|
《「徳川侍従長の発言」とそっくりだった!》
(週刊新潮 2006・8/10 より〜抜粋)
〜瓜二つの徳川発言〜
徳川氏は、尾張徳川家出身で東京帝国大学文学部美学科を卒業し、
ドイツ留学や帝室博物館(現在の東京国立博物館)研究員などを
経て、昭和天皇の侍従となっている。
眼光鋭く、取材に答えないことで宮内庁記者泣かせだった人物である。
その人物が生前、唯一、生の言葉として残したのが
『侍従長の遺言昭和天皇との50年』である。
この本の中で、徳川氏は靖国神社とA級戦犯合祀について、こう述べている。
〈靖国神社の合祀者名簿は、いつもは十月に神社が出して来たものを陛下の
お手元に上げることになっていたんですが、昭和五十三(一九七八)年は遅れ
て十一月に出して来た。「A級戦犯の14人を合祀した」と言う。
私は「一般にもわかって問題になるのではないか」
「外には公にしませんから」と言っていた。
やはりなにかやましいところがあったのでしょう〉
徳川氏は、A級戦犯合祀に「文句を言った」のである。
彼が明快に合祀反対派であったことがわかる。さらに、
〈A級戦犯はその十年くらい前に厚生省から「戦争による公務死亡者」とし
て名前が靖国神社亡届き、神社では昭和四十五年六月三十日の総代会
で合祀する方針を一癒決めたのですが、「合祀の時期は宮司に任せる」と
いうことで、宮司の筑波藤麿さんがずっと延ばしてきていたのです。
ところが宮司が筑波さんから松平永芳さんに代わって、間もなく実施に
踏み切られることになった。筑波さんは山階宮の系統で旧皇族の方で
したが、松平さんは元軍人で、自衛隊にもいた人でしたね〉
富田メモと同様、筑波宮司を評価し、そのあとの松平宮司に徳川氏は批判
的なのである。そして、その言葉は、”松岡洋右への批判”に続いている。
〈私は、東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように
軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃない
かと言ったんです。(略)靖国神社には軍人でなくても、消防など戦時下で
働いていて亡くなった人は祀っている。しかし松岡さんはおかしい。
松岡さんは病院で亡くなったんですから〉
〈靖国神社は元来、国を安らかにするつもりで奮戦して亡くなった人を祀る
筈なのであって、国を危うきに至らしめたとされた,人も合祀するのでは、
異論も出るでしょう。筑波さんのように、慎重を期してそのまま延ばして
おけば良かったんですよ〉
つまり、徳川氏の"生の声"は、富田メモの内容にそっくりなのである。
此程、徳川氏がA級戦犯や軍人に批判的だったのにはそれなりに理由がある。
天皇の終戦詔勅を録音した「玉音盤」の存在を察知した近衛兵がこれを奪取
しようと皇居になだれ込んできた時、若かりし徳川氏は、顔が腫れ上がるほど
殴られ、玉音盤の在り処を明かすよう迫られている。
しかし、徳川氏はそれでも口を割らなかった。昭和63年4月12日に
侍従長を退任する際の記者会見で、徳川氏はこう語っている。
「10年ぐらい経ってから、私を殴った近衛兵が茶釜を持って謝りに来た
ことがありました。しかし、まだその茶釜は使っていません……」
徳川氏の軍部に対する厳しい思いが窺える話である。
前出の長男、義眞氏が言う。
「その茶釜は今でも家にありますよ。今も使っていませんが。たしかに父は
軍人が嫌いでした。特に第二次大戦の頃は軍が威張ってましたから。祖父
は、軍人だったのですがね。祖父の時代の軍人と大戦の頃の軍人は違って
いたのかもしれません……」
徳川氏のA級戦犯、あるいは軍人に対する思いが、昭和天皇と異なっていた
のは間違いない。「昭和天皇は、軍人のことを"股肱の臣"と言って、事の他
親しく感じておられました。それは折に触れて様々な文献にも出ています。
昭和天皇ご自身が昭和20年までは大元帥で軍人であられたのですから、
当然ですが……」(中西輝政・京都大学教授)
富田メモの発言主が天皇ではなく、徳川氏であれば、何の矛盾も
ないのである。ほかにも、徳川氏であれば合点がいく点がある。
「松平宮司の父親は宮内府の長でしたから、侍従職にあった徳川さんは、
父親の存在をよく知っていた。ですから、心子知らずという表現は理解
できます。"筑波がよくやった"という言い方も、筑波宮司は旧皇族でし
たから徳川さんはよく知っていたと思いますので、これもわかります」
(元宮内庁職員)
さて問題はこのメモが書かれたとされる昭和63年4月28日である。
当時の宮内庁記者によると、
「8ヵ月後に崩御される陛下にとって、昭和63年4月29日は、最後の
誕生日となりました。その4日前の4月25日に陛下は記者会見され、
予定されていた時間の、ほぼ半分の15分くらいで会見を切り上げています。
前年に手術をされ、この時もすでに体調が相当お悪かったのです。
天皇誕生日に会見記事を出す予定だった陛下の真意や、お言葉の
背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングしてもらわなければ
なりませんでした」
陛下のすべてを知る徳川氏は、この直前の4月13日に半世紀以上務めた
侍従の職を退き、宮内庁の侍従職参与に新たに就任した。「会見翌日の
4月26日火曜日に侍従職参与となったのです。そして、1週間のうち、火曜
と木曜に出勤することになった。口が堅いことで有名な方でしたので、ついた
あだ名が火・木をもじって、 "寡黙の人"。 そして、参与になって初めての
木曜日が、問題の4月28日でした」(同)
翌日の朝刊用に天皇の会見記事を入稿しなければならない記者達の為に、
富田氏が陛下にお会いし、改めて伺った話を書き留めたのが、問題のメモ
だとされている。が、富田氏が体調の優れない天皇ではなく、その代わりに
天皇のお側に50年余に渡って仕えた徳川氏の意見を聞いていたとしたら
どうだろうか。
「陛下の会見の前後に長官と侍従長が話をすることは当然あります。お互い
連絡を密にする必要があります。富田氏が昭和52年に宮内庁次長に就任
してから、二人は10年以上の付き合い。すり合わせも心得ていたはずです」
(莇出の宮内庁元職員)
つまり、メモにある発言をしたのが
陛下ではなく、徳川氏であってもおかしくはないのだ。
〜明かされない検証過程〜
八木秀次・高崎経済大学教授がいう。
「はっきり言って、このメモだけでは、富田氏が話した相手が昭和天皇とも
徳川侍従長とも、どちらともとれます。昭和天皇のご発言とした場合には、
言葉遣いに違和感が残るのも事実です。親の心子知らず、などと非常に
強い言い方は天皇陛下にそぐわずむしろ松平が徳川家の家来いなもの
だったと考えると、徳川侍徒長の方がそう言う言い方をしてもおかしく
ありません」
客観的な資料を積み上げれば積み上げるほど、メモが陛下のお言葉か、
それとも徳川氏の発言なのか、判断がつきかねてくるのである。
晶贋の力士の名前さえ出すことのなかった昭和天皇。
それほど気を遣われる陛下が、メモにあるような直截な
表現で、その心中を本当に語られたのだろうか。
さて、日経新聞はこれが徳川氏の発言ではなく、
昭和天皇のお言葉であること一をどう検証したのか。
日経新聞社長室は、
「富田メモは今年5月に入手したものです。日記が10冊と手帳が二十数冊
です。全てに目を通して点検し、報道した発言が昭和天皇以外の方のもの
である事はあり得ません」と答える。
が、その具体的な検証方法を明らかにするよう求めると、
「詳細については申し上げられません。取材の舞台裏をこと細かに説明する
という事はしておりません。.今後、われわれが必要と判断すれば紙面で、
明らかにしていきます」と、これを拒否するのである。
国民全てが共有するべき歴史的な
資料に対して、この理不尽な態度は信じ難い。
日経に依頼され、メモを見た
御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター教授がいう。
「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません。徳川さんの発言では
ないか、という人がいることも承知していますが、それも憶測の上に憶測を
重ねるだけです。本来、全部出して検証するのが歴史学ですが、それを
日経はやる気がありませんね。少なくとも私はこの(天皇のものという)
メモを本物だと思っています」
当の富田氏の長男・広士史(56)はこう語る。
「私にはわかりませんが、報道を見る限り、父の日記や手帳には、歴史的な
価値があると言われています。もしそうであるなら、全部を公開するのは
難しいにしても、信頼できるお立場の方に精査して戴き、どこの部分を
公開し、どこが駄目なのか決めていただいて、・その上で公開すれば
いいのでは、と思っています」
中西輝政・京都大学教授(前出)がいう。
「一部の歴史家がお墨付きを与えていますが、検証手続きについて、
日経新聞は、今に至るも一切報道していません。このメモが天皇の
ものであるとする信憑性については、他の資料や歴史的事実と余り
に異なっており、大きな疑義が残っているのは事実です。
このメモは報道のタイミングからいっても政治利用されていることは
明らかです。つまり政治性の強いこのメモの検証過程を明らかに、
しないなら、日経新聞の単なる大誤報というより、意図的誤報と
いう可能性さえ出てくるのではないでしょうか」
日経の"スクープ"から2週間。
富田メモの波紋は、時間を経るごとに、ますます広がるばかりなのである。
________________________________________
日経の中国経済情報がベッタリになった経緯は、文化大革命の時の1968年にスパイ容疑
で公安に一年半にも渡り拘束され、その間、日本経済新聞は何もしなかったそうである。
そのことが日経経営陣にトラウマとして残っているのだという。
その鮫島氏は、その影響で優遇されて専務にまで出世したらしい。
朝日新聞にように政治思想で中国ベッタリではなく、日経はあくまでも商売だけでのみ
中国ベッタリの経済思想を持ち、一説によれば中国で『華字日経』を出す事を目論見、
金儲け、商売だけの論理で、反日親中論調なのだ。
従ってこの論理だけでも、日本経済新聞のこのいかがわしい記事は信用出来ないのだ。
この週刊新潮の記事で検証してみれば、益々その疑いがより濃くなったのである。
|
「中国暴発」(中嶋・小森共著:ビジネス社)によると、日経、朝日新聞は中国共産党の機関紙「人民日報」と業務提携をしているとのこと。朝日は韓国の新聞とも提携があると言われているが、どんな内容なのか知りたいところです。
2006/8/6(日) 午前 6:54 [ wat*rs*o*e8820*0 ]
朝日だけだと聞いていましたが、日経もですか?
2006/8/6(日) 午前 7:12 [ jul*a*y5* ]
waterstoneさん、細かくは覚えていませんが、朝日と日経は色々提携をしています。朝日新聞東京本社には中共の機関紙である『新華社通信』支社があり、ニューヨークタイムズ日本支社もあります。どちらも反日報道で有名ですよね。朝日は政治で、日経は経済で、中国に媚びて擦り寄る売国新聞であるのは100%事実です。どんな内容かは、中国に媚びて、日本政府を批判する、お決まりの記事ですよ。
2006/8/6(日) 午後 2:41
Juriaさん、日経もなのです。文藝春秋と桜から仕入れました。間違いはないようです。
2006/8/6(日) 午後 2:44
オイオイ
「週刊新潮の記事で検証してみれば、益々その疑いがより濃くなったのである」
いつもいかがわしく、捏造記事だらけの「週間新潮」を使って、検証する?気が狂ったのではないでしょうか!ハイ。
2008/8/11(月) 午後 0:06 [ イエスちゃん ]