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香椎うっちゃんのブログ
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サザエさん通りウォーキング(福博プチ散歩)
 
1029日(土)、早良区企画課が主催する「サザエさん通りウォーキング」に参加してきました。 来年実施の「福岡検定」の問題を解きながらのウォーキング、と書かれていましたから・・・真面目に歩いたのです。 「福岡検定」は今年2月、初級合格しましたので、来年1月は中級に挑戦します。

         ●「サザエさん通りウォーキング」マップ 
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早良区役所をスタートして、藤崎商店街 → 中西商店街 → 西新中央商店街を通り、旧プラリバ先から明治通りに出て、脇山口から「サザエさん通り」に入ります。西新通りを左折し、福岡市博物館前を右折、福岡タワー中央プラザまでの約3kmです。

早良区役所前930分受け付け。参加者は子供からシルバーまで150人程でした。準備運動をして、10時にスタート。

            ● 藤崎商店街            
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              ●西新中央商店街
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ここは旧唐津街道ですが、お店が多くて、リヤカー部隊でも有名・・・とても賑わっています。 うっちゃんの地元東区香椎の濱男通りも旧唐津街道なのですが・・・これ程の活気が無くて・・・羨ましい限りです。

藤崎の地名由来について、面白い話を聴きました。藤崎の「藤」は藤の花だと思っていたのですが、”富士山が見える崎”=富士見崎=ふじ崎=藤崎のようです。
では、その富士山とは・・・糸島の糸島富士=可也山です。なるほど〜。
 
              ●蜂楽饅頭本店 
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               ●勝鷹水神
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誰でも知っている蜂楽饅頭は保存料を使用しない美味しい手作り饅頭。 勝鷹水神はホークス必勝祈願の神社です。ご神体は木彫りの鷹で、工藤監督のサイン入りボールが奉納されています。

             ●リヤカー部隊 
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            ●西南大学100周年
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午後1時からは歩行者天国となり、リヤカー部隊が繰り出します。近年は台数が減ってきているようです。 西南大学100周年、おめでとうございます。
*(注):商店街の写真はウォーキングゴール後、再び戻って撮ったものです。
 
西新交差点の”旧プラリバ”まで来ました。改修工事中ですが、新しく商業施設とホテル?に生れ変わるそうです。 昭和56年に西新岩田屋として建てられました。左は天神方面、右奥は六本松方向です。

            ●西新交差点 旧プラリバ
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旧プラリバ改築工事現場の壁に古き懐かしい写真が掲示されていました。その中の一枚に同方向から撮った交差点の写真があります。

            ●昭和50年撮影の西新交差点
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こもだメガネ時計、京染糸屋、黒田五十二萬石、などが入った商店街だったのですね。 西鉄の市内電車が懐かしいです。 撮影は藤江 準一氏。
 
旧プラリバから明治通りを渡ります。渡り終えた所に小さな公園「西新緑地」があり、奥に大きなクスノキが見えます。

             ●西新緑地のクスノキ
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道路向かいの旧プラリバが、政治結社「玄洋社」の創設者の一人、頭山 満(とおやまみつる)の生家だったようです。 頭山 満が11歳の時に、「楠木正成」のような人になりたい」と願いをこめて庭に植えたクスノキが移植されています。 楠木正成が足利尊氏と戦い、最後まで後醍醐天皇に忠義を果たした人物であることを考えると、頭山 満は子供の頃から皇国史観を持っていたのですかね。
 
脇山口から右折して「サザエさん通り」に入ります。 道路角に「サザエさん通り」を示す大きな看板が立ってます。

             サザエさん通り」看板
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サザエさん通り」に入ると、直ぐが「県立修猷館高等学校」です。1784年(天明4年)、福岡黒田藩は、ほぼ同時期に藩校として、東学問所(修猷館・館長は竹田定良)と西学問所(甘棠館・館長は亀井南冥)を開館します。 修猷館は藩校当時は現在の赤坂1丁目(平和台)に在りました。三井住友海上火災ビルの横に修猷館跡の石碑が建っています。
            ●修猷館高等学校        
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             ●東学問所(修猷館)跡の石碑 
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サザエさん通りを進みます。
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修猷館高等学校の先が西南大学です。大学構内建物内に元寇防塁が復元されてます。

               ●西南大学 構内  
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              ●元寇防塁 
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元軍が博多湾に攻め込んだ文永の役(1274年)の後、鎌倉幕府は再度の来襲に備え、九州各地の御家人に命じて、西の今津から東の香椎までの20kmに渡り、防塁を築かせ防備に当たらせます。 各地区の担当は西から、今津は大隅・日向、今宿は豊前、生の松原は肥後、姪浜は肥前と判明しているのですが、西新・地行地区は未だに不明です。
 
西新通りを左折する角が「サザエさん発案の地・磯野広場」です。

             ●サザエさん 発案の地・磯野広場 
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小さな広場の石の上でカニが遊んでいます。石のベンチには貝殻が埋め込まれています。「サザエさん 発案の地」の記念碑が建っています。 昭和21年(1946年)、原作者の長谷川町子さんは西日本新聞から独立した”夕刊フクニチ”の四コマ連載漫画を依頼されます。 主人公は「おてんば娘」と直ぐに決まったのですが、家族構成に迷っていたのです。妹と毎日のように”ももち海岸”を散歩しているうちに、登場人物が、みんな海産物になってしまった、と言う「うちあけ話」が記念碑に書かれています。磯野広場の前が、当時は波打ち際で砂浜だったのですね。

               ●「うちあけ話」の画
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この連載マンガは大人気となったのです・・・うっちゃんが小学校の頃、実写版の映画が公開されました。配役はサザエさんが江利チエミさん、ワカメちゃんが松島トモ子さんだったことは記憶にあります。昭和44年からTVアニメが開始されて、現在も続いていますから、超ロング国民的番組ですね。うっちゃんが小さい時、サザエさんは年上でしたが、今は年下になってしまいました。 歳とらないって、いいなあ!
 
平成34年頃でしたか・・・うっちゃんの息子(名前は内○ 雄○で、当時は小学生)が実名で、カツオの友達としてTVアニメに登場しました。 どういう事かと申しますと、義兄(奥さんの兄)が当時、TVの脚本家として活躍してまして、月に1本〜2本”サザエさん”を担当していたのです。義兄(名前は曽田 博久です)は、他に”暴れん坊将軍”や”ガッチャマン”、”ゴレンジャー”などの脚本も手掛けていて、それらの中に親戚中の名前が使われていました。余談でした。
 
磯野広場から、西新通りを福岡市博物館方向へ歩きます。
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福岡市博物館です。
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平成元年(1989年)に開催された「アジア太平洋博覧会」のパビリオンの一つでした。 これから向かう福岡タワーは、博覧会のシンボルタワーです。ゴール解散後、福岡市博物館に寄り、1時間ほど常設展示室を見て回りました。
 
福岡市博物館前を右折すると、福岡タワーが見えてきます。

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11時前にゴールの福岡タワー・中央プラザに到着です。 ”サザエさん通り”看板横でサザエさん、カツオ君、ワカメちゃん、タラちゃんが出迎えてくれました。

             ●サザエさん家族のオブジェ 
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ここで参加カードに「ゴールスタンプ」を押してもらいます。そして、スタート時に配られていた「サザエさん通りウォーキングクイズ」の回答書をいただいたのです。
クイズは「福岡検定問題」を含む16問だったのですが、1問だけ間違っていました。

問題は「サザエさんと大阪生まれのマスオさんのお見合いが行われたのはどこか?」です。
これは当時のマンガかTVアニメを見ていないと、分からないですよね。”サザエさん通り”の看板説明にその回答がありました。「天神岩田屋地下のレストラン」でした。
岩田屋の地下にレストラン(食堂)があったかな〜? 記憶にありません。
 
ゴール地点にマスオさんとサザエさんが来てくれました。 子供たちが喜んで、記念写真に納まっていましたが・・・うっちゃんも並んで1枚撮ってもらいました。

            ●マスオさん、サザエさんと記念写真
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解散後、中央プラザから海岸に下りました。 マリゾンの右側、志賀島です。

              ●”ももち浜”
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終戦から1年後の昭和21年、長谷川町子さんも、この”ももち浜”から志賀島や能古島を眺めていたのですね。
 
爽やかな秋の一日でした。
それにしても、先月の「福岡タワー超ウルトラ階段のぼり大会」はキツかったなあ。
 
 
 
 

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