生きてるだけで精一杯

タイトル変えました。特に深い意味は無いですけどね。適当に生きたことを適当に書き留めていると、あやしうこそものぐるほしけれ。

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打てない! 草野球

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上井草まではるばる草野球に行ったのだけど、まあ、打てないこと、打てないこと。
(上井草駅前にはガンダムの銅像がある)

大学時代のサークル活動時も別に打てなかったけど、それ以上に輪をかけて打てなくなっている。

なぜだろう。
むしろ技術が蓄積されて向上するべきではないのか…。
思い返せば大学生のときは、腐っても10代とか20代だったし、30代のいまよりは足も速かったのだと思う(計ったわけじゃないけどね)。

内野安打になっていたものがすべてアウトになっている可能性はある。
実際、学生時代は三遊間のゴロはセーフになることも多かったような気がするものなあ。

さらに、サークルは毎週金曜日に活動があって、きちんと練習をした上で試合に望んでいたから、技術もむしろ当時の方が普通にあった可能性がある。

だから、いま打てないのは、むしろ当然なのではないかしらん。

それにしたってなあ。
もうちょっと打てないと困っちゃうよ。

ボールの野郎がヒットゾーンに飛んでくれないのが悪いという意見もある。

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神よ…ヒットを打たせてくれ…(もはや神にすがるくらいしかないのだった)。

『天気の子』感想メモ

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新海誠監督の『天気の子』観たのでわすれないうちに感想を書いておきます。

●あらすじ

主人公はどこか小さな離島に住む高校生のホダカ。
家出をしてきた東京で「100%の晴れ女」という少女ヒナに出会う。
異常気象で雨天ばかりの東京でふたりは「天気を売る」ビジネスを始め、これがヒット。困窮していたふたりにも光明が射すように見えたが、じつは「晴れ女」には重大な宿命があったのだったった。

●感想

超ヒット映画『君の名は。』の次の作品ということでプレッシャーもあっただろうけど一定以上のクオリティーは保たれている。
「体が入れ替わってる!彗星が落ちてくる!なんかいろいろ爆発する!(させる)」という君の名は。から「天気が悪い…うーむ…」というのは若干スケールが小さくなってしまっているきらいはないでもない。
それでも前作同様に、要所要所でRADWIMPSの曲が効果的に挿入されて印象的な山場のシーンがふたつみっつはある。

新海誠ならではの手腕で描かれる美しい雨の情景とか晴れ女の設定であるとかストーリーの外側についている装飾はあるけれど
物語の中心はストレートな少年少女の青春ラブストーリーで、そこがこう…30代オッサンには素直に受け取りがたい部分であったことは間違いないですね。

いやまぁ、むしろ今の少女漫画でもやらないような素直な少年少女のラブストーリーに「いや〜〜〜わかるぅ〜〜〜ムズキュン〜〜〜〜」ってなる30代オッサンはそれはそれでイヤでしょう。

もちろんラブい要素は前作にもあったんだけど、オカルトやSFも感じさせるギミック満載だった『君の名は。』にくらべるとそこがより中心に据えられているように感じましたね。
この作品がいちばん支持されるとしたら10代女子で、オッサンは女子でもなければ10代でもない、もっとも遠い対偶に位置する存在ですからね。
しょうがない。

10代の「好き」って感情と30代の「好き」って感情は、どうしても違うよなあ。

10代の好きって感情の強さは天秤の反対側に何を吊るしてもそんなもの勝てるものはなくて、ホダカの決断は当然というかそれ以外ない。
だからまぁ、若い人には「君の名は。よりこっちのほうが好き」という人がいてもわかる気がする。

●気に食わんところ

タイアップ案件が多すぎて気になる。
CMでもやってるカップヌードルとか、ポテトチップスとチキンラーメンを駆使して作るヒナの料理とか。
調理中にわざとらしくカメラ目線で観客に商品名を向けている感じ。
「これでいくらもらってるんだよ」とか、いやもう、大人になるとそういうことばっかり考えちゃって、汚れきっているね。
プリキュアのコスプレをしたいという人が出てくるのは、アニメのなかで実在アニメのコスプレをする人というもうなんだかよくわからないメタ感があってよかったけど、テレ朝出資だからなあと思ったりもする。

それにしてもカップヌードルのCM、何も公開直後からCMで流さなくてもいいのになあ。
さんざんCMで見たあとに本編見ると「なぜ俺は劇場でお金を払ってCMを見させられてるんだよ」って思っちゃう。
がめついというかあざといというか。

新海誠の作家性ってむしろ「お前らはハッピーエンドが見たいかもしれんが俺は絶対にモヤッとする終わらせ方にするもんねー!!」っていうところだったり、その世界に入り込みたいと思わせる美しい風景描写だったりするので、行きすぎたタイアップはそのもっとも作家の作家性を毀損するのではないかしら。

あとこう、こうまで、純粋な結末にされると、それはそれで、『秒速5センチメートル』的なモヤモヤエンドがほしくなってくる面はある。

なんかこう、なんか…

きつい

京アニの放火事件。

凄惨な、痛ましい、許せない、悲しい、ひどい事件が起こってしまった。
ただ報道を見ているだけなのに辛い。

30名を超える人が亡くなった。
狂人により殺されてしまった。

何をしたというんだ、彼らが。
ただ黙って絵を描いてアニメを作っていただけじゃないか…。

なぜそんな、人生の結末を、迎えなければならないのか。
理由はないのである。
ただ、(こういう表現はどうかと思うけどこう表現するしかないという気持ちでいまいる)、狂っている人の、狂った行動に、巻き込まれてしまった。

正気の沙汰ではない。
すばらしい能力を才能を持った人々が、ああああの手によってこの世から消えてしまった。
とてもやりきれない。

僕はコンテンツを作る人を尊敬している。
とくに、フィクションを作る人を尊敬しているし、どこかに仲間意識のようなものもある。
語弊があるかもしれないが、「世の中の役に立たないもの」を作ることに人生をかけている人。
「なくても困らないもの」に青春を捧げた若者。
それでも「あると喜ぶ人がいるもの」を作ることに情熱をたぎらせていた人。
没頭する人、邁進する人、一途に。

そういう人を僕は好きだ。

そういう人たちが、悪意だか、なにだかすらわからない凶悪なものに、一度に、根こそぎ刈り取られてしまった。

彼らが何をしたと言うんだ。
何を。
ただ彼らは彼らの人生を生きていただけなのに、世の中になくてもいい、大切なものを作っていた人たちなのに。

昨日はとても落ち込んだ気持ちで一日を過ごしていた。
ため息をつき、仕事をして、ため息をついた。
辛い気持ちでも、仕事をしなければならないし、するべきだと、強く念じて仕事をしていた。
でもやっぱり、たびたび手は止まって、ぼんやりとしてしまった。

なぜ、どうして、どうしたら、何をしていたら…。
アドベンチャーゲームの選択肢みたいに何かをどうかすればもっと被害はなくこんな事件は起きなかったんじゃないかというようなことを考えてしまう。
なぜ犯人はこんなにも凶悪な、馬鹿げた、大それたことをしでかしてしまったのかと考えたくもない犯人の思考を想像してしまう。
あらゆる問いが浮かんでは、それは考えても仕方のないことだと思い直し、それでも思わずにはいられない。
ひたすら堂々巡りを続けていた。

それでもなんとか仕事をしていたのは、この日常を自分から手離してしまったら本当に負けだと思っていたからではないか。
気が狂った犯人に俺の生活まで毀損されてたまるかと、心の奥底で感じていたからにほかならない。
こんな、馬鹿げた馬鹿の起こした事件で社会は揺らぐし世情も不安になるのだけど、俺は俺の仕事を確かに、固くやるのだと、目の前のことに集中(しようと)していた。
そうするしかない。

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7月11日に、ヤクルトがプロ球団を持って50周年になることを記念したOB戦が行われた。
気がつけば、僕はかれこれ、20年以上ヤクルトファンをやっている。

ファンになるのに特になにかきっかけがあったわけではないけど、小学生の頃、ヤクルトスワローズは野村監督を戴いて黄金時代を築いていた。
小学生は強いものが好きだ。
だからヤクルトファンになった理由は「チームが強かったから」ということになる。
(それに、他のチームが新聞社とか電鉄会社とか、小学生にはあまりなじみのない親会社だったのにたいして、ヤクルトは、あの小さくて甘い健康飲料、ヤクルトのチームであるというところも、チャーミングで好きだ)

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90年代のヤクルトは、正に「黄金時代」という表現がぴったり来るくらいに強かったし、才能という意味の、タレントがそろっていた。
古田、池山、飯田、真中、土橋、宮本慎也、岡林、石井一、伊藤智、高津……。
(タレント、という意味でのタレントも揃っていたような気もする)

他にも、ホージーやペタジーニといった助っ人外国人も大活躍していた。
中でも記憶に残っているのは、ハウエルだ。
スポーツニュースではその試合の印象的なシーンだけ放送するので当たり前なのだけど、テレビに写るハウエルはいつもタイムリーヒットやサヨナラホームランを打っていた。

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この試合では、とにかく、そんな往年の名選手達が勢揃いししていた。
スターティングメンバーが発表される。
懐かしい名前の数々に、それだけで胸が熱くなって涙がこぼれてくる。
これは、なんの涙なのだろう…。

感動で胸がいっぱいになって、酒が進む。
進みすぎた。
どうも僕はモノゴトに感動すると、それだけでお酒を飲み過ぎてしまうきらいがある。
2015年の優勝決定試合でも、飲み過ぎて大変なことになったのだった。

神宮球場には思い出が詰まっている。
東京という街の中で、例外的に「好きだ」と言えるたぐいまれなる場所だ。

大学生時代もここへきてヤクルトを応援した。
卒業してからも、ライトスタンドから声を張り上げた。
勝つときも負ける日も、喉をからして、叫び声を選手にぶつけるように応援歌をがなりたてている。

そんな思い出の選手も出場している。
ガイエル、イムチャンヨン、松岡健一、福地…。
2008年ごろ第一線で活躍していた選手がグラウンドに現れて、応援歌を歌うたびに、学生時代にタイムスリップしたかのような気持ちがした。

ああ、10年前の自分も、ここにいてこの歌であの選手を応援していた…。

その感覚がひょっとしたら涙の正体かもしれない。
古田の引退試合も見た、宮本の引退試合も見た。
けれど、ふたりとも、いま、グラウンドに立ってプレーしている。
古田の打球を宮本がさばいて、ダブルプレーを成立させた。
僕は拍手している。
一度死んだ人間が生き返ったかのようにあり得ないものを見た気持ちで手をたたく。

どちらのチームが点を取っても傘を振るのでいそがしい。
楽しさとうれしさが何度も波のように押し寄せてくる。

これは、夢なのではないか…。

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雨の平日に神宮球場に三万人弱も観客が詰めかけるとは、夢である可能性が高い。
中でも夢ではないかと目を疑うシーンがあった。
試合開始時から、古田達に支えられてようやくあるいていたような野村監督が、打席に立った。
84歳の老人が、支えられながら打席に立つ。
その人はただの老人ではなくて、栄光も挫折もその四角い白線の中で味わった、バッターボックスの中で青春を生きてきた、球史に残る大打者なのだ。

野村、野村!

一球めが投じられ、大きく外れたあと、僕は叫んでいた。
野村監督でもなく、ノムさん、でもなく。
彼が現役時代にきっとそう声をかけられていただろう呼び方で、声援した。

野村、打てよ、野村、お前が決めろよ、野村、お前の、精一杯の、プレーをしろよ…。

ファンがプロ野球選手の名前を呼ぶとき、そこにはたくさんの想いが込められている。
多くの言葉は必要なくて、きっと選手も、呼ばれるその名前に、自分の名前に、多くの祈りが込められていることを、感じている。

コントロールのよさが身上だった中継ぎピッチャー松岡健一が投じた2球目を、野村監督はスイングした。もちろん、振るのがやっとというような、空振りだ。
その空振りに球場がどよめく。
体を支えていた古田や、周囲にいた人も、驚いている。

なにしろ、歩くのがやっとで、直前にも「打席には立ってもバットが持てるかどうか」と言っていたのだという。

まさか僕の声のお陰でとは言わないが、それでもあの老いた体に、老骨にバットを振らせたのは、球場全体の期待感とファンの暖かなまなざしであるだろうし、何より当人の、野球に生きた人の、「生涯一捕手」を座右とした人の、気概であり、経験であり、積み重なったものが、人生が、野村克也の人生が振らせたひと振りだった。

きっと現役時代を思い出したのだと思うし、体がその光景を覚えていたはずだ。
目がくらむほど眩しいカクテルライトに照らされて、ピッチャーと対峙をして、投げられる白球。
考えたというより、元気を出したというよりも、体が反応したはずだ。
それくらい骨身に染みているはずだ、野球というものが、野村克也という人には…。

そんなことを考えて、泣いて、また杯が進んで、僕は帰りの電車で降りる駅を思い切り乗り過ごした。
楽しい夢のような夜だった。

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明日(7月11日)は神宮球場へ出掛ける。

ヤクルトが球団を持って50周年になることを記念した特別な試合を見るためだ。

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正式名称をオープンハウスpresents スワローズドリームゲームという。

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一塁側に野村監督と古田敦也ヘッドコーチ(!)、三塁側に若松勉監督と小川順次ヘッドコーチが陣取り、戦う。

出場する選手はファン投票をもとに選ばれたスワローズのOBたち。

中でも僕がプレーを見るのを楽しみにしている選手は、野手なら【魔将】アーロン・ガイエル(2007-2011)、投手なら【蛇直球】林昌勇(2008-2012)だ。

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なぜこの二人を楽しみにしているのか、理由を語ると書くのに数時間はかかってしまうだろうから、詳しくは書けない。

少しだけ書くと、もう10年前になる。
僕は熱心に応援していた。
ガイエルの応援歌を歌い、サイドスローから繰り出されるイムチャンヨンのえげつない直球に痺れていた。

10年くらい前というのは、思い出が一番美化されて、それでいてまだセピア色に色褪せる前の、いちばんいいタイミングなのかもしれない。

楽しみだなあ。
グッズとかいっぱい買っちゃおうかなあ。

野村監督がまたヤクルトのユニフォームに袖を通してくれると思うだけで、目もとがじわりと熱くなる。

なんだか楽しくなってきた。

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