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香椎うっちゃんのブログ
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三池炭鉱(明治日本の産業革命遺産)
 
113日(木・祝)のJR九州ウォーキング大牟田駅です。快速電車に乗り、10時に大牟田駅着。 気温17度で秋晴れ。 絶好のウォーキング日和です。

                JR大牟田駅前 
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今日のコースは大牟田駅スタート、荒尾駅がゴールで、福岡・熊本2県にまたがる約12kmのコースになります。 コースマップの確認、万歩計をセットして出発。

               ●コースマップ 
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スタートして十数分で早鐘(はやがね)眼鏡橋に到着。 かんがい用水路として、三池藩が延宝2年(1674年)に大牟田川に架けた石造アーチ型の水路橋です。

             ●早鐘(はやがね)眼鏡橋 
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橋上の水路は生活用水として明治まで活用され、また、人馬の通行も兼ねた多目的構造になっているようです。 三池藩と言えば、立花宗茂の弟・直次が柳川藩の兄から一万石を得て立藩しました。 第4代藩主・貴長の時代の元文3年(1738年)に石炭の採掘が始まり、三池炭鉱発展の礎となったのです。
 
眼鏡橋から暫く歩くと、線路敷跡が見えて来ました。 旧三池炭鉱専用鉄道敷です。

   ●旧炭鉱専用鉄道敷           ●石炭輸送機関車 
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明治11年(1878年)、石炭採掘各坑口と有明海の石炭搬出港までを結ぶ馬車鉄道が敷設され、明治24年に蒸気機関車が走り、明治38年には三池港まで全線が開通しました。 総延長は150kmにも及んだそうです。大正時代には電気機関車が導入され、昭和に入ると旅客鉄道としても活躍しました。 当時の栄光が偲ばれます。
 
旧鉄道敷跡の横を通る一般道を数分歩くと「三池炭鉱 宮原坑」が遠くに見えて来ました。
三池炭鉱は明治日本の近代化をエネルギーの面で支えた「産業革命遺産」です。その三池炭鉱を語るに、團 琢磨(だん たくま)を忘れてはいけません。
 
團 琢磨(だん たくま) 18581932
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安政5年(1858年)福岡藩の下級藩士の家に生まれ、藩校の修猷館に学ぶ。13歳の時に旧藩主・黒田長知の共として、岩倉使節団に同行し、渡米します。そのまま、マサチューセッツ工科大学に留学。鉱山学を学んで帰国後、工部省に入省。明治21年、官営の三池鉱山が三井に民間売却される際、三井三池炭鉱社に就職。最高責任者として、宮原坑・万田坑などの開坑、輸送鉄道の敷設、三池港の築港に乗り出します。三池港の築港に際し、「石炭山の永久ということはない。築港をやれば、そこにまた産業を興すことが出来る。築港をしておけば、いくらか百年の基礎になる」という言葉を残しています。 その言葉の通り、三池港は現在も物流拠点として、大きく産業を支えているのです。 先を見据えた目で、三池の近代化に大きく貢献すると共に、三井三池炭鉱社を三井グループのドル箱に成長させます。大正3年(1914年)、三井財閥の総帥となり、経済連の前身である日本経済連盟会の初代会長に就任しました。
 
岩倉使節団に同行し、渡米した福岡藩出身者がもう一人います。 金子堅太郎です。彼も米国に残りハーバード大学で法律を学び、帰国後は官僚・政治家の道を進みます。福岡藩は幕末に人材を失い(辛酉の獄・乙丑の獄)、薩長土肥から遅れをとり、明治維新の波に乗れなかったのですが、まだまだ優秀な人材が育っていたのです。
 
宮原坑に到着です。 見えているのは第二竪坑櫓で、日本に現存する最古の鋼鉄櫓(明治34年築)です。
                 ● 宮原坑 
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我々はウォーキングマップに従い、道路を歩いて来ましたが、線路敷跡を歩いている人もいます。 広場にはテントも張られていて、祝日ということで、「鉄道敷跡クイズラリー」が開かれているようです。
 
第二竪坑櫓の横に建つ赤煉瓦の建物は捲揚機室です。建物の横には石炭運搬用のトロッコが・・・当時のままの姿を残しています。

   ● 石炭運搬用のトロッコ            ●捲揚機 
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建物の中には2基の捲揚機が設置されています。このワイヤーロープで竪坑内に炭鉱夫を下ろしたり上げたり、また、掘った石炭を運ぶケージを昇降させていたのです。
 
建物横の説明版に下の写真が載ってました。

               ●坑内での作業 
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大正時代の坑内作業の様子です。 当時の坑内作業は、「世界の記憶」に登録された山本作兵衛の炭坑記録画でも分かるように、男はふんどし1枚、女も腰巻1枚で行っていました。 この写真は着物が汚れていない様子から、写真撮影の為に着物を着ていたのではないか?と説明板に書かれています。この頃は、子供も作業が可能でしたが、昭和6年(1931年)から禁止となりました。
 
写真の左上の坑夫は地下足袋を履いています。良く見えませんが・・・履いているのです。大正時代、久留米で従来の足袋を製造販売していた「日本足袋」の石橋徳次郎は考えました。足袋の底に波型を入れたゴムを貼ったら滑りにくいのではないか・・・ゴムの種類や形など、色々試行錯誤を繰り返した末、生まれたのが地下足袋なのです。地下足袋はたちまち三池炭鉱の鉱夫から人気を博し、全国に広がりました。 地下足袋は靴などの履物を履かずに、直に地面を歩けるので「直(じか)足袋」だったのです。 三池炭鉱・筑豊炭鉱のほとんどの鉱夫が地下の坑内で履くので「地下足袋」の当て字が使われるようになったのですが、現在では「地下足袋」が通常名称になりました。
石橋徳次郎の弟・石橋正二郎は「日本足袋」で兄を手伝っていましたが、地下足袋のゴムを研究していたノウハウを活かし、タイヤの製造を手掛けます。石橋=ブリッジ・オブ・ストーン。 現在のブリジストンです。
 
宮原坑をあとに、諏訪川の橋梁から「三池炭鉱専用鉄道敷跡」を歩きます。

               ●三池炭鉱専用鉄道敷跡 
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線路敷跡の先に万田坑の櫓が小さく見えます。 ここから熊本県荒尾市に入ります。
 
途中に駅のホーム跡が残っていました。 旧万田駅です。

    ●旧万田駅跡              ●当時の万田駅 
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炭鉱専用鉄道が通勤電車として運用されていた頃の駅です。 昭和59年(1984年)、運行が終了しました。
 
万田坑に到着です。奥が第二竪坑櫓。 手前の赤煉瓦建物は捲揚機室です。

                 ● 万田坑
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万田坑は宮原坑に次いで、明治35年(1902年)に開坑されました。
 
地元のイベントが開かれていて、たいへん賑わっていました。 早速、中の建物群を見学に回ります。 倉庫およびポンプ室の前で、小学生がチームを組んで訪問者に設備の説明をしています。
 
          ●小学生による倉庫およびポンプ室の説明 
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学校教育の一環ですかね・・・はっきりした声で、大変分かり易かったですよ。ありがとうございました。

          ● 竪坑入り口              ●竪坑の説明
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     ●竪坑口信号所            ●炭鉱夫の浴場
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信号所は捲揚機室の運転手や坑底と鐘やベル、電話などで連絡をとりあう部屋です。
浴場は重労働から戻った炭鉱夫さんにとって、最高に気持ち良い安らぎのお風呂だったのでしょう。

再び、線路敷跡を歩きます。 この方向は、團 琢磨が築港に力を注いだ三池港につながっています。

              ●三池港に向かう線路敷跡 
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途中、朽ち果てた駅のホームが残っています。 旧妙見駅跡です。

                 ●旧妙見駅跡 
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三池炭鉱専用鉄道の通勤電車用の駅として、線路のレールと枕木で作られたホームです。駅の北側(写真左側)に鉱員の独身寮が、南側(写真右側)には三池炭鉱病院が建っていたようです。 朽ちた枕木は何も語ってくれませんが、「俺達も日本の近代化を支えたんだ」と誇っているようにも見えます。
 
町の中に出て、鹿児島本線を通り過ぎ、四山神社(よつやまじんじゃ)に向かいます。四山神社は三池港に近い小高い山の頂に鎮座しています。 数えてはいませんが、200段以上の石段を上りました。
                 ●四山神社 
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この地に、虚空菩薩様が舞い降りてきたと伝えられ、地元の人々から「こくんぞさん」と呼ばれ祀られてきました。 明治になって、神仏習合が分離された際、神社として残したのでしょう。 弁財天社と同じですね。
 
四山神社から荒尾市内が望め、微かに宮原坑と万田坑が見えたのでカメラに収めたのですが、あまりに遠すぎてこの写真では分かりません。

                 ●荒尾市内 
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四山神社から389号線のかなり長い距離を歩き、「宮崎兄弟の生家」へ向かいます。

               ●宮崎兄弟の生家 
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明治時代、自由民権運動やヨーロッパ列強からアジアを解放する運動に生涯を捧げた宮崎4人兄弟の生家です。この家に中国革命の父・孫文が訪れたそうですから、兄弟はアジア主義を唱えていた福岡の玄洋社とも関わっていたのでしょう。
 
「宮崎兄弟の生家」から数分で荒尾駅到着です。ミニチュアの竪坑が立っています。

                  ●荒尾駅 
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写真でも分かるように、今日は本当に秋晴れの良い天気でした。
12kmは歩き甲斐がありました。 ゴール受付での万歩計、19,785歩です。
JR九州ウォーキングスタッフの皆様、お疲れ様でした。
 

團 琢磨の写真:パブリックドメイン確認済み

 


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