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香椎うっちゃんのブログ
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糸島の”食taku市 ”とグルメ
 
JR九州ウォーキング平成29年4月22日(土)、糸島の波多江駅です。 今回は神社仏閣巡りがありません。糸島の食材・グルメを満喫するウォーキングです。 博多駅から筑肥線(市営地下鉄)に乗って、10時42分着。 意図(伊都)して遅い着にしました。 グルメ巡りをランチタイムに合わせたのです。 コースマップを確認してスタートです。
                 コースマップ
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駅から東南方向の福岡前原道路(202号線)へ向かいます。 途中の道路標識に「伊都国歴史博物館」と「平原遺跡」の名前が見えます。
       都国の道路標識              鯉のぼり
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「魏志倭人伝」に出て来る伊都国の博物館王墓の遺跡ですから・・・寄りたいのですが、今日は目的地が違います。 
大きな民家の庭で”鯉のぼり”が風の中を泳いでいます。 街の中では見る事が出来なくなりました。
 
駅から十数分で人気のJA直売所「伊都菜彩(いとさいさい)」に着きました。 平成19年にオープン以降、人気の「道の駅」となり、日本一の売り上げを誇るまでになりました。生産者がこだわりを持って育てた、高品質で新鮮な野菜・果物が並べられているのです。
        伊都菜彩の看板         福岡前原道路下(202号線)
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話題になった生産者の手作りPOPや、噂のいちご”あまおう”などを紹介するべく、デジカメを取り出したんです。その途端、店内のおばちゃん従業員が飛んできて、写真撮影は禁止になっている、と注意を受けました。 「すみません、知らなかったものですから」とお詫びを言ったのですが・・・でも、何故?・・・ウ〜ん・・・まっ、いいか・・・。 そんな訳で「伊都菜彩」を紹介する写真は1枚もありません。 新鮮な”あまおう”の写真を撮りたかった・・・。 店内を見て廻ることもなく、福岡前原道路の下(202号線)を次の目的地に向かいました。 
 
糸島平野の真ん中を走る202号線を南下しながら、左手を望むと背振山系の山々が見えます。 金山、井原山、雷山辺りでしょうか?

                  糸島平野
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弥生時代、ここに伊都国があったとされています。魏志倭人伝による伊都国の説明は「末盧(まつろ)国から陸路500里行くと伊都国に至る。1000余戸の家があって、王が居る」となっています。 先ほどの道路標識に出ていた「平塚遺跡」はその王墓群です。特に1号墓からは、日本最大の直径46.5cmの内行花文鏡を含む青銅鏡40面、大量の丸玉、ガラス勾玉などの副葬品が出土し、一括して国宝に指定されました。副葬品の内容からして「女王墓」ではないかと言われています。 ここから約2kmの場所です。 遠く弥生時代の伊都国に思いを馳せながら歩いています。

        レンゲ畑             可也山(糸島富士)
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途中のレンゲの花がきれいでした。 前原インターチェンジ前の交差点を右折して12号線に入ります。 右折すると糸島富士可也山)が目の前に大きく現れます。 ここからだと形がちょっと・・・福岡市や今宿辺りから見た方が、きれいな富士山に見えます。
 
直ぐに「やますえ 食taku市」の会場に到着です。
                やますえ 食taku市
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「やますえ」は糸島にこだわった「辛子明太子」を主力とする食品会社です。「やますえ」の会社敷地内に地元の食品商店・企業が出展する形で「食taku市」を運営しているようです。 元気で活気があって、いいですね〜。  
      五洋食品               糸島カキフライ
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五洋食品のテントでは”モンブランタルト”や”チーズケーキ”などがお手頃価格で販売されていました。 奥さんへのお土産に”モンブランタルト”を購入。 
揚げたてのアツアツ牡蠣フライをタルタルソースでいただきました。 旨〜い! 
 
     やますえ店外テント             Frozen あまおう
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やますえ”のテントでは、辛子明太子の他に、いわし明太子、手羽先明太、数の子松前漬けなどの加工食品が販売されていました。
  
凍った”あまおう”を紙コップに入れ、練乳をかけて食べます。 口の中でシャキシャキ! 美味し〜いッ! ”あまおう”は福岡県が開発した高級ブランドいちご。香港やシンガポールでも人気ですから、世界ブランドになってきました。 ”あまおう”とは、「かい」、「るい」、「おきい」、「まい」です。 福岡の”あまおう”最高!   
 
    出展者のテントブース              糸島チップス  
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出展品の全部は食べれませんが、ブースは覗きました。 糸島の「食」について、日々商品開発を続ける皆さんの熱い想いが伝わってきました。 安納芋、紅あずまで作った「糸島チップス」です。 現在、スーパーの棚から”ポテトチップス”が消えているようですから、販路が増えないですかね?  
                 やますえ 店内
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とても清潔で明るいお店です。 商品の種類も豊富でした。 女性店員の声で「明太フランスが焼きあがりました」の案内。  
           明太フランス             ランチ休憩
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明太フランスは「食taku市」の時だけ”NOAN ”(パン屋さん?)との合作で焼くそうです。色々と食べたので、明太フランスでランチ休憩することにしました。 お店の前のベンチに座って、ウォークマンでオールデイズを聴きながら、明太フランスを丸かじりです。ワイルドだろ〜。 お茶は奥さんがつくった”ゴボウ茶”です。 ウォーキングや山ハイクの時は、いつも”ゴボウ茶”を持って出ます。 
 
10分ほどランチ休憩して出発です。 メロンパンの専門店には直ぐに着きました。
             メロンパン専門店 cachette カシェット
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ヨーロッパの町にあるような、オシャレな感じのお店です。最近、人気が出て来て、行列ができることが多くなったようです。 主力は生クリームメロンパン、チョコクリームメロンパン、フレッシュフルーツメロンパンなど5種類のメロンパン。 先に注文して会計を済ませ、整理券をもらって焼き上がりを待つシステムのようです。 ウォーキング参加者で列が出来ていましたので、先に進みました。
 
              旬菓 筑前苑田SONODA
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洋菓子も和菓子も扱うお菓子屋さん。オーナーは工芸菓子の達人・苑田哲雄氏です。特にショートケーキが人気の店のようです。 この日は特別に店先にテーブルが出ていて、大福餅が売られていました。 奥さんの好物ですから、お土産に買って帰ります。
 
別の看板には、「南風の丘 ケーキ屋 SONODA」書かれています。 町の名前が「南風台」となっています。とても素敵な町です。

                 南風台町
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12号線の右側に美しい住宅が続きます。 左側には素敵なカフェ、ケーキ屋、レストランが続いています。 左手のお店の後ろを覗いて分かりました。 そこは、なだらかなスロープになって、南向きの丘の上に洒落たお店が建っているのです。南風の丘・・・いい響きです。
 
             ステーキガーデン風の邱
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福岡の銘柄牛「博多和牛」を一頭買いして上質のステーキを提供しているようです。外に貼ってあったポスター(メニュー)を見たら、ゴクッと咽喉が鳴りました。 美味しそ〜。
ガラス越しに中を覗くと・・・テーブルからの景色が素晴らしいこと! 加布里湾や糸島富士を遮るものがありません。
 
      町家かふぇ南風茶屋             糸島富士
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カフェスタイルのお食事処です。 ハンバーグ・とんかつのランチメニューが出ていました。 「町家かふぇ南風茶屋」を過ぎると、糸島富士が目の前に広がります。 

午後1時丁度に筑前前原駅に着きました。 万歩計を忘れてしまいましたが・・・12,000歩ぐらいでしょう。
南風の丘には、もう一度訪れたいですね。
食taku市」運営スタッフの皆さん、JR九州ウォーキングスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
 
 

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牛頸山(うしくびやま)ハイクと牛頸の由来 
 
415日(土)の天気は晴れ、気温24度。 西鉄電車大牟田線に乗って、下大利駅に向かっています。今日は西鉄レッツハイクに参加して、黒金山・牛頸山に登ろうと思います。
前夜から、チョッピリ気になっていることがあるんです。415日は北朝鮮の初代 金日成(イルソン)将軍様の誕生日。 そして米国海軍の空母カールビンソンが朝鮮半島に向かっている。 心配だな〜・・・それでも、出かけました。
下大利駅から西鉄バス(23番)で約20分、南山手団地バス停終点から徒歩15分で、牛頸ダムの”水辺公園”に到着。

              牛頸ダム”水辺公園”
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既に受付を終了した数十人毎に説明を受けて順次出発しているようです。
              
              ワッペンをリュックに貼り
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うっちゃんの受付番号は190番でした。 いつものように”森永ミルクキャラメル”をいただいて・・・今日は”塩分タブレット”も配られました。 この天気でかなりの汗をかくでしょうから、塩分は助かります。
 
                 コースマップ
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コースマップを見て、少し心配! この数年の間で、高さが400m以上の山には登っていません。 しかも二つの山を縦走するなんて・・・。総距離11kmはウォーキングでは大した事ないが、アップダウンがありますからね。 説明を聴くと、登りやすい山のようですから、自分のペースを保って行けば大丈夫でしょう。 それに、途中の要所でスタッフが待機しておられるので、大変安心しています。
 
       牛頸山・黒金山登山口            登山道
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ここから登山道です。 後ろを歩いている、おばちゃん三人組の会話が聞こえてきました。「ネエ!ネエ!この辺はね、むかし屠殺場があったんだって。だから牛頸って言うらしいヨ」。あ〜、屠殺場の説も広まってるんだ! うっちゃんも2年前に「牛頸」の地名に関心を持ったので、色々と自分なりに調べていたのです。 それは最後にお話ししましょう。今は二つの山を登ってゴールすることが先です。

                杉林の登山道
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杉林の中を、歩きやすい登山道が続きます。

       黒金山山頂            稜線を牛頸山へ向う
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水辺公園のスタートから1時間で、標高411mの黒金山山頂に到着。標識が無ければ山頂とは分からない狭いところです。 しかも、杉林で眺望がありません。 ここから幾つかの峰を縦走して牛頸山へ向かいます。 上ったり下ったりで少し辛かった。

      三市町境界山                 急な上り坂
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途中、三市町境界の標識が・・・大野城市とあとは何処だろう? 帰宅後に調べました。筑紫野市と那珂川町でした。 牛頸山山頂近くでは、右上写真のような、急な上りもありました。   牛頸山山頂に到着です。
 
               標高448mの牛頸山山頂   
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この牛頸山山頂も狭いです。 先着の20名程で混雑していました。
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但し、黒金山山頂とは違って眺望は最高です。
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この景色を見るために登ってきたようなものです。 しかし、次から次と山頂に到着する人々で大混雑です。 お昼どきですが、昼食の”おにぎり”は下山して、水辺公園までガマンします。素敵な景色をカメラに収めて山頂を下ります。

水辺公園までは、殆どが下りです。 いきなり急な下り階段がありました。

               急な下り階段
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下り終えて、下から撮った写真です。 ここから、もう一度登れ、と言われたら絶対に「NO」です。

途中から車も通れる広い林道を歩きます。 沢に下りて、冷たい水にタオルを浸し、汗を拭きます。気持ちイーッ!

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12時55分、水辺公園に到着。ゴールの受付を終わって、公園の草の上に座り込みます。いつも思うのですが、自然の中で食べる”オニギリ”は本当に美味しい! しかも、ソニーのウォークマンでオールデイズを楽しみながら・・・。 いま、デル・シャノンの「太陽を探せ」が流れています。 青春の思い出を「キープ・サーチン Keep Searchin’」です。 

フッと、登り初めのおばちゃん3人組の「屠殺場」の話を思い出しました。
牛頸の地名の由来は「屠殺場」なのか?

2015117日(土)の「JRウォーキング大野城駅」に参加した時に「牛頸須恵器窯跡」を見学しました。 上大利から牛頸にかけて500基以上の窯跡が確認され、西日本最大の須恵器製造地帯として国指定遺跡になっています。 この時から、「牛頸」という地名に興味をもって時々調べていたのです。
 
牛頸山の「牛頸」には色々と説があって面白いのです。 その説を挙げてみると・・・、
 菅原道真公が京から大宰府に赴任する際、この辺りで牛車の牛が疲れてしまい、首を垂れて動かなくなった。
 村の平野神社の西にある山(古野山)が、牛の頭が伸びた形に似ていた。
 縄文時代は海岸線がこの辺りまで入り込み、「入り江」を意味するアイヌ語の「ウシ」が地名に残った。
 68世紀にこの地に移って来た渡来人の故郷の名称「牛頭」を村の名につけた。牛頭が牛頸に転訛した。
 この地に牛の屠殺場があった。
 
は近年のガサネタですね。 は天満宮の神使が「牛」であることから、後から地名に絡めたのではないでしょうか。 は、縄文時代にアイヌ語が入って来た?こと自体に納得できません。
の説は、黒田藩の儒学者・貝原益軒が書した「筑前国続風土記」の中に書かれているので無視はできません。 但し、うっちゃんはが正しい説だと思い込んでいるので、については次のような仮説を考えました。

貝原益軒の一番弟子に竹田定直(春庵)と言う藩の学者がいます。竹田定直の孫が竹田定良で藩校・修猷館(しゅうゆうかん)の初代館長です。 で、こともあろうに竹田定直(春庵)はここ牛頸に居を構えていたのです。貝原益軒は「筑前国続風土記」を記すに当たり、藩内を自分の足でくまなく歩き、目で見て、耳で聞いて、手で触って内容を確認しました。ところが、「牛頸」についてだけは、友人でもある竹田定直(春庵)に「村人に聞いておいてくれ」と安易に頼んだのではないかな?。 そんで、竹田定直は近くに住むお百姓さんに聞いて、昔から伝わる話を貝原益軒に伝えた。 でも、もしかしたら、この説が当たっているのかもしれません。
 
さて、うっちゃんが調べたの説ですが、牛頸が須恵器の一大生産拠点だったことが重要です。 500基以上の窯跡が確認されているのですから。 縄文式土器や弥生式土器が平地窯で焼かれていたのに対し、須恵器は山の傾斜を利用した登り窯によって焼かれます。高温で焼かれるので硬くて丈夫です。これらの技術は古墳時代に朝鮮半島から伝えられました。 日本書紀によると「須恵器の技術は新羅の渡来人が伝えた」とあります。ただ、焼き方の技術を地域別にみると、朝鮮半島南部の伽耶(かや)だと言われています。新羅は慶尚北道、伽耶は慶尚南道で隣同士ですから、境の地域辺りから伝わった焼き物と考えて間違いないのでしょう。 そして、この境の地に1430mの伽耶山が座しているのです。
この伽耶山牛頸の地名に関連してきます。

私たちが知っているスサノオノミコトの話(神話)は・・・スサノオが高天原で粗暴を行ったので、神々から追放され、出雲に降った。そこで、その地を荒らしていた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した・・・こうですよね。 ところが、日本書紀には異説というのがあって「一書に曰く・・・」があるのです。 追放されたスサノオは新羅曾巳茂梨(ソシモリ)という所に降りたのですが、そこは荒れた土地だったのです。シサノオは「ここはイヤだ!居たくない!」と言って、土の船を造って東の出雲に渡ったそうです。

この曾巳茂梨(ソシモリ)が何処であるのか、数々の説があるのですが、慶州(古代新羅)に住む郷土歴史研究家の説を紹介します。

昔はこの地に、「ソシモリ山」と呼ばれていた山が実在していました。 その山は現在の伽耶山です。 伽耶とは仏教が伝わってきた以降の名で、古代には「牛の頭=ソシモリ」と言われていました。

ソシモリ山牛頭山=伽耶山の麓に住んでいた人々が玄界灘を渡って、須恵器を焼き始めた土地に懐かしい故郷の名前(牛頭)を付けたのです。 では、何時「牛頸」になったのか? 近年ですね。 明治17年までは、御笠郡牛頭村と書かれていましたから。 「頸(首)」と「頭」は意味としては同じに扱われます。 首都、首長、首相など・・・首は中心・トップの意味を持ち・・・「頸」は強いと言う意味もあります。 と言うことで、うっちゃんはを支持します。

78世紀の新羅からの渡来人は、壱岐から直接、糸島(今宿)に上陸しました。 そして、美しくて懐かしい山を見つけて「伽耶山可也山(糸島富士)」と名付けたのでしょう。 牛頭(頸)で須恵器を焼く人口が増え、平地には大きな村が出来ました。 故郷の国の名前から、新羅原=白木原と付けたのかもしれません。 うっちゃんは30代の頃に読んだ金 達寿”氏の本(日本の中の朝鮮文化)の影響が強すぎますネ。

 
参考:大野城市(歴史と文化財)ホームページ
   九州国立博物館 展示 ホームページ
 
 

 

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西公園”荒津山” (福博プチ散歩)
 
西公園は、古くは荒津山(又は荒戸山)と呼ばれていた丘陵地です。 明治14年から「荒津山公園」としてサクラやカエデなどが植栽され、明治33年(1900年)、福岡県管理による「西公園」として開園しました。 大手門から荒戸・西公園にかけて、黒田藩士に関連する名所も多いのですが、まずは黒田如水公、黒田長政公が祀られている光雲神社(てるもじんじゃ)」にお参りしてスタートすることにします。

                 西公園散策マップ
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参道を進み、本殿前の石段を上ります。

              光雲神社石段
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黒田五十二萬石にちなみ、石段は52段です。
 
 光雲神社(てるもじんじゃ)
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黒田如水公と初代藩主長政公の親子が祀られています。神社名は如水公の法名「院殿」と長政公の法名「院殿」の一字ずつに由来します。 江戸時代、ここには荒戸山東照宮が建っていました。 明治維新後は参拝者も少なくなり、廃宮となった跡地に城内から光雲神社が遷座したのです。 

徳川家康を祀った東照宮が何故この地に? 荒戸山東照宮を建立したのは2代藩主忠之公です。忠之公にとって、徳川家康はおじいちゃん(祖父)になります。 初代藩主長政公は家康の養女・栄姫を正室として迎えています。 関ヶ原の戦いを前にした政略結婚でしょうが・・・。 孫がおじいちゃんを祀ったのです。或いは黒田騒動(お家騒動)を無難に乗り切るためか・・・。

      光雲神社拝殿                 拝殿天井
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拝殿で上を見上げると、黒田家の藤巴(ふじともえ)家紋を真ん中に、舞鶴城にちなんだ二羽の丹頂鶴が描かれています。 参拝の際に、賽銭を投げ入れると天井の鶴が鳴きます。
 
境内入り口の右側に槍を持った武士が立っています。 母里太兵衛です。

                 母里太兵衛像
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福島正則から呑み獲った名槍「日本号」の逸話は「黒田節」で謡われています。 黒田二十四騎の中でも、特に選ばれた重臣・黒田八虎の一人。 でも、如水・長政親子に言わせると、八虎の中でも序列1位なのでしょう。 だからこそ境内入り口に立って、お二人をお守りしているのだと思います。

          黒田長政の兜(黒漆塗桃形大水牛脇立兜)
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長政公が若かりしころ愛用していた、大変貴重で価値ある兜です。 母里太兵衛が名槍「日本号」を持ち帰ったことで、福島正則は機嫌が悪くなります。そこで、黒田長政は仲直りのために、大切にしていた「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」を福島正則の「一の谷形兜」と交換したのです。
 
② 皇太子嘉仁親王 御手裁 松桜
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光雲神社本殿の後ろを上った所が、標高48mの荒津山頂上です。縦に細長い石碑には「皇太子嘉仁親王 御手裁 松桜」と彫られています。皇太子嘉仁(よしひと)親王とは後の大正天皇です。 明治33年(1900年)10月28日、皇太子嘉仁親王(大正天皇)が北部九州を巡幸された折、ここに松と桜を植樹された記念石碑です。嘉仁親王は次の日の10月29日、東区の香椎宮にて杉の木を植樹され、裏山で松茸狩りを楽しまれました。 
 
③ 加藤司書 記念碑
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手前の石碑は「加藤司書公」となっていて、「銅像」の文字が削り取られています。銅像は奥の台座に立っていましたが、戦時中の金属不足の際、供出させられ、現在はありません。 黒田藩における加藤家は、代々中老職に列せられる名門で、先祖の加藤重徳(しげのり)を語るには、織田信長の時代まで遡ります。信長に反旗を翻した荒木村重を説得に行った黒田官兵衛は、逆に捕らえられ石牢に1年間監禁させられます。その時の牢番で、官兵衛を励まし続けたのが加藤重徳でした。 この後の話は長くなりますので簡単に・・・加藤重徳の次男・一成(かずなり)は黒田の姓を与えられ、朝倉甘木の三奈木・黒田家の初代当主となります。長政公を助けた黒田二十四騎の一人です。 加藤重徳の長男・加藤吉成(よししげ)が黒田藩中老職としての「加藤司書公」の始祖となります。
 
江戸末期、加藤司書は勤皇派の中心人物として活躍していました。幕府の長州征伐の際は、薩摩の西郷隆盛と共に幕府軍の解兵に尽力し、戦いを中止させます。 長州にいた三条実美ら五卿を大宰府に移し匿います。それから、大宰府には坂本竜馬らが訪れ、勤皇志士らのメッカとなったのです。 ところが藩主・長溥(ながひろ)公は藩論を勤皇から佐幕へ反転させます。慶応元年(1865年)、一丑(いっちゅう)の獄の大弾圧によって、140名の福岡藩勤皇派が処罰されました。加藤司書は切腹、享年36歳。

           供出前の加藤司書銅像             加藤司書肖像画
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明治維新まで、あと3年でした。 明治新政府に加藤司書が加わっていたならば・・・。黒田長溥公を責めることは出来ません。 立派なお殿様でしたから・・・英明で立派過ぎたのですよね。 島津藩のように西郷や大久保に任せておけば良かったのに・・・。 加藤司書を語るにはページ数が足りませんので改めて。
 
④ 平野 國臣像
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福岡藩勤皇の志士で、忘れてはならない、もう一人の人物が平野國臣です。最初に建てられた銅像は、加藤司書像と同じく戦時中に供出させられましたが、昭和39年の平野國臣100年祭の時に再建されました。平野二郎(國臣)は藩士時代、江戸や長崎での勤務の際、欧米列強の先進文化を目の当たりにし、新しい国造りを夢みます。 京都で西郷隆盛らと知り合い、勤皇の志士として幕末の舞台に登場したのです。

藩の臣でもなく、幕府の臣でもなく、自分はであるとして、名前を國臣に改名して脱藩します。 西郷隆盛からの信頼は厚かったようです。西郷隆盛が島津のお殿様から裏切られ、入水自殺しようとした時、平野國臣が助け上げました。もしこの時、西郷が死んでいたら・・・。 その後、京都での活動中に幕府側に捕らえられ、元治元年(1864年)、新撰組によって処刑されました。明治維新の4年前でした。 平野國臣は最初から尊皇攘夷では無くて、根本的なところでは、黒田長溥公と考え方が合っていた部分もある、と思うのですけどね・・・。 福岡藩には薩長土肥に負けないくらい、優秀な人材が多く居たのです。

 
西公園の麓まで下り、北側の「かもめ広場」に向かいます。 広場前の港(入り江)は、鴻臚館時代に遣唐使・遣新羅使の船団が出入りする場所でした。 江戸時代には「波奈港」と呼ばれ、福岡藩の重要な要港だったのです。 次の写真は西公園東側展望広場から撮ったものです。

⑤ 波奈港 
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正保4年(1647年)、ポルトガル船が禁止令を破って長崎に入港した際、「長崎御番(長崎港の警備)」を命じられていた福岡藩は軍を率いて長崎に向かいます。 この時、御用商人だった大賀宗伯は他の博多商人と共に藩主・忠之公を助け、この波奈港に兵士や食料などを運ぶ船団を準備し、出航させたのでした。
 
幕末の頃、藩の軍艦・日華丸大鵬丸蒼隼丸もこの波奈港に停泊していました。
 
⑥ 日本遠洋底曳網漁業協会寄贈モニュメント
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かもめ広場」の一角に置かれています。 横の説明版を要約すると、次のように書かれています。
大正2年、2艘の船での底曳網を試したところ大漁の成績を収め、昭和9年に博多港に新基地を設け拡大していった。 最盛期には操業船226隻、従業員数2,972名、年間漁獲高12万8千トンとなり、福岡市経済の原動力となって支えて来た。漁業基地開設65周年を記念して、漁船の象徴であるスクリューのモニュメントをここに寄贈する。
 
⑦ 午砲場跡(住吉神社)
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福岡造船所近くに鎮座する住吉神社の片隅に石碑が建てられています。
東経135度に位置する「明石」が日本の標準時と定められたのが明治21年7月。 世界基準での日本の正しい時刻が決まったのです。 福岡に於いては、須崎にあった福岡藩の台場(砲台)跡で、12時に大砲(空砲)を鳴らして、正午の時刻を住民に知らしめる民間会社が現れました。 

午砲」と名付けられ、その音から「ドン」と呼ばれていました。 ところが住民から「音がうるさい」との苦情が出たので、荒津山(西公園)の中腹(参道から東側展望広場へ向かう途中のトイレ横)に移動させます。 しかし、そこでも近くの住人から、音の衝撃で「障子が破れた」、「棚から物が落ちた」などの苦情が出て来ました。 已む無く、西公園下の石碑が建てられているこの場所に落ち着いたのです。 しかし、今度は市内中心部の住民からは「聞こえない」との苦情。 この「午砲」は運営する民間会社が経営困難から中止になるのですが、こんどは「寂しい」との声。
 
                午砲(ドン)
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午砲」は福岡市が運営を引き継ぎ、昭和6年、市庁舎屋上のサイレンに交代するまで続きました。 
明治36年から昭和6年まで使用された三代目の「ドン」は、現在、福岡市博物館に保存されています。
 
 
*加藤司書肖像及び銅像写真の出展は「節信院:加藤司書傳」より フリーメディア確認
*写真は平成29年2月22日及び4月5日撮影分を混合使用
*散策マップ:マピオン使用
 
 
 
 

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直方チューリップフェア 2017
 
平成29年4月9日(日)、JR九州ウォーキング直方駅です。 今回はJR九州バスを利用しました。昨年の9月24日(土)の脇田温泉ウォーキングに参加の際、直方行きのバスに乗ったことを思い出したのです。 自宅に一番近いバス停は「筑前土井」です。 1時間10分の所要で9時46分着。駅2階の改札前でスタート受付です。

               直方の英雄・魁皇関 
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魁皇関に「頑張れ!」と、声をかけられてスタートです。
本日のコース距離は約7km、所要予定時間は約2時間です。

                 コースマップ
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直方駅を出て、まずは遠賀川に向かいます。
数分で日ノ出大橋の西側に着きます。 日ノ出大橋は遠賀川本流と彦山川が合流する場所に架かる橋です。
             日ノ出大橋(西)のフクロウ?のオブジェ
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遠賀川と彦山川の合流地点の河川敷で「直方チューリップフェア」が開催されています。橋の上から会場が見えます。 その向こうに薄いピンク色の木立が・・・今年は桜の開花が遅かったので、水辺館近くの桜も楽しめるかもしれない。 
 
頓野交差点を右折して、田川直方バイパス(22号線)を東に歩きます。 道路両側には「ヤマダ電機」、「グッデイ」、「洋服の青山」、「マクドナルド」、「ベスト電器」などが店を構えています。 「もち吉」のお店に着きます。 ウォーキング参加者のほとんどが立ち寄っています。 トイレ休憩を兼ねてお店の中へ・・・安い!・・・チューリップフェアの特別価格なのかな?。

              「もち吉」本店
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もち吉」の本拠地(本店)は直方で、各地のお店は全てが直営店です。 辛子明太子の「ふくや」も直営店展開ですが、直営店で思うことは、スタッフの指導が行き届いていること。 パートさんが多いのでしょうが、丁寧で明るくて親しみやすいです。 「米よし、水よし、蒸気よし、技もよし、まちがいなく美味しい」と、コマーシャルに出てくる森田社長の笑顔も最高ですもんね!。

            ”もち吉”本社敷地内の三連水車
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本社敷地内では、「直方チューリップフェア 」と同時開催でもち吉フラワーパーク」がオープンしています。 チューリップの他にムスカリ芝サクラが見頃を迎えていました。
      芝サクラ             チューリップとムスカリ
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もち吉」を後に、遠賀川の「チュリップフェア」会場に向かいます。
彦山川に架かる勘六橋を渡り、遠賀川側の河川敷に下ります。 河川敷の土手に築かれた「遠賀川水辺館」に寄ります。

                 遠賀川水辺館
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コースマップには「水辺館」で”コーヒーの割引あり”と書かれてありました。 なんと一杯50円でしたよ。 椅子に腰掛けて、美味しくいただきました。
土手の上のサクラ並木をチュリップ会場の方向に歩きます。

       坑夫像               会場へ向かうサクラ並木
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”照明つきヘルメット”をかぶり、ドリルで石炭を掘る坑夫像のタイトルは、「炭(すみ)を彫る戦士」です。 直方出身の彫刻家・花田一男によるセメント製の像で、昭和29年(1954年)、当時の国鉄直方駅前に設置されました。 以来、市域のシンボルとして親しまれてきたのですが、平成8年、駅前ロータリーの改修に伴い、この地に移されました。
 
直方チューリップフェア会場に到着です。

              直方チューリップフェア会場
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天気予報も雨の心配は無いとのことでしたので、会場には大勢の人が訪れています。お昼時になりましたので、焼きソバ、唐揚げ、たこ焼きのテントには列が出来ています。その中の「もち吉」のテントでは、一杯100円の”ぜんざい”が売り出され、ここでも”もち吉”のお菓子が特売されてましたよ。

     会場の飲食テント           もち吉の”ぜんざい”
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飲食テントの先がメインのチューリップ会場です。 カメラを持って、ゆっくり観賞しながら廻りました。 鮮やかなチューリップの花々に圧倒されっぱなしです。

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ウォーキングコース残り2kmを歩くために、チューリップ会場を後にします。 遠賀川に架かる歩道橋を渡り、土手を越えて市内に入ります。
 
                遠賀川 会場をつなぐ歩道橋
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美術館やギャラリーの店が並ぶレトロな町並みを過ぎて「直方歳時館」に着きます。

                 直方歳時館
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直方歳時館」とは直方市の生涯学習施設の名称ですが、建物は直方の炭鉱開発に尽力した堀 三太郎氏の屋敷でした。 純和風で明治31年の建築です。
日本伝統文化を子供達に教えているようで、「お琴教室」は人気があるそうです。今日は抹茶(有料)のおもてなしもありました。 琴の音は心が落ちつきます。
 
筑豊本線の線路を西に越えて、「石炭記念館」に着きます。
「石炭記念館」の前に、坑夫像が立っていて、その後ろに石炭車(セム1号車)、その石炭車を引っ張った蒸気機関車(C11-131号)が屋外展示されています。

             蒸気機関車・石炭車と坑夫像
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蒸気機関車(C11-131号)は昭和13年に製造され16年までの3年間は旅客車を牽引していました。その後、昭和45年までの30年間、ここ筑豊地区で石炭車を引っ張って活躍しました。この機関車が走り続けた距離は約170万キロ、地球を32周した計算になります。日本の高度成長を支えてくれたんですね。「ほんとうにお疲れ様、ありがとう!」、と声をかけてあげました。
 
石炭記念館から7〜8分で直方駅ゴールです。 歩行数は14,835歩です。
博多駅行きのバスの出発まで時間がありましたから、駅前の「ふるまち通り」商店街をブラ散歩してみました。 あるお店の前に懐かしい昭和の写真が飾られていて、許可をいただいて2枚撮ってきました。

    天皇陛下 直方行幸            大鵬・柏戸 直方巡業
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終戦から4年後に天皇陛下が直方に行幸されたのですね。 大相撲の昭和30年代前半は栃若時代(栃錦・若乃花)、30年代後半〜40年代前半は柏鵬時代(柏戸・大鵬)でした。「巨人・大鵬・卵焼き」、大鵬は強かった〜。 戦後の昭和も遠くになってしまいました。
 
JR九州ウォーキングスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
 
4月の前半は花三昧でした。
 
 

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誤嚥(ごえん)性肺炎

誤嚥(ごえん)性肺炎
 
福岡県医師会「県民健康づくりセミナー」の案内ハガキが3月上旬に届きました。 セミナーのテーマが「肺炎予防 〜あなたの”食べる”は大丈夫ですか?〜」となっています。、「肺炎と”食べる”は関係あるんだろうか?」と、興味を持ったのでした。
 
福岡県医師会館での3月のセミナーには、いつもよりは多い80名ほどの受講者が参加していました。この日の講師は福岡大学病院の緒方 静子先生です。
           
             福岡大学病院 緒方 静子先
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緒方先生は自己紹介の後、講義に入る前に受講者に質問されました。「”えんげ と言う言葉をご存知ですか?」 半数以上の人が挙手されました。 うっちゃんは正直言って、初めて聞く?言葉でした。 これまでの人生に於いて、病気・健康に対する勉強不足・意識の低さを痛感した次第です。 まあ、いいや! だからこそ、こうしてセミナーに参加してるんだから!
 
■ えんげ(嚥下)
                            
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「えんげ」の漢字「嚥下」も知りませんでした。
「えんげ(嚥下)」とは、「飲食物をごっくんと飲み込む」ことだと、緒方先生のお話しで分かりました・・・が、それが肺炎とどんな関わりが・・・???。
 
次に咽(のど)は「空気」と「飲食物」の通り道であることを確認しました。 気道(気管)と食道の通路が喉頭で交差していること、つまり、つながっていることは知っています。
 
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口の中で食べ物を噛んで、”ごっくん”する動きによって、筋肉が気道を閉めるので、食べ物が食道へ流されるんです。当たり前のように思っていたのですが、再確認ですね。
 
次に「ごえん」と言う言葉です。
 
■ ごえん (誤嚥)

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漢字では「誤嚥」と書きます。 ナルほど! 機能の低下なのかどうかは分からないが、以前に、水が気管に入って「むせる」ことはありましたね。 これが機能の低下によって、度々起こるとヤバイのだそうです。
 
嚥下えんげ)」と「誤嚥ごえん)」について学んだことを、一度横に置いといて、「肺炎」について確認します。
 
■ 肺炎は、日本人の死因の第3位です!

第1位:悪性新生物(がん)
第2位:心疾患
第3位:肺炎
第4位:脳血管障害

つい近年まで「脳血管障害」が第3位でしたが、肺炎が抜いてしまいました。
 
我々にとって問題なのは、肺炎死亡者の95%が65歳以上と言う事実。
 
肺炎は肺の炎症性疾患のことで、一般的には急性感染症として引き起こされます。
感染症の病原菌としては、肺炎球菌インフルエンザ菌など多数の細菌・ウィルスが確認されています。

肺炎の分類

① 市中肺炎・・・通常の社会生活の中で罹患する
② 院内肺炎・・・入院患者が基礎疾患や治療により感染しやすくなる
③ 誤嚥(ごえん)性肺炎・・・誤嚥(ごえん)により続発
 
肺炎の分類の中で、3番目に「誤嚥(ごえん)性肺炎」が出てきました。
誤嚥(ごえん)性肺炎の病原菌は「口腔内常在菌」です。
 
ゴックン」から「肺炎」までの係わりが分かりました。
誤嚥(ごえん)によって、食べ物が誤って気管を通る時、口腔内の菌類が一緒に肺まで入り込み・・・高齢によって抵抗力が無い場合は肺炎を引き起こす。 なるほど・・・。
 
■ 誤嚥(ごえん)が起きてしまう原因

(1)機能的な問題:脳の病気、筋肉・神経などの病気
(2)器質的な問題:口内炎、食堂の病気、甲状腺などの病気
(3)加齢による :年齢とともに噛む・呑みこむ機能に関連する筋肉の低下
 
(1)、(2)の問題を抱えていない場合、我々高齢者は(3)の事項について、学習できる範囲で予防対策を心がけねばなりません。
 
 誤嚥(ごえん)を疑う症状
 
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緒方先生のお話し及び資料によると、「むせ」や「咳」は必ずしも”ごえん”ではなく、防御反応の場合もあります。

また「”ごえん”した」=「ごえん性肺炎が発症」ではないことも、しっかり認識しておかなければなりません。
 
チェック表で「おかしい」と思う点があれば、お医者さんに診てもらうのが一番です。
 
■ ごえん性肺炎になりやすい状況とは?

口の中が不衛生な状況・・・適度に温度やしつどが保たれている口の中は、細菌が繁殖しやすい環境にあります。歯磨きを怠ると細菌が更に繁殖し、ごえんした時に、容易に肺炎を発症することになります。

むせた時に喀出する力が弱い状況・・・むせた時に力強い咳(せき)ができれば、気管に入りかけた食物をしっかり吐き出すことができます。咳の力が弱いと十分に吐き出す事ができません。

免疫や体力が低下している状況・・・体力が低下していると、むせた時に力強い咳をする事ができなくなります。さらに、免疫力が低下している場合、身体の中に侵入した細菌や異物から自分の身体を守る事ができなくなります。
(緒方静子先生 配布資料より)
 
以上のことから、大切な予防は

1.お口の中を清潔に保つこと
2.免疫力を上げて、体力を維持すること
3.喉(のど)の筋肉を鍛えておくこと
 
■ えんげ体操

口に取り入れた食べ物や飲み物を食道まで送り込むために使う「舌・口・首」の筋肉を鍛える体操です。毎日コツコツ続けましょう。

                えんげ体操
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緒方先生は最後に「肺炎の一般的な症状・徴候を理解し、早めに受診することが大切」だと話されました。
                大切なことは
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緒方先生の講義は解り易く、良く理解できました。
緒方先生、県医師会事務局の皆さん、ありがとうございました。
 
*ブログ内説明画像は、全て3月のセミナー配布資料から引用しました。
 
 
 

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福博 花しるべ 2017

福博 花しるべ 2017
 
4月8日(土)、(公財)福岡市緑のまちづくり協会みどり課主催の「福博 花しるべ まち歩き」のコースに参加しました。参加人員20名が2班に分かれて、町の説明を聞きながら、博多駅〜博多千年門〜承天寺〜東長寺〜櫛田神社〜警固公園を巡ります。
春の町歩きはウキウキして楽しい。
       博多駅              大時計下集合
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朝方は雨が降っていましたが、博多駅10時の集合時には上がりました。 しかし、とても蒸し暑い。
      花しるべカフェ      ヘンリー・ムーア「着衣の横たわる母と子」
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駅前広場の「花しるべカフェ」。期間中、警固公園と清流公園にもオープン。 イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの代表作品「着衣の横たわる母と子」も色鮮やかなチューリップに取り囲まれています。
      博多千年門              逆さハートマーク
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江戸時代、博多と大宰府を結ぶ官道の博多側入り口に「辻堂口門」と呼ばれた門が建っていました。 それを再現した門が「博多千年門」です。 門の先に進むと、博多の歴史へ誘われて行きます。 千年門の柱の何処かに、逆さハートマークが隠されていることを知りました。カップルで来られた時は探して下さい。
      承天寺          「饂飩蕎麦(うどん・そば)発祥之地」碑
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鎌倉時代の仁治2年(1241年)、宋の商人・謝国明の援助のもと、聖一国師(しょういちこくし)が創建した臨済宗のお寺です。 宋から帰国した聖一国師は製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本中に伝え広めたので、ここに「発祥之地」の碑が建っています。何度も訪れていますが、碑の周りに”小麦”が植えられているのは初めて見ました。
  承天寺の洗濤庭(せんとうてい)         洗濤庭の庭石
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洗濤庭11月に開催される「博多千年煌夜」で、一番人気のライトアップスポットです。波打つ砂利石が青い海原に映し出された様子は、幻想的で夢の世界にいるようです。 右側の方丈が日本、波打つ砂利石が玄界灘、左の緑地が大陸、を表しているそうです。中世の貿易都市・博多のお寺らしい庭ですね。 「右奥の石は(矢印)何に見えますか?」・・・お坊様の顔に見えない人は、人間としての修行が足りない、とのことです。 ・・・無言・・・なるほど、人間の横顔には見えるけど・・・お坊様には???・・・まだまだ修行が足りないのか・・・。
         東長寺山門            東長寺の大桜
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空海が建立した真言宗のお寺で山号は「南岳山」。黒田藩2代・忠之公、3代・光之公、8代・治高公、の墓所。 山門奥の大桜は、ご住職が大切に育てておられる桜で、とても美しいです。 ソメイヨシノの寿命は平均60年ですが、東長寺の大桜は67年を過ぎました。 山門を通して見る大桜は、何故か「生命」を感じますね。     
地下鉄祇園駅のチューリップ        祇園駅の屋根(山笠の舁棒)
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チューリップの間に東長寺が見える構図も、和と洋が重なって博多の町らしい。 地下鉄祇園駅の屋根は「山笠の舁棒(かきぼう)」を表しています。教えていただいて、初めて知りました。普段は意識して見ることないですもんね。 左肩三本、右肩三本の計六本棒です。各棒の両先端には、真鍮(しんちゅう)で作られる鼻環もついています。
 
大博通り”から”お櫛田さん”へ移動します。 「大博」とは”大きい博多”だと思っていたのですが・・・博多千年門があった大宰府博多を結ぶ官道・・・つまり、大宰府の「」と博多の「」が由来とのこと。これも新しく知りました。
櫛田神社でも、幾つか新しい花の知識が増えました。
     櫛田神社の桜          櫛田神社の満天星(ドウダンツツジ)
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”どうだん”とは灯台(とうだい)が転じた読みのようです。三本の枝の分かれ方が灯台の脚に似ているからだそうです???。 そのうえ、満天星を”どうだんつつじ”と読むとは?、良く解りません。 白色の壺形の小花が可愛いです。  
     櫛田神社の吉野ツツジ     櫛田神社の利休梅(りきゅうばい)
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吉野ツツジは鮮やかなピンク色の花が株全体に咲いていて、メッチャ花付きが良いですね。ツツジとシャクナゲの交配種だそうですが、どちらか、と言うと、シャクナゲに近いように感じます。 利休梅は中国が原産で、明治時代に日本に渡ってきたバラ科の花です。利休とは千利休のことでしょうが、直接の関係はなさそうです。茶室に飾られたことが多いことから、名が付いたらしいです。 派手さは無いですが、うっちゃんは好きですね。
 
お櫛田さんから、中洲を横断して、那珂川に架かる「福博であい橋」を渡ります。 貴賓館を過ぎると、天神中央公園です。
     福博であい橋               新薬院川沿いの桜 
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那珂川の東は商人の町・博多、西は城下町・福岡、二つの町が出会う場所だから「であい橋」。人道橋で、橋の上にはパラソル型のベンチが置かれ、市民の憩いの場になっています。ベンチのパラソル(矢印)は何を意味しているのか分かりますか?。 黒田節で唄われている「酒杯」と「日の本一の槍」をデザイン化しています。 天神中央公園の新薬院川沿いの桜は満開です 
              天神中央公園の桜のトンネル
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アクロス東側の喫茶シャポー前の桜並木です。 両側の門柱は現アクロスの場所に建っていた旧福岡県庁舎の門柱です。            
 
福博 花しるべ」が始まって、今年は7年目です。福岡市のイベントとして定着しました。 メイン会場の一つが警固公園です。「ハンギングバスケットコンテツト」や「ガーデンコンテスト」が開かれています。
 
               警固公園イベント広場
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イベント広場では、大道芸人のショーに家族連れが楽しんでいました。
 
ハンギングバスケットの優秀作品を2点紹介します。
■ キャリア部門 最優秀賞  本田 敦子さん  タイトル「春の宵
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作者コメント:「ほんのり幸せで ちょっと切ない 春の心を 表現しました」。
主な使用植物:イベリス、ジャスミン、ヘデラ、白妙草、など
 
■ 一般部門 最優秀賞  森 明花さん  タイトル「Happiness 」
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作者コメント:「みんなが幸せな笑顔になる花を作りました」。
主な使用植物:マーガレット、バコパ、ネメシア、ディアスキア、オレガノ、ヘリクリサム、ツルニチソウ、ワイヤープランツ、など
 
ガーデニングショーには12の団体・企業が出展しています。 二つ紹介します。
 
■ ハウステンボス株式会社  タイトル「森のガーデン
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テーマパークとして、一年中、四季の花々を展示していますから、流石ですね。
 
■ 福岡市造園協力会   タイトル「新しい暮らしック
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春の庭をイメージしているようで、日本らしい”コデマリ”や”ツツジ”などが使用されています。
 
福博 花しるべ まち歩き」は、ここ警固公園で解散です。(公財)福岡市緑のまちづくり協会みどり課の皆さん、ありがとうございました。
 
天神の中央分離帯にも美しいチューリップが・・・。
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博多駅から舞鶴公園まで、市民と企業と福岡市が一体となって、7万本の色とりどりのチューリップを植えました。花を通して、地域の中がつながっていることが実感できます。みんなが誇れる福岡市を、これからも花で美しくしていきましょう。
 
 
*博多千年門、承天寺、東長寺、櫛田神社については下記ブログを参照下さい。
 
     うっちゃんの季節の花便り        香椎浪漫
 

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瀬板の森公園と金山川チューリップ
 
平成29年4月2日(日)、JR九州ウォーキング「折尾駅」です。 香椎から門司港行き快速に乗って、午前10時01分折尾駅到着。 駅全体は未だ改築中ですが、ホームは新しくなっています。博多駅の時も思ったのですが、電車を運行させながら駅全体を建て替える技術は凄いですね。 それはそうと・・・昨日までのこの日の天気予報は、ヤフーでは”終日曇り午後は晴れ間も”、TVでは”曇り、但し大気の状態が悪いので所によっては突然の雨もあるかも”でした。 朝は雨が降る様子も無かったので、家を出たのですが・・・赤間を過ぎた辺りで、いきなり雨が降り出したのです。 折尾に着いた頃は雨も止んでいましたので、ウォーキング参加者は受付を済ませて出発です。

                折尾駅北口
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この日のコースは「瀬板の森公園」の自然を体感し、金山川(きんざんがわ)沿いの「チューリップ祭り」を訪れ、国道3号線から折尾駅へ戻る約8.5kmです。

                コースマップ
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折尾駅北口から小倉方面へ堀川沿いの「折尾一番街」を進みます。歩き始めて数分位でしょうか・・・辺りが瞬く間に暗くなって、雷が鳴り、いきなりのどしゃ降り。

       折尾一番街             ヤマダ電機駐車場
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うっちゃんは、どんな天気のウォーキングでも、折りたたみの傘は持って行きます。リュックから傘を取り出して、ふっと前を見ると、先を歩いていた十数人の姿が見えません。「あれ〜」と思って歩いていると・・・皆さん、左側の「ヤマダ電機」の駐車場に緊急避難されていました。傘を準備されていない方もいます。雨足が速くなりましたので、うっちゃんも雨宿りです。
 
後から着いた方も含め、二十名以上が駐車場で待機です。 雨音がバリバリと強くなったので、外を見ると・・・何と「ヒョウ(あられ?)」でした。 風も強くなり、気温も下がってきた感じ。 駐車場で20分は待ったでしょうか・・・小降りになったので再出発です。
 
            ヤマダ電機前の陸橋から折尾方面
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鹿児島本線(右側)・筑豊本線(左側)の線路に架かる陸橋を渡ります。折尾方面を見ると、西の空が明るくなり始めています。 あと10分もすると、雨は止むでしょう。 
 
               金山川(きんざんかわ)
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金山川沿いに歩き、則松1丁目交差点で3号線を右折。ほどなく「瀬板の森公園北口」に到着しました。 雨は上がりました。
 
               瀬板の森公園北口ゲート
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瀬板の森公園北口ゲートに到着です。 太陽が顔を出して、ゲートの影が写っているのが分かりますか? 変な天気です。 ゲートの上は導水管が通っています。 エッ、導水管?? 瀬板の森公園は貯水池ですから、金山川から水を引き上げたり、工場へ送水する管が配置されています。

               瀬板の森公園の桜
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公園内には約600本の桜が植栽されているそうですが、今年は遅咲き・・・未だ1分〜2分咲きです。 例年でしたら、ちょうど満開の時期なんでしょうね。 5分咲きほどの桜の木がありましたからデジカメに収めました。
              
               ヒョウ(あられ?)
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遊歩道の側溝にヒョウ(あられ?)が積もっていました。 
 
                  浮橋
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黒崎駅の北側の敷地に巨大な「三菱化学」の工場が広がります。この貯水池は「三菱化学」の工場用水を賄う瀬板貯水池として築かれました。 貯水池の周囲にゴルフ場(北九州ゴルフクラブ)と瀬板の森公園が設けられたのです。 公園の面積は約25ヘクタールあり、遊歩道が設けられ、自然の環境を生かした水辺の散策が楽しめます。 

散策コースの中に幾つか橋が設けられていますが、その中の一つ「浮橋」です。 名称のとおり、浮いていますから、貯水池の水面の高さによって橋も上下します。

        水の丘              木の橋
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遊歩道(散策コース)の途中に「水の丘」をテーマにした庭園があります。木々の間の水路には水が流れ、その上のボードウォークを渡ると・・・”ホケキョ”と、ウグイスが鳴きました。 「浮橋」の他にもう一つ「木の橋」が架かっています。この雰囲気からすると、秋の紅葉の時期に来てみたい感じがします。真っ赤に色づく森が、水面に映る景色もいいでしょうね。
 
                遊歩道距離標識
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公園北口から南口までの遊歩道途中に距離を示す標識が立っています。北口から800メートルの場所です。 遊歩道全体の長さは2,200メ−トルのようです。
 
               遊歩道からゴルフ場方向
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遊歩道からゴルフ場が見えます。 その先の山は、左に標高622mの皿倉山、右が618mの権現山です。
 
公園南口を出た頃から、真っ黒な雲が広がり、再び雨が降り出します。

       公園南口               金山川右岸の桜並木
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金山川の両岸には桜の木が植えられています。 あと1週間後で晴れの日だったら、満開の桜の中を歩けたのに・・・残念。 
冷たい雨に膨らみかけた蕾も震えています。

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雨の中、10分程で則松の「チューリップまつり会場」に着きました。 チューリップも殆どが蕾です。 チューリップの球根は時差をもうけて植え、出来るだけ長い日数で楽しめるようにします。 それでも今年の開花時期については、予想が狂ってしまったのでしょう。

             チューリップまつりの花壇
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則松では地元の皆さんによる”河川愛護活動”が盛んであり、川の美化清掃や今回のような”まつりイベント”を開催して地域を盛り上げています。
この雨の中、軽食で来訪者をもてなすテントの数もボチボチで、川岸のステージは準備も出来ない状態です。 今年の気候、また今日の天気によるものとは言え、残念ですね。 せっかく今日まで準備してきたのに・・・お気の毒です。 ”秋のまつり”の時には、皆さん再び力を合わせて来訪者を楽しませて下さい。
 
金山川(きんざんがわ)の由来は、名前のとおり「金山」です。 金山川の源流は上上津役(かみこうじゃく)と言う地域の山谷間になりますが、そこに金鉱跡の洞穴が口を開いています。この金山を開発したのは、関ヶ原の戦いの後に筑前に入国して来た黒田長政公です。特に二代藩主忠之公の時には、宗像・遠賀地域で盛んに御用金が採掘されました。宗像の四塚連山の一つに金山(かなやま)とありますが、ここでもが採掘されていたのではないかと思います。 隣の孔大寺山(こだいじやま)・湯川山(ゆかわやま)では、黒田藩の金山跡が残っています。
 
桜もチューリップも残念なウォーキングになりましたが、金山川を後にして3号線から折尾駅に帰ります。
 
3号線の”折尾駅入り口交差点を右折して、筑豊本線の線路を右側に見ながら折尾駅に向かっていると・・・ラッキー・・・「DENCHA デンチャ」が来ました!。

                 819系DENCHA
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「DENCHAデンチャ」とはJR九州が開発した架線式蓄電池電車Dual Energy Charge Train)のことで、今までの気動車に替わる次世代エコ車両です。 架線の無い区間では蓄電池に充電した電力で走行します。現在は若松・折尾・直方区間で運行されていますが、運よく直方行きが走ってきたのです。  皆さん、足を止めて見ていました。 線路の先が折尾駅西口です。
 
西口前が「かしわめし弁当」で有名な「東築軒」の本社です。 午後1時近くになって、お腹がペコペコです。 北口でゴールの受付を終えて「東築軒」に戻ってきます。

      東築軒本社               本社うどん店
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本社右に立ち食いの”うどん店”があります。 ウォーキング後の昼食はここが一番いいのです。 ウォーキングで疲れた身体で、箱入りの「かしわめし弁当」を食べるのはちょっとキツイです。そんな時は”ミニかしわめし”付きの”うどんセット”がお奨めです。 これまた、うどんも美味しいのです。

                 折尾駅東口
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駅東口に廻りました。 駅前は新しい様相に変わりつつあります。 東京駅と同じく辰野金吾の設計と言われていた、あのレトロの建物を懐かしくは思いますが、もう見れません。 おかしな天気です、青空が見えてきました。
 
快速が出たばかりで、25分ほど時間があります。 東口のミスタードーナッツでコーヒーを飲みます。 ミスドの前が堀川です。

                堀川沿いの居酒屋
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堀川沿いの居酒屋通りには何度か来て呑みました。こんな雰囲気が好きなのです。24時間三交代制だった時期は、工業地帯の工員さんが朝から飲んでいたそうです。昭和初期の良き時代だったのでしょう。

堀川も先ほどの金山川と同じで、黒田藩が絡んでいます。 黒田藩は遠賀川の水を洞海湾に流し、下流一帯の新田開発、洪水による水害防止、船による輸送水路の確保など、全長12kmにおよぶ人工運河をつなぐ壮大な開削工事を始めたのです。中間・水巻・折尾一帯に広大な潤った田畑が生まれました。 明治時代初・中期は、筑豊炭田の石炭を船で若松まで運ぶ輸送水路として利用されました。

 
今日はスタンプカードが30ポイントになりましたので、「マルチアングルライト」に交換しました。 
      スタンプカード           賞品のマルチアングルライト
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4月は「JR九州発足30周年記念」で、ウォーキングの記念対象コースは2ポイントですからお得な月ですね。 
 
こんな雨の中、折尾則松地区の皆さん、そしてJR九州スタッフの皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございます。
 
 
 
 

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桜が満開(西公園・舞鶴公園)
 
大濠公園にある福岡管区気象台に桜の標本木が植えられています。この桜に5輪の花が開いて、開花宣言されたのが3月25日(土)の午後1時でした。 昨年よりも6日遅く、平年より2日遅い開花でした。 平年の満開日は4月1日ですから、2日遅い4月3日辺りが満開日と想像していたのですが・・・3月末も気温が低い状態が続いた為、更に満開日が遅くなったようです。 4日(火)の午前中は2〜3分咲き、とのことでしたが、午後は21度まで気温が上がり、一気に蕾が開いたのでしょう。 「春の花便り」として、昨日4月5日(水)午後の西公園・舞鶴公園の桜を紹介します。

先に西公園から向かいます。 
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                光雲神社前
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西公園は17万平方kmの広さを持ち、全体が丘陵地であり、展望台からは博多湾が一望できます。 古代からこの丘陵地は「荒津山(あらつやま)」と呼ばれていました。 明治14年(1881年)、「荒津山公園」として整備され、その後、桜やカエデの木が植栽されました。明治33年(1900年)、名称が「西公園」と改められたのです。

                  さくら谷
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「さくら谷」ではソメイヨシノを中心に、シダレサクラヨウコウサクラなど約1,300本の桜が市民の目を楽しませてくれます。 西公園は福岡県では唯一「日本さくら名所」に選ばれています。

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                 西側展望広場
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西側展望広場の下は都市高速が走り、その沖に鵜来島 、博多湾の奥は志賀島

                 中央展望広場
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中央展望広場には日本人、中国人のカップルや家族が大勢訪れていました。
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ちょうどランチの時間になりましたが、今日はお目当てがあるのです。「全国3位のハンバーガー・今屋」です。既に列が出来ています。 ハンバーガー好きな仲間が「ご当地ハンバーガー」を食べ歩いて、美味しいお店を表彰する「ハンバーガー愛好会」が発表したのです。1位:北海道札幌市西区”ハンバーガー・リサ”、2位:兵庫県西宮市”エビスバーガー”、そして3位が福岡市中央区この西公園中央展望広場の”今屋”なのです。

           今屋          フランク・エッグ・チーズ
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待つことが嫌いなうっちゃんも覚悟して来ました。本当に40分待ちました。 しかも、うっちゃんの3人前で、人気の「ミックスバーガー」が売り切れ。 ウ〜ン、イライラカリカリ。仕方なく「フランク・エッグ・チーズ」を注文。 お店の中はお歳を召したおじいさんが一人で切り盛りしていますから、待ったことも「チーズバーガー」が売り切れたことも止むを得ません。 と言うか、「さすが第3位」・・・フランク・エッグ・チーズだって、本当にマジに美味しいのです。
 

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この時期は、別れと出会い・・・そして、新しいスタートの季節。 それらのイベントを優しく応援してくれる桜。 その”桜”は神様が日本人のために創り出してくれた花です。桜の花を良〜く見つめて下さい。 全ての花が、木の下にいる私たちの方を向いてくれています。 華やかに優しく語り掛けて応援しているんです。 淡いピンク色の華やかさを保つために、緑色の葉っぱの芽が出てくるのは花びらが散ってからです。
桜は優しい。ありがとう!。
 
大濠公園に出て、福岡地方簡易保険局の後ろから舞鶴公園西広場に入ります。
                大濠公園
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                舞鶴公園西広場
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                 西広場の露天
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           如水公隠居屋敷「御鷹屋敷跡」の桜
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黒田如水長政親子が築いた福岡城(舞鶴城)址全体を「舞鶴公園」と言います。 明治4年(1871年)の廃藩置県後、城内に福岡県庁が置かれました。県庁が天神に移転後は、旧陸軍第12師団歩兵第24連隊の駐屯地となりますが、戦後、舞鶴公園として整備されました。 

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               天守台横の”しだれ桜”
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                 多聞櫓の桜
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                  本丸の桜 
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                天守台石垣と桜 
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                 二の丸の桜
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本丸・二の丸を中心に約500本の桜が見事に咲き乱れます。 今後は、大濠公園から舞鶴公園までを一体化する「セントラルパーク構想」に基づく大整備事業が進んでいくことになります。 福岡市のシンボルともなる「天守閣」を築きましょう。 九州一の福岡城に天守閣が無いなんて・・サマになりません。

                上之橋御門の桜
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                上之橋御門の桜
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            黒田藩の”福岡城さくらまつり”
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福岡城さくらまつり」の開催は3月25日(土)〜4月3日(月)の予定でしたが、満開期の遅れに伴い、4月9日(日)まで6日間の延長になっています。 18時〜22時のライトアップによる幻想的な演出も見所ですね。

 
 
 

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許斐山(このみやま)

許斐山(このみやま)
 
宗像市と福津市福間町との境に位置している標高271mの山です。許斐(このみ)とは福岡県宗像地方を起源とする人物姓名なのですが、珍しい名前です。 現在、許斐姓の方は全国に1,700人程だそうです。

西鉄バスの「にしてつレッツハイク(3月26日)許斐山コース」に参加して登ってきました。 香椎の九州産業大学南口バス停から、赤間営業所行き急行に乗って、王丸バス停で下車。乗客の大半が「レッツハイク」の参加者でした。王丸バス停からスタート受付の「このみ公園」までは徒歩で数分。

           許斐山コース(5キロ)コースマップ
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今回の「西鉄バスハイク」や「JR九州ウォーキング」に参加すると安心ですね。 安全なコースを選択していただいているし、途中にスタッフが待機していただいたり・・・大変助かります。
西鉄バス担当者から注意事項を聞いて午前10時に出発です。 待機しているスタッフが認識出来るよう、参加票をリュックに貼ります。

           参加票を貼ったうっちゃんのリュック
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人工的に整備された「このみ公園」内を抜けます。
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公園を抜けた所が登山口です。 
               許斐山登山口
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頂上まで840mとあります。 登山口の解説板によると、宗像氏の一族が分家して、姓を許斐と改め、出城として山頂に許斐城を築いたようです。 大和王権が沖ノ島で国家的祭祀を執り行っていた当時から、海人・胸形族(宗像氏)は大宮司として宗像大社を奉じていました。 平安時代末期になると、武装化し領域防御の為に、本城として城山に嶽山城を築きます。 南の守りが許斐城なのです。 江戸時代になると、戸畑から福岡までの地域は福岡藩(筑前)として統治されますが、戦国時代までのこの辺りの各豪族は自領を守るために大変だったのですね。天正15年(1587年)、秀吉による九州平定のとき、宗像氏は島津に通じていたため、所領を没収され、城山の嶽山城とこの許斐城は取り壊され廃城となりました。

                 砂防ダム
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途中の砂防ダムです。 水を溜めるダムではなく、土砂災害防止の設備です。 上流で土石流が発生した場合は、ここで停止させます。 島原市にたくさん設けられていることを思い出しました。
 
                 竹林
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竹林は手入れを怠ると直ぐに密集して荒れます。 明るく風通しの良い竹林とは、番傘をさして竹林内を自由に歩ける程度だそうです。ここは、その点、きれいに整備されていますね。定期的に間伐しているのでしょう。 「許斐山愛好会」の皆さんのご努力だと思います。
                   登山道 
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途中、急な場所もありますが、山頂までの殆どが階段状の登山道です。登り易い山です。 
                  王子神社鳥居
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これは山頂に鎮座する王子神社の鳥居でしょうか。と言うことは、頂上が近いですね。

                 許斐山山頂石碑
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標高271m許斐山山頂に到着です。 コースマップには所要40分となっていますが、丁度30分で登ってきました。
                  王子神社の祠
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許斐山麓の熊野神社の奥宮として勧請された神社で、祭神は素戔男尊(スサノオノミコト)です。 宗像大社三女神の田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵島姫(いちきしまひめ)は素戔男尊天照大神(あまてらすおおかみ)の誓(うけい)から生まれています。 よって現在、この王子神社は宗像大社直轄の大切な境外摂社となっています。
この場所が本丸跡との説明ですが、遺構は残っていません。

野仏三尊像が祠をお守りしているかのようです。
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                  宗像四塚連山
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山頂から北を望むと、宗像市街の先に四塚連山が横たわっています。右から「城山」、「金山」、「孔大寺山」、「湯川山」です。 縦走路が整っているのですが、この歳では縦走にチャレンジする気持ちは起こりません。 先月は「城山」にだけ登りました。 許斐山から城山を望むと、二つの城による防衛体制がイメージ出来ますね。敵は簡単には侵攻できません。 四塚連山の向こう側は遠賀の麻生氏の領地です。
 
                  玄界灘方向
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玄界灘に浮ぶ大島と地島が望めます。
 
山頂で15分程過ごして、福間町方面へ下山します。
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                   金魚池
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下り始めて直ぐの場所に「金魚池跡」が残っています。 城中の生活用水を賄った池だそうです。現在、水は干上がっていますが、金魚が泳いでいたそうです。

         杉林道                吉原池
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福間町側は杉林が多いように感じます。 里山に下りてきました。 灌漑用水池の「吉原池」を左折します。

のどかな「八並」の村を歩いています。 あ〜、山羊がいたあ。小学生の頃、田舎のじいちゃんの家にいた”ヤギ”を思い出す。 小さな川沿いの道端で、”ツクシンボ”が頭を出しています。 あ〜、ばあちゃんの”ツクシ卵とじ”を思い出す。

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ゴールの久末公園手前から許斐山を振り返ります。 ここから見ると、さほど高い山だとは思えないのにキツかった。 でも里山風景は本当にイイですね。
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午前11時40分、久末公園のゴール受付に到着。 湖畔のベンチに座って、朝、セブンで買った”おにぎり”をいただきました。 空気が美味しいと”おにぎり”も美味しい。

             久末公園 みずがめの郷
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国道3号線の若木台バス停から急行バスで戻ってきました。 心地よい疲れ・・・。
 
 
 
 

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志賀島の”ワカメ”と”ヒザラガイ”
 
飲み仲間である元気じいさん6人で、志賀島へ磯遊びに出掛けることになりました。3月25日(土)、朝は曇り空でしたが、昼前には晴れて温かくなりました。 Gさん宅に集合し、2台の車で出発です。

               平均年齢68歳の元気じいさん
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アイランドシティ、雁ノ巣、西戸崎を経由、志賀島入り口から右回りで国民休暇村に到着。玄界灘は波も小さく穏やかです。 休暇村前の下馬ヶ浜は潮が引いています。

                 下馬ヶ浜から北東 
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今回は下馬ヶ浜両端の岩場で、”ワカメ”と”ヒザラガイ”を採ろうと思っています。
 
その前に、2年前のブログ「志賀島でワカメ刈り(2015年3月9日)」の中での「密漁」について補足を加えておきます。 まず「密漁禁止」の看板です。
 
                 密漁禁止の看板
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2年前のブログで「ウニ・アワビ・サザエの密猟は罰せられますが、ワカメは大丈夫です」と書いてしまったのですが、説明不足で、そこが間違っています。では、ワカメは採っていけないのか、と言うと・・・そこには解釈の違いが存在します。 うっちゃんは看板に記されている「福岡市漁業協同組合」と「東警察署」に問い合わせ、質問をしました。また、弘港の漁師の方にも話を聞いてみました。 結果、いろんな事が分かりました。 もともと、何故「密漁」を厳しく取り締まるか・・・ですが、漁業許可を得ていない者が「営業」を前提として漁獲し、本来、漁師が得るべき収入を侵害する行為が「密漁」なのです。 暴力団が絡んだ事案も数多くあるんですよ。 看板に書かれている「密漁で検挙された場合は、3年以内の懲役もしくは200万円以下の罰金が課せられる」は、漁業法第138条に定められています。 要するに、営業では無く、自分達が食べる分を採るのは問題はないと解釈できます。 日本国憲法では「一般人が天然の水産物を収集し、自らの食に供することは罰せられない」となっています。 都道府県毎のきまり(通達)よりも、日本国憲法の方が優先するのでしょうね。 但し、ここで解釈の順位・違いは別として、大切な事柄があります。「養殖」です。 漁師さんや漁業組合には、将来に渡った安定した水産物供給に対して、日々努力しておられます。 志賀島エリアではアワビ・サザエの稚貝・稚ウニを放流し、養殖を行っています。 志賀島の周辺一帯が養殖施設ですから、ここで採取した場合は密漁の前に窃盗になります。密漁禁止の看板にワカメは書かれていませんが、ワカメも海底に種を植えて養殖しています。 ですから、ワカメも一般人が潜って採ったら、密漁かどうかは別としても、窃盗になります。 問題は「養殖場から抜けて海岸に流れ着いたワカメはどうなのか?」。この言葉だけで県水産課や東警察署に質問すると「ダメです」の回答になりますヨ。 質問を受ければ、そう答えざるを得ない、というか・・・分かるような気がします。
海の中は誰のものでもありません。養殖場を離れて、海の中を彷徨ったものは自然のものと解釈できます。このあたりは、個人の良識と常識による道徳判断なのではないでしょうか。 
① 子孫の為に、自然資産を保護する。
② 漁師さんや漁業関連事業者の利益を侵害しない。
個人的には、この2点で物事を判断すればいいのでは、と思っています。これは私個人的な見解ですので、個々においては責任を持って行動して下さい。
 
と言うことで、元気じいさん達の志賀島磯遊びが始まります。 潮が引いた岩礁に下りて、流れてきた”ワカメ”と岩にへばり着いている”ヒザラガイ”を探します。 
                  
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ここで、もう一つ判断しなければいけない事柄がありました。 潮が引いた岩場を長靴で下りると、数は少ないですが、30〜40cmくらいの天然の”ワカメ”を見つけることがあります。2年前には、これを採って帰ったのですが・・・先に記した内容からすると、これはOKなのか、ダメなのか。 これが自然資産を守らなければいけない、と言う観点です。まあ、このあたりはその時その時の状況と良識の範囲で・・・。

結果的に天然ワカメは見つけられないですね。 流れ着いたワカメは北側の岩場では少なかったですが、バケツ1杯は探すことが出来ました。
 
                  ヒザラガイ
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ヒザラガイ”は軟体動物の一群で、岩にくっ付いて、8枚の殻で背中を覆い、身を守っています。大きさは3cm〜4cmです。鎌の刃を岩とお腹の接着面にあてると容易に剥がすことが出来ます。剥がして置いておくと、腹面を折り曲げてダンゴ虫のような姿になります。奄美群島では珍味の高級食材として扱われ、生刺身・酢味噌和え・煮つけで食されているようです。 爪で殻を剥がし生で食べてみたのですが、コリッとした食感で美味しかったです。 でも、持ち帰っても、奥さんが気持ち悪くて調理出来ないかも・・・。
 
              玄界島方向 と ワカメ船
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下馬ヶ浜の反対側を探すことにしました。 ワカメ船が操業しています。 ご夫婦ですね。 奥さんが艪を漕ぎ、ご主人が長い竿でワカメを海底から船上に採り上げています。 この微笑ましい光景を見ると密漁は許せません。

                下馬ヶ浜
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玄界島と糸島の山々が望めます。 青い海、白い砂浜・・・清清しい空気。 これだけでも、じいさん達にとってはハッピーな気持ち。 
しかし、ワカメは流れ着いていないなあ・・・ と、潮が引いた浅瀬の底に黒っぽい影が映っているではありませんか(矢印)。 何とワカメが固まって流れ着いていたのです。
皆さん、腰まで浸かったり、長い竿で手繰り寄せたり・・・。

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たちまちバケツ5杯〜6杯のワカメを引き上げました。 ニコニコ顔で記念写真に収まっていると、我々と同年輩の近くの住人の方が寄って来られて言いました。「今日は、皆さんは幸運でしたね。私も散歩がてら砂浜を歩いて、ワカメを1本・2本拾って帰ることはあるけど、こんなに沢山流れてくることは珍しいよ」。

              ワカメ大漁の記念写真
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「ああ〜運が良かったんだ。俺達は日頃の行ないがいいもんね」と、6人のじいさんはバケツに1杯づつ分け合って、幸せ気分で帰宅したのでした。
 
こんな日の夜は、反省会?の酒を飲みに再び集まります。楽しい一日は夜更けまで続いたのでした。

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さて、うっちゃんちの”ワカメ”と”ヒザラガイ”はどうなったのか・・・。
帰宅後、見た目の悪いダンゴ虫のような”ヒザラガイ”を奥さんに見せると・・・「あらあ、これ美味しいのよ」。 実家の出雲で時々調理したことがあるようです。

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軽く湯通して、殻を剝いて腸を取り出します。 (右写真右側)甘辛く煮たそうです。本当に美味しかった。 手間が掛かるので「あまり持ち帰ってほしくない」と言われました。右写真左側は「めかぶ」です。 これは普段スーパーで売られているパックをよく食べますが、今回のほうが新鮮で美味しかった。
 
次の日(26日)の夜は、冷蔵庫に残っていた豚肉・白ネギ・白菜と一緒に「ワカメのしゃぶしゃぶ」をいただきました。

               ワカメのシャブシャブ
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ワカメをお鍋の中でサラッサラッと浸すと、きれいな緑色になります。これをポン酢に浸けていただくと・・・潮の香りが口の中に広がります。 奥さんも美味しいと喜んでおります。 右下はワカメの茎のキンピラです。 ビールに合いました。
 
残ったワカメは一夜干しにして保存です。

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今回はいろいろと学んだことが多かった磯遊びでした。
 
 
 
 

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