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そのなかでも代表格の濱田典彌家住宅を訪れました。(常設見学はできません)
驚いたことに、3名の女性にお出迎えいただきました。
今日のために高知市からお出で下さった施主様と、1917年創業で国内最大規模の
生糸生産を誇った旧藤村製糸工場の奥様、文化財保存・活用に力を入れている
民間団体「なはり浦の会」から森美恵会長です。開口一番「沖野さん、今日は
奥さんは一緒じゃないんですか?」恐るべし、うちの奥さん!!
藤村製糸の糸は国内最大級の品質を誇り、皇太子妃雅子様の婚礼衣装も手がけるほど
現在は工場をブラジルに移し、エルメスに納品するほどの実力です。
高知県といえば一次産業の林業・農業・漁業が主産業でしたが、生糸も国内屈指を
誇っていたんです。
さて、この濱田家は広い敷地に重圧な主屋・土蔵を持つ旧家です。
(昭和9年建築・木造平屋建・入り母屋造り・桟瓦葺・桁行5・5間・梁間5間)は、
玄関の入り母屋に懸魚・鬼瓦が目を引く格子戸と欄窓の繊細な造りです。
内部は大正期の奈半利全体の間取りをハレとケの空間を大正期当時の機能でまとめています。
玄関に入ると目を奪われるのがケヤキの格天井です。(船底仕上げのようです) 障子の組み子は留めに組み、普通なた相かきで仕上げるところをひと手間、ふた手間かけて
家紋
丁子は平安貴族に貴重な物として珍重され、七宝のひとつにも数えられました。 そこから文様にも多く用いられ、やがて家紋へと転化していったようです。
丁子は高さ風メートルの木で花は白・淡紅色で筒状のかたちです。
蕾を乾燥した丁香(クローブ)は、古来有名は生薬、香辛料でもありました。
イタリア、ルネッサンス芸術を擁護したフィレンツェのメジチ家の家紋は、
先祖が薬屋だったので丸薬文様です。
濱田家は初代当主が開業医の関係で生薬でもあった丁子を家紋としたのか?と 205年発行のなはり浦の会会報に記載されています。
土佐漆喰
消石灰に発酵させたワラすさを加え、水でこねたもので、水に濡れても戻りがなく、 厚塗りが可能できめが細かいなどの特徴があります。
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土佐の伝統建築
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断熱材の配送遅れで、年内引き渡しの工事が遅れています。
仕事を終えてから、来年度の試験体製作もあって自宅に帰るが午後10時過ぎになります。
PCを開くこともできず、更新が滞ってしまいました。
高知県の伝統建築様式を視察に埼玉県から4名が来高されました。
今年、東京で開催された「伝統を未来につなげる会」でお話させていただきました
和田工芸の和田勝利さんです。共に「職人がつくる木の家ネット」会員でもあります。
和田さんは、埼玉県幸手市にて旧日光街道幸手宿の街の拠点にして活用することを 目指して「旧日光街道幸手を感じる会」を昨年11月に立ち上げ、
江戸末期に建てられた建物を登録文化財に登録し国交省の22年度地域木造住宅 活性化推進事業の助成を承けて改修工事をおこなっています。 今回の視察は同会の元醤油釀造所の所有者である岸本さんの自宅(明治に建築)を 改修してお輿に活用することが目的です。
ですから、高知県の吉良川と奈半利町の旧街並みを選ばれたのは大正解です!
和田さんのコンセプトは『現代の民家』です。
現代大工の田中文男棟梁、現代建築の宮内寿和棟梁、そして、和田勝利さん。
志高い同志たちは似てるんですね。
『現代民家』とは
本物の木を使った伝統的な木組みの住まいを、“現代の民家”と名付けました。
やがてその土地の風景となり、世代を越えて住み継いでもらえるような
耐用年数100年以上の住まい創りを心がけています。
「新しいまま」を維持しようとするのではなく、時を重ねるほどに味わい深くなる
本物の木の風合い、本物だけが持つ安心感、温かみを大切にしていきたいと
考えています。
今回同行くださるのは高知県文化財保存の中心的存在である中脇修身先生です。
奈半利町では、西岡三夫棟梁(はなり浦の会)が合流しますから、安心して
ご案内することができました。
まず、高知龍馬空港から一路吉良川町に向かいます。
吉良川町は室戸市の西部に位置し、明治期から昭和初期にかけて良質の木炭の
集積場として繁栄しました。吉良川の伝統的建造物群の多数がこの時期に建築
されており、現在の吉良川町の町並みは近代の経済的繁栄を背景に形成されました。
むかし、備長炭で栄えたところです。
ひさしのように何列か並んだ瓦が縁飾りのように美しい。 集落は、海岸に近い下町地区と、山側の上町地区で構成されています。
下町地区には、旧土佐街道の両側に切妻造りの町家が建ち並び、強い風雨から
土佐漆喰の壁面を守る水切り瓦が美しい伝統建築の町並みが見られます。
当時の繁栄と職人の繊細な手作業が存分にアピールされています。
「虫籠窓」のある家。つり二階(天井の低い二階)の明かりとりのためにはめ込まれた桟。
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伝統構法の良さを知っていただくために高知県木材普及推進協議会が主催する
第6回「もくもくランド」に参加します。
すでに、木組みの模型は完成済みですから、気候風土に根ざした土佐漆喰壁の良さを
PRすべく、初秋から制作に取り掛かりました。
とはいっても、今年は9月でも真夏日が続きます!!
刻屋でも酷だ〜(シャレにならんやいか)
33度を超えるなかですから、大工の太い指では小舞が巧く編めません・・・。
汗ですべる、ヒモは細い、鑿とは全く違うので悪戦苦闘の連続・・・
ダイエットに励めということでしょうか!
やっと本体完成!!
こう見ると、漆喰を塗らずこのままで使用するのも涼やかでよいのでは?
ナチュラルインテリアとして商法登録してみようかなぁーー
通気性には自信ありだし・・・。
家を建てるのも基礎が大事。
左官仕事も小舞いが肝心。
漆喰塗りは2010年「黄綬褒章」の凄腕左官松本組の松本勉さんの鏝仕上げです!!
11月6日「土佐漆喰の塗り見本」が仕上がりました!!
なんと、なんと、最後の仕上げは鏝を使わず手のひらを使います。
これが「鏡面仕上げ」です。私の影をクッキリと反射させていますね。
さすが、45歳にして「黄綬褒章」の腕前です。
(松本勉さん)
「左官松本組」代表、松本勉さん(45)は、高知の伝統的建築技法のひとつ、土佐漆喰(しっくい)彫刻を継承する左官です。
その道一筋に、業務に励んだ人に贈られる「黄綬褒章」を受賞されました。1999年以降、県内では最も若い年齢での受章です。
土佐漆喰の左官だった祖父茂明さん(故人)の手伝いをして「造形の美しさ」を学び、父新一さんの突然の死で松本組の代表を引き継ぎました。土佐漆喰を施した日本建築が年々減る中、これまでに二十数件を手がけ、施した鏝絵は50件を超えています。
土佐漆喰は、台風や暴風雨に耐えられるように工夫されているのが特徴。雨風を受けても水気を素早く切るための小さなひさし「水切り瓦」を付け、その上に竜や鳳凰(ほう・おう)などの絵を描く「鏝(こて)絵」でも知られます。
鏝絵の代表作です。
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日本の木造建築は大工職人の手仕事から生まれたものです。
山から木を伐り出し、美しい木目の良材に一本一本丁寧に手加工を施し、
木・土・紙・石・草などの自然素材と柱と梁の組み合わせにより日本文化を
育んできました。金物に頼らず、柱や梁の部材を継手・仕口で組む架構技術は
産業廃棄物の少ない住まいです。
平成19年6月の建築基準法の改正・施行は、限界耐力計算法により確認申請が可能と
なった伝統木構法建築に対して、構造計算適合性判定という新たな審査ルートを
制度化することによって、伝統構法に厳しい時代になりました。
平成20年度から3カ年計画で 国土交通省の総合技術開発プロジェクトとして
多世代・長期にわたって利用可能な住宅のあり方の検討や関連する技術開発を
進めているところです。その一環として、永年にわたって使用されてきた各地域の
伝統的な木造住宅についてその仕様上の工夫や維持管理上の配慮などに関する検証に
乗り出しました。
四国での調査のために、国土技術政策総合研究所住宅研究部の住宅計画研究室長と
研究職員2名が視えました。刻屋でのヒアリングと高知県東部地区の伝統的家屋の
視察でしたが、時間を有効に使いたく奈半利町の西岡棟梁と文化財保護調査が
ご専門の中脇先生にお力添えをいただきました。
県東部の吉良川地区は、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
旧道に入ると、明治期から昭和初期にかけて、良質の木炭の集積場所の地として
繁栄した町並が見えてきます。海岸線に近い下町地区は切妻造りです。
台風、暴風雨から土佐漆喰の壁面を守る水切り瓦や強い陽射しを避ける工夫が随所に
見られます。
上町地区では、江戸時代中期頃の方形に近い農家型の地割りで、周囲に“いしぐろ”を
巡らせ、上町地区の景観を特徴あるものにしています。
研究職員はこちらからの厳しい問いかけにも真摯な言葉で説明いただきました。
今回の調査がどれほど役立つか見当もつきませんが、伝統構法や大工職人の現状を
理解してくれたのではと感じています。
木造建築を支えてきた伝統構法技術には新しい文化を創造する技量があるのです。
維持、文化的なまちづくり、大工職人の育成、林業の賑わい、集落維持、森林保全と
整備は教育も含めて考えていくべきでしょう。
今回の調査が有意義なものとなりますように・・・・・。
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昨年11月に高知城の調査に参加しました。その時に頂いた資料に板図がありました。 土佐山内家宝物資料館が主催している「高知城と建築職人の技法」を中脇修身先生が まとめらたものです。 資料によると、 天守閣1階に建つ50本の柱 昭和30年の報告書には下の図が示されている。右端を下端の白い文字と柱の右側に記した 1.2.3の数字は、筆者が加えた文字である。下図は下重(しものじゅう)と記されている 一階二階部の柱の位置と、1本、1本の柱の「名前」を記した図面である。 黒い角印の下前に番号を書き込んでいるのは、修理以前の番付けで昭和の修理にも、そのまま 採用されているものと思われる。 方式による事が多い。例えば図の右下の柱(七)は『いの一』となり、左下の(五拾)最後の柱は 『いの九』、また四拾九の柱は『ろの九』と呼称する。 例にあげた柱は報告書の場合、番号通り『なな』又は『しち』・『よんじゅうきゅう』と呼称したと 思われる。柱には各部所での役割があり、工作の寸法やホゾ穴も位置と深さが異なってくる。 そのため、他の場所に建てると問題が起こる。位置を決定付ける番付けは、高度な配置が求められる 工程で、経験豊かな棟梁の知恵を必要とする。 搬入した素材を並べ、入念に木の状態を調べ、最終的に構造材としての役割を与えるのは棟梁である。 棟梁は次の4項目を基本に、それぞれに番号を書き込んでいくことになる。 中脇修身先生のご厚情にて、棟梁13名が現地調査に参加することができました。
国の調査ですから、許可も大変だったことでしょう。若い棟梁たちも熱心に解説に耳を傾けていました。 |




