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佐賀市へのプチ旅

佐賀市へのプチ旅
 
会社時の仲間4人で、久しぶりに一泊の旅に出掛けました。 4人のうち3人は福岡で親の介護を抱えています。 何かあった場合には、1時間以内に帰ってこれるところ・・・という事で、泊まりは佐賀市川上峡温泉の「ホテル 龍登園」に決めました。
 
5月15日(月)、糸島の方から三瀬峠を越えるルートで出発。 「伊都菜彩」(糸島の道の駅)の中の”うどん”が美味しいとの情報を得ていたので、遅い昼食ではあったのですが、まずはそちらへ向かいます。

           「伊都菜彩」の休憩スペース 
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緑の中の食堂って感じですが、「伊都菜彩」で購入したお弁当などを、ここで食べることが出来ます。 この奥に「まるいと うどん店」があります。
ここの”野菜天うどん”が人気なのです。 注文を受けてから、揚げます。

     まるいと うどん            野菜天うどん 
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店内も「伊都菜彩」の食品持込OKです。 カツサンドを皆で分けて食べました。
まるいと うどん”は、出汁も麺も野菜掻き揚げ天も大変美味しかったです。
 
早良区の曲渕ダムを見学して、三瀬峠へ向かいます。 

                  曲渕ダム  
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福岡市が本格的な上水道完備の為に、大正5年から7年をかけて完成させたダム。
 
三瀬峠を越えて、嘉瀬川沿いの263号線を佐賀市内方面に下ります。 おしゃべりタイムの為にコーヒーブレイクです。 道路左側に素敵なカントリー風カフェを発見。

             カフェ ”ふりぃだむ” 
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オーナーのこだわりなのか、木材は全てカナダからの輸入材だそうです。 店内に入って、びっくり!。 店の真ん中にクラシックカーが置いてあります。 いや、展示しているのではなく、車庫なんですね。 後ろの扉から出庫できるようになっています。

    クラシックカー               木の香り漂う店内 
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久しぶりに集まったので、美味しいコーヒーを飲みながら、積もる話もいっぱい。
 
          道の駅「やまと」の横を流れる、嘉瀬川 
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時には都会の喧騒から逃れ、自然の中に身を置かなければいけません。
 
ホテル龍登園」は ”道の駅「やまと」”からすぐの距離。 263号線左側に「龍登園」と彫られた大きな一枚岩が立っています。 
              川上峡温泉 龍登園 到着 
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              楽しみにしていた夕食 
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温泉に浸かって、楽しい夕食。 部屋に戻ってからも、ビールを飲みながら、思い出話が続きます。  食事も含め、「龍登園」については、改めて別の機会に紹介します。
 
                5月16日(火)

朝食をいただいて、出発前に「龍登園」が育てている”バラ園”を観賞。朝のバラは色がキレイです。
              龍登園のバラ園  
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「ホテル龍登園」前を流れる「嘉瀬川」に鯉の大群が泳いでいました。
              嘉瀬川を泳ぐ鯉の大群 
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ここから市内を横切って、筑後川方面に向かいます。 着いたのは「ドロンパ」。
ドロンパ」???・・・オバQに登場するキャラ?・・・キンキン(愛川欽也)の奥さん?・・・それはケロンパ(うつみ宮土理)か・・・。

                 ドロンパ  
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ドロンパ」とは「佐賀市観光情報発信会館 橋の駅」の名称です。 「道の駅」、「海の駅」・・・そして「橋の駅」・・・なるほどネ。 観光スポット、イベント情報の提供の他、弁当、惣菜、農産物・海産物が販売されています。 「ドロンパ」とは有明海の干潟(泥・ドロ)の上で、ムツゴロウが背ビレをッと広げて飛び跳ねる様子を表現した言葉のようです。
 
橋の駅」の「橋」とは、「筑後川昇開橋」です。 写真は昭和30年頃の「筑後川昇開橋」で、右側が福岡県大川市、左側方向が佐賀市諸冨町になります。

                筑後川昇開橋  
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かって、長崎本線の佐賀駅と鹿児島本線の瀬高駅を結んで、距離・時間を大幅に短縮できた旧国鉄の佐賀線が存在していました。大川の家具は佐賀線から全国に出荷されていたのです。 全盛期には佐賀線を利用(通過)して、熊本/長崎間を結ぶ急行「ちくご」が走っていました。

佐賀線が通る九州最大の河川・筑後川には全長506mの橋が架けられましたが、大型船舶の航行に支障をきたすことから、「昇開橋」として建造されたのです。 列車運行時以外は中央部の橋桁を上昇させることが出来ます。

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昭和62年(1987年)、民営化直前に佐賀線は全線が廃止されました。 この橋は日本最古の昇開式稼動橋として、国の重要文化財に指定されています。 現在は遊歩道として整備され、1日に8回橋桁が昇降し、歩いて渡ることが出来ます。
 
佐賀市諸冨町側から遊歩道を橋桁中央部に向かいます。
               昇開橋の橋桁中央部へ 
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橋桁中央部に近づいて来ました。 「筑後若津」とは次の駅名(大川市側)を表しているようです。
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               大川市側からの記念写真 

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中央の橋桁が昇った場面です。 この下を船が通過します。
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佐賀市諸冨町側に戻った遊歩道には、当時の佐賀線の線路が残っていました。
               当時の佐賀線の線路
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ドロンパ」から筑後川支流・早津江川河畔の「佐野常民 記念館」と「三重津海軍所跡」へ向かいます。
海軍所と言っても「大日本帝国海軍」ではありません。 佐賀藩の海軍です。 海軍所の遺構は発掘調査後に埋め戻されています。

                三重津海軍所跡図    
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江戸時代、幕府直轄の長崎港の警備を任されていた雄藩が二つあります。 我らが福岡藩と佐賀藩です。両藩はその任務から、欧米諸国の近代化と軍事技術情報について、どの藩よりもいち早く入手することが出来たため、殖産興業にも力を注いだのです。 佐賀藩は、まず、「火術方(かじゅつかた)を創設し、様式反射炉建設と火器(大砲)製造に着手。 また、江戸で学んでいた藩士・佐野 常民(つねたみ)を呼び戻し、技術者を総動員させて、「精錬方」を開設させます。 福岡藩で言えば、中洲の「精錬所」です。 「精錬方」はハイテク研究所として、蒸気機関・電信機・火薬・金属・ガラス・薬品などの開発に成果を上げます。 佐野 常民は故郷のここ三重津に「船手稽古所(海軍学校)」を開設し、藩の軍船を集結させます。

             三重津海軍所     右手の船が「凌風丸」
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 そして、慶応元年(1865年)には、国産初の蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」を進水させました。 佐野 常民は慶応3年(1867年)、参加したパリ万国博覧会会場で国際赤十字社の組織と活動を知り、後に日本赤十字社を創設しました。
 
             船手稽古所(修覆場・ドック)跡 
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遺構は埋め戻されています。
受付で「みえつSCOPE スコープ」と言う”VR視聴機器”を借りて現場に立つと、耳にしたイアホンから説明が聞けます。双眼鏡のようなものを覗くと、160年前の海軍所がCGパノラマ画像で見ることが出来ます。

       「みえつSCOPE スコープ」で見た修覆場・ドライドック 
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三重津海軍所のドライドックは自然の力(有明海の潮の干満)を上手く利用したドックでした。
 
幕末に於ける、佐賀藩の燃えるような息吹きを勉強した後、ランチに向かいます。
佐賀市内の”むつごろう専門店”「丸善」です。
              むつごろう専門店「丸善」
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有明海の海産物が入った定食を注文です。
              ムツゴロウが入った定食
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真ん中が甘露煮?されたムツゴロウ。 真っ黒で、言われなければムツゴロウとは解りません。 ちょっと骨が硬くて食べ難いですが・・・いつもは食べれませんからネ・・・ムツゴロウ食べたのは人生で3回目だろうと思います。 上のアゲマキガイも美味しかったですね。
 
ムツゴロウを食べて、福岡への帰路につきます。
 
佐賀平野に広がる麦畑が「ごきげんよう」と、見送ってくれました。
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参考資料:IRONNA ホームページ「佐賀藩の火術方は日本一のハイテク研究所」
     佐賀県ホームページ「三重津海軍所跡」
     「筑後川昇開橋」現地説明板
 
*三重津海軍所の画像2点は佐賀県ホームページからお借りしました。

 
 
 

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