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香椎うっちゃんのブログ
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翼よ!あれがパリの灯だ
                
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映画の話に入る前に・・・
昭和6年(1931年)9月17日、午後3時50分。 名島水上飛行場(現在の東区)には数千人の人々が集まっていました。 立花山方面を眺めながら、の英雄・リンドバーグアン夫人が乗った飛行機が現れるのを待っているのです。 そして、その瞬間が・・・当時の福岡日日新聞(現在の西日本新聞)は、その時の様子を次のように伝えています。
 
空の英雄・リンドバーグ氏(註:世界最初の大西洋単独無着陸横断飛行家・米人)と夫人は、遂に我等の前にそのさっそうたる勇姿を現した。 17日午後3時50分、リンドバーグ夫妻の愛機ロッキードが立花山上空にポツンと見えた。 機影はぐんぐん姿を現し、赤い機翼を陽光に輝かせながら博多湾を一周すると、午後4時1分、名島水上飛行場に着水した。 飛行場岸壁や格納庫前広場を埋めた観衆は、旗を振り、万歳を叫んで熱狂した。
 
          名島水上飛行場到着時の様子    後方は立花山
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飛行場の奥は埋め立て前の香椎潟です。 城浜団地も照葉の町もありません。 香住ヶ丘や立花山が直接見えます。 もう少し夕刻であれば、リンドバーグが「翼よ!あれが博多の灯だ」と呟いたのでしょうか?
 
リンドバーグが世界的な英雄となったのは、この時から4年前の昭和2年(1927年)まで遡ります。 この時の快挙が映画化されたのです。
 
ペンシルバニア州セントルイス市で郵便パイロットとして、各地を飛び回っていたリンドバーグは、ある実業家が発表した「ニューヨーク/パリ間無着陸飛行成功者懸賞金」のことを知ります。 当時の航空機の性能は未熟で、懸賞金に挑戦した者が次々と命を落とす中、リンドバーグも挑むことを決意します。 リンドバーグはセントルイス市内の銀行の頭取や実業家から資金の寄付をあおぎ、単発単葉単座のプロペラ機を特注します。 

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この飛行機はセントルイスの名をとって「Spirit of St.Louis(セントルイス魂)」と名付けられました。 そして、1927年(昭和2年)5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場から5,810kmの大西洋無着陸飛行に出発したのです。 燃料タンクを操縦席前にも取付けた為、前方が見えません。 レーダーもありません。 そして、途中のトラブルや強い睡魔を克服して、33時間29分後にパリのル・ブルジェ空港に着陸したのです。

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現在の我々は、安全なジェット旅客機に乗り慣れていますから、この成功をそんなにも難しいこととは実感できなくなってしまいました。 
が・・・、の映画を観ると、当時の航空機の状況・・・そして、その挑戦が如何に難しいものであったかが分かります。
 
リンドバーグは後年の1953年に、大西洋横断飛行の自叙伝を発表します。 その自叙伝のタイトルが「The Spirit of St.Louis(スピリット オブ セントルイス)」、愛機の名前でした。 4年後の1957年、ワーナー・ブラザースがビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・スチュワート主演で同タイトルの映画を製作したのです。 25歳のリンドバーグを演じた47歳のジェームズ・スチュワートは、体型を合わせるために体重を減らしたり・・・色々と苦労したそうです。

        Charles Lindbergh               James Stewart  
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発表当初は興行上の成績は良くなかったようです。 ところが年が経つとともに、評価が高くなり・・・現在、アメリカ映画の保存・振興を目的に設立されたAFI(American Film Institute)の「感動映画ベスト100」の中では、69位にランクされています。 自叙伝の中のリンドバーグを忠実に描いている点が感動を呼んでいるのでしょう。
 
3分27秒の動画(you-tube)を見てみましょう。
The Spirit of St.Louis 」 You-Tube  Movieclips Trailer Vault 提供 
 
日本で公開された時、映画タイトルは「The Spirit of St.Louis 」から翼よ!あれがパリの灯だ」となりました。 これはリンドバーグが、パリのル・ブルジェ空港に近づいた時に、愛機に語りかけた言葉だと思っていました・・・ところが、自叙伝の中にんな事実は書かれていません。 日本人的発想による和訳の素晴らしさですね。 ある解説者によると、リンドバーグがパリの空港で、一番最初に発した言葉は「誰か英語が話せる人はいませんか?」ですって。
 
リンドバーグが成し遂げた快挙が、当時においてどれ程のことかは、映画の最後を観ると分かります・・・ニューヨークに凱旋した時のパレード場面はニュースの実録フイルムを使用しているのですが・・・半端ない凄さ!!!。

翼よ!あれがパリの灯だ」を若い人も是非観て下さい。 死ぬかも知れない危険な冒険・・・それを一人で挑戦している時間の不安と怖さ・・・何かが感じられる映画です。

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チャールズ・リンドバーグは、大西洋横断から2年後にアンと結婚します。 アン夫人の偉いところは、結婚と同時に飛行機の操縦資格や航空通信資格を取得して、夫を助けたことです。 リンドバーグは何処に移動するにも、飛行機を使用し、必ずアン夫人を同行させていました。 結婚から2年後の1931年(昭和6年)7月、通信士としての夫人と共にロッキード社の愛機「シリウス号」に乗り込み、ニューヨークからカナダ・アラスカ・カムチャッカ・日本各地・南京まで、世界各地への親善訪問飛行に出発します。

         ニューヨークを飛び立つ時のシリウス号にて  
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              北太平洋横断飛行経路 
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 親善飛行となっていますが、パンアメリカン航空がスポンサーになっていましたから、北太平洋航路開拓の調査でもあったようです。 
 
そしてブログの最初で紹介した、昭和6年(1931年)9月17日、福岡名島水上飛行場への飛来となったのです。 当時、福岡名島水上飛行場は九州唯一の国際空港でした。 中国・朝鮮半島・台湾へも国際航空路が開かれました。

                          シリウス号 名島水上飛行場 着
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               福岡市東区名島地区地図 
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 が名島水上飛行場、は当時東洋一の火力発電所、は妙見島です。 地図上の桃色点線は、当時整備された「国際空港道路」です。 現在も3号線から、そのまま残っています。
               当時の航空写真  
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航空写真では、飛行場の格納庫や、リンドバーク夫妻の愛機「シリウス号」を吊るし上げたクレーンが写っています。
 
現在、飛行場の前の海は埋め立てられ、城浜団地が建っていますが、の場所に飛行場があったことを示す石碑が立っています。 その前の道路(地図上の青色点線)は「リンドバーグ通り」と呼ばれています

             名島水上飛行場跡地の石碑  
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石碑以外には、リンドバーグが飛行機から下り立ったことを辿れるものは何も残っていません。
 
福岡空港の国際線ターミナルから海外旅行に出発された方は、1階の到着ロビーと3階の出発ロビーの間の2階フロアーでシリウス号」の4分の1模型を見ている筈です。
 
          福岡空港国際線ターミナル展示のシリウス号模型 
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気にして見なければ、これがリンドバーグ夫妻が乗って来た「シリウス号」とは分かりません 形・色など、忠実に再現されているそうです。 今度寄る機会があれば、「シリウス号」の前に10秒でも立ち止まって、リンドバーグの偉業を感じましょう。
 
実物の「シリウス号」と「スプリット・オブ・セントルイス号」は、現在、ワシントンD.C.の「スミソニアン航空宇宙博物館」に展示されています。
 
                 うっちゃんのオリジナルDVD  
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画質レベルを一つ下げて、1枚のDVDディスクに2タイトルの映画をダビングします。相方はヒッチコックの「鳥」になってます。 
 
いやあ〜映画っていいですね!
 
* 名島飛行場でのリンドバーグ関連の画像は、現地解説板及び福岡空港国際線フロアー解説板からお借りしました。
*「翼よ!あれがパリの灯だ」の画像関係はワーナーブラザースよりお借りしました。
*参考:名島水上飛行場( 東区の国際空港① ) 
 

 
 

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