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香椎うっちゃんのブログ
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半年ぶりに久山町の伊野天照皇大神宮(いのてんしょうこうだいじんぐう)へ行ってきました。福岡市東区香椎の隣町ですから、車で15分程で行けます。
大型ショッピングセンター「トリアス」の先に「遠見岳」(323m)という山があります。その山のふもとに伊野天照皇大神宮が鎮座しています。参拝の後に「遠見岳」にも登ろうと思います。「遠見岳」は神功皇后ゆかりの山です。
 
地名は久山町猪野なのですが、社号には伊野の漢字が充てられています。猪(いのしし)の「猪」より、伊勢(いせ)の「伊」の方がいいですよね。天照(てんしょう)とは天照大神(あまてらすおおかみ)で皇大神宮(こうだいじんぐう)とは伊勢神宮のことです。
ここは九州の伊勢神宮なのです。
 
    伊野天照皇大神宮 一の鳥居 (うしろの山、一番左が遠見岳)
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田園風景を抜けると大きな鳥居が目に入ります。
普段、見慣れている鳥居と違います。香椎宮や筥崎宮、宗像大社で私たちが見慣れている鳥居は明神(みょうじん)鳥居といいます。ここの鳥居は伊勢神宮と同じで神明(しんめい)鳥居又は伊勢鳥居と言います。貫(ぬき・二番目の横棒)が柱を貫通していないのが特徴です。靖国神社や各地の護国神社はこの神明鳥居が多いです。
 
天照皇大神宮の前に猪野川が流れています。春は満開の桜でウキウキ。夏は涼を求めて多くの家族が訪れます。秋は紅葉が美しく彩ります。
猪野川を伊勢の五十鈴川と例えて、架かっている橋の名は「五十鈴橋」です。
 
    猪野川                           五十鈴橋
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最初の石段の右側に社号が彫られた石碑が立っています。旧社格制度では「県社」となります。
石碑の後ろに、大きな杉の木が二本そびえています。よく見ると、根元は二本が交わってひとつになっています。「夫婦杉」と名付けられ、夫婦和合・家庭円満の守り神として親しまれているようです。
   社号石碑                           夫婦杉
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最初の石段を登ると、凛とした気を感じます。アマテラスの気(神力)が強いのでしょう。
右奥に小さな滝が見えました。
浄土宗総本山知恩院の岩井大僧正の寄付によって造られたので「岩井の滝」と呼ばれています。森と滝・・・、神秘的な空間です。岩井大僧正は久山出身です。
 
(下右写真)石段左側に立っている石灯篭です。みなさんが祈りを込めて置いた小石が、いっぱい積まれています。
 
     岩井の滝                        石灯篭
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二段目の石段を上がった右側に木の夜灯篭が立てられています。式年遷宮の時に伊勢神宮から奉納されたものです。
お手水所で身体を清めて拝殿へ向います。口の中が真っ赤な狛犬はちょっと怖い感じ。
 
       夜灯篭                     狛犬(右側)
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拝殿の奥に「雲従龍」と書かれた扁額が架かっています。
明治時代から昭和にかけて、国家主義・アジア主義運動を進めた玄洋社の総帥、頭山 満(とうやま みつる)の書によります。頭山 満は福岡市西新町出身です。「雲従龍」とは、中国の諺「雲従龍風従虎」だと思われますが、玄洋社が匿っていた革命家「孫文」との関わりを示した言葉かもしれませんね。「雲は龍に従い、風は虎に従う」・・・・「立派な主君からは、立派な臣下が出る」。
 
左に架かっている緑色の「清徳」と書かれた額は、うっちゃんが20歳代の頃の福岡市長だった進藤一馬の書です。彼も彼の父(進藤喜平太)も玄洋社でした。
     拝殿                        拝殿内 扁額
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拝殿の後ろの石段を更に登ると神殿があります。
 
そろそろ伊野天照皇大神宮について触れておきます。この社が成立した説は幾つかありますが、共通していることは天照大神が祭神であることです。一番古い説は「日本書紀」によります。
仲哀天皇の御崩御の後、神功皇后は武内宿禰と中臣烏賊津の三人で小山田村の斎宮(いつきのみや)に入り、自らが神主となり、武内宿禰を琴奏者に、中臣烏賊津を審神者(さにわ)とし、天照大神の霊をお祭りになったとあります。
 
斎宮(いつきのみや)があった場所は、ここ久山と古賀市の二箇所の説があります。
どちらも地名(村の名前)は山田村となっています。貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で久山としています。
橿日の宮(香椎)に近いなど、地理的には、うっちゃんも久山だと思っています。
斎宮の中には皇后のお屋敷(聖母屋敷)もあったのです。
 
斎宮内に祀られた天照大神の祠は、鎌倉時代・室町時代の武将たちの信仰厚く、立花道雪、小早川隆景などは各難局に際しては奉幣し、社領を奉納するなど敬意を表していました。
江戸時代になり、黒田代々藩主の崇敬も厚く、三代藩主光之公は神主・宮大工を伊勢に派遣し、その建築構造を学ばせ、本殿から鳥居に至るまで伊勢神宮に模して、現在の地に神殿・鳥居を造らせました。
だから、橋の名前まで「五十鈴橋」になっているんですね。
伊勢神宮の例にならい、二十年毎に式年遷宮が行われていました。
 
(下・右の写真)神殿の右横を更に上へ行く石段があります。
右側のひょろっとした木、これが招霊の木(おがたまのき)です。実は、現在使われている榊(さかき)は招霊の木の代用品なのです。一円玉の裏に招霊の木の葉っぱが描かれています。パワーを秘めた木なんですよ。

●招霊の木(おがたまのき)につぃては、「古野三宝荒神宮」の後半を覗いて下さい。
 
 神殿                       右側二本の木が「招霊の木」
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石段を登って、最上段に来ました。
建物は何もありません。中央に「古神殿跡」と書かれた木の塔が立っています。あとは建物の基礎石と苔むした土のみ。ここが遷宮前の神殿があった場所です。
天照大神の神威が溢れています。
 
                 古神殿跡
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周囲が凛とした空気に変わったのが分かります。身体全体がピリッと鎮まります。
だって、いま感じているのは、天照大神の気ですから。
この古神殿跡は、九州でも上位の順に位置するスーパーパワースポットだと思います。
 
 
最上段の古神殿跡横から「遠見岳」の登山道が始まります。
割と険しい坂道が続きますが、鎖やロープが張られ、段差も整備されているので安心して登れます。それでも念のために、複数のメンバーで登るようにしましょう。
 
      登山道標識                     遠見岳登山道
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うっちゃんの足で、途中2回の休憩を入れて、30分で頂上に着きました。
 
うっちゃんがこの山に登る目的は二つのことを、自分の眼で確認したかったからです。
一つは、神功皇后と武内宿禰が、何故この久山の地を斎宮(いつきのみや)と聖母(神功皇后)屋敷を設ける場所と決めたのか?
二つ目は1586年、島津が香椎と立花城を攻めに来た時、ここに望楼を設けたという記録。その位置の戦略的な重要性を、確認したいと思ったのです。
 
     遠見岳山頂(323m)
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山頂の柱には、この山に仲哀天皇も登って来られた、と書いてあります。
うっちゃんは、神功皇后は武内宿禰を従えて登って来られているが、仲哀天皇はこの山には登っておられないと思います。
日本書紀に仲哀天皇が西方の国(朝鮮半島)を見るために高い山に登った、とありますが、その山は遠見岳ではなく、立花山であるという説が大半を占めています。
 
遠見岳の山頂からの眺めは実に雄大で、大宰府方面から博多・玄界灘までの180度の展望が開いています。
 
 
 山頂の方位板                 遠見岳から望む立花山 
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まず、島津軍がこの山に望楼を設けた記録。納得です。
岩屋城、宝満城を攻め落とした島津軍が、次に立花城を攻めるためには、ここからの展望が重要だったでしょう。
大宰府方面から須恵・若杉・土井・香椎・立花山までの進軍ルートの全てが見渡せます。
また島津軍が本陣を置いた濱男・下原からは見えない立花山の反対側が見えるのです。
 
もう一つ、神功皇后の斎宮と聖母屋敷のこと。
山頂から斎宮・聖母屋敷の場所が確認できました。

斎宮・聖母屋敷  トリアス  新幹線

う〜ん、武内宿禰の考えが少し解かって来たぞ。

           久山 猪野・山田地区 (遠見岳の山頂より)
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*参考資料:ホームページ「ひもろぎ逍遥」

*「首羅山遺跡」も覗いて下さい。

*「ひさやま猪野さくら祭り」も覗いて下さい。春の久山は楽しいですよ。
*「久山のかかし祭り」も覗いて下さい。 あの頃の懐かしい生活がよみがえります。



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