春の徒然!

負けても勝っても阪神フアンダよ慰めなんかはいらないよ

好きなのは阪神

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鳥谷は五回一死一、三塁から決勝の犠飛。カウント3−0から積極的にバットを振った(撮影・白鳥恵)
 軌道は低く、強く右翼へ伸びた。ポール際、青と白で染まる敵陣の応援席に入った。鳥谷はクールにさっそうとダイヤモンドを駆けた。3号先制ソロ。4連敗中の沈んだ空気を一転させた。
 「(ファウルに)切れると思っていたけど、そのまま入ってくれてよかったです。きのう(29日)嫌な負け方をしたんで、そういう意味でも先に点が取れてよかったです」
 一回二死。5月8日の広島戦(ハードオフ新潟)以来、36試合156打席ぶりの一発だ。中日戦(ナゴヤD)3連敗。前夜は5点リードをひっくり返されての敗戦だ。4連敗中は打率・154(13打数2安打)、1打点とまったく打てなかった。
 いつも負ければ、矢面に立つのは4番・新井であり、低迷が続くマートンだったが、3番打者の不振も波に乗れなかった大きな理由だ。実際に、この試合前までの得点圏打率は・241。「連敗を止めることができた。それが一番です」。ヒーローインタビューでも笑顔はみせない。声援を受けて引き揚げる“花道”でも淡々と言葉を続けた。1試合の活躍で喜んではいられない。
 だが、復調へのキッカケはつかんだ。リードを2点差とした三回一死三塁で左前適時打。同点の五回一死一、三塁ではカウント3ボールから積極的にバットを振った。決勝の右犠飛。一瞬、スタンドインか、と思った打球は失速し、フェンス手前で捕球され、「力不足です。ホームランになるかは、別として、もうちょっと飛んでもいいかな」と苦笑いだが、手応えは感じた。
 トレーニング量はチーム随一。主力選手の誰もが「トリより練習する選手はいない」と認めている。毎日、起床と同時に肩甲骨を動かす運動を繰り返し、風呂に入り、体を温める。日々、同じことを繰り返すことで、その日のコンディションが把握できるからだ。不振から脱却するには練習しかない。本来のバッティングを取り戻すべく、鳥谷は打ち続けた。遠征中はジムなどで体をいじめる。
 和田監督は「トリが振れてきたというのがきょう一番の収穫」と喜んだ。久しぶりにみせた力強いスイングは、打線全体に活気を与えた。
 「1試合ずつ大切に戦って、借金を返して、最後には笑っていられるようにしたいです。またあした、何とか1つ勝って、神宮(3連戦)を終えたいです」
 野手キャプテンがチームの苦境を救った。攻守の要。鳥谷で勝った−。そんな試合を増やしていく

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力投する阪神先発・秋山拓巳=30日、神宮球場(撮影・小倉元司)
 
 (ヤクルト4−6阪神、30日、神宮)阪神は新人だった2010年に4勝を挙げ、鮮烈な印象を残した3年目の秋山が、2年ぶりの白星を挙げた。しかし、野手と救援陣に助けられての1勝。21歳の右腕からは「全然自分の球が投げられなかった」と反省ばかりが口をついた。

 4連敗中の重苦しい空気の中、フレッシュさを買われての今季初登板だった。だが、3点リードをもらった3回、簡単に2死を取った後、バレンティンにソロ、松井淳に同点2ランを浴びた。5回8安打4失点の結果は、藪投手コーチが「よく5回もった」と振り返るほどだった。

 だが、「(点が)追い越されなかったというのが良かった。勝ち運をもっていたのかな」と久しぶりにほおを緩めた和田監督。若手を試せた上、連敗も止めたのだから今の阪神には大きい。

 苦い白星に「チャンスをものにできなかった」と、ウイニングボールも一度は手にすることを拒んだ秋山。「エースと呼ばれるようになりたい」と話したことがある強心臓の持ち主でもある。この1勝をどう生かせるか

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まだまだ“金本人気”は健在なのだが… 
 
 プロ野球史上7人目となる、通算2500安打を達成した阪神・金本知憲外野手(44)。記録だけでなく、まだまだ“集客”のために働かなくてはならないようだ。

 メモリアルの一打は、28日の中日戦(ナゴヤドーム)7回に放った右翼線への二塁打。「記録は長くやっていたらいつかは到達する。『2500本打った』からどうこうではなく、その中の何本がチームの勝ちに貢献できたかの方が大事」とクールだった。

 打率・255、4本塁打、19打点。数字は物足りないが、個人記録到達のたびに注目を集めるという点では、今もチーム随一の存在だ。12球団トップの人気を誇ってきた阪神も、年間予約席の売り上げは昨季比約1割減。観客動員にも苦戦が続く。だからこそ“金本頼み”なのだ。

 甲子園で行われる7月12日(中日戦)、13日(ヤクルト戦)の2試合は「金本・新井選手デー」。営業部では「当日は、金本選手の声で場内アナウンスも予定しています」と話す。

 球団以外でも引く手あまた。7月3日に開業100周年を迎える大阪・新世界のシンボル「通天閣」では、東京スカイツリーに負けじと営業作戦を計画。通天閣の展望台に鎮座し、足の裏をなでると御利益があるとされる「ビリケンさん」と金本との“コラボ”を狙っているのだ。

 運営会社、通天閣観光の高井隆光副社長(37)は「金本さんはここ数年、故障などが続いてラッキーパワーが足りないように見える。足の裏をなでに来てほしい。先月、32年ぶりに新調したばかりで、先代のビリケンさんが球場のベンチまで“出張”もできるし、阪神さんに働きかけたい」とやる気満々だ。

 金本以外に客を呼べる選手がいないというのも寂しい限りだが、当人も“営業マン”の職責を果すにはもう少しバットの方で奮起する必要がある。

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1軍の練習に合流した秋山。若い力でチームを勢いづけたい
 きょうこそなんとかしてくれ! という思いもあって編集委員上田雅昭はナゴヤドーム記者席の最前列のサンスポ席に強引に座り込んだ。となりにトラ番高瀬悟嗣がこれまたムキになって最前列…。
 ちなみに2列目にはサブキャップ恵濃大輔。3段目にはキャップ阿部祐亮と若い小松真也…。
 なんでウチの連中はそんな記者席の「段数」で目を血走らせるのか?
 「少しでも前で阪神の試合を見たい」(高瀬)と「単なる気分転換や」(上田)が最前列なのはこの試合に何かイヤな影をおとしていないか?
 その“イス取りゲーム”をしている頃、編集局では当番デスク大沢謙一郎が例によって背後から遠慮なく落ちてくる食用ガエルみたいな声に悩まされていた。
 「おい大沢ッ、なんかエエ手はないんか?」
 そうです背後霊局長植村徹也の無理難題です。たとえ、大沢に名案があったとしてもヤツはサンスポのデスクです。阪神ベンチに入っていって「監督ッ、ここはエンドランですッ、絶対にエンドウマメ…いや間違いましたッ、エンドランですよッ」なんていう立場にないのです。
 そんなことわかっているのに部下に「なんかエエ手はないか?」と必ず聞く虎が気になる上司ってのが、どこの職場にもいるでしょうが。それでも部下は営業笑いで大沢「ウーン…えへへ」
 すると背後霊局長は編集総括の貧乏ひげ局次長宮本圭一郎に「ミヤちゃん、試合見るの辛いやろ?」だと。なぜか背後霊は貧乏ひげにはヤサシイのだ。
 実は大沢。前日(27日)の休みにひとりでちょいと“荒行”にいきました。「当番日に阪神必勝」の願掛けで神戸電鉄鵯越(ひよどりごえ=義経の奇襲で有名)駅から菊水山−鍋蓋山の六甲山縦走路。サンテレビの夜中の番組で女性タレントがスイスイと登っていたので、気軽に出かけたのですが実はこれがかなりの難行苦行。途中の立て看板の文句がすごかった。
 「山頂まで900メートル 苦しみに耐えるのもあなたの人生ですぞ! がんばれ!(兵庫登山会)」
 “なにをぬかすか。俺は毎日会社でキャンキャン言われされて苦しみに耐えとるんや…”
 息も絶え絶え、登ると遠く淡路島まで見渡せ、眺望が素晴らしかった。
 「そのかわり今日は筋肉痛です」
 何をやっとるんだ。さてその荒行デスクと貧乏ひげ局次長はこっそり「最近、俺たちは負けなしコンビやもんな」「シーッ、それを言うとダメになります」「そやったナ、シーッ…」
 新聞社ってこんなヤツばかりではありませんぞ念のため。ところが…ああやっぱり…ナゴヤではダメだったぁ…。金本兄貴の2500安打が唯一の救いでした。
 1950年のこの6月28日は青森で巨人藤本英雄のスライダーがさえにさえて…史上初の『完全試合』です。そのスライダーならわかるけど岩田のスライダーにスゴスゴと退散だよ、阪神打線。
 そして1966年の今日6月29日、東京・武道館で「ザ・ビートルズ」熱狂の初公演でした。

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祝!阪神・金本2500安打44歳の快挙
 七回、右翼線に通算2500本目の安打を放った金本。史上7人目の快挙だ【拡大】
 2500安打までの道のりを思い返し、さまざまな思いが交錯した。大学出身者では初めてとなる大台到達。史上7人目となる大記録を達成した金本は試合後の雑踏で足を止め、感謝の言葉を口にした。
 「いつもいっているように(通算安打は)足し算だから。長くやっていたらいつか到達する。2500本打ったからどうというより、その中で何本勝ちに貢献できたか。そっちの方が大事。ただ、通算で(到達者が)10人を切っている数字なのでね。バッティングを教えてくれたカープ時代からのコーチや、使ってくれた歴代の監督、体を見てくれているトレーナーや治療院の先生に、この場を借りて感謝、お礼をいいたい」
 到達の瞬間は、1−1の同点で迎えた七回二死一塁だ。岩田のスライダーに反応した。一塁手の頭上を抜け白球が右翼線で弾む。快音を響かせ二塁へ。花束を受け取ると、ヘルメットを脱いで祝福に頭を下げた。
 選手生命の危機を乗り越えて、ここまできた。2010年に右肩を痛めたときは、日常生活すらままならなかった。食事の際には箸を持つ右手を左手で支え、グラスを持つときも左手の助けを借りた。
 「腱が切れてるからな。トレーニングやめたら、きっと日常生活にも影響が出る。だから、引退してもトレーニングは続けないといけない」
 思うように動かない体を動かす努力を今も続ける。やめたときの反動は容易に想像できる。それほどの大けがを負ったが、足を止めなかった。
 「こんなに(多くの時間)トレーニングってできるもんだなぁって思ったわ」
 今まで以上にリハビリに時間を費やした。昨オフは関西でイベント出演があれば、その前のわずかな時間でも甲子園に立ち寄り、汗を流した。足し算と表現する大記録は地道な努力とは無縁ではない。
 44歳2カ月での達成は、91年に43歳5カ月で達成した門田博光(当時ダイエー)を超える史上最年長記録。不惑を超えてなお輝く姿は、来季の球団の戦力構想に入っている。球団幹部は「本人がやれると思っているなら、やってもらったらいい」と話す。最終決定は秋頃になるが、球史を彩る力を虎は必要としている。
 金本は「いろんなコーチにいろんなことを教わって、僕の財産になっている。ただ、本数よりも内容」と最後にもう1度、勝利優先の考えを強調した。3点を追う九回には逆転の望みをつなぐ2501安打目の中前打を放ったが、今季初の同一カード3連敗。悔しさに染まった通過点を胸に刻み、勝利を呼ぶ1本を打つ

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