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香椎うっちゃんのブログ
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人参畑塾〜千年門 (福博プチ散歩)
 
今回は博多駅から南西の住吉方面〜キャナルシティ〜櫛田神社〜大博通り〜千年門と回って博多駅に戻ってきます。
博多駅博多口(大博通り側)に出ると、左側がKITTE博多ビルです。その手前に「黒田節像」が立っています。

① 黒田武士像
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文禄5年(1596)、黒田長政の家臣・母里太兵衛福島正則酒宴の席で、正則が強要した酒盃を飲み干し、約束した名槍・日本号を手に入れたのでした。

昭和3年(1928)、昭和天皇御大典記念として、全国でラジオ放送が始まりました。NHK福岡放送局(前身)では「九州民謡の夕べ」の中で、筑前今様として謡われていた 酒は飲め飲め飲むならば〜〜これぞまことの黒田武士 が流れました。 その時の放送係だった井上精三が、この曲を「黒田武士」と紹介したのですが、ラジオを聴いていた人々は「武士」を「節」と理解したようです。 以後、「黒田節」として現在に至っています。「名槍・日本号」は福岡市博物館の所蔵です。
 
昨年の春に開業したKITTE博多ビル入り口前に、ハート形のかわいいポストが置かれています。

② KITTE博多入り口のハート形ポスト
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ハートの上で天使が遊んでいて、ハートには矢がつき刺さっています。このポストにラブレターを投函したら、想いが叶った、と言う噂が広まり・・・市外からもわざわざ投函しに来る人もいるとか。 一生の間にもう一回でも、そんなワクワク感のある手紙を出してみたい・・・ダメ? 言ってるだけです。 「KITTE」とは「郵便の切手」のことですが、「来て」もかけてあるようですよ。
 
                   人参畑塾〜千年門 (福博プチ散歩) 散策図   
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KITTE博多前の住吉通りを南に下ります。JRJP博多前から駅前3丁目の信号を過ぎて250mほどで③中国南方航空の店前に着きます。 店の右側に石碑が立っています。

③ 人参畑塾跡碑
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人参畑塾とは高場乱(たかばおさむ)が開いた「興志塾」を言います。高場乱は福岡藩の眼科医の二女に生まれたのですが、男として育てられ医者になります。当時は男装で両刀を差して町を歩いていたそうです。亀井南冥(金印を査定した学者)の息子・亀井昭陽の塾(百地社)で学問を修め、晩年は医業の傍ら自らも塾(興志塾)を開設し、教育にも携わったのです。塾を開いた場所が福岡藩の薬用人参畑跡だったので、「人参畑塾」と呼ばれました。ときは明治6年、西南戦争4年前。
             ④ 近くの人参公園
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入門して来たのが、頭山満・平岡浩太郎・箱田六輔・進藤喜平太など旧福岡藩士で・・・明治から昭和戦前までの日本の政治に大きな影響を与えた政治結社・玄洋社を創設した主要メンバー達でした。進藤喜平太の4男・進藤一馬は昭和47年〜61年の間、福岡市長を務めています。入門した旧藩士の中で、武部小四郎、越智彦四郎らは西郷隆盛に呼応しようと決起したのですが、捕らえられ斬罪となりました。

 東林寺  *地図上では番号が飛びました。 印の場所です。
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元禄9年(1696)、三代藩主・光之の側近であった立花実山により、曹洞宗の禅寺として創建されました。実山は詩文・和歌・禅に造詣が深く、文武両道の当代きっての文化人と言われていたのです。茶人としても、千利休の詫茶の精神を伝える書を写し、「南方録」として研究を重ね「茶道 南方流」をおこした人物として知られています。「南方流」は現在まで印の円覚寺(茶と禅の道場)に伝授されています。東林寺の創建当初は祇園町に所在し円覚寺に近かったのですが、明治42年2代目博多駅建設に際して、この場所に移転しています。東林寺境内には立花実山の墓所があります。
 
⑤ 楽水園
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オフィス街の中の静かな日本庭園です。明治39年、博多の商人・下澤善右衛門の住吉別荘です。「楽水」とは善右衛門の雅号。 平成17年、福岡市が池泉回遊式の日本庭園として整備し開園しました。敷地内に茶室があって、お抹茶がいただけます(有料)。
シルバー手帳で入園料(100円)が無料になります。訪れた先週の31日(火)が休園日でしたので、昨年3月27日撮影の写真で紹介しています。               
                 楽水園庭園
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庭園内では、シダレザクラ、ヤマブキ、ハナショウブ、モミジなど四季折々の花々を楽しむことが出来ます。都会のど真ん中だとは、信じられませんよ。

 
⑥ 住吉神社
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全国2000社ある住吉神社の始源とされ、航海安全の神として信仰されてきました。本殿は元和9年(1623)、黒田長政が再建したもので、古来の神社建築様式「住吉造り」となっており国の重文に指定されています。 古代力士像に触ってパワーを貰ったり、末社の三日恵比須神社、稲荷神社にもお参り下さい。住吉神社はうっちゃんブログで度々紹介していますので、この辺で先に進みます。
 
⑦ 住吉宮前通り
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地図上の青点線を路面電車(市電)が走っていました。緑印の場所が旧博多駅。路面電車は北へは三笠川を渡り千代町方面へ、南へは住吉から渡辺通り・六本松方面へ向かっていました。
 
⑧ 鶴亀湯
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住吉宮前通りに昔懐かしい「鶴亀湯」と言う名の銭湯があります。宮崎産の備長炭を使って、成分のアルカリ分を湯に溶出させています。 湯が柔らかくなり、とても体に良いそうです。 毎月26日の午前は「ふれあい朝湯」でシルバーの方は無料になるそうです。
 
⑨ 幸運のカエル
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キャナルシティ・イーストビル・ユニクロ店前の派手な色彩のカエルが人気を集めています。台湾人アーティストのハン・イー(洪易 Hung ,Yi)さんの作品です。台湾風タイトルでは「福蛙 Lucky Frog 」になります。一見不思議な世界のように感じますが、これは台湾で幸せを表す伝統的な模様なのです。先住民族のアミ族が踊りの時に着る女性の衣装がこんな感じでした。
 
キャナルから国体道路を渡り、櫛田神社に向かいます。

⑩ 櫛田神社のおたふく面
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節分祭の時期になると、日本一おおきな「おたふく面」が設置されます。「おたふく」は「お多福」と書きますから、お面の口を通って参拝すると、福がもたらされます。
香椎宮の「おたふく面」もご利益ありますよ。
 
干支恵方盤
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「おたふく面」を通って正門の天井を見上げて下さい。「干支恵方盤(えとえほうばん)」が吊り下げられています。大晦日になると新しい年の恵方を矢印を回して示します。「恵方」とはその年の「いい方向」ということで、干支の十干(甲乙丙丁・・・)で表します。2017年は丁酉(ひのととり)ですから、十干は「丁(ひのと)」です。今年の恵方は「丁」の方向で「北北西やや北」になります。亥(いのしし)と子(ねずみ)の間に矢印が向いています。先週は恵方巻を食べましたか? 「北北西やや北」の方角を向いて黙って丸かぶりしなければなりません。
 
博多ねり塀
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戦国時代、博多は大友・島津軍の戦いによって焼け野原になってしまいました。九州を平定した太閤秀吉は博多復興に取り掛かります。神社仏閣や博多豪商の屋敷の塀は、焼け跡の石や瓦が材料に使われました。それが、「博多ねり塀」です。 櫛田神社境内(本殿の後ろ)の「博多ねり塀」は、中呉服町にあった博多豪商・嶋井宗室の屋敷から移築復元したものです。
 
⑪ 鹿島本館
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明治22年に旧博多駅が祇園町に開業すると、周辺に木造旅館が立ち並びました。冷泉町から御供所町にかけてはB29の空襲から幸いに外れ、町家や神社仏閣が残りました。櫛田神社の門前に位置する「鹿島本館」は、大正時代の数奇屋造りの旅館建築で国の有形文化財登録です。
 
⑫ 博多鋏(はかたはさみ)高柳商店
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鎌倉時代に中国の商人・謝国明(しゃこくめい)が、その技法を伝えたと言われています。日本刀と同じ鍛冶技法で作られており、親から孫まで100年はもつと言われています。 その伝統の技法を引き継ぐ唯一の職人が高柳商店4代目・高柳晴一氏です。店が閉まっていたので、近くの果物屋さんで尋ねると、ご主人は昨年から入院されているそうな。心配です。博多の伝統品を守って行きたいものです。
 
この後、大博通りに出て、御供所町のお寺を回って千年門に行こうと思っています。
聖福寺東長寺妙楽寺承天寺については「大博通り-① 福博プチ散歩」を参照下さい。
 
承天寺通りを千年門へ向かいます。
               承天寺通り
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⑬ 博多千年門
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奥村玉蘭が江戸時代の1810年頃描いた墨絵に「筑前名所図絵」(福岡市博物館所蔵)があります。その中に博多/大宰府間を結ぶ官道の博多側入り口に「辻堂口門」と呼ばれていた門が描かれています。地域住民・企業・行政が一体となって、それを再現したものが「博多千年門」です。

門扉の板材は大宰府天満宮から寄贈された、樹齢千年の「千年樟」が用いられています。表の扁額「博多千年」の文字は、菅原道真の子孫にあたる大宰府天満宮宮司・西高辻信良氏によります。見返りの扁額「萬年正続(まんねんしょうぞく)」は中国浙江省杭州の「径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)」の現在の住職・戒興(かいこう)氏によります。 
                           千年門 見返り
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鎌倉時代に承天寺を開山した聖一国師(しょういちこくし)は、宋の時代に径山万寿寺で修行しました。径山万寿寺が火事で炎上した時、聖一国師は万寿寺復興のために,
博多から板千枚を寄進したのです。800年を経ても友好が続いています。そして、博多の町が千年も万年も栄えていきますように。
 

参考文献:「福岡博覧」(海鳥社)、「博多謎解き散歩」、博多ガイドの会「博多の魅力」ホームページ、他
 
 
 

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