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香椎うっちゃんのブログ
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大己貴神社(おおなむちじんじゃ)と筑前町を訪ねて
 
JR九州ウォーキング、1023日(日)基山駅(甘木鉄道)です。 前夜の「博多灯明ウォーキング」から連続となり、朝は雨が降っていて、どうしようか迷ったのですが「午後は晴れる」予報でしたので出発しました。正式なタイトルは「大己貴(おおなむち)神社秋季大祭と1000万本のコスモスを訪ねて」です。

香椎駅から大牟田行き快速で基山駅へ。駅の東側へ出ると甘木鉄道の基山駅です。ここではウォーキングの受付のみです。本日のウォーキング用乗車券(1日フリー記念乗車券)を購入して2両編成の電車に乗り込みます。ほとんどがウォーキング参加者。

             ●甘木鉄道 1日フリー記念乗車券
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               ●甘木鉄道ホーム
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車内でコースマップを確認します。 本日のようにウォーキング受付とスタート地点が異なっていることも珍しいのです。
             ●コースマップ
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1040分甘木駅着。 趣のある小さなローカル駅です。駅入り口上に「甘木鉄道開業30周年」の横断幕が見えます。
             ●甘木鉄道 甘木駅
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30年前の1986年(昭和61年)、旧国鉄民営化の際、甘木線を継承し第三セクターに転換してスタートしました。
 
駅前に「日本発祥の地 卑弥呼の里」と彫られた石碑が建っています。

               ●日本発祥の地碑
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「日本発祥の地」とは大袈裟にも思えるのですが・・・古代史研究家の安本美典先生は、日本神話に出て来る「高天原(たかまがはら)」=「邪馬台国」=「甘木・朝倉」とし、「天照大神(あまてらすおおかみ)」=「卑弥呼」と説かれています。また、「大和朝廷の邪馬台国東遷説」も主張されています。 

安本先生は独自の手法・考え方で古代史を解き明かし、その論説は極めて新鮮で説得力があるのです。うっちゃんにとって、好きな古代史研究家の一人なのです。 コースの途中で先生の説に触れます。
 
小雨が降っているので、レインコートを着て・・・甘木駅から小石原川に沿って北に歩きます。 奥の高い山は神功皇后伝説が残る目配山(めくばりやま)でしょうか?  その麓に大己貴神社が鎮座しています。まだまだ遠いです。畑の横に富有柿が実ってました。 柿は好きなんです・・・美味しそう。

   ●小石原川に沿って         ● 富有柿
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途中で雨が上がり、田園の中を50分ほど歩くと、大己貴神社に到着です。
 
          ● 大己貴神社(おおなむちじんじゃ)
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今日、1023日は大己貴神社の秋季大祭(おくんち)です。1030分から本殿で大祭神事が執り行われたのですが、既に終わっていました。
 
神社の名は「おおなむちじんじゃ」なのですが、鳥居の扁額は「大神神宮」となってます。創建当初は「おおみわじんぐう」と読んだのだろうと思いますが、地元の人々は親しみをこめて「おんがさま」と呼びます。

                ● 大神神社の扁額
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香椎宮の近く、和白町の「大神神社」は「おおみわじんじゃ」と読みます。この神社は神功皇后が大和の「大三輪神社」から勧請したものですが、大己貴神社も同じです。
哀天皇神功皇后は熊襲征伐のために「橿日の宮(香椎)」を本拠地としました。哀天皇は戦の本陣を西鉄大牟田線大保駅近く、現在の御勢大霊石神社に構えました。哀天皇亡き後、神功皇后はここ大己貴神社に本陣を構えて熊襲と戦いました。大己貴神社も別に「大三輪神社」の名を持っています。
この辺の話は「神功皇后伝説 第三話」を覗いて下さい。
 
大己貴神社は弥生時代後期の創建と伝えられ、日本書紀に神功皇后との事跡に関連した話が記されています。江戸時代に本殿が改修され、拝殿が建立されました。

              大己貴神社 拝殿
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拝殿正面屋根に唐破風(からはふ)が施されています。普段は香椎宮の大千鳥破風(おおちどりはふ)を見慣れているので、少し違和感を覚えます。
 
大己貴神社から南に下り、仙道古墳に向かいます。途中の畑は全て「枝豆」でした。

               ● 枝豆畑の中を歩く
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20分程で仙道古墳に到着。今日は石室内が見学できます。

                  ●仙道古墳
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6世紀築造の円墳で、石室全面に幾何学文の装飾が描かれていました。また。円墳の周溝から多量の円筒埴輪や人物埴輪が出土しています。これらは、年代からして筑紫国造磐井君(つくしのくにのみやつこ いわいのきみ)の墳墓や熊本地方の装飾古墳の影響があるのでしょうか? 国指定史跡です。
 
仙道古墳から太刀洗までは、約1時間のウォーキングです。

              ●筑前町の標識
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標識に描かれているのは、筑前町の花「三輪の大藤」です。筑前町は2005年、朝倉郡の三輪町夜須町が合併して出来ました。 三輪とは大己貴神社の大神(おおみわ)=大三輪、そして奈良大和の三輪山の三輪です。 ご存知の方も多いと思いますが、安本美典先生の「大和朝廷の邪馬台国東遷説」はここから始まります。

下の絵図2枚を見て下さい。安本美典著「卑弥呼と邪馬台国」より引用
        「甘木・朝倉地方の地名と奈良大和郷の地名の比較」

甘木・朝倉地方の地名
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奈良大和郷の地名
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三輪・朝倉と言う地名の他、あらゆる地名が同じ方位に確認できます。 どちらが先かと言うと、勿論、甘木・朝倉が先です。甘木・朝倉にあった邪馬台国が何らかの理由で大和に移動し、故郷と同じ位置に同じ地名をつけた、と考えられます。

また、安本美典先生は、「高天原(たかまがはら)」=「甘木・朝倉の邪馬台国」とした場合、「高天原」に流れていた「天の安川(あまのやすかわ)」の「」は夜須町の「夜須ヤス」としています。 ここに「夜須川 やすかわ」が流れているのです。うっちゃんは安本先生の「邪馬台国東遷説」、間違いないと信じています。

筑前町三輪町プラス夜須町ですから、古代歴史浪漫あふれる町です。
それに、何と言っても筑前福岡ですから。
 
1時間強ほど歩いて、少し足に疲れを感じながら太刀洗に到着です。
太刀洗平和記念館は、以前に来ていますが、折角ですから割引入場料を払って再度見学しました。
              ●太刀洗平和記念館
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入り口前に「非核・恒久平和都市宣言の町」の看板が立っています。 戦時中、ここに陸軍の航空拠点・太刀洗飛行場が存在していました。記念館には「太刀洗飛行場のあゆみ」、「B29の空襲を受けた悲劇」、「特攻搭乗員たちが家族に残した手紙・遺書」などが展示されています。
                ●ゼロ戦 と館内案内
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写真撮影は「零式艦上戦闘機=ゼロ戦」のみで、他は禁止されています。
鹿児島・知覧の記念館でもそうですが、うっちゃんは特攻隊員の遺書を読むと必ず泣きます。戦争の悲劇を知ると同時に、現在の平和な生活に感謝しなければいけません。

キリン福岡工場のコスモス園に向かいます。 コスモス園がゴールです。
 
              ●キリンコスモス園
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1024日のブログ「コスモス(キリン福岡工場) 」でリポートしました。
           
            ●甘木鉄道 太刀洗駅ホーム
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南北朝時代、南朝(後醍醐天皇)に組した熊本の菊池武光は、天皇の王子・懐良親王(かねよししんのう)を御旗に、北朝の拠点・大宰府を目指して侵攻しました。筑後川で北朝側の筑前の少弐・豊後の大友勢と激戦を繰り広げて勝利し、以後12年間は南朝が九州を支配することとなったのです。南朝軍が陣を構えた所が「宮ノ陣」です。そして、菊池武光が愛刀を抜いて、刃についた血を洗ったことから、後に「太刀洗」の名がつきました。
 
今回の12kmは久しぶりの長距離コース。 ドア・トゥ・ドアで25千三百歩です。
 
甘木鉄道、JR九州のスタッフの皆様、お疲れ様でした。 


 
 

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