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香椎うっちゃんのブログ
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おんな城主 直虎  飾り山笠2017
 
NHK大河ドラマは2014年の「軍師 官兵衛」以来、「花燃ゆ」、「真田丸」、そして今年の「おんな城主 直虎」と楽しんでいます。 NHK大河ドラマは昭和38年(1963年)から始まっているようですが、「軍師 官兵衛」より前は一度も見ていません。 社会人になる前は、まずは興味が無かったこと・・・社会人になってからは、年間を通してTVを観る時間の確保が難しかった・・・「太閤記」、「竜馬が行く」、「天と地と」、「徳川家康」、などは、本を読む方が早かった・・・そんな風に感じていましたね。 仕事をリタイアしてからは、時間・スケジュールの調整も容易ですし、録画も出来ますから・・・”朝ドラ”も「マッサン」以来、見ています。 放送中の「ひよっこ」も、時代がうっちゃんの青春期と数年違いですから、懐かしく、楽しく見ています。 みね子(有村架純)が可愛い〜とです。
 
さて、飾り山笠ですが、昨年同様に今年もNHK大河ドラマをテーマにした飾りが人気です。
おんな城主 直虎」の”直虎”の人形を二つの飾り山笠で観ることが出来ます。
 
NHK大河ドラマで「直虎」を演じているのは、柴咲コウさん。 歴史ドラマではありますが、取り巻きの人間模様も面白く、毎週日曜日が楽しみです。

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山笠とは関係ない話なんだけど・・・ドラマの中で、井伊家の筆頭家老・小野 政次を俳優の高橋一生が演じています。 
          おんな城主 直虎  左が高橋一生  画像:NHK
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筆頭家老なのですが、今川家からの目付けですから、今川寄りの厳しい意見を言います・・・しかし、心の奥では直虎のことを想っている・・・それを顔の表情だけで演技しているのです。 素晴らしいです。 今、男女を問わず、どの年代からも圧倒的な人気を得ているだけありますね。 余談でした。

 
さて・・・・ 
徳川幕府の重臣・井伊家の中で、うっちゃんが名前を知っているのは、家康に仕えた四天王の一人・井伊直政・・・それから幕末時に日米修好通商条約を調印し、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の二人です。 おんな城主 井伊直虎とは井伊直政の養母です。 井伊家の拠点は彦根(近江付近)だと思っていたのですが・・・ルーツは遠江(静岡)だったのですね・・・知りませんでした。
 
それでは、10番川端中央の表「おんな城主 直虎」と 15番渡辺通1丁目の表「合戦 関ヶ原」を紹介します。
 
■ おんな城主 直虎   10番川端中央街  表  人形師:中野 親一
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戦国時代、遠江(とおとうみ)井伊谷(いいのや)を治めていたのは、今川義元の重臣・井伊直盛でした。 直盛には男子がいなく、嫡女のおとわ(後の直虎)のみでしたので、分家の嫡男・直親を跡取りと考えていました。 直盛は今川義元と共に桶狭間の戦いで討ち死にします。 直親も今川家から不信を抱かれ、2歳の嫡男(虎松・後の直政)を残して暗殺されます。 おとわは直親の遺志を継ぐべく、直虎と名乗り、虎松後の直政)の後見となって、井伊家を治めることを決心したのです。
 
10番飾り山笠の飾りは直虎が真ん中に位置していますが、他の登場人物との兼ね合いから、歴史のどの場面を表しているのかが良く分かりません。 今川義元の家来が、何故ここに登場しているのかも・・・???。 特に時代を意識していないのであれば、直政が後に仕える徳川家康を登場させた方が良いと思うのですが・・・。
 

■ 合戦 関ヶ原   15番 渡辺通1丁目  表  人形師:中野 親一   
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井伊直虎の後見のもと、すくすくと育っていた虎松後の井伊直政)は、15歳の時に徳川家康の小姓として取り立てられます。 ここから数々の戦功を挙げ、徳川譜代大名彦根藩初代藩主まで出世して行くことのなります。 家康の養女・はなと結婚し、天正10年の22歳の時(1582年)、名を井伊直政と改めます。 実はこの天正10年に、養母である「おんな城主 井伊直虎」は亡くなっています。 家康は信濃・甲斐を併合すると、武田家の旧家臣団を直政に与え、部隊を編成させます。 それが武田兵法を引き継いだ「井伊の赤備え」です。 「井伊の赤備え」は小牧・長久手の戦いで武功を挙げ、井伊直政の名は広く世に知られることとなります。 そして15番山笠の「合戦 関ヶ原」(慶長5年・1600年)を迎えるのです。

真ん中の人物は松平忠吉・・・家康の四男で、後に二代将軍となる秀忠の同母弟です。忠吉の正室は直政の娘・・・つまり直政にとって娘婿なのです。 忠吉は20歳のこの大舞台で、直政の後見のもと、初陣を飾って東軍の総大将を務めたのです。 総大将は何故、秀忠でないの?・・・この時、秀忠は真田 昌幸信繁父子が籠もる上田城に手こずって遅れた(昨年の大河ドラマ)・・・からでしょう。 関ヶ原の合戦後、井伊直政石田三成の領地・佐和山(彦根)を与えられたのです。 関ヶ原の合戦時には、養母の井伊直虎は亡くなっているのですが、直政が活躍している姿を、天国から見つめている場面ですね。
 
 
飾り山笠の写真を撮った7月2日(日)、博多町家ふるさと館からスタートする「まち歩き 山笠コース」に参加して来ました・・・昨年も参加したのですが・・・。 櫛田神社から三つの清道を巡り、再びお櫛田さんに戻ってくる1時間コースです。 
             
                 山笠見物の地図  
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櫛田神社内の清道や観客席は既に出来上がっていました。 
                櫛田神社 清道  
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清道とは山笠が奉納のために廻る円周の道を言います。 真ん中に清道旗が立てられます。 中州流の山笠男衆や観客がいるのは、1時間後に「子供山笠」の神事があるからのようです・・・戻ってこよう!。
 
東長寺の前に清道が造られるのは理由があります。 神仏習合時代は櫛田神社と東長寺は協力し合って、博多の町を守っていました。 櫛田神社の神主さんが不在の時は、東長寺の住職が祝詞をあげていたそうです。 
                  東長寺     
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東長寺境内の西側壁に沿って、石仏が並んでいます。 山笠期間中は石仏も山笠の法被(はっぴ)を着るそうです。 東長寺は東流に位置するのですが、石仏が着ている法被は中州流になっています・・・???。 戦後、山笠の復興に貢献された偉人の一人が、からし明太子ふくやの創業者・川原 俊夫 氏です。 中州流ふくや川原家の菩提寺が東長寺なんだそうです。
 
                  承天寺    
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承天寺の前にも清道旗が立ちます。 承天寺の開祖・聖一国師が、博多の町で流行した疫病を治める為に、台に乗って水を撒きながら町を廻り、祈祷したことが山笠の始まりと伝えられています。 山笠発祥の地です。
 
聖福寺の前など、「追い山」のコースの途中を巡りながら、櫛田神社まで戻ります。
途中、道幅の狭い四つ角を右折する「博多祇園山笠 最大難所」に寄りました。 先の地図の「追い山」コース上の印の場所です。 想像するだけで、迫力満点!・・・ただ、怪我が無いように祈ります。

              博多祇園山笠 最大難所 
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櫛田神社に戻ると「子供山笠」の神事が執り行われていました。

                 子供山笠  
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現在、「子供山笠」を流しているのは、「博多小学校」、「千代小学校」、「新天町」です。 彼らが「ユネスコの無形文化遺産」を、将来に引き継いで行くのでしょう。
 
今日7月13日(木)は、いよいよ「集団山見せ」です。 期間中、この日だけ、山笠が那珂川を渡って福岡部に入ります。 1番中州流れ(表)の台上がりは麻生副総理のようですね。 午後、出掛けて来ます。


■ 黒田猛将虎退治 飾り山笠2017  

 
 

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