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ーー 月謝が勿体ない ーー
NHK の テレビ番組「Tokyo eye 」を見て少なからず衝撃を受けた事がある。私一人だけではない筈です。
東京人の外国人に対する親切度を試す為に、若い金髪女性に街頭で東京のサムライ、六、七人に「Excuse me 」と声を掛けさせた所、皆にソッポを向かれてしまった。 礼儀正しいサムライにあるまじき態度で不審に思い、今度は、英語を引っ込め、同じ金髪女性が、「スミマセン」に切り換えて 同じ人数の通行人に声を掛けてみた所、全員が 「ハイッ」と答えて立ち止まった。
「Excuse me 」と 「 スミマセン」で、これほど極端な反応の違いが生じるのは信じ難い。テレビの実況放送だが、目を疑いたくなる場面であった。
私が衝撃を受けたのは、列島サムライの「英語苦手」の度合いではない。それは、もう先刻承知済みだから、然程驚く事はない。「Excuse me 」と声を掛けられ、一言も返事せずにソッポを向いて歩き去る場面の連続に衝撃を受けたものである。
声を掛けられた通行人は一様にネクタイ背広姿だから、そこそこの教育を受け、礼儀を辨えている人達だと見受けられる。「スミマセン」には答え、「Excuse me 」には知らぬ顔をする、親切、不親切に関係なく、問題は英語にある事が歴然としている。加えて、忙しいので外国人との英語応対に構っておれないという事も考えられる。
それなら、「悪いけど、忙しいから」と一言云えばよいし、又、云うべきである。それは、「sorry , I ' m busy 」で十分事足りる。
日本の大学卒は、中学、高校、大学を経て少なくとも英語を十年以上は習っている。 「sorry , I'm busy 」は英語の初歩だから、中学ですでに教わっている筈、その一言ですら口から出ない。多くの日本人は、ああだこうだと、沢山の口実を見つけてその弁解に務める。
「英語の教育方法が良くない」というのがその最たるものであり、つまり、言葉というのは「生き物」だから、教科書よりも実地に覚える事が肝要である。その意味に於いて、私は教科書偏重の英語教育には批判的であるが、だからと云って、「sorry , I ' m busy 」が口から出ないのも教育の所為にする訳に行かない、何故なら、その程度の簡単な挨拶言葉は学校で覚える必要は毛頭ないからである。
日本人が初めて英語に接したのは、もう百五十年以上になる。
百五十年余り経ったが、未だに英語 ( 外国語) に悩まされ、未だに「sorry 」も 「I 'm busy 」も軽く口から出せない、それを、「語学音痴」で茶化す人が少なくないが、実態はそうではないだろう。
日本は「サムライ」の国であり、「サムライ」は何よりも「恥」と「外聞」を気にする、だから、「武士は食わねど、爪楊枝」という格言が残る。
ベネデイクトが「菊 と 刀」で、日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決め付け、数多くの日本人が「目の醒める」思いで、「菊 と 刀」を読んだ。
恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定するというのです。つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、自分の行動を決めるというのです。これが「恥の文化」で、「恥をかく位なら、切腹する」という昔のサムライの生き方が、今日の日本に依然として根強く残っている。
大方の日本人は「sorry」や「I , m busy 」をよく知っているが、使わない。間違えるかも知れない、間違えたら恥をかく、という「潜在意識」が強く働いているから使わない。
知っていても使わなければ「言葉」は「死語」になる。日本人は世界で最も外国語を熱心に勉強する国民である、書店に行けば、外国語教材の氾濫ぶりはこれまた他国に例を見ない。
「学びて思わざれば則ち罔(くら)く」という孔子の教えは、学んでも使わなければ無駄になる、という事で、実利主義の唐土の人達は「無駄を嫌がる」ので、言葉も一言覚えれば一言使う。外国語だから、間違えるのは当然だと割り切って使う、だから、唐土の人達は外国語に堪能である。
一方、列島の人びとは、間違える事を恐れて、折角覚えても使わない。ただ単に「恥をかきたくない」というだけの虚栄で、語学後進国の汚名に甘んじているのが現状であり、このような「心理的障碍」を取り除かない限り、幾ら勉強の方法を改善しても、日本人の語学発展は期待の仕様がない。第一、月謝が勿体ない、と思わないだろうか。
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