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【 奇妙な マクドナルド 語学 】
一頃、放送されていた日本語テレビ番組 「新婚さん、いらっしゃい」で次のような場面を見たことがある。 番組にたまたま米国人のゲストが現れた。 日本人司会者が、愛想よく、「私はよくマクドナルド へ行きますよ 」 と言ったところ、それが相手に通じない。 更に、「マクドナルド 」 を 二、三 度 繰り返したが、それでも通じない。司会者は 苦笑いしながら 「どうしてこの米人は英語が分からないんだろう?」としきりに首を傾げていた。 マクドナルドという言葉の元は、英語の Mc Donald である。 しかし、かなり大きく変身しているのが、見た目にもはっきり分かる。 どの程度大きく変身したのか、試しに、マクドナルド を そのままローマ字 に戻してみる。 結果は、Makudonarudo になり、 元祖のMc Donald とは全く似つかない別の字になってしまう。 勿論、米国人に通じるわけがない。にも拘らず、 マクドナルド そのものを英語だと勘違いしている日本人は少なくない。 日本人の英語について語るとき、米国の識者は、よくこの マクドナルド を引き合いに出す。外国人に分かって貰いたいなら、マクドナルド を止めて、「マック・ダーノ」と言えば、十中の八九通じることまちがいない。しかも短くて発音しやすい。 しかし、日本人はなぜだか 易(やすき)につこうとしない。それで、ごく簡単なことばですら、相手に分からせるのに四苦八苦する。
マック・ダーノ の方が発音しくい、と言う日本人は恐らく居ないだろう。ならば、どうして、他人に分かって貰えるよう、マック・ダーノ と言わないのか。それなりにいろいろ訳があるのだろう。そのなかに、一種の社会的な強迫観念も入っているのではないかと解釈する識者もいる。 Mc.Donald の日本語表示は、マクドナルド の一つしかないが、 中国語表示は「麦唐諾」(マイ タンノー)、 「麦当楽」(マイ タンロー)、 「麦当奴」(マイ タンヌー) などと 幾つかある。 どれを取っても、ピタッとする音訳になっていない。その訳は、漢字が表音の為にあるよりも、表意文字であるという特徴から来ている。
例えば、麦当楽の三字を見ると、麦を材料にして作った食べ物を楽しむ という意味を含んでいることが一目瞭然として分かる。 表意に重点を置いて、表音は二の次にした中国語表示の特徴がそのまま字面に現れている。ということは、若干発音が似通っていても、 それはもはや英語から全く変身して仕舞った中国語の訳であり、それを、英語のつもりで外国人相手に喋っても通じないことを、中国人は良く心得ている。
中国人同士であれば、マイタンノー、マイタンロー、マイタンヌー、の何れかを使うが、外国人相手であれば、 マック・ダーノに切り換える。そのようにして、中国人は、自国語と外国語の違いにはっきりとけじめを付けている。 けじめ と 切り換え、 つまり、混同しないことと 柔軟性を持たせることが出来る 中国人の性格と、型にはめることを好む日本的習性は、外国語を覚える上でもその違いがよく表れている。これは、勿論、知的能力の違いではない。しいていうなら、考え方の違いに負うところが大であると思はれる。
日本語のカタカナは、外国語の発音を真似る点では、非常に便利な表音文字
である。漢字に比べるとずっとずっと便利であるため、一見、条件有利のように見えるが、結果的には、便利過ぎるカタカナが却って仇となって、自国語と外国語のけじめが曖昧になり、マクドナルド という日本ことばを外国人が理解しないことに首を傾げるような、面白い場面が生じるようになる。 「マクドナルド」 という一つの型に嵌まった発音になびく習性を持つ日本人にとって、これ以外の発音、例えば、「マック ダーノ」への切り換え、あるいは、二つの発音を併用する事も至難なことである。これまた、外国の人々の理解し難いことでもある。 外国語を覚えようとするなら、外国語を覚える為に、また、その限りに於て
て、日本語と一定の距離を保つことを念頭におかなければ、好ましい効果を得ることは望めないということは、誰も分かっている。理屈は分かっても、その通りに実行するかしないか、また、実行出来るかどうか、それがカギであり、日本人にとっては常にそれが難関になっている。例えば、マクドナルド を止めて、マック・ダーノに言い替えてみる。そんなのなんらわけないさ、と大抵の人は思うだろう。 それなら、複数の日本人が居て、他人が マクドナルド と言うところで、貴方だけ、マック・ダーノ を平然と口にすることが出来るかどうか、まず試してみることである。口にする文句は極めて簡単だが、口にする勇気、つまり精神的、あるいは心理的な戸惑いがかなりの重圧になることに気が付く筈であろう。 マクドナルドをマック・ダーノに言い替えることが出来る、そのこと自体は、英語の上達に直接結び付くものではない。しかし、英語上達に向かう途上の壁を一つ突破することを意味する。つまり、日本式英語から遠ざかる、これが本物の英語に近付く第一歩であることに他ならない。 |

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