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きょうこそなんとかしてくれ! という思いもあって編集委員上田雅昭はナゴヤドーム記者席の最前列のサンスポ席に強引に座り込んだ。となりにトラ番高瀬悟嗣がこれまたムキになって最前列…。
ちなみに2列目にはサブキャップ恵濃大輔。3段目にはキャップ阿部祐亮と若い小松真也…。
なんでウチの連中はそんな記者席の「段数」で目を血走らせるのか?
「少しでも前で阪神の試合を見たい」(高瀬)と「単なる気分転換や」(上田)が最前列なのはこの試合に何かイヤな影をおとしていないか?
その“イス取りゲーム”をしている頃、編集局では当番デスク大沢謙一郎が例によって背後から遠慮なく落ちてくる食用ガエルみたいな声に悩まされていた。
「おい大沢ッ、なんかエエ手はないんか?」
そうです背後霊局長植村徹也の無理難題です。たとえ、大沢に名案があったとしてもヤツはサンスポのデスクです。阪神ベンチに入っていって「監督ッ、ここはエンドランですッ、絶対にエンドウマメ…いや間違いましたッ、エンドランですよッ」なんていう立場にないのです。
そんなことわかっているのに部下に「なんかエエ手はないか?」と必ず聞く虎が気になる上司ってのが、どこの職場にもいるでしょうが。それでも部下は営業笑いで大沢「ウーン…えへへ」
すると背後霊局長は編集総括の貧乏ひげ局次長宮本圭一郎に「ミヤちゃん、試合見るの辛いやろ?」だと。なぜか背後霊は貧乏ひげにはヤサシイのだ。
実は大沢。前日(27日)の休みにひとりでちょいと“荒行”にいきました。「当番日に阪神必勝」の願掛けで神戸電鉄鵯越(ひよどりごえ=義経の奇襲で有名)駅から菊水山−鍋蓋山の六甲山縦走路。サンテレビの夜中の番組で女性タレントがスイスイと登っていたので、気軽に出かけたのですが実はこれがかなりの難行苦行。途中の立て看板の文句がすごかった。
「山頂まで900メートル 苦しみに耐えるのもあなたの人生ですぞ! がんばれ!(兵庫登山会)」
“なにをぬかすか。俺は毎日会社でキャンキャン言われされて苦しみに耐えとるんや…”
息も絶え絶え、登ると遠く淡路島まで見渡せ、眺望が素晴らしかった。
「そのかわり今日は筋肉痛です」
何をやっとるんだ。さてその荒行デスクと貧乏ひげ局次長はこっそり「最近、俺たちは負けなしコンビやもんな」「シーッ、それを言うとダメになります」「そやったナ、シーッ…」
新聞社ってこんなヤツばかりではありませんぞ念のため。ところが…ああやっぱり…ナゴヤではダメだったぁ…。金本兄貴の2500安打が唯一の救いでした。
1950年のこの6月28日は青森で巨人藤本英雄のスライダーがさえにさえて…史上初の『完全試合』です。そのスライダーならわかるけど岩田のスライダーにスゴスゴと退散だよ、阪神打線。
そして1966年の今日6月29日、東京・武道館で「ザ・ビートルズ」熱狂の初公演でした。 |

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