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香椎うっちゃんのブログ
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旅人よ

旅人よ
 
先月の4月11日で加山雄三は80歳です。以前より「永遠の若大将」と言われていましたが、本当にそれを証明しましたね。うっちゃんが高校生の頃、彼は 弾 厚作 の名前で一年に何曲もヒット曲を発表していました。 慶應ボーイでスポーツ万能、映画俳優として活躍しながら作曲をして、その歌をエレキを弾きながら唄う・・・若者の憧れの存在でした。イヤ、現在でも歳を重ねつつある”うっちゃん”にとっては、学ぶべきことが多い人生の先輩であります。

 明治の元勲・岩倉具視の玄孫であり、父親が上原 謙、母親が小桜 葉子という、サラブレッドの家系に育っていながら、威張ることもなく、思いやりのある明るい性格・・・そんなところが好きなのです。 1970年に父・上原謙と共同で経営していた茅ヶ崎のホテルが倒産しました。巨額の借金を抱えながら質素な生活が続いていたこともあったようです。人生の浮き沈みを経験したことも大きな財産になっているのでしょうね。
 
今日の「思い出の一曲」は「旅人よ」です。 勿論、楽曲のパートナーである岩谷時子氏の作詞ですが、この詞の中につらかった思い出が・・・。 

       「旅人よ」、「夜空を仰いで」ジャケットと赤盤レコード
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写真を撮るために、押入れからシングル盤を引っ張り出してきました。 ビニール袋からジャケットと取り出した時に、ある事が分かりました。 普通、ジャケット面は表紙だけで、A面の曲タイトルが大きく書かれ、B面曲は小さく書かれています。このジャケットは表・裏面でA・B面曲が逆転しています。 どちらともA面なのです。 レコードのレーベルにはA・B又はSide-1・2と書かれているのですが、それがありません。 でも一般的に言えば、「旅人よ」がA面でしょう。 

旅人よ」のジャケットはザ・ランチャーズ(ヒット曲”真冬の帰り道”が有名)のメンバーと一緒に写っています。

ターンテーブルが黒色なので、レコードの色が分かり難いですが東芝レコード赤盤です。 静電気防止剤が混入されたレコードでしたから、ホコリが付きません。
 
先に岩谷時子氏の詞の部分のみを読んで下さい。
 
「旅人よ」
作詞 :岩谷時子    作曲 :弾 厚作    歌 :加山雄三
 
風にふるえる 緑の草原        たどる瞳かがやく 若き旅人よ
おききはるかな 空に鐘がなる     遠いふるさとにいる 母の歌に似て
やがて冬がつめたい 雪をはこぶだろう
君の若い足あと  胸に燃える恋も 埋めて
草は枯れても いのち果てるまで   君よ夢を心に 若き旅人よ
 
赤い雲ゆく 夕陽の草原    たどる心やさしい 若き旅人よ
ごらんはるかな 空を鳥がゆく   遠いふるさとにきく 雲の歌に似て
やがて深いしじまが 星をかざるだろう
君のあつい想い出 胸にうるむ夢を埋めて
時はゆくとも いのち果てるまで  君よ夢を心に 若き旅人よ  ム・・・・
 
この曲の「辛い思い出」としては、・・・ちょっとですね・・・。 昭和48年(1973)冬の出来事は、後で話しますので、先にyou-tubeで聴いて下さい。

        旅人よ   You-Tube      WAKADAISHO0217さん提供 
 

何度聴いても心に沁みます。 会社への入社は福岡営業所。 若き独身時、1年間の短期留学制度に希望して東京本社へ転勤。 親元を離れて、憧れていた東京生活。 中央線阿佐ヶ谷の独身寮に入ります。寮のおばさんが食事やお風呂の準備はしてくれるので、布団と身の回り品だけ持ってくれば良い、との人事部からの案内。 それらを年末に貨物で送り、自身は正月明け2日の夜行寝台列車で東京へ。 3日昼過ぎ、東京駅から寮がある阿佐ヶ谷駅に到着。寒い日だった。 

母が買ってくれた”ひよこ”を持って寮のおばさんに挨拶。 鍵をもらって部屋に入ると、布団と荷物が届いていた。 フッと気が付くと部屋の中には、押入れ以外は何もない。 おばさんの話によると、地方からの学生の下宿が多いので、近くに家具・電気製品の中古品店があるという。 しかし、正月で開いていない。次の日曜日に買いに行こう。 食事は4日の朝食からなので、夕食は外で食べなければならない。 両親から、新宿は怖いところだから絶対行くな、と言われていたけど、興味があったので新宿駅の近くで食べた。 別に怖くはなかったが、人が多いのには驚いた。 

その日の晩は先輩入居者や、他の地方からの転勤者とも食堂で挨拶できた。誰かが持ってきた酒を飲みながらワイワイガヤガヤ。  解散して部屋に戻ったところから、問題の思い出が始まる。 食堂は石油ストーブで温められていたが、部屋には暖房器具が無い。 寒くて、ブルブルッと身震いした。 早く布団に入って寝よう。 布団が冷たい。 体温で温まるまで我慢。 でも、それでも寒い。 福岡と同じ布団で寝ているのに・・・。 東京の方が寒いということが初めて分かった。 何だろう、この孤独感。 真っ暗な中で・・・何故か虚しい。 膝を抱いて丸くなって寝た。 

4日の朝、本社出勤。 未だ仕事の中身が解らない。 みんな、どうしてこんなに慌しく動き回っているんだろう。 気分的に焦っちゃう。 きちんと標準語で話ができているんだろうか、博多弁が出ているようで気になる。 課内の簡単な歓迎会を終えて寮に戻る。 とても長い一日が終わった。 少し酔っている。 昨日よりも更に寒くなっているようだ。 雪が降るかもしれない。 話し相手のいない寒い部屋に一人座り込む。 今頃、福岡だったら、母が「お風呂沸いてるヨ」と声をかけてくれる。 風呂上りは父や母、そして弟や妹らと温かいコタツに入ってテレビを見たり談笑したり・・・。 なのに、今はとても寂しい。 家を出て一人で暮らしたいなんて思わなければよかった。

小銭を持って阿佐ヶ谷駅の公衆電話へ。 家に電話をかけると母が出た。 10秒位で10円玉が1個落ちる。 「きのう 着いた時になんで電話せんやったね。心配しよったとよ。 なんか足らんもんなかね。すぐ送るけん。風邪ひかんようにね。お父さんに代わるね」と言うと直ぐに父の声になった。10円玉が少なくなったので、母と同じような話をして切った。父からは福岡を発つときに「お母さんに内緒にしとき」と言って餞別を貰っていた。小雪がチラついて来た。 二人の声を聞いて少しホッとしたが、寮の部屋に戻ると寒くて再び寂しくなった。トランジスタラジオのスイッチを入れた。 福岡と東京ではラジオ局の周波数が違う。丸いダイヤルを廻しながらチャンネルを見つける。 音楽番組だった。 加山雄三の「旅人よ」が流れてきた。
 
 おききはるかな 空に鐘がなる  
 遠いふるさとにいる 母の歌に似て〜 
 やがて冬がつめたい 雪をはこぶだろう〜 

虚しさと、寂しさと、寒さにも、男として我慢していたが、涙が関を切ったように流れ出した。 隣の部屋に聞こえないように、ウッ、ウッと声を詰めて泣いた。
 
この夜の出来事を語るために、長い前段を話しましたが、今でも忘れることなく鮮明に覚えています。 その父は3年前に亡くなり、母は認知症になり施設で暮らしています。
 
この後の一年間がどうなったのかのお話しを加えておきます。 父から貰った餞別で、一人用コタツと追加の毛布を買いました。 給料で壁掛けの時計や本棚を買って、部屋らしくなりました。 恵まれたことに、職場の仲間は田舎育ちのうっちゃんにも良く指導してくれました。 この時の仕事仲間の縁で、再び本社勤務の機会が巡ってくることになります。 最初に泣いてしまいましたが、結果として、チョッピリ成長した1年になったのだと思います。
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12月の暮れ、福岡に戻る時に、職場の仲間からもらったプレゼントが、カーペンターズのLP「Now&Then」でした。この年に大ヒットした「イエスタデイ・ワンス・モア」の企画LPです。 昭和48年(1973)の年始めの思い出曲が「旅人よ」、年の終わりの思い出曲が「イエスタデイ・ワンス・モア」。この2曲は体の中に住みついています。うっちゃんにとっての「イエスタデイ」とは、昭和48年(1973)のことです。


 5年10年と何回も季節が巡った時に、うっちゃんは分かりました。 人生そのものが「旅人」だと言うことが。 この歌はその旅人(人生)を励ましてくれたり、応援してくれたり、心の支えになってくれていたのです。
 
♪ がて深いしじまが 星をかざるだろう 
♪ 君のあつい想い出 胸にうるむ夢を埋めて 
♪ はゆくとも いのち果てるまで  君よ夢を心に 若き旅人よ〜  
 
夢を心に持った人生はまさに旅。 幾つになっても青春の心を持ち続ける加山雄三という男の背中を追いかけながら・・・そして、「旅人よ」を聴きながら、もう暫くはシニア青春を楽しみながら旅をしよう!
 
加山雄三ファンですから「若大将シリーズ」は全て個人用に編集しています。
            オリジナルDVD「若大将シリーズ」
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カセットテープ、レコードもデジタル化してCDに編集しています。 
                 オリジナルCD
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ところが、一番大事な「旅人よ」が抜けていることが分かりました。 編集中にミスをしたんでしょう。 まあ、「旅人よ」は、このレコード盤で聴きます。
 
 
 
 

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