めぐりへと、車にはサーフボードを積んで出かけました。
房総半島の山道を通り海へと向かう途中
台風によって倒されたと思われる木々や
落ち葉が道路に散らばっていました。

家を出て1時間半か2時間位走り千葉県は房総半島の
勝浦市と出ます。

前回の太東崎を南下した断崖が続く景勝地です。

勝浦は「カツオ」や朝市でも知られています。
海岸線は起伏に富んでいて
迫力のある断崖や荒磯を見ることができます。

今回目指した「岬」では
興味深い歴史を知る事が出来ました。

ここ勝浦は良く訪れますが
こんな歴史があったとは・・・

大河ドラマや時代劇の好きな人は聞いた事がある方様生誕の地であり
このお方がいらっしゃらなければ
あの国民的時代劇の主人公も存在しなかったであろうことを知りました。

歴史に関わることなので
ちゃんと史実をまとめたり、調べてからアップします。

写真は岬へ向かう勝浦の風景です。

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