自分の名前は変わっているので、その由来を聞かれることが多いのですが、説明が大変。何故かというと、満州ということの説明から入らなければならないからです。
戦時中に20代くらいだった人だと満州国のこととか知っていますから説明は簡単なのですが、戦後70年経った現在、中心は戦後生まれの世代。 満州国のことを話すのは憚られるから歴史書もあまり無い状態ですので、多くの人は知らない。 詳しい歴史書が出てくるのは関係者が全くいなくなった後になるでしょうから、後50年くらいは待たなければならないのでしょう。
中国は日本と違って、他民族に支配されることの多かった国です。
有名なのは元。 モンゴルが中国を治めていたわけです。その後で金。金はヌルハチ率いる女真族(満州族)が支配した国。 その後明末の中国の弱体化の隙を突いて再び女真族が万里の長城をくぐって攻め込み、清朝を建てます。
女真族というのは現在の東北三省である黒竜江省、吉林省、遼寧省あたりに居住していた騎馬民族。中国の漢民族とは異なる民族で、言語も満州語というものを話していたわけです。 文字はなかったのですが、ヌルハチの時代にモンゴル語の文字を借用。 アラビア語を縦に書いたようなややこしい文字です。 馬に乗りやすいように女性は脇にスリットのある服を着ていましたが、これが後のチャイナドレスの原型です。
書物で調べると、昔は半農半猟のような生活。 ラバ等の生肉も食べていたらしい。寒いところで農耕に向いていないのか野菜不足を補う為にエスキモーのように生肉からビタミンを摂取したのでしょうね。
携帯しているナイフで肉を切り、食後は腰からぶらさげた布で脂を拭くから、脂でギトギトになった布を吊るしているのが金持ちの証だったらしい。 保存食は、その肉を塩水で漬けたもの。
古代から食料が無くなると中国や朝鮮に馬を駆って略奪に行くから、中国は万里の長城で入れないように防御。 朝鮮では、子供が寝ないでぐずっているとなまはげが来るぞの代わりに、オランケが来るぞと言っていたらしいが、オランケとは女真族の事らしいです。
中国を支配するのですが、女真族は数十万人しかいないのに対して、中国の漢民族は、当時でも相当数いたはず。 文化・文明程度は中国の方がはるかに上で人の数も多いから、女真族も何時の間にか母国語の満州語の代わりに中国語を話すようになり250年ほど中国を支配した後には誰も満州語を話さなくなる始末。
後にマンダリンあるいは普通語と言われるようになる中国の標準語は、満州人高官の話す満州発音訛りの中国語のことだそうです。 日本で例えるならアメリカが日本を支配して、支配者のアメリカ人が「アーナタハ、カミヲシンジマースカ?」という訛りのある日本語が200年くらい経ったら正統派日本語になったようなものです。
満州族は他所の国を侵略したはいいが、自分の母国語を忘れて何時の間にか中国化してしまって、今では中国の一部となり、少数民族になってしまったわけです。
当時の満州人は、満州語の名前を持っていたのですが、中国を支配してからは、中国風の名前を持つようになりました。
自分の父方の祖先は、この女真族なのですが、姓は guwalgiyaということがわかった。漢字の当て字では 「瓜爾佳」
この瓜爾佳という姓は満州人の中ではかなり多いらしい。
姓によって昔どの辺りに住んでいたかわかるようで、この姓は現在の中国と北朝鮮の国境付近の白頭山の麓付近に多かったようです。
自分の祖先のことに戻ると、18世紀中頃乾隆帝の時代に中国とロシアの国境の辺りで起こった紛争を収めるため、皇帝は信頼の置ける満州族の部隊を新疆ウィグル自治区に送り込んだ。 紛争終結後呼び戻すのを忘れた(あるいは意図的に呼び戻さなかった?)為に、1万人以上の満州族の人間がそこに住み着いたわけです。 現在でも2万人程度居て、中国では誰も話さなくなった満州語を話しているそう。
自分の祖先もこの時新疆ウィグル自治区に行ったわけです。 そして父は伊犂という所で生まれました。 20世紀初頭なので、彼の地にはハイスクールが無い。そこで、隣のカザフスタンのアルマトイに留学。 その後鉄道技師を志して満鉄付属のハルピン学院に入り、満鉄から日本へ留学で派遣されます。
この時は既に辛亥革命により清朝は倒されていました。 日本に留学して間もなく、日本が満州国を建国。 そこで、日本の外務省で外交官試験を受け、満州国外交官になります。 父にしてみれば、日本の力を借りて清朝再興を夢見たようです。
昭和10年から20年までの10年間満州国外交部で働きましたが、日本が戦争に負け、父も国賊として中国政府に逮捕されて投獄される憂き目にあいます。
後に釈放(国外追放?)されて台湾の妹家族の所でしばらく過ごした後、妻子が待つ日本に来て帰化するのです。
姓に戻ると、清朝時代の満州人は満州語の姓名以外に中国名を持つようになっていました。 父の中国姓は 蘇。 これが後に改名して 宇文。 で、日本に留学した頃に 玉聞。
戦後帰化した後も玉聞のままです。 ところで、何故改名したかはよくわからない。
ということが最近ネットで探し回った資料で解明できました。
しかし、やはり説明は面倒。 エンジニアに質問したら、エンジニアなら当然知っている事を省略していきなり結論のところだけ言われても門外漢では理解できないのと似てますから、前提から話さなければならないわけで面倒くさいわけです。
最後に会ったことのない祖母の写真。 20世紀初頭の頃のものと思われます。
きつそう。 父はこの祖母にスパルタ教育を受けたらしくて、それがトラウマになったのか、生涯に2回結婚しているが、両方とも日本人。 もしかするとそれが目的で日本に来たのかもしれません・・・
いずれにせよ、女真族の故地である満州で生まれたら、冬は寒くて春先の道路は雪解け水でグチャグチャ、運悪くヒグマに遭遇したら食われてしまうからもしれない。 新疆ウイグルだったら天山山脈とゴビ砂漠しか無い所。 おまけに最近ではイスラムのテロが頻発。日本で生まれて良かったー、です。