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首羅山遺跡 (久山町)

首羅山遺跡(久山町)
 
久山町久原(くばら)の白山(はくさん・標高289m)は、中世には首羅山(しゅらさん)と呼ばれていました。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、最盛期には360もの坊があったとされる山岳寺院の遺跡が、いま注目を集めています。

平成23年に国史跡に指定されましたが、現在も発掘中のため、一般公開は年に一度
か二度のみに限られています。
平成28年度の現地説明会が1123日の祝日に行われました。集合場所は午前930分、白山の麓の「白山神社」です。かっては山頂に鎮座していましたが、大正13年に麓に移されました。
            ●白山神社石段下の鳥居
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本日の参加者は250人を越え、4班に分かれます。 うっちゃんは3班です。
遺跡見学に際しての注意事項を聞きます。
あれ〜???、あのマイクを持った女性は見覚えがあります。

            ●出発前の注意事項
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直ぐに思い出しました。 久山町教育委員会の 江上 智恵 先生です。 
正直に申しますと、一年前のうっちゃんは「首羅山」のことをまったく知りませんでした。素人ながら歴史に興味を持って、未だ数年。 「糟屋地区文化財講演会」の第1回(27912日)と第2回(28320日)に参加したんです。糟屋地区七町と古賀市の歴史遺跡講演会です。 
            「糟屋地区文化財講演会」レジュメ
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基調講演の西谷正先生のお話を聞くのが精一杯で各地区の報告は話の筋があまり解りません。勉強不足を実感した講演会でもありました。
久山町は第1・2回とも 江上 智恵 先生が「首羅山遺跡」について報告されました。江上先生には申し訳なかったのですが、第1回目の時には「大野城跡」と「相ノ島積石塚古墳」ばかりに興味がいってました。 第二回講演会の時に、会場入り口前で各地区のパンフレットを集めた中に「首羅山遺跡」を見つけたのでした。「これは面白い!」。
            ●糟屋地区各パンフレット
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          ●講演会第1・2回 久山町 江上先生 報告資料
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江上先生の報告するパワーポイント画像も懸命にデジカメに収めたのでした。 そんなことで、今回の「現地見学会」を3月から楽しみにしていたのです。

            首羅山の想像マップ(現地配布)
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空模様が怪しくなってきましたが、第一班から順次出発。第三班は久山町ボランティア連絡協議会の阿部重信さんの案内です。 木々と竹に覆われた険しい山道を進みます。「この竹やぶのお陰で、人が入れず、遺跡が現在まで守られた」と、阿部さんのお話し。
            ●遺跡までの途中の竹やぶ
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首羅山の名の由来は・・・伝承によると、白山権現(はくさんごんげん)が百済から虎に乗ってこの山に来たが、乗り捨てられた虎の猛威に恐れた村人たちが、この虎を殺したところ、虎の首が光ったそうな。村人は虎の頭を薄絹(羅物)に包んで埋め、十一面観音を祀ったことから、「首羅山頭光寺」と名づけられたそうです。首羅の「首しゅ)」は「虎の首」だったのですね。「かかし祭り」が開かれている久原の会場地域に「首羅山頭光寺」が現存しています。
 
竹やぶを切り開いた山道を登り、途中の尾根を越え、少し下ると「墓の尾」に着きます。
■ 墓の尾
 ●「墓の尾」を説明する江上先生のお嬢さん        ●板碑
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主な遺跡には専門の解説員が待機しています。 「墓の尾」の説明をしているのは、なんと江上 智恵 先生のお嬢さん(高校生)でした。 人口8,500人の久山町では、子供から大人まで町民全員が地域活性化事業に携わります。その取り組みは全国の自治体から大きな評価を得ています。 小学校では首羅山遺跡の歴史学習が行われ、本日の受付誘導も小学生が行っていました。 
江上先生のお嬢さんの説明によると、ここは首羅山の各坊に住んでいた人々の墓地とのこと。文保二年(1318年)の銘が刻まれた「板碑」が三基発見されています。
江上先生のお嬢さんを見ていて思ったのですが「カエルの子はカエル」ですね。

「墓の尾」から少し登った谷筋に「石鍋製作所跡」が確認されています。
■ 石鍋製作所跡
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韓国料理の石焼きビビンバに使用する石鍋ですね。大きな石からくり抜かれた丸い石が残っています。そこから鍋の形に削っていくのだそうです。この石の種類は「滑石(かっせき)」との説明ですが、うっちゃん達年代では「オンニャク(温石)」ですね。砂利石の中から「オンニャク石」を見つけて、地面に”ドッチボール”の線を引いていました。解説員の高武さんによると、当時は石鍋4個と牛一頭が交換されるほど高価だったそうです。

 ■ 庭園遺構
今年320「第2回 糟屋地区文化財講演会」時に、江上 智恵 先生が発表された「庭園遺構」のパワーポイント画像です。

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首羅山山岳寺院は博多綱首(ごうしゅ・博多を拠点に禅寺を支援していた中国商人)との係わりが深いとされています。そんな博多綱首とか高貴なお坊様が訪ねて来た時の貴賓館だったのでしょうか? 解説員の永島さんが熱く説明されていました。

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見学会に合わせて、この日は発掘作業が行われています。 ここは平安時代末期、谷を埋めて平地に造地されています。 の場所はV字の谷だったことが分かります。は池が配置されていた遺構です。を流れていた水はまで引かれ、石の間から滝のように池に流れ込む仕組みに造られています。池の左側では大陸由来の珍しい「蓬莱竹」が現在でも生植していました。 木々・竹・石と池が配されたきれいな庭園が想像できます。
 
ここから更に頂上を目指します。 かなり急な坂を上り、山頂途中の本谷地区到着です。解説員は江上 智恵 先生でした。

●本谷地区での解説   右:江上 智恵 先生  左:三班担当の阿部重信さん 
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本谷地区では大きな五間のお堂の跡が見つかり、大陸から運ばれてきた貴重な陶磁器などが出土しています。

■ 本谷地区五間構造お堂の復元図3/20 講演会時のパワーポイントより)
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こんなお堂が山のあちこちに建てられていたのでしょう。壮大な山岳寺院エリアのイメージが浮かび上がってきます。

江上先生から、ここで出土した当時の最高級品の陶磁器破片が紹介されました。
 
    ●青白磁刻花文深鉢             ●高麗青磁印花文香炉
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2枚共、江上先生が第2回 糟屋文化財講演会時に発表されたパワーポイントからです。
青白磁刻花文深鉢12世紀頃の中国景徳鎮で焼かれたものです。高麗青磁香炉の画像は江上先生が韓国の博物館に行って、見比べている場面です。破片を持った手は江上先生の左手らしいです。首羅山山岳寺院が大陸及び半島、そして博多と深く係わっていたことは間違いないですね。

12世紀のこの頃、博多の櫛田神社から冷泉公園東側辺りに、日本で初めてのチャイナタウン(中国人街)が出現していました。博多が日宋貿易の一大拠点だったのです。
 
小雨が止んで、西方を望むと博多湾、その先に糸島富士(可也山)が確認出来ます。
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本谷地区から再び険しい坂を上って山頂地区に向かいます。

山頂までの最後は66段の石段が確認されていますが、発掘調査中のため東側を上ります。
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いよいよ今回のハイライトです。薩摩塔が楽しみ。
■ 山頂の祠と薩摩塔と宋風獅子(久山町教育委員会発行パンフレットより)
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祠は江戸時代につくられています。祠の手前両側に二基の薩摩塔、一番手前両側が宋風獅子です。解説員は九州歴史資料館の 井形 進 先生です。

宋風獅子は風化が激しくて実形が良くわかりませんが、井形先生の話によると、左方が子獅子を抱き、右方は毬を持っている姿のようです。

    ● 左方 宋風獅子           ● 若杉山太祖宮の宋風獅子
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2回 糟屋文化財講演会の篠栗町教育委員会平ノ内 武史 先生は「若杉山太祖宮の宋風獅子」をパワーポイントで紹介されました。その時の画像が右です。おそらくこんな姿をしていたのでしょう。9月に訪れた早良区飯盛神社の狛犬も、子供と毬を抱いていたように記憶しています。 宋風獅子は福岡平野に集中していますが、いずれにしても日本に15対のみを数え、南宋期に大陸で制作された貴重な石造獅子なのです。

         ● 薩摩塔(左方)久山町教育委員会発行「首羅山遺跡」より
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九州でのみ40基程度が数えられ、昭和33年に薩摩で初めて確認されたことから「薩摩塔」と呼ばれています。 聖なる強い気を感じたのです。
井形先生は首羅山の薩摩塔と宋風獅子は同一時期同一工房で制作されたことが推測できると説明されました。
 
  ●参加者に熱を込めて説明されている井形先生。 後ろ向きですみません。
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薩摩塔の下の壇四面には四天王像が彫られていて、井形先生の調査によると、其々に中国兵士の武具を着しているようです。
            ●薩摩塔左方の四天王像  (当日配布資料より)
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その上に配された壺型塔身には窪みがあり、中に尊像が彫られています。
      ●薩摩塔左方の尊像 (久山町教育委員会発行・文化財マップより)
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普段良く見る仏尊像とは違います。庶民的で温かな表情ではありませんか。うっちゃんには、この尊像は心から世界平和と人々の安らぎを切に願っている姿に映ります。
貴重な遺物を見学させていただきました。  
 
山頂から白山神社に下山します。 境内では久山の皆さんが「シシ鍋」を準備して待っていました。 とても美味しかったです。身体が温まりました。ありがとうございます。
久山町教育委員会、九州歴史資料館の皆様、ありがとうございました。
 
博多にチャイナタウンが出来て、そこに住む中国人は貿易を担うとともに国際性に富んだ高い水準の文化をもたらしたのでしょう。建久6年(1195)、宋から帰国した栄西(ようさい)によって日本最初の禅寺である聖福寺が博多に建立されます。その後も日本の多くの僧や商人も宋に渡り、新しい文化を次々と持ち帰りました。彼らや博多綱首が求める精神的な支えとして、近隣に山岳寺院が栄えたのでしょう。博多湾の交易拠点は博多の息浜(おきのはま)のみならず、香椎、多々良、箱崎、姪浜、今津・・・と広い範囲だったようです。 当時、多々良潟は内陸に深く入り込んでいたようで、江辻鎌田辺りまで船で上っていたのではないでしょうか? そこから現在の21号線に沿って、大陸の文化が首羅山に届けられる・・・そして、その道は若杉山、宝満山、英彦山へとつながって行く・・・浪漫ですね。

最後に「久山町長が語る 首羅山遺跡の歴史と未来」を紹介します。
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