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鹿児島県出水郡長島町鷹巣
鷹巣のJA農機具修理センター前に安置されているお地蔵さんです。
この祠の前に、ゴミステーションがある為、月2回はこの前に軽トラックを止めます。
必ず、このお地蔵さんに手を合わせるように心がけています。
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長島の民俗文化・歴史・史跡
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鹿児島県出水郡長島町浦底 三船港
三船湾を見下ろす高台に、伊勢神社は鎮座しています。
そもそも日本人は、三重の伊勢神宮を崇拝してきました。
誰もが一生に一度は、お伊勢様を参拝したいと心に描くもの。
ところが遠路甚だしく、簡単には参拝できないものでした。
江戸時代からでしょうか。
世が戦国の混沌とした御世から、安定した平和の時代になると、日本津々浦々にお伊勢様を分祀し、お伊勢講ももって参拝を申し上げる風潮が現れたのでしょう。
この三船の伊勢神社も、建立のいきさつは、そういうことだろうと思います。
その鳥居右側の空き地には
庚申碑。三船の民俗有形文化財「庚申供養塔」が今日まで、厚く保存されています。
江戸時代。薩摩藩は、この三船にも、海の関所、番所を設けて、異国の出入国を厳しく警戒していました。
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長島町は、山が小さい(低い)ので、農業用水が例年、足りず、旱魃の心配が絶えません。
そこで長島の人々は、田植えが終わると、「水乞」をする民族文化が今日まで伝承されています。
竹を田んぼの畔に立て、注連縄や御幣で先端部分を飾り、奉納してあります。
この民俗文化は、熊野神社・坂口智明宮司が、旧長島町の神社も宮司るので、尋ねたことがありました。
田んぼに水が足りないので、山ノ神に、水不足が起こらないように、お祭りをして、お祈りする風習だと教えて貰いました。
これは茅屋と北方崎集落の中間部付近にあるものですが、
加世堂集落。墓の前にある神飾りは、古を彷彿させるものですからご覧になってください。
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唐隈の田之神石像の反対側に安置されている石碑です。
この石碑にも標識は立てられていなかったのです。
何だろうと、ブログに書いて、間もなく立てられて、教育委員会やるな・・・と、驚いたのを覚えています。
長島の人達、長島氏が滅ぼされた後、十五社神社などで色んな郷土芸能を保存して、御霊を祀って来られた。その御霊を形に変えて保存・伝承されてきた名残でしょう。
特に、旧長島町、堂崎城跡付近には、六地蔵が多いので、機会をみてご案内して行きます。
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鹿児島県出水郡長島町唐隈
長島の西海岸は、東シナ海の大海原です。
遣唐使と云えば、飛鳥時代から奈良時代にかけて、唐の国に文化人を派遣して、交流を重ねていた時代。630年に始まり、菅原道真公が廃止する(894年)まで続いた外交・文化交流であったそうです。
そんな時代、荒海をどんな船で航海していたのでしょうか。
野分(台風)などの大シケの中、命からがらの航海だったのでしょう。
そんな時に、この唐隈の地に、遣唐使の船が漂着、打ち上げられたのを島人が助け、そのことをこんな石碑で語り継がれてきたのでしょう。
3年程前までは、地面にはコンクリートが張ってなく、今の季節は、浜木綿が咲いていました。コンクリートを貼る為に、浜木綿は掘り出されてしまいました。長島の花の観光資源である「浜木綿」無残な思いでいっぱいです。
それと、石碑に刻まれた説明文が風化して読めません。
どうか修復を長島町教育委員会にお願いしたいと思います。
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