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香椎うっちゃんのブログ
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三日月山・立花山 ハイク
 
5月14日(日)、西鉄ハイク(三日月山・立花山)です。 何回も登っている山ですが、いつもは長谷ダムから登ります。 今日は下原からです。 集合場所の下原公園(下原バス停)は地元ですから、奥さんに車で送ってもらいました。
 
                   下原公園 
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第1班が出発したばかりで、第2班の受付・説明を待ちます。 天気が良いので、今日も参加者は多いみたい。 しかし、黄砂の影響で山頂からの眺望が心配です。

                  コースマップ 
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ゴールは3号線バイパス平山バス停近くの原上公園。 距離は7kmで、2時間30分くらいのコースですね。
 
                   下原を出発 
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民家を抜けて登山道へ向かいます。 民家の後ろに立花山は見えています。右側の三日月山方向から登って行きます。

              リハビリテーション病院 
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香椎丘リハビリテーション病院の下道から登山道へ抜けます。 この建物は思い出があります。 痛〜い思い出です。 かなり以前ですが、この建物は、熊本に本院がある高野病院でした。 肛門科です。 そうなんです・・・うっちゃんはで悩んでいて、ここで手術して入院していたのです。 術後1週間は夜も寝れないくらい痛くて・・・手術をしていただいた高野先生は全国的に有名な先生で・・・お陰様で現在は完全に大丈夫です。 25年以上も前の痛〜い思い出でした。

                三日月山へ向かう  
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民家が見えなくなると、三日月山への登山道に入ります。

                三日月山への登山道
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道幅が狭くなり1列になって進みます。 登りやすい登山道です。 皆さん、まだまだ余裕があります。 だって、三日月山までは小学生の遠足コースですから・・・。
ところが、最後の数十メートルが急坂で苦しいのです。

            三日月山山頂(272m)から博多湾方向 
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スタートから休憩無しで、山頂(272m)に到着しました。 心配していた通りです。 眺望は最悪。 香椎照葉の町が霞んでいます・・・西戸崎、志賀島は何も見えません。

                山頂から久山方向 
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本来であれば、猪野の町がキレイに見えるんですけど・・・。
 
               三日月山から立花山方向 
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北を望むと、すぐそこに立花山(367m)が・・・天正14年(1586年)、立花宗茂と2千名の兵が守る立花城に、3万の島津軍が攻めかかります。 その時、三日月山の砦は落とされ、島津軍が占領します。 島津の兵士達は、この角度で立花城本丸を眺めていたのですね。
 
ここから少し下って、再び登ることになります。 水分補給し、5分程休憩して立花山へ向かいました。
               三日月山から立花山へ 
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立花山までの半分は、両側が落ち込んでいる稜線を歩きます。

              三日月山/立花山間の標識 
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三日月山から立花山に向かう中間点です。 ここから立花山山頂までが急坂になり、足元も悪く、苦しくなります。

              立花山山頂近くの急坂 
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登山道というよりも、石と木の根っ子で覆われた荒れ山を、這い登って行く感じです。
立花城が難攻不落の山城だったことが、良〜く分かります。

               立花山山頂 (367m) 
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立花山からも西戸崎・志賀島は見えません。 先週(5月20日)から、うっちゃんが公開講座に通うことになった九州産業大学の学内敷地が正面中央に見えます。 大きな大学です。 その左奥に福岡女子大学も見えます。
 
ここ山頂は立花城の本丸跡ですが、その面影を探すことは難しいです。 秀吉の援軍が到着するまで、立花宗茂は城を守りきりました。 秀吉は宗茂に柳川12万石を与え、立花城には小早川隆景が入ってきますが・・・隆景は山城が嫌いだったのか、名島に本城を築きます。 関ヶ原の戦いの後、黒田長政が移封して来ますが、これまた、新しく福岡城を築きます。 九州一のお城の普請ですから、石垣の石が足りません・・・立花城の石垣は殆どを福岡城に運んだと言われています。 今、立っている場所に、立花宗茂も立っていたんだと思うと彼の”気”を感じます。
 
昼食には早いですが、”おにぎり”を食べて、北側の新宮町立花山口の方面に下って行きます。

                新宮町方向に下山 
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登って来た道より、こちらの方が、傾斜が急です。 次の立花山(城)の絵画は、小幡 政義 氏が描いたものです。 中央が本丸があった立花山(井楼山)、尾根伝いに左下に行くと松尾岳、更に右の白岳と続き、砦が築かれていました。 三日月山(砦)は立花山(井楼山)の右奥です。

              立花山(城) 小幡 政義 作 
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右側(南方)が下原方面、左側(北方)が新宮立花山口です。 今、新宮立花山口の方に下っています。 絵を見ても分かるように、島津軍は傾斜の緩やかな下原・香椎(濱男)方面に本陣を置いて、三日月山・松尾岳・白岳の三方向から本丸目指し、攻め上って来たのです。 宗茂は砦の間を駆け回り、指示と檄をとばしました。 養父・立花道雪(どうせつ)に鍛え上げられた家臣団は、宗茂の指示に従い、黒田官兵衛を軍監とする秀吉の援軍が到着するまで、立花城を守り抜いたのです。
* この辺のお話しは、時間があれば「立花宗茂と香椎宮」を覗いて下さい。
 
下り始めて暫くすると、左手に「古井戸跡」の案内板があります。 
               古井戸跡  
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10mほどで「古井戸跡」に着きます。 井戸と言うよりは”水汲み場”です。 山城で篭城するには、”水”が一番大切です。

                    屏風岩 
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屏風岩から左に折れて下山します。 真っ直ぐ進むと、クスノキ(樟)の原生林がありますが、今日は寄らずに下山です。
 
それでも、所々でクスノキ(樟)の巨木に会います。
                クスノキ(樟)の巨木  
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立花山のクスノキ(樟)原生林は国の天然記念物に指定されています。 クスノキ(樟)の枝・葉は蒸留すると、樟脳が得られます。 防虫剤の原料です。 また、強心作用があるため、呼吸器系・血管心臓系の薬として用いられ、クスノキの語源は”薬(くす)ノ木”だと言われています。 我々九州の人間は当たり前のように見てますが、北海道・東北の人は「これ、何の木?」って言われます。 そして、うっちゃんはクスノキを「」としていますが、「」の漢字もあります・・・。
気になる方は、うっちゃんの「 楠と樟、どっち? 」を覗いて下さい。
 
急な登山道を下っていきます。 途中の水汲み場です。 冷たい水にタオルに浸して・・・気持ちい〜イ!

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民家が見えて、しばらく歩くと「梅岳寺」に着きます。

                   梅岳寺  
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筑後高良山で島津軍との戦の途中、病で亡くなった立花道雪(宗茂の養父)が眠っておられます。
 
                  六所神社  
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新宮立花山口一帯の”産土(うぶすな)神社”です。 立花道雪公は出陣の際は、必ず戦勝祈願をしました。 

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六所神社から国道3号線バイパスの原上公園(ゴール)までは、30分程のウォーキングです。  12時10分の到着でした。 
 
西鉄ハイク事務局スタッフのみなさん、お疲れ様でした。ありがとうございます。

*小幡政義 画 は新宮町立歴史資料館 企画展「立花城」よりお借りしました。
 

 
 

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