ここから本文です
香椎うっちゃんのブログ
ホームページ 「香椎浪漫」(検索)も時々覗いて下さい。
香椎宮とんど焼きと綾杉太鼓 
 
1月15日は小正月です。 1月1日元旦のいわゆる大正月に対して、全国的には小正月のほうが行事は多いのです。 香椎宮では「とんど焼き(焼納とんど祭)」が斎行されました。
香椎宮の「とんど焼き」では「綾杉太鼓」が奉納されます。 
」と「太鼓」のコラボレーション・・・これが神秘的な感動を呼びます。
 
           綾杉太鼓の幻想的な響きで炎が踊る    
イメージ 15

午後6時30分、最高調に盛り上がった時の画像を先に紹介しました。 時間を30分ほど戻したところからブログを始めます。
 
 6時ちょっと前に香椎宮広場に着きました。 毎年のことですが、広場の端には、既に消防車が待機しています。

                待機する消防車       
イメージ 1
 
 広場中央には孟宗竹が支柱として立てられ、その周りには地区の人々が納めた古神札や門松・注連飾りなどのお正月飾りが、うず高く重ねられています。
 
              焼納される古神札やお正月飾り  
イメージ 2
 
横から見るとこんなに沢山積まれています。

イメージ 3
      
 焼納が行われる直前まで、お札やお正月飾りが持ち込まれます。  先週、うっちゃんは古神札と小さな注連飾りを受付に納めています。 

イメージ 4
                   
 最近は、可燃ゴミに出す若い方が増えているようにも聞きますが・・・神様からお預かりした御札やお正月に歳神様をお迎えした注連縄などをゴミとして扱うのは、気持ちが悩みませんか? 香椎宮でお祓い・焼納していただく方がすっきりしますよ。 お正月飾りを納める際の注意事項が書かれています。 リマインドしておくと・・・針金などの金属、ミカンなどの果物は除いておくこと。 ビニール袋は絶対にダメです・・・燃やすと有害物質が出ます。各人で注意しましょう。
 
 午後6時丁度です。 そろそろ神事が始まるようです。 

イメージ 5
      
 数時間前までは古神札や門松・注連飾りなどの受付コーナーでした。 張り紙には「6時30分の焼納祭りが終わり次第、ぜんざいを配ります」と書かれています。

イメージ 6

 
 今から「とんど焼き」が始まると言うのに、既に百人以上が並んでいます。 「とんど焼き」の儀式には参加しない、と言うことでしょうが・・・しかし、このぜんざいも無病息災の御利益があるのです。 数に限りがあるとのことなので、どちらを優先するかは個人の判断です。 うっちゃんもぜんざい食べたか〜。
 
               修跋(しゅばつ)の儀  
イメージ 7

 とんど焼き(焼納祭り)の儀式が始まりました。 まずは、修跋(しゅばつ)の儀・・・低頭した参加者をお祓いします。 
 
      清祓の儀                  祝詞奏上
イメージ 8
イメージ 9











 清祓の儀、祝詞奏上、玉串拝礼の後は焼納の儀です。
 
                 焼納の儀    
イメージ 10
 
 二人の神職によって、人々が納めた古神札やお正月飾りに火が点けられます。
 
たちまちの内に、火は勢い良く燃え上がります。

イメージ 11
                
日本では神道・仏教ともに火祭りがあります。 神・仏の送迎や心を清めるために火を焚きます。 しかしながら、冬の火祭りは温かくていいですね。 顔が火照る温かさを感じながら、今年一年の無病息災開運招福家内安全を祈ります。
 
イメージ 12
                 
ポン、ポンと、元気良く竹が破裂する音が、火祭り儀式を強調するアクセントのように聞こえます。 燃え上がる炎に追われるように、灰色の煙が夜空に舞い上がります。 正月に下りて来た歳神様は、とんど焼きの舞い上がる煙に乗って天に帰られます。
 
とんど焼き」の名前の起源について・・・台所で薪を燃やしながら、神様を尊ぶ祈りの言葉「尊(とうと)や尊(とうと)」と言っていたのが、訛って「とんど」に転訛したと言う説があります。 
しかし、「とんど焼き」と同様の火祭りは日本の伝統行事として各地に伝わっていて、その呼び名は十数とおりあります。 「尊(とうと)」は非常に良い説なんですが・・・どうなんでしょう?。
 
 全体に火が廻ったところで、「綾杉太鼓」の奉納です。 「綾杉太鼓」の演奏は奉納として何回も聴いていますが、今回は新しい感動を見つけました。

                 綾杉太鼓 奉納    
イメージ 13

綾杉太鼓」は平成14年に、「香椎の町づくりと青少年の育成」を目的に発足した和太鼓を演奏するグループです。 団員は小学生から70歳まで、30名だそうです。 熱心な先生が指導されているようで、大小種類の異なる和太鼓と笛と鉦で奏でる勇壮な演奏が素晴らしいのです。
           「炎」と「太鼓」のコラボレーション   
イメージ 16

 太鼓の音は耳で聞くものではなく、体で感じるものだそうです。 大小十数基の和太鼓の音が重なり合って響いて来るときの感動の盛り上がり・・・興奮します。
その躍動する太鼓の響きが空気中を伝わって、燃え上がる炎をゆらしています。 こんな神秘的な感動は初めて体感しました。 
 
神話の話ですが・・・天照大神(あまてらすおおかみ)が天岩戸にお隠れになった際、外で鶏を鳴かせたり、踊りを舞ったり、桶のようなものを叩いて大きな音を出して騒いだようです。 その時、使われた楽器のようなものが太鼓の起源ではないでしょうか・・・神事の時に奉納される太鼓の響きが、かように迫力ある中に、格調を感じるのは神様とつがっているからだと思うのです。
 
 午後6時30分、焼納祭(とんど焼き)の神事が無事に終了しました。 香椎宮神職の皆様の笑顔が炎の中に映し出されていました。

イメージ 14
                 
ある辛子明太子のTVコマーシャルで「食べてみんと分からん、分からん」と言うのがありますが・・・香椎宮とんど焼きの「炎と太鼓のコラボレーション」は「来てみんと分からん、分からん」。  未体験の方は来年はどうぞ。 

綾杉太鼓の画像2枚には、炎の中に幸運と幸福のアイテムが隠れています。

 
 
 
 

この記事に

博多人形師・中ノ子家窯跡 
 
武士の町「福岡」と商人の町「博多」が出会う橋・・・それが「福博であい橋」です。 その橋の中洲側のたもとに立っている「三人舞妓」のブロンズ像を、皆さんは良く目にしておられると思います。 大正14年(1925年)、パリで開かれた万国現代装飾美術工芸博覧会において、博多人形師・小島与一が銅賞を受賞した作品がモチーフとなっています。

であい橋「三人舞妓」ブロンズ像     銅賞の博多人形「三人舞妓」小島与一作
イメージ 1
イメージ 2














 
名人と呼ばれる多くの博多人形師がおられますが・・・福岡市民が一番良く知っている人形師が小島与一(明治19年〜昭和45年)でしょう。 

    名人 小島与一           小島与一作「初袷」福岡市博物館蔵
イメージ 3
イメージ 4












現在は彼を師とする系列の人形師が、たくさん活躍して居られます。 その小島与一白水六三郎と言う名人の弟子だったのです。 さらに、その白水六三郎を育てたのが、文政年間(1818〜1830年)に祇園町で博多人形のもとを作った人物と言われている中ノ子(なかのこ)吉兵衛です。 よって、江戸時代後期から明治時代にかけて、「博多人形」のブランドを広めた名人達の多くは、祇園町の中ノ子家と何らかの師弟関係、又は姻戚関係を持って、業界の発展に大きな役割を果たしたのでした。
 
その祇園町の中ノ子家の住居兼工房がかっての地所から発掘されました。 昨年(2017年)7月に新聞のニュースで公表されましたが・・・その後に開かれた博多ガイドの会の「まちあるき」コースに参加して、発掘現場を見学して来ました。
 
場所は祇園町の国体道路沿いです。  次の地図中、印の場所です。

               祇園町地図
イメージ 5

「博多祇園M-SQUAREビル」の隣(矢印)は空き地です。
 
イメージ 9
                
 白い壁で仕切られていて、ビルの工事中かな?と勘違いしてしまいます・・・が、壁に「埋蔵文化財発掘調査中」の看板が立て掛けてありました。 「博多213次遺跡発掘調査、予定期間は平成29年6月5日〜30年6月14日」と書かれています。

イメージ 6
イメージ 7













 外からは見えないのですが・・・中に入ると・・・凄〜い、 何かワクワクする。

イメージ 8
              
 地表から1.2メートル下が江戸後期〜明治初期の地層だそうです。 この地層から中ノ子家の窯跡が6基みつかりました。

             窯跡  (昨年7月現地説明会) 
イメージ 12

長さが2.3mメ−トル、幅が1.3メートルの「空吹窯(そらふきがま)」と呼ばれる円筒形の薪窯らしいです。 埋蔵文化財課の資料(図)で説明を加えてみますと・・・、

イメージ 10











          

イメージ 11




 

  

 円筒形の「空吹窯」の人形など製品を入れる上半部(焼成部)は残っていませんが、燃料(薪など)を燃やす下半部(燃焼部)と焚口が残っています。 燃焼部は畦(あぜ)と呼ばれる二つの土手で三つに分けられ、また、床面は奥の方に傾斜しています。 炎は畦(土手)によって三方に広がり、更に、床面の傾斜によって効率よく炎を送る構造になっているそうです。

イメージ 18
                
 窯跡の周辺から数多くの人形の破片や形が出土しています。 素焼きの土人形は薄くて厚さにムラが無い事から、当時の人形師は既に高い技術を身に付けていたとされています。
 
発掘調査状況の説明を聞いた後は体験学習です。
 出土した遺物(人形や焼き物破片など)は、土が付いたまま無造作に箱の中に入れられています。

イメージ 13
                
 焼き物破片に付いた泥や土をブラシで洗い落とします。 初めての体験でした。 この破片は何なんだろう? と思いながら洗っている時は、ちょっぴり考古学者になった気分でした。

イメージ 14
イメージ 15









    
 うっちゃんが洗った焼き物破片の中に奇妙なものがありました。 左の黒い破片です。 人形の破片でないことは確かです。 

イメージ 16

 
 発掘現場で調査研究に携わっている学芸員のお話しでは、これは「七輪」の破片とのこと。 発掘された「空吹窯(そらふきがま)」は調査の結果・・・その時その時の需要に応じて、人形のみならず様々な製品を焼く多機能な窯だったようです。 博多人形が高い評価を受け、商品として流通するようになったのは、明治後期からですから・・・それまでの中ノ子家では、「七輪」などの生活用品が商売としての主流を示していたのかもしれません。
 
その後、博多人形の起源について学習していたのですが・・・ひとつまとめてみました。
 
1600年、黒田長政は筑前入国に伴い、福岡城の築城に執りかかります。 その時、多くの瓦焼き職人が集められたのですが・・・福岡城の完成後も一部は瓦や焼き物製品の職人として、博多の町に住み着きました。 この時、職人仲間で素焼き人形を焼いて長政公に献上した話がありますが、定かではありません。 

中ノ子家も山口出身の瓦焼き職人との説がありますが・・・福岡城竣工後は祇園町に住居兼工房を構えて、瓦や七輪など様々な生活用品を焼いていたのでしょう。 より良い製品を作るために、窯の構造や焼き方などの技術技法の研究も、何代にもわたって重ねていたのだと思います。 江戸時代後期の1800年代初め、中ノ子(なかのこ)吉兵衛はそれらの技術技法を生かし、祇園町で庶民的な素焼き土人形制作を創案したのです。 それが今日の「博多人形」の起源だと思います。
 
         「鶴亀」 中ノ子富貴子(2012年2月没)作品
イメージ 17
              
現在は 中ノ子基高 氏の代だと聞いております。
 
調査を終えたかっての中ノ子家工房跡(博多213次遺跡)は、更に下層を掘り進め、中世・古代の発掘に向かうとのことです。
 
 
*発掘調査現場見学会以外の画像は、福岡市博物館、西日本新聞、博多人形商工業共同組合からお借りしました。
*ブログ内容は博多ガイドの会、現地見学会、現地説明板、福岡市埋蔵文化財課、博多人形師系譜、博多人形商工業共同組合、西日本新聞、博多人形沿革史、ウィキペディアを参考にしました。
 
 
 

この記事に

博多津唐房(チャイナタウン)
 
日本国内における三大チャイナタウンと言えば、横浜神戸長崎の中華街を言います。 横浜・神戸は明治の開港政策によって中華街が形成されました。 長崎は、江戸時代の鎖国下の中で対中貿易港として発展し、福建省出身の華僑によって中華街が作られました。 しかしながら、約900年前の博多に、日本で一番最初に出現した大規模なチャイナタウンがあったことを忘れてはいけません。 
 
古代より博多は大陸・半島との交流の窓口として発展してきました。 地下鉄工事やビル建設に伴う「博多遺跡」の発掘調査も進み・・・弥生時代から近代までの貿易都市「博多」の全容が現れてきました。

博多津唐房(はかたつとうぼう・チャイナタウン)の場所を確認する前に、鎌倉時代前期〜中期と思われる当時の福岡市(福岡部・博多部)の姿を確認します。
 
                 鎌倉時代の福岡
イメージ 1

住吉神社所蔵の古図を参考に、当時を確認します。 中州・天神・大名・渡辺通りは、未だ海(冷泉津)の中です。 平 清盛が築いたと云われている「袖之湊(そでのみなと)」が記されていますが、遺構としての場所が確認出来ていません。 
当時の比恵川は西に流れ、那珂川(冷泉津)と合流していました。 戦国時代、立花道雪(立花宗茂の養父)が比恵川の流れを北側から 博多湾へ流す掘削工事(石堂川)を命じたのです。 西に流れていた川は堀として残し・・・四面を海と川と堀で囲むことにより、お城のように博多の防衛が強化されました。 
沖ノ浜(神屋町・中呉服町)には道路が描かれていますが、少し前(平安時代)までは砂丘でした。 聖福寺承天寺櫛田神社で囲まれた祇園町辺りが、弥生時代から人々が暮らしていた「博多遺跡」の中心地です。
             
      大博通り 地下鉄空港線 祇園駅周辺の発掘調査 (福岡市博物館)
イメージ 2
 
平安時代中期の永承2年(1047年)、鴻臚館(こうろかん)が火災により消失した後は、12世紀の平安時代後期にかけて、貿易の中心拠点が博多に移ってきます。 福岡市教育委員会が発掘調査結果を基に、当時の海岸線を現在の地図に落とし込んだ図が以下です。
      博多遺跡-A 図    12世紀の博多の海岸線  (福岡市博物館)
イメージ 3

沖ノ浜(息浜)との陸続きの場所が、住吉神社所蔵の古図によるとリバレイン辺りになっていますが・・・実際には呉服町交差点上だったようです。
 
 鴻臚館から貿易の拠点を移してきた宋の中国商人は、博多に住みつくようになり、徐々に中国人街(博多津唐房)を形成していったのです。
 
   中国風軒瓦(埋蔵文化センター蔵)        中国陶磁器
イメージ 4イメージ 5











発掘調査で出土した中国風の軒瓦や多くの中国陶磁器の分布から、中国人街(博多津唐房)は冷泉公園東側の天屋町〜冷泉町〜祇園町に渡る広いエリアだったことが分かりました。

     ■ 博多遺跡-B 図    宋人居住区(博多津唐房・チャイナタウン)
イメージ 6

B図中、オレンジ色のエリアが日本初のチャイナタウンです。 この町に住む人々は博多綱首(ごうしゅ)」と呼ばれる中国(宋)の貿易商人達でした。 「綱(ごう)」とは中国語で、貨物を船で輸送する組織のことで、「綱首(ごうしゅ)」とは、それをまとめるリーダー(責任者・船主)を意味するようです。 
博多綱首のほとんどは明州(現在の浙江省寧波ニンポー)の出身者でした。 日本の寺社や貴族と結びついて船を取り仕切り、博多/寧波間をメインルートに東アジア海域を往来し、活発な貿易活動を行ったのです。 

博多綱首の活躍による生活・文化への影響力は強いものがあり・・・その内の一つが禅宗の移入でした。 博多綱首の援助により、宋人百堂(宋人墓地・博多遺跡-B図の黄土色部分)の跡地に禅寺(臨済宗)である聖福寺承天寺が建立されました。 

        聖福寺                  承天寺
イメージ 7イメージ 8










両寺は博多綱首のみならず、鎌倉武士や庶民の心の依り所となったのです。 特に博多綱首・ 国明 (しゃこくめい)の援助により、聖一国師が開山した承天寺は、饅頭・饂飩(うどん)・蕎麦・博多織など・・・日本文化・博多文化が中国から伝わった地とされています。 また、博多祇園山笠の起源は、疫病が流行った際、聖一国師が町民が担いだ施餓鬼台に乗って、祈祷水を撒いたことが始まりとしています。 

博多遺跡-B図の緑色エリアは日本人居住区となっていますが、発掘された遺構から、時代が経るとともに中国人・日本人が混住していった様子がうかがえるようです。 時代とともに混血もすすみ・・・・子孫が江戸時代の博多商人につながっていったとも考えられます。 ちなみに、博多綱首・ 国明 の奥さんは日本人でした。
  
*「承天寺」については「大博通り①」、「聖福寺」は「大博通り②」を参照下さい。
 
 次の写真はチャイナタウン西側の波打ち際に一括廃棄された陶磁器です。 輸送中に船内で壊れた製品なのでしょう。 

              大量廃棄された陶磁器破片
イメージ 9

 この大量廃棄された発掘場所が何処であるのか、「博多ガイドの会」のボランティアガイドさんに教えていただきました。  冷泉公園交差点から櫛田神社方向の土居通りの写真です。 
               冷泉公園横の土居通り 
イメージ 10

 右側が冷泉公園で、土居通りに面した赤矢印⇒のビル(博多遺跡-A図赤●印)の下から廃棄された中国陶磁器の破片が発掘されました。 近くでは、破損していない中国陶磁器類が一括して出土しているので・・・この辺りに貿易船が着岸する港があって、降ろした積荷を保管する倉庫が軒を連ねて建っていたのではないか・・・。 そのことから博多遺跡-B図の紫色部分に記されているように、ここがチャイナタウンの港湾施設があった場所だと考えられています。 
 
博多遺跡-A図緑●印はホテルオークラ横に鎮座している「鏡天満宮」です。

        鏡天満宮                    渡唐口跡石碑
イメージ 11イメージ 12















鏡天満宮写真の矢印部分に「渡唐口跡石碑」が建っています。 「渡唐口」とは中国に渡る船の港です。 明治通り(A・Bの地図)を挟んで、くびれの両岸に沢山の貿易船が停泊している様子が目に浮びます。
 
 次の写真は博多遺跡-A図青●印から川端商店街(博多川)方向を撮っています。
 
イメージ 13
                
 写真では良く確認できませんが・・・この地点で腰を屈めて、真っ直ぐ眺めると、陸から浜辺に向かう緩やかな傾斜を感じることが出来ます。 
                
店屋町・冷泉町・祇園町一帯のビルの下に、間違いなく日本初の大規模なチャイナタウンが存在していました。 チャイナタウン(博多津唐房)の姿形は見えないが、町の何処かで息づいている気がします。 土居通りをゆっくり歩いていると、遥かなる浪漫とその息づかいを感じるのです。
 
*ブログ内の画像は「福岡市博物館」、「博多駅地下道ギャラリー」、「福岡市文化財保護課」、「博多遺跡発掘現場」、「福岡博覧」の写真をお借りしました。
*ブログ内容は「福岡博覧(海鳥社)」、「博多遺跡発掘現場説明板」、「博多ガイドの会説明」、「福岡市博物館」、「埋蔵文化財センター」の資料を参考にしました。
 
 

この記事に

俺たちの朝(オッス・チュー・カーコ)
   
昭和52年(1977年)1月、東京本社へ2度目の転勤。 1度目は独身時で杉並区阿佐ヶ谷の寮、・・・(当時のブログは「旅人よ」)・・・今度は結婚後でしたので、同じ阿佐ヶ谷の社宅に入りました。 その頃の青春TVドラマでは、前年に終了した 中村雅俊 主演の「俺たちの旅」が大人気でした。 ドラマの舞台が中央線の吉祥寺で・・・ 阿佐ヶ谷から数駅先でしから、日曜日毎に奥さんと井の頭公園などを散策してました。 「俺たちの旅」の大人気を引き継いだ青春ドラマが、鎌倉を舞台とした「俺たちの朝」だったのです。うっちゃん的には、「俺たちの朝」の方が好きでした。理由はブログの最後に書いています。 
 
                 俺たちの朝   
イメージ 1

結婚したばかりですが、20歳代後半で青春を謳歌している年代でした。 ストーリーの展開・・・そして、人生と愛の楽しさ、難しさ、虚しさ等・・・その紆余曲折をテーマに考えさせてくれた点では満足度の高いドラマだったと思います。
 
主な登場人物は、オッスチューカーコ3人の主人公にヌケツナギ2人が加わります
                      オッス=勝野 
イメージ 2
 
                      チュー=小倉 一郎
イメージ 3
 
                      カーコ=長谷 直美
イメージ 4
 
      ヌケ=秋野 太作                     ツナギ=森川 正太  
イメージ 5イメージ 6








  
              
大学を中退したオッスと友人のチューは都内の下宿家を追い出されます。 二人はリヤカーに家財道具を乗せ、オッスの先輩のヌケを頼って鎌倉まで来ます。 大家さんの紹介で知り合った女子大生・カーコとの3人で、一つ屋根の下での共同生活が始まります。今で言うシェアーハウスですね。

イメージ 7
 
NHKの「朝ドラ」を見ていて分かるのですが、ストーリーの中には必ず「苦難」があります。青春ドラマであれば、「」と「現実」のギャップとして盛り込まれます。 

イメージ 8

そんなギャップの中で、もがきながらも ひたむきに生きる若者が描かれていました。 結婚前までのうっちゃんを投影してたような・・・ヘッ、ヘッ、・・・うっちゃんも、青春や愛に もがいていた時期があったのです。

主題曲がいいですね。 聴いてみましょう。 谷川俊太郎の歌詞が好きです。
 
    俺たちの朝     YOU-TUBE    shibamatabrothersさん提供
      作詞:谷川俊太郎   作曲:小室等   唄:松崎しげる 
 
 ほとばしる水の冷たさに   今日がかくれている
見えない太陽に 向って鳥たちは歌い   おどろいたように 地平へとはばたく
答を知らぬきみに できるのは    ただ 明けてゆく青空に 問いかけること 


 聞きなれた街のざわめきに    夢がかくれている
忘れたふるさとを 求めて陸橋を渡り    雑踏の中に まぼろしをみつめる
答を知らぬきみに できるのは    ただ 明けてゆく青空に 問いかけること 


 呼びかける声の優しさに    愛がかくれている
小さなほほえみに うずまいて友だちと出会い    悲しみの夜を 明日へとめざめる
答を知らぬきみに できるのは    ただ 明けてゆく青空に 問いかけること

答を知らぬきみに できるのは    ただ 明けてゆく青空に 問いかけること 
 
 
TVドラマの中では、1番の歌詞がオープニングで・・・3番の歌詞がエンディングで使用されています。 谷川俊太郎は作詞家と言うより詩人です。 歌詞の中で一番好きな箇所は、3番の  呼びかける声の優しさに 愛がかくれている  です。 詩人らしい柔らかな表現が素晴らしいと思います。 3人はいつも喧嘩(言い合い)ばかりしているのですが・・・オッスとチューがカーコに声かける場面は、カーコが気が付かないだけで・・・其々の思いやりの愛がかくれている・・・。

イメージ 9
 
作曲した小室 等はフォークグループ「六文銭」のリーダーです。 いい曲を書いてくれました。 松崎しげるは未だ無名だったと思います。この後に「愛のメモリー」がヒットしました。日焼け顔がトレードマークになってますが・・・「松崎しげる から 松崎こげる(焦げる)に改名します」とTV番組でおどけていました。
 
ドラマが進行するに従い、舞台となった鎌倉には大勢のファンが押しかけることになったのです。勿論のこと、うっちゃんも奥さんと二人で江ノ電に乗って、極楽寺長谷寺を訪れました。 ブログを書きながら・・・あまりの懐かしさに、今からでも行きたい気持ちに駆られます。
                  極楽寺駅   
イメージ 10
 
青春ドラマでしたから、毎週、楽しく見ていましたが・・・実は不思議に思っていたことがありました。 それは、3人の関係です。 男女二人の場合は同棲生活で、全然問題ないのですが・・・男二人と女一人が同じ屋根の下で共同生活を営む・・・三角関係の恋愛感情とか男女の問題とか、男同士の友情とかは大丈夫なのか? 

イメージ 11
                                    
放送された1年、オッスとカーコ、又はチューとカーコがくっつきそうになったりした場面も何度かあったのですが・・・何となく男女の友情とか思いやりで終わっています。 うっちゃんは「男女に友情は無い」と言う主義でしたから、この辺が不思議に思っていたのです。でも今は分かりました・・・それは、不思議に思っていたのでは無く、三人の仲を羨ましく思っていたのだと・・・。

イメージ 12
                         
三人の個性が違うので、それが微妙なバランスを保っていたのでしょう。 何でも突っ走る元気の塊りのようなオッスが大きな声でどなる・・・爽やかでしっかり者で気が強いカーコが怒る・・・その二人の間を、真面目で心の優しいチューがオロオロとうろたえる・・・そして、仲直りして、笑って・・・そこに、ヌケツナギが加わって皆でじゃれ合う。 いいなあ〜。

イメージ 13
 
この若者達の爽やかな雰囲気が、鎌倉の海岸にぴったりとフィットしてしまいました。 この後、サザンの活躍が加わり、鎌倉から江ノ島まで江ノ電沿線は若者の聖地となって行くのです。
 
エンディングでは主題歌の3番が流れます。 同時に、その回のテーマとなる詩(メッセージ)が画面に現れます。 このメッセージは結構ガツーンときましたね。

イメージ 14
                  
イメージ 15
                   
イメージ 16
                   
イメージ 17
                     
正直に申し上げることがあります。 「俺たちの朝」はドラマの一つとして、毎週、奥さんと楽しみに見ていましたが・・・男のうっちゃんとしては、別の楽しみも持っていたのです。 それは、長谷直美です。 初回見た時に「何と可愛い娘なんだろう」とメロメロになったんです。 長谷直美と言うよりは、カーコの性格そのものも好きでした。 
 怒った時のカーコも・・・。

イメージ 18
               
そんなことを奥さんには言えませんから、二人で青春ドラマを楽しみながらも・・・うっちゃんはブラウン管を通して、毎週、長谷直美(カーコ)と一方通行で片思いのデートを重ねていたのです。 懐かしい思い出です。 可愛らしさを別にして、気の強いところだけは奥さんも同じです。
 
俺たちの朝」は「俺たちの旅」の大ヒットを受けて制作されました。 中央線吉祥寺を舞台とした若者3人の友情。 中村雅俊が唄う「俺たちの旅」(作詞・作曲:小椋 佳)も、是非聴いて下さい。
         俺たちの旅  you-tube       Gobu2525さん提供

3人の出演者(中村雅俊・田中建・津坂まさあき)の中の津坂まさあきとは、「俺たちの朝」でヌケを演じた秋野 太作です。 俺たちの朝は、今年秋の大作ドラマです」と、日本テレビが宣伝した文句を役者名に付けたそうです???
 
*「俺たちの朝」の画像は「日本テレビ」、「土曜野午後太さんの時穴散歩」、「伊織さんのPower of Dreams」、「上段タロー」、「昭和パラダイス」さんのホームページ・ブログからお借りしました。
 
 

■ 俺たちの朝 DVD-BOX
イメージ 19











 

この記事に

2018年 戌年(いぬとし)と干支(かんし・えと)
 
お正月はまあまあの天気でした。いよいよ2018年度 戌年(いぬとし)がスタート。
 
 次の写真は、大晦日に、奥さんが作った犬の壁飾りです。 全て百均(ダイソー)で単品を買い、ボンドで貼り付けたそうです。 と言うことは、全部で540円?

イメージ 1
                 
 次の写真は、アクロスの匠ギャラリーで展示されていた博多人形「いぬ」の縁起物です。「戌之神」は、威厳があって強そうですね。

イメージ 2
                   
大人になってからも、気になっていた事がありました。 犬の年なのに、何故「」の漢字を使うのか? 更に、今年の年は、何故「戊戌(つちのえいぬ・ボジュツ)」と呼ぶのか?
それらが、「十干」と「十二支」の組み合わせによって決まる「干支(かんし)」である、と言葉では言っていたのですが・・・どこまで理解していたのかは???。 
うっちゃんが「干支(かんし)」について、少しばかり勉強したのは、60歳を迎えた「還暦」がきっかけでした。 学んだことを整理しておきますと・・・。
 
干支(かんし)」は古代中国において、年・月・日・時間・方位を表すのに用いられたことが始まりです。 よって、アジアの漢字文化圏でのみ理解され使用されています。
                「十干・十二支図」  
イメージ 3
 
 上記のように、10の干(かん)と12の支(し)を組み合わせます。 10干は運気のことです。 12支は、元々は「植物の季節ごとの様子」を意味する漢字だったのですが、庶民が漢字が読めないので、言葉として動物を当てはめた・・・これが起源のようです。 ですから、実際の動物を読む漢字とは異なっています。
10と12の最小公倍数は60なので、「干・支」の組み合わせは60回で一巡します。 
 
うっちゃんが60歳で迎えた「還暦」は、暦が還(かえ)って一巡した節目のお祝いです。人間の寿命とかを考えると、「干支」は良く出来ています。 頑張った人生を、一度リセットさせるんですね。 大切な節目だと考えます。 赤いチャンチャンコを着せるのは、赤ちゃんに戻ったことを意味するそうです。 近年は元気な高齢者が増えています。 普通に考えると、「還暦」は人生で一回なのでしょうが・・・昨年9月、厚生労働省が発表した全国の100歳以上の高齢者は、6万7824人に達したそうです。その中で、最高齢は117歳・・・近い将来、還暦を2回迎える人が現れますね。
 
今年2018年は、「10干」の「(つちのえ・ボ)」と「12支」の「(いぬ・ジュツ)」の組み合わせで「戊戌(つちのえいぬ・ボジュツ)」の年です。 「戊戌(つちのえいぬ・ボジュツ)」がどんな年であるのかは、「占い」の世界で色々と話も紹介されていますが・・・「占い」とか、後に触れる「迷信」とかの悪い話は、あまり好きではありません。

イメージ 4
イメージ 5












         
「十干・十二支図」でも分かるように、戊戌」は訓読み(つちのえいぬ)と音読み(ボジュツ)があります。 

「十干十二支」の訓読みで一番聞き慣れた年が、「丙午(ひのえうま)」でした。「十干」にも「十二支」にも、陰陽五行思想(木・火・土・金・水)の運気が割り当てられています。 丙午(ひのえうま)」は「」にも「」にも「火」の運気が割り当てられた年になってしまうのです。 火災には注意しなければならない年なのですが・・・江戸時代の1666年(丙午)、”八百屋お七”と言う女性が激しい恋心から江戸の町に放火したのです。 この事件から、「丙午(ひのえうま)生まれの女性は気性が激しい」と言う迷信ができたのだそうです。 昭和41年(1966年)の丙午(ひのえうま)年の出生率は、前年から25%減だったようです。 とんでもないことです。 悪気は無かったのでしょうが、メディアの報道にも問題があったようです。 
今度の丙午(ひのえうま)は8年後の2026年です。 それまでに、「丙午(ひのえうま)生まれの女性が如何に素晴らしいか」・・・そんな話題(迷信)に作り変えていきましょう。 メディアとお寺の住職、神社の神職の方々の協力が必要と考えます。「十二支」の中の「(うま)」は真ん中に位置していますから、時間を表す場合は12時(正午)になります。 (うま・12時)」の前が「午前」、後が「午後」です。 真ん中に位置している「(うま)」として、何か良い話題(迷信)作りができないですかね。
 
「十干十二支」の音読みは歴史の勉強で割りと馴染んでいます。 例えば、壬申の乱が起こった672年は「壬申・みずのえさる・ジンシン」の年。 1868年の鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)は「戊辰・つちのえたつ・ボシン」の年でした。  「十干十二支」の60年が始まる最初の年は「甲(きのえ)」と「子(ね)」の組み合わせ「甲子・コウシ)」で、とても縁起が良いとされています。 大正13年(1924年)の甲子(きのえね・コウシ)の年に完成した野球場が「甲子園」です。
 
」と言う漢字の由来と「」の関連はあなり無さそうですが、「安産」については両方ともに縁起が良いとされています。 「十二支」は「植物の季節ごとの様子を意味している」と説明しましたが・・・「」は、植物が枯れて種(タネ)をつくる=命をつなぐ・・・そんな意味を持っていることから、「安産」のイメージが出来上がっています。 また、「」はお産が軽く、元気な子をたくさん産むことから「安産」に結びついた、とも言われています。

                安産祈願は香椎宮
イメージ 6

 赤ちゃんを宿し、時期が来ると、縁起が良いとされる「戌の日」に安産祈願に行きます。 十二支を日で表すと、月に2回ほど「戌の日」が巡ってきます。 安産祈願で最も御利益がある神社は神功皇后聖母菩薩)を祀る香椎宮ですよ。

              博多人形縁起物「いぬ」  
イメージ 7

今年は元気な赤ちゃんがたくさん生まれそうですね。 と、言うことは、今年還暦を迎える皆さんも、60年前に元気に生まれたんだあ。 60年前の戊戌 (つちのえいぬ)は昭和33年(1958年)・・・この年がどんな年だったのか調べてみました。
 
■ 1月
トランジスタラジオの製造に成功した東京通信工業がソニーに社名改称。 以後、成長を続けて、現在は日本が世界に誇る多国籍複合企業に成長。
■ 2月
日劇で第1回ウェスターンカーニバルが開幕される。ミッキー・カーチス、平尾昌晃、山下敬二郎のロカビリー3人男を起用した渡辺プロが大成功を収める。 数々の歌を世に出した平尾昌晃氏は昨年7月他界。 ご冥福をお祈りいたします。
■ 3月
関門トンネルが開通。 当時、小学生低学年のうっちゃんは、父の会社の旅行に連れられて下関へ渡りました。 中国に来たのに、何故、中国服を着た人がいないのだろう?、とマジに思ったのでした。
■ 4月
読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手がデビュー。 国鉄スワローズの金田正一投手に伝説の4打席連続三振を喫す。 それでも、この年のセリーグホームラン王に輝く。

  金田正一 VS 長嶋茂雄               チキンラーメン
イメージ 8イメージ 9












■ 8月
日清食品が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。 それまでの「支那そば」、「中華そば」から「ラーメン」の呼び名が全国に広まる。 「チキンラーメン」は、今でも本当に美味しい。
■ 10月
西鉄ライオンズ日本一。 日本シリーズで巨人相手に3連敗から4連勝を果たす。 稲尾投手が第6戦、7戦を連続完投勝利。 まさに、神様、仏様、稲尾様でした。
■ 11月
皇太子・明仁親王と正田美智子様のご婚約を発表。 民間から初めて妃殿下を迎えることとなり、美智子様が身に付けていたヘアバンドやストールが大流行しました。(ミッチー・ブーム)

     ご婚約発表                東京タワー竣工
イメージ 10イメージ 11











■ 12月
東京タワー竣工。高さ333メートル。 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界ですね。 東京スカイツリーが完成するまでは、日本で一番高い建造物でした。 
 
昭和33年(1958年)戊戌 (つちのえいぬ)の年間出来事を眺めていると、新しい時代への希望とエネルギーを感じませんか。 

イメージ 12
イメージ 13












平成30年(2018年 戊戌 つちのえいぬ)も、未来に向かう素晴らしい年になるような・・・そんな予感がします。


*長嶋・金田の画像は「読売新聞」、チキンラーメンの画像は「日清食品」、皇太子ご婚約発表の画像は「共同通信」、東京タワーの画像は「ウィキペディア」からお借りしました。 
 
 
 

この記事に

平成30年元旦 と 近づく新元号 
                
           新年 明けまして おめでとうございます。
イメージ 1
                                
平成30年が始まりました。 皆様にとって、新しい年が幸せいっぱいの一年でありますよう、お祈り申し上げます。

                おせち料理
イメージ 2

今年も親子3人で、お正月料理を美味しくいただけた事は嬉しい限りです。 今年は「てら岡」の三段重を注文したのですが・・・大変よい味でした。
 
昨夜大晦日の夕食は、カニ中毒の奥さんの独断で「カニ鍋」でした。
                  カニ鍋
イメージ 3
 
                 香椎宮へ初詣
イメージ 4
10時30分、香椎宮へ。 初詣客の列はお水所前まで・・・拝殿まで15分でした。
               
      鶏石神社                  濱男神社
イメージ 5イメージ 6













鶏石神社は昨年の酉年1年間は賑わいました。 1年間の御礼に来られる参拝客を見て嬉しく思います。  濱男(はまお)神社は、香椎の町の区画整理事業中のみ、香椎宮境内へ遷座しています。 寂しいでしょうが、我慢して下さい。 早くお戻り出来るよう、祈ってきました。 神様を励ましたのは初めてです。

                 
 昨日の酉(とり)年から、今日の元旦は戌(いぬ)年に移りました。 昨年12月アクロス2階「匠ギャラリー」に展示されていた博多人形「いぬ」の縁起物です。 我が家のワンコに似ていたので、撮ってきました。
                博多人形「いぬ」
イメージ 7

その我が家のワンコとは「ノンちゃん」のことです。 可愛いでしょう。
                ノンちゃん
イメージ 8

シーズー犬の女の子ですが、髪の毛は男の子のようにカットしています。 昨年亡くなった「メイちゃん」の娘です。 娘と言っても14歳ですが、とても元気です。 

                         トリニテ松崎館 母の部屋の門松飾り
イメージ 9

 グループホームの母の部屋にもワンコの置物と門松を飾ってきました。

 
例年だと、元旦に一年の目標などを発表するのですが・・・昨年を振り返ると、掲げた目標以外にも、その都度行動を起こした事柄も多いのです。 逆に、目標を掲げたにも拘らず、達成していない事柄もあるのです・・・体重を減らせていないとか・・・。 
今年は自然体で行こうと思います。 あるべき状態とか、数値的な目標は掲げずに、自分の気持ちに正直にその時の姿で・・・結果は1年後の自分に聞いてみます。
 
ただ、どうしてもこの1年間に限って、特別で大切にしたい想いがあります。
天皇陛下の退位日については、平成31年(2019年)4月30日とし、皇太子さまが翌5月1日に新天皇に即位される日程で進んでいます。 1年間を通しての「平成」は最後の年になると言うことです。  
 
「平成」の次の元号は、未だ分かりませんが・・・新しい時代は、新しい気持ちにリセットしてスタートした方が良いと思います。 その為に、平成30年間の自分自身を振り返り、物事の背景や結果を整理して置くべきと思うのです。
 
昭和64年(1989年)の昭和は、年が明けて1週間で終了しました。

              平成元年(1989年)1月8日 
イメージ 10

平成が始まった日です。 息子は4歳になったばかりでした。 ソファに朝刊を置いて「今日は何の日?」と聞くと、「日本で一番偉い人が、下血の病気で死んじゃったの」と答えたのを覚えています。 4歳の息子が「下血」の言葉を覚えるほど、前年から昭和天皇のご病状がニュースで流されていたのです。 同時に前年の秋頃から、全国に自粛ムードが広がり、バラエティ番組・お笑い番組を控え、ご崩御後は民間TV局からも暫くの間、コマーシャルが消えました。 

              平成元年(1989年)1月8日  
イメージ 11

この頃、やっと授かった息子が4歳で、一番可愛い頃・・・会社では係長から支店課長に昇進し、職場でも家庭でも生き生きとした毎日を送っていた時期でした。
 
ところが、天皇陛下のご病状悪化とご崩御による自粛ムード・・・どの業種・企業も同じで、仕事のキャンセルが相次ぎ、厳しい状況に陥りました。 うっちゃん自身もうっちゃんの会社も予算が狂い、大変でした。 日曜日も返上で・・・息子と遊ぶ気持ちの余裕すら無くなったことを思い出します。 大正天皇ご崩御の時とは時代が違いますから、自粛ムードが社会に与える影響について誰も予測出来なかったのです。
 
そんな日本国内の様子を、目の当たりに見ておられた皇太子殿下(今上天皇)は生前退位によって、その混乱(社会が停滞し、国民の暮らしに様々な影響が及ぶこと)を少しでも和らげようとお考えもあったのでしょう
 
           皇居東御苑にて (宮内庁ホームページ)
イメージ 12

新しい元号のスタートを、「国民の皆さんには、明るいプラス思考で迎えていただきたい」と、今上天皇も新天皇も思われると思います。 うっちゃんの一生にとって、新元号は最後となるでしょう。 新元号が、自分にとって健康で有意義な時代となるよう、平成最後の1年と4ヶ月を、色々と考えながら過ごそうと思います。

今日が平成を考えるスタートです。

       昭和64年1月7日 「平成」を発表する小渕官房長官(当時)
イメージ 13

 
*平成元年1月8日の画像は、息子の8mmビデオからキャプチャーしたものです
*天皇皇后両陛下の御写真は「宮内庁」ホームページからお借りしました。
 
 
                

この記事に

2017年 香椎うっちゃんブログ 15の出来事
 
今年も残り3日になりました。 この1年間でブログ投稿を数えてみると、111本でした。3.2日に1本の割合でブログを投稿したことになります。 うっちゃんの場合は、歴史など学習した内容をまとめるツールとしても、ブログを使用していますから・・・皆さんのブログとは性格が異なっているところがあります。 
2017年の111本のブログの中から、自分にとって印象深いもの、思い出深いものを15本選んでみました。 タイトルをクリックするとブログに移ります。
 
イメージ 1
                
この歳になると、記憶する脳の容量が小さくなっています。 自分なりの勉強方法を考えて・・・何とか、合格しました。 私達は福岡で生まれ育っているのに、福岡のことを良く知らないのです。 「福岡検定」は素晴らしい仕組みだと思います。

 
イメージ 2
               
画像は「新地中華街」です。 町の人々が地域振興のために始めたのが起源です。ド派手なランタン(中国提灯)やオブジェで、うっちゃんも気分が盛り上がりました。 長崎は歴史の街でもあります。 これからも時々は訪れたいと思います。

 
イメージ 3
               
1972年にハリー・ニルソン(Harry Nilsson)った楽曲です。 彼のも素敵で懐かしいのですが・・・この曲をカヴァーしたIL DIVO イル・ディーヴォと「マライア・キャリー」の素晴らしさを聴いてほしいのです。 身体が震えます。

 
イメージ 4
               
仲の良い飲み友達です。 釣りに行ったり・・・年に1回は志賀島へ磯遊びに出かけます。こうして、出かけて楽しいと思っている内は、健康なのではないでしょうか。 「密漁」についての個人的な見解をまとめています。

 
イメージ 5
                
今年からJR九州ウォーキングに加えて、西鉄レッツハイクにも参加しています。 安心してハイキングが楽しめます。 昨年から「牛頸」の由来について、調べていたのですが・・・牛頸山の山頂に立った機会に、説をまとめてみました。

 
イメージ 6
                
ユネスコの無形文化遺産に山・鉾・屋台行事(日本全国33件の祭り)」が登録されました。その中に九州の五つの祭りが包括されています。 博多祇園山笠戸畑祇園大山笠唐津くんち日田祇園祭八代妙見祭す。 福岡市役所に一堂に集まっての特別巡行でした。

 
イメージ 7
        
今年はヒト・文字・言語からアジアの文化を知る」(全7回)、「北部九州の魅力再発見」(全7回)、「こころ・からだ・すこやか講座」(全3回)、「レッツ・スポーツ・エクササイズ」(全6回)、の4講座を受講し、全て終了しました。 少し張り切り過ぎました。

 
 5/26  「佐賀市へのプチ旅」 (筑後川昇開橋
イメージ 8
                
会社時の仲間4人で、佐賀市まで一泊の旅に出掛けました。 「道の駅」、「海の駅」ではなく、「橋の駅」ってあるんですね。 「橋」とは、「筑後川昇開橋」です。 長崎本線の佐賀駅と鹿児島本線の瀬高駅を結ん佐賀線が存在していたことを知りました。筑後川架けられた橋は、大型船舶航行できるように昇開橋」として建造され、現在でも見学ができます

 
 7/6  「メイちゃん 逝く
イメージ 9
                 
今年一番の悲しい出来事でした。 家族でしたから・・・。

 
 7/10  「黒田猛将 虎退治 
イメージ 10
                                
7月、呉服町交差点に建った東流・飾り山笠の表のタイトルです。 文禄・慶長の役での虎狩り(虎退治)と言えば、絵画で良く見る加藤清正が有名ですが・・・これは、黒田藩黒田24騎の一人林 太郎右衛門の虎狩りがモデルになっている、と言う説を紹介しています。

 
 8/10  「イムジン河
イメージ 11
                 
京都の大学生(加藤 和彦北山 修はしだ のりひこ 3人によって結成されたザ・フォーク・クルセダーズデビュー曲「帰って来たヨッパライ大ヒット。 2曲目「イムジン河」をレコーディングしたが、突然の販売中止。 話の経緯を説明しています。 はしだ のりひこの声を聴いて、懐かしく思っていたのに・・・今月2日、病気のため、72歳の若さで亡くなりました。 ご冥福をお祈りします。
 
 
 10/13  「釜山地下鉄 まち散歩
イメージ 12
                 
仲間達との釜山旅行・・・今回は、豚焼肉店での懇親会以外はフリーでしたので、地下鉄を利用し、一人でブラブラ散歩して来ました。 ハングルの文字さえ目に入らなければ、福岡市内を歩いているのと同じです。 博多と釜山・・・お互いに一番距離が近い外国の街です。

 
イメージ 13
                 
24時間以内ゴールの制限がありましたが、23時間11分で完歩できました。 65キロを過ぎた辺りで、正直にリタイアを覚悟しましたが・・・何とか歩き通しました。 人間には「気力」と言う、体感では分からない力が備わっていることに気がつきました。 自分を褒めてあげられる一番の出来事でした。

 
イメージ 14
                 
一昨年、奥さんとシンガポールからプーケット、ランカウイ島を巡るクルーズ旅に出かけました。 自分を中心に、360度の全てが水平線・・・これは、生まれて初めての経験で感動しました。 その時のクルーズ船は「コスタ・ヴィクトリア」で75,000トン。 「マジェスティック・プリンセス」はその倍で、142,000トン。 船旅を楽しむ人達が増えそうです。 

 
 12/14  「博多豪商の町 ②
イメージ 15
                 
博多の豪商と言えば、「博多三傑」と呼ばれている島井宗室(しまいそうしつ)、神屋宗湛(かみやそうたん)、大賀宗九(おおがそうく)が有名です。 「福岡検定」の勉強中に分かったのですが・・・彼らの他にも、末次興善と言う先見の明を持った商人が、同じ町に住んでいました。 福岡市民であれば、もう少し末次興善と言う人物に注目しても良いのでは、と思っています。

 
色んなことが起こった1年でした。 そして、色んなことを学んだ1年でもありました。 ブログについて・・・コメント・友達・お気に入りのページを閉じているにも拘らず、多くの方々に訪問いただいています。 この場を借りて御礼申し上げます。 ただ、ブログを書くこと自体が、生活のリズムの中で義務になりつつあることも感じています。 勉強・体験したことをブログに書く・・・では無くて、ブログを書く題材のために勉強・体験する・・・少し、反省しなければいけません。 来年5月頃には、訪問者数が10万人に達するでしょう。 これを区切りに、もう少し緩やかな気持ちでブログを続けて行こうと思っています。 今後とも、宜しくお付き合い下さい。   
そして、良い年をお迎え下さい。
                            香椎うっちゃん
 
 

この記事に

HAPPY CHRISTMAS 2017 in FUKUOKA
 
12月は昨日までの間に、博多・天神の町には5回出掛けています。 仕事をリタイアしていますから、忘年会も減っていますし・・・忙しい体ではありません。 ただ、何かと理由をつけて外出し、街の人混みの中に自分を置いて・・・昔懐かしい場所では思いにふけり・・・自分の過去の存在を確認する。 仲間と繰り出した時には、思いっきりはしゃいで平和を感じる・・・12月とは、そんな月です。 何故かしら”寂しがり屋”になってしまう月でもあります。 写真を撮った日時・場所は異なりますが、12月の様子をまとめて報告します。
 
BGMに選んだのは、JOHN LENNONの「HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)」です。 北朝鮮の核ミサイル問題、エルサレムの首都問題・・・ジョン・レノンの「戦争は終わった」はいつになるんでしょうね?  曲を聴きながらブログに移って下さい。

  HAPPY CHRISTMASWAR IS OVER) JOHN LENNON YOU-TUBE 
 

■ 天神クリスマスマーケット会場 市役所ふれあい広場      
イメージ 1
西郷隆盛の本(NHK大河ドラマ解説書)を買いにきたおりに市役所広場に寄ってみました。 昨年よりサンタ人形が増えています。 会場はサンタだらけです。

■ 天神クリスマスマーケット会場 市役所ふれあい広場      
イメージ 2
数日後、友人と”ホットワイン”を飲みに来ました。 後ほど紹介します。

■ 三越デパートの狛犬ならぬ”狛ライオン”           
イメージ 3
サンタの帽子でお客様をお迎えです。
 
福岡市内では博多駅前広場でもクリスマスマーケットが同時期に開かれてます。

■ 博多駅前広場のイルミネーション              
イメージ 4
博多駅12月の風物詩になりました。 青・白色系統のLED電飾がキレイです。

■ 博多駅のオーロラ                      
イメージ 5
 1階広場のイルミネーションばかりに気を取られていると、気がつきません。 駅ビル2階の回廊を眺めていると、時間差を置いて、美しいオーロラが現れます。

■ KITTE 博多マルイ 入り口のクリスマスツリー         
イメージ 6
 
12月第3週目は寒い日が続きました。 しかし、平日でも天神は賑わっていました。 新天町・百貨店・飲食店街が賑わっていると言うことは、「景気がいい」と見て良いのですかね? 一概にそうとは思えないのですが・・・でも、全体的にはお金が動いているのでしょう。 いい事です。

■ アクロス1階の正面玄関にて                 
イメージ 7
 スケートリンクのジオラマが展示されています。 昔(小学4年〜5年生)、スポーツセンター(現・ソラリア)のスケートリンクで遊んでいました。

■ 新天町のメルヘンチャイム                  
イメージ 8
 メルヘンチャイムの下では、福岡市民よりも韓国・台湾の旅行客が足を止めて自撮写真に収まっています。

■ 岩田屋正面入り口のクリスマスツリー            
イメージ 9
 毎年大きなツリーを飾っています。 うっちゃんが小学生の頃、母は兄妹3人を連れて岩田屋(現・パルコ)に買い物や遊びに来てました。 屋上に遊具場(飛行機?汽車?など)があったのです。 父が入院中だったのに、子供3人をどうやって育てたのでしょう。 強くて、厳しくて・・・でも優しかった。
  
 その母は、現在94歳。 要介護4の認定で「トリニテ松崎」のグループホームで過ごしています。

■ トリニテ松崎のグループホーム クリスマス会             
イメージ 10
19日(火)は「トリニテ松崎」の”クリスマス&忘年会”です。 入居者の家族も招いていただいての懇親会でもあります。
 
■ サンタに扮した職員から母へプレゼント          
イメージ 11
 母は認知症が強く出て、うっちゃんの事も忘れてしまっています。 足腰は悪く、車椅子を使用していますが、良く食べて顔色はいいです。 お世話をいただいている職員の皆さんに感謝です。

■ キャナルシティのイルミネーション          
イメージ 12
 噴水の水柱が青色に輝くのですが・・・どんな技術なんでしょう。

■ パサージュ広場のクリスマスツリー          
イメージ 13
 ここも、毎年大きなツリーが飾られます。 ツリーの前のカフェで、行き交う人々を眺めながらコーヒーを飲みます。雰囲気はパリのサント・ノーレ通りのようです。

■ 渡辺通りの街路樹                  
イメージ 14

■ 警固公園のイルミネーション             
イメージ 15
 カップルが一番多く訪れるイルミネーションスポットではないでしょうか。 昨年とは少し雰囲気が変わったような気がします。

■ 警固公園のイルミネーション             
イメージ 16

■ 天神きらめき通りの街路樹              
イメージ 17
 奥が若者の町・西通りです。 博多駅エリアのイルミネーションは白・青を基調とした電飾ですが、天神エリアは暖色系色合いの電飾を使用しています。 お互いの特色を出すために、色調を分けている、と聞きました。 
 
11日(月)の寒い日に、出掛けたのが「天神クリスマスマーケット」でした。

■ 天神クリスマスマーケット (市役所ふれあい広場) 
イメージ 18
 うっちゃんも友人も、仲間と一緒の時には、賑やかな場所で楽しむ・・・これが好きなんです。 クリスマスマーケットとは、キリストの生誕前の4週間に行われるヨーロッパの伝統的な行事です。 ヨーロッパの町の中央には、必ず広場(Place・Plaza)があります。 その広場の真ん中にクリスマスツリーを立てて、周りに様々なお店が並んで、人々が集い楽しみます。
 
■ 天神クリスマスマーケット (市役所ふれあい広場)   
イメージ 19
ドイツが発祥の地とされていますが・・・町の人々が集まって、「みんなで寒い冬を乗り切ろう」と励まし合ったり、絆を深める行事だったのではないでしょうか。
 
■ 天神クリスマスマーケット (市役所ふれあい広場)   
イメージ 20
2013年にスタートして、今年で4回目・・・昨年は天神と博多駅で400万人を動員したとか・・・福岡の風物詩になりつつあります。 ほんなごつ、博多の人間は祭り(イベント)好きやね。 オランダ語の「休日(Zondag)」の一文字だけで、あの巨大な「どんたく祭り」に作り上げるんやけん。 ”のぼせもん”ばっかりやもん。 リスマスマーケットも、ある意味、キリスト教の行事ばってん、 ”のぼせもん”には、そげんことは関係なかっちゃろね。
 
■ ホットワイン オリジナルマグカップ (左:天神) (右:博多駅)
イメージ 21
イメージ 22













 こんな寒い夜は日本酒を熱燗で・・・と、言いたいところですが、ここでは「ホットワイン」です。 天神と博多駅ではオリジナルマグカップのデザインが異なっています。 博多駅のカップは、後日、知らない客のテーブルで撮らせてもらいました。 マグカップのコレクターが増えているようです。
 
■ ぐるぐるソーセージ           
イメージ 23
 食べ物のコーナーも色々と出店していますが・・・一番人気は、1200円の「ぐるぐるソーセージ」。 3人で食べても、それなりの量があります。
 
ホットワインは、最初がオリジナルマグカップ付きで1000円・・・2杯目以降の”おかわり”は700円になります。 ところが、この寒さの中、ワインだけでは酔わないのです。
 
天神クリスマスマーケットは40分の滞在で打ち切り・・・早々に香椎に戻り、焼酎のお湯割りと焼き鳥で飲み直しとなりました。
 
天神と博多駅のクリスマスマーケットも、今夜(25日)で終わりです。 
そして、今年も残り6日間。 1年間の平穏無事に感謝しなければいけません。 
     ソラリアプラザ                福岡銀行本店
イメージ 24
イメージ 25















 
And so happy Xmas( war is over )
I hope you have fun ( if you want it )

 
 
 

この記事に

うきは吉井町の「まぁぼや」と「ぱんのもっか
 
「九州北部豪雨」に見舞われた朝倉市・東峰村・日田市は、まだまだ傷跡を残していますが、一歩づつ復興への道を歩んでいます。 しかしながら、観光客の戻りはまだまだです。  福岡県に住む我々は、このエリアの賑わいが早く戻るよう、応援しなければいけません。 観光客の減はお隣のうきは市にも及んでいるようです。 年が明けて2月に入ると、うきは市吉井町や日田市では「お雛様まつり」が始まります。 「お雛様」を見に行って、応援してあげたいですね。

           うきは市吉井町旧筑後街道(国道210号線)
イメージ 1

筑後街道は久留米市と大分市を結ぶ江戸時代の街道です。 吉井町は、その宿場町に当たります。 江戸中期、この地の5人の庄屋が私財を投じ、筑後川から水路を通す工事を完成させます。村民は豊かな農産物を育てることが可能となりました。 結果、精蝋・酒造・製麺・製油などの農産加工物を扱う地主・商人が店を構え、明治・大正時代まで、物流の拠点として栄えます。 明治2年(1869年)、大火によって町が焼失しますが・・・この時、地主・商人は火災に耐えられる瓦葺・白壁土蔵造りの家に造り変えました。 その町並みが「伝統的建造物群保存地区」に選定されたのです。

        蔵しっく通り=クラシック通り (国道210号線) 
イメージ 2
 
骨董屋や小物屋が並ぶこの通りは「蔵しっく通り=クラシック通り」と呼ばれ、懐かしい旅風景を感じさせてくれます。

             蔵しっく通り= 筑後街道近辺地図  
イメージ 4

                                   蔵しっく通り
イメージ 3
  
この町には大きな旅館・ホテル・レストラン・土産物屋さんはありません。 ただ、ここで暮らす地元の人々が、派手さを求めることもなく・・・この地を愛しながら、ありのままを大切に守って行こうとする・・・そんな気持ちが静かに漂っています。 
 
そんな町の中で、「大満足の味」を提供する店があります。 筑後街道沿いの「まぁぼや」(印)を紹介します。

                  まぁぼや   
イメージ 5

 こんなに小さな店なのに、紹介する必要がないほど麻婆豆腐坦々麺で有名です。 でも、初めて聞いたと言う方は、来年、朝倉市・東峰村・日田市・うきは市を訪れた時にでも寄って下さい。
 
但し、間違いなく店外で待ちますよ・・・でも、「待ってでも食べる価値がある」との評判ですから、本物の美味しさなのです。
 
前もっての予約が出来ませんから、当日、お店に着いて順番待ちリストに名前を書きます。店先の待ち椅子は数席のみです。 吉井町の良いところは、時間潰しに困りません。 待っている間に、白壁の町巡りが出来ることです。 座席の準備が出来る10分前になると、携帯に連絡をいただけます。
 
* 吉井町の白壁巡り・お雛様巡りについては、うっちゃんのブログ「うきは吉井のお雛様めぐり」を覗いて下さい。 町歩きの参考になると思います。
 
携帯に案内が来てから、お店に向かいます。
 
                   まぁぼや店内    
イメージ 6

 座席数の割には、女性接客スタッフが多いように感じましたが・・・それ程、人気が高く、満席状態が続くということです。

              テーブルのセット 
イメージ 7

お店の屋号で分かるように、麻婆豆腐坦々麺に特化してますから、メニューで悩む必要はありません。 二人であれば、麻婆豆腐セットと坦々麺を注文すれば宜しいです。
 
                 麻婆豆腐セット 
イメージ 8

                 坦々麺 
イメージ 9

 画像を見ても、美味しさが伝わって来るでしょう。 取り皿を頼んで、奥さんと半々にしていただきました。 思っていたより辛いです・・・でも、とにかく両方とも美味しいです。 何と表現したらいいのでしょう・・・辛さの中に、ジワ〜ッと旨みが伝わって来るんです。 坦々麺のスープはコクもグーですね。

             テーブルセットのペーパーマット 
イメージ 10

 テーブルセットのペーパーマットに、料理のことや店長の自己紹介が書いてあります。 店長の松尾さんは、吉井町の生まれ育ち。 四川料理の鉄人・陳 健一さんの四川飯店で学んだそうです。 マットには、その他、麻婆豆腐坦々麺のミニ知識が書かれています。

                 松尾店長   
イメージ 11

 厨房の中の松尾店長です。 撮影の許可はいただきました。 この真面目で優しいお顔から、美味しい味が生まれるんだな、と納得できます。 味に自信を持っておられるのが分かります。 麻婆豆腐セット、坦々麺セットの其々が680円と言うのも、びっくりした安さですが・・・逆に言うと、これが自信の表れでしょう。 吉井町と「まぁぼや」の持続的な発展をお祈りします。
 
 
大満足気分のまま、「まぁぼや」を出て、もう1件寄りたい店に向かいます。
まぁぼや」(印)前の本町交差点から旧筑後街道(クラシック通り)の上町交差点まで350メートル。ここを左折した通りが「白壁通り」です。 情緒豊かな町並みが続きます。
上町交差点を左折して100メートルの所に川(印)が流れています。 5人の庄屋が引いた水路の一つで、「災除川」と呼びます。

                   災除川  
イメージ 12

災難を除く川=「災除川」と書いて、「さいのきかわ」と読みます。 川に向かって、手を合わせるだけで幸せになれそう。 

 「災除川」を渡った左側のお店が、菓子処「ひた屋福富」(印)です。 お雛様まつりの期間中は、見事な平成雛豪華七段飾り」が披露されます。

       菓子処 ひた屋福富の平成雛豪華七段飾り2016年2月撮影)
イメージ 13
 
ひた屋福富」を左折すると、左側に「ぱんのもっか」(印)の店が見えます。

               ぱんのもっか  
イメージ 14

今回で2度目の訪問です。 店内は5〜6人のお客様で・・・スムーズにパンが購入できました。 店内は広くはありません・・・前回は観光客と地元のお客様の来店が重なって、大変な混雑でした。 美味しいので人気が高いのです。

イメージ 15
                
 上段は骨パンです。ユニークですね・・・犬も欲しがりそう。 下段右から2番目は林檎のクロワッサン・・・お薦めです。 下段左は女性の美脚をイメージしたスレンダーズソルト・・・店長のお薦めの一つですが・・・男はちょっと食べにくい感じがしません?

イメージ 16
イメージ 17












 
 左写真:上右は全粒粉バゲット、下はクロワッサン・・・どちらも美味しかった。 右写真:下はホットドッグ、上は練乳パン

イメージ 18
                
 上段左はミルクパン。 上段真ん中は、イチヂクとクリームチーズの天然酵母パン・・・お薦めです。 その下は”ぼうしパン”です。 種類が多くて全ては紹介できません。

                   厨房   
イメージ 19

 「ぱんのもっか」を切り盛りするのは、吉岡さんご夫婦。 吉岡さんは高知でパン作りの修行を10年積んで、奥さんの親戚の縁で吉井に移り住みました。 ちなみに、「もっか」とは「花梨(かりん)」のことのようです。 花梨の生薬名を木瓜(もっか)と言います。 お嬢さんの名前が花梨さんのようですから、由来はそこからですね。  

イメージ 20
                             
 奥さんはトレイいっぱいにパンを選びました。 確かに、お店に入ると全部買いたくなってしまうのです。 お会計を済ませる時のことですが・・・今ひとつ、吉岡さんのこだわりを紹介します。 パンを包む袋の使い分け・・・バゲットなどハード系パンはビニール袋に入れると柔らかくなるので、紙袋を使います。 流石です。
 
白壁の町から帰る車中で思い出しました。 うきは市吉井町出身の有名人をご存知ですか? ジャーナリストの鳥越 俊太郎とゴールデンボンバーの樽美酒 研二(ダルビッシュ)が吉井町出身です。 

    鳥越 俊太郎                   樽美酒 研二
イメージ 21イメージ 22
                














JR筑後吉井駅の裏に、鳥越製粉株式会社吉井工場(本店)があります。 鳥越 俊太郎は創業者の曾孫に当たります。  ダルビッシュが顔を白く塗っているのは、故郷(吉井町)の白壁をイメージしている・・・と、聞いたのですが????。

 

 

この記事に

杉乃井ホテル 中館3階 シーダフロア
 
11月29日(水)の別府杉乃井ホテル泊について・・・「イルミネーション」、「バイキングレストラン・シーズ」は先にレポートしました。 今回は宿泊した「中館」のお部屋と朝食を紹介したいと思います。
                  杉乃井ホテル  
イメージ 1

 上の写真はマッピング広場(アクアビート)から下方向を撮っています。 12階建てのHANA館と14階建ての本館に挟まれた小さな宿泊棟(7階建て)が中館(なかかん)です。 「イルミネーション」のブログの中で紹介した「セブン・イレブン」が見えます。 ”コンビニ”の名のとおり、大変便利なお店が出来たものです。 写真でも分かる様に、一番下の本館から上の棚湯シーダパレスまでは距離があります。 各館内を結ぶシャトルバスは、この坂道を走ります。

                  館内案内図
イメージ 2

チェックインの際、この案内図で館内の説明を受けるのですが・・・うっちゃん達夫婦はリピーターとして登録されているのか・・・「館内の説明は必要ですか?」と尋ねられました。 「分かっていますから、大丈夫です」と答えたのですが・・・チェックインは列が出来ますから、全体の時間短縮になります。  二つのバイキングレストラン(シーダパレスとシーズ)と二つの大露天風呂は其々が両端に位置しています。 本館と中館宿泊客のバイキングレストランは、基本的には本館地下1階の「シーズ」になります。 
 
三つの宿泊棟の中で、中館は部屋数は少ないのですが、ワンランク上の雰囲気を狙った造りになっています。 中館の階毎にコンセプトが異なっているのです。 6階の「エルミタージュ フロア」、5階の「グレース フロア」と高級感漂う客室フロアのようです。 4階の「グッドタイム フロア」は3世代が一緒にくつろげるお部屋に設計されているようです。うっちゃん達夫婦は3階の「シーダ フロア」です。 「シーダ フロア」は、女子旅、カップル、夫婦がターゲットとされています。
 
                             中館予約者専用の浴衣  
イメージ 3

 中館1階ロビーのエレベーター近くに置かれている中館予約者専用の浴衣は絵柄が自由に選べます。 
 
3階のシーダ フロア」は、お部屋のデザインによって更にタイプが分かれています。 今回、滞在するお部屋は「オリエンタルモダン」と呼ばれるタイプです。

               オリエンタルモダンタイプ 
イメージ 4

 「」のトーンは窓の格子と障子紙に感じる程度で・・・かと言って、洋室ではないのです。 床はダークブラウンの高質フローリング。
 
                 ベッドスペース   
イメージ 5

 25cm程の高さの小上がりに大き目のお布団が二つ。 間接照明ですから明かりが優しい。 そして、ソファスペース(リビング)との間に仕切りが無いので、空間が広く感じます・・・全体の調和が見事ですね。 これが、オリエンタルモダンか〜。

                 リビングソファ  
イメージ 6

 ソファは身体を楽に寝かせることも出来るタイプで・・・ベージュ色はダークブラウンの床とマッチして・・・くつろげます。 コーナーに置かれたゴムの木・・・オリエンタルモダンの雰囲気を造り出す必要なアイテムのように感じます。

                  別府湾   
イメージ 7

雨上がりの夕刻。 別府湾が望めました。

                  洗面台    
イメージ 8

 高級感、清潔感を感じる洗面台スペースです。 右側がトイレ。 左側が総ガラス張りのシャワールームになっています。 バスタブはその先です・・・。

                  半露天風呂  
イメージ 9

 そのバスタブが”洒落とんしゃあ”と言うのか・・・陶器なんです。 しかも、ウッドテラスの手前に置かれて、半露天風呂となっています。 室内風呂が半露天風呂なのは、中館のみのようです。 但し、温泉ではありません。
 
奥さんは、部屋に入るなり「わあ〜ステキ!」と感激の様子。 確かに素晴らしい部屋ではあります・・・ただ、うっちゃんの場合は、素晴らし過ぎて、逆に落ち着かない感じもあるのです。 間違いなくカップルは喜びますね。 それから、年齢に関係なく女子旅にも良いでしょう。 夫婦旅行だったら、子供が居ない若い夫婦でしょう。 団塊世代夫婦は和室、または和洋室が合うのでしょうか。 でも、うっちゃんは感性を広げて、物事に適応することを得意としてますから、オリエンタルモダンタイプを楽しもうと思います。
 
浴衣に着替えて、”湯”に入り、シーズでバイキングの夕食を食べて・・・もう一度”みどり湯”に入り、ポカポカの身体でイルミネーションを楽しんで・・・最後にワンカップの”酎ハイ”を飲んで就寝・・・。
 
翌朝・・・普通だったら、温泉(大浴場)に入るのですが・・・折角ですから、部屋の半露天風呂で朝風呂を楽しみました。
 
               半露天風呂で朝風呂  
イメージ 10

熱い湯船に気持ち良く浸かっていると、冷たい外気がス〜と顔を撫でます・・・実に、いいもんですね。 温泉でないのが残念ですが、気に入りました。
 
バイキングレストラン”シーズ”は二つの大きな会場があります。朝食は山側(グリーンサイド)の会場です。 入り口はクリスマス装飾でした。

             シーズ(グリーンサイド)入り口 
イメージ 11
                             
 ”シーズ”には、水に浮んでいるかのような会場「シーズテラス」が新設されています。
                 シーズテラス   
イメージ 12

中館予約者優先の会場です。 バリ島にある同じようなレストランを思い出しました。 素敵ですね・・・ただ、オープンエアーなので冬は寒いのです。 数組が利用していました。
               シーズ(グリーンサイド) 
イメージ 13

昨夜の夕食会場が海側のブルーサイドでしたから、交代で山側のグリーンサイドの会場になったのです。 早速、料理コーナーを回ります。 杉乃井ホテルのバイキングレストランは、お客様のオーダーを受けて料理を提供するするスタイルを大切にしています。 ライブキッチン形式」と言います。

              オムレツのライブキッチン  
イメージ 14

オムレツに入れる具が選べます。

            ”つきたておもち”の ライブキッチン 
イメージ 15

あんこ、きな粉、大根おろし から選択できます。
 
サンマを焼いているライブキッチンもありました。 朝食の料理コーナーも種類が多くて全ては紹介できません。

              会場入り口の張り紙   
イメージ 16
  
 杉乃井ホテル 朝食バイキング ベスト3 は1位が「つきたておもち」、2位が「すきやき」、そして3位が「フレンチトースト」と書かれています。 
 
 そう言われると、誰でも食べたくなるじゃないですか・・・。
 
              うっちゃんの最初のトレイ  
イメージ 17

”おもち”は大根おろしで・・・、朝から”すきやき”?、とは思いましたが・・・どれも、美味しかったです。
                          
               奥さんの最初のトレイ  
イメージ 18

おにぎり”のコーナーが大人気だったそうです。

               うっちゃん2度目のトレイ 
イメージ 19

日頃、家ではグラノーラです。 水餃子とオムレツをいただきました。オムレツはグー。

               おにぎりコーナー   
イメージ 20

3度目のトレーを持って料理コーナーを回りました。 奥さんが言っていたように、”おにぎり”は追加リクエスト状態でした。 杉乃井はいいお米を使ってますね。
 
                とろろ汁のコーナー 
イメージ 21

奥さんが先に食べて「美味しい」と言っていたので、寄ってみました。 ”とろろ汁”だけでも良いのですが・・・右側に”ネギ”と”そば”が置いてあります。

               うっちゃん3度目のトレイ 
イメージ 22

フルーツの他に・・・”とろろ蕎麦”をいただきました。 美味し〜い!!!

■ うっちゃんのベスト3  とろろ蕎麦  つきたておもち ③ オムレツ 
■ 奥さんのベスト3   ① おにぎり  つきたておもち  とろろ蕎麦   でした。

ご馳走様でした。 そして、オリエンタルモダンのお部屋を満喫しました。

 「シーダパレス」、「HANA館
 
         うっちゃんのこころ旅     香椎浪漫
 

この記事に

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事