カタカナ英語 と 語学音痴

徒然なるなるままに, 奇妙なる 列島の語学について語る

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    ーー   外国語を覚えるなら、まず、

       日本人である事を、忘れること ーー 


ニューヨーク ロス の日系スーパー 料理屋で働いている日本の若者に、「なぜ、米国へ来たの?」という質問をしてみると、 「英語を勉強に来た」 と答えるのが圧倒的に多い。 「でも、もう辞めちゃった」 という者が、これまた多いのに驚く。訳は、思っていたよりも難しい上に時間も長く掛かるので辞めにしたという。つまり、粘り気がないのである。あるいは、根気がないと言ってもよい。

今時の日本人に新人類というアダ名を付け、一頃昔の日本人との違いの大き

さを強調しようとする人がいる。確かに大きく変わった面もあるが、殆ど変わっていない面もある。 花は桜を好む気性、つまり、パット鮮やかに咲き、派手にパット散る、その束の間の激情を好む気性は昔も今も変わりはない。そして、武士という言葉によって代表される 「勇ましさ」 を好む気性も変わっていない。このような気性は、物好きで熱中するのは早いが、冷めるのも早いし、諦めも早い。


アメリカにしばらく住めば英語は上手になると思っている人は多い。その通り間違いはない。逆の場合もまた同じである。つまり、日本語を学ぶアメリカ人なら、米国に居て勉強するより、しばらく日本に行って滞在した方が断然上達するのは早い。事実、日本にほんの二、三年滞在しただけで驚くほど日本語を上手に話すアメリカ人に時折出逢う。在留の数からいうと、在日米人よりも、在米邦人の方が遥かに多い。しかし、在米二、三年で英語を上手に話す日本人には滅多に会わない。


もっぱら教材と丸諳記だけに頼る日本式学習法と、実戦活用で勝負する西洋式学習法の違いが、そのような二つの異なる結果になって現れている。

日本で出版されている外国語、特に英語、の学習本やテープに幾つか際立った特徴がある。


一つは、その種類の多いことであり、その出版量は紛れもなく世界一を誇る。この事実は、日本人の旺盛な外国語の学習欲を反映している反面、日本人が外国語で苦戦していることも、併せ物語っている。だから、色々と手を替え品を替え、上達法を見つけようとする。結果が、莫大な質量の出版に繋がったもの。


いま一つは、 そのうちの多数が 「速成 を売り言葉にしており、数ケ月でペラペラだとか、ひどいので、数週間でペラペラという広告まである。なぜそこまで「速成」を強調するのか。それは取りも直さず、日本人の忍耐力が非常に限られていることの裏付けに外ならない。日本人はやる気十分で、そのかわり、短気も十分の特性がある。やる気十分は結構なことだが、短気十分はなにかにつけ問題である。

「言葉の習得に近道はない」 という鉄則は、誰それが言つた、あるいは決めたことではなしに、外国語を習ったことのある人なら、誰もが自身で経験済みのことである。生まれてから、自国語がうまく話せるようになるまで、どれだけの月日を要したか。況して外国のことば。又、 一生のうち、英語の速成学習の本あるいはテープを手にしたことのない日本の学生諸子は果して何人居るだろうか。

大抵の人は試してみたことがある筈。 それでペラペラに上達した人に何人お目に掛かっただろうか。一寸考えてみるだけで、答はすぐ出て来る。


私共一家が初めて米国に渡って来た時、二人の息子は中一と小五だった。

勿論、英語は白紙だから、私が教えるなり、英語塾に入れるなり、又は、家庭教師を付けるなりするのが普通だが、英語の本場に乗り込んで来た以上、私は道草を食う必要はないという考えを持って居た。ニューヨークで取り敢えず住み込んだアパートの向かいに大きい運動場があって、沢山の子ども達が毎日そこで野球に興じて居た。

私は、二人の息子に 「飛び込んで一緒に遊んで来なさい」と尻を叩いた。

お父さんは英語知っているのに、何故、ABC すら教えて呉れないで、米人の子供と遊びなさいと言うのだろう、と二人は内心不思議に思ったにちがいない。


しかし、二人共野球が大好きだから、早速、運動場に飛び出し、現地の子供達と baseball を楽しむようになった。

そのように、数ケ月野放しにしただけで、息子らは私が 「へえっ」 と驚くような英語を口にするようになった。

又、私自身、こちらへ来たあと、ゴルフ場通いが月一から週二に増えた。
その都度、仲間を四人集めるのは容易なことではないから、私はよく一人で出掛け、見知らぬ人と一緒に廻る。人種の坩堝(るつぼ)だから、会話は下手でも英語に頼らざるを得ない。十八ホール で平均して約五時間掛かるから。言うなれば、毎週十時間ゴルフを楽しみながら英語の実戦クラスに出ている勘定になる。

私はこちらで学校に通ったことはないが、後日、こちらの大学を出た息子らの採点によると、お父さんの英語の実力は外国人の留学卒業生に匹敵する、ということだそうで、若干お世辞を割引いても、尚且つ、喜びに値いする成績だと私は思っている。英語の月謝は一銭も払ったことないが、ゴルフのグリーン フィの一部が英語の月謝だと思えば、一石二鳥で、こんなに安くて得なものはない。

それにつけても、本場のアメリカに住んで居て、英語が上達しないため、悩んで居る日本人が多いのに驚く。と同時に、彼等の取り組み方が、日本に居て受験勉強をするのと同じ応用の効かない方法でもって、それで、日常対話に使う活きた英語を覚えようとする、また、習得出来ると思っている人が圧倒的に多いことに重ねて驚きを感じる。


「ほとんどの教材は試した、テレビの英語講座も英会話学校にも
通ったが、あまり効果がなかった」

これは、日系雑誌の投稿欄で目にした、在米三年になる大学生の悩みだが。学生なら、何故学友共に鍛えて貰うようにしないか。恐らく、「武士は食わねど高楊枝」に似たような虚栄に災いされて苦労しているとしか思われない。
          
「アメリカに来て三年、二年間語学学校に通ったが、未だ英語が
まともに話せない。日本人とばかりつき合っているからだと思
う。日系人が居ない中部に引っ越ししようかとも思う」

このように、飛躍的に思いつめる人も居る。何処に住もうと、ここは米国だから、周りはアメリカ人ばっかりなのに近ずこうとしない。そのような孤独の性格で、日系人の居ない処に引越したら、この人は全く一人ぼっちになって、その内に日本語も忘れてしまうのかも知れない。

日本だったら、なんでも学校で習うという慣習が非常に根強い。異国に居ると、日本人としての誇りがあるから外国人に恥を晒したくない。基本的には、このような日本的習性が災いして、自分を苦しめ、そして悩む。


勿論、良薬はある。英語をうまく覚えようとするなら 、「自分が日本人であることを、当分忘れること」。それが出来ないようなら、外人相手を必要としない読み書きの勉強だけして、英会話の方は諦めたほうが、得策だと思う。

【 サムライ と 英語 】

  ーー 月謝が勿体ない ーー

NHK テレビ番組「Tokyo eye 」を見て少なからず衝撃を受けた事がある。私一人だけではない筈です。

東京人の外国人に対する親切度を試す為に、若い金髪女性に街頭で東京のサムライ、六、七人に「Excuse me 」と声を掛けさせた所、皆にソッポを向かれてしまった。 礼儀正しいサムライにあるまじき態度で不審に思い、今度は、英語を引っ込め、同じ金髪女性が、「スミマセン」に切り換えて 同じ人数の通行人に声を掛けてみた所、全員が 「ハイッ」と答えて立ち止まった。

Excuse me 」と スミマセン」で、これほど極端な反応の違いが生じるのは信じ難い。テレビの実況放送だが、目を疑いたくなる場面であった。

私が衝撃を受けたのは、列島サムライの「英語苦手」の度合いではない。それは、もう先刻承知済みだから、然程驚く事はない。「Excuse me 」と声を掛けられ、一言も返事せずにソッポを向いて歩き去る場面の連続に衝撃を受けたものである。

声を掛けられた通行人は一様にネクタイ背広姿だから、そこそこの教育を受け、礼儀を辨えている人達だと見受けられる。「スミマセン」には答え、「Excuse me 」には知らぬ顔をする、親切、不親切に関係なく、問題は英語にある事が歴然としている。加えて、忙しいので外国人との英語応対に構っておれないという事も考えられる。

それなら、「悪いけど、忙しいから」と一言云えばよいし、又、云うべきである。それは、「sorry , I ' m busy 」で十分事足りる。

日本の大学卒は、中学、高校、大学を経て少なくとも英語を十年以上は習っている。 sorry , I'm busy 」は英語の初歩だから、中学ですでに教わっている筈、その一言ですら口から出ない。多くの日本人は、ああだこうだと、沢山の口実を見つけてその弁解に務める。

「英語の教育方法が良くない」というのがその最たるものであり、つまり、言葉というのは「生き物」だから、教科書よりも実地に覚える事が肝要である。その意味に於いて、私は教科書偏重の英語教育には批判的であるが、だからと云って、「sorry , I ' m busy 」が口から出ないのも教育の所為にする訳に行かない、何故なら、その程度の簡単な挨拶言葉は学校で覚える必要は毛頭ないからである。
 
日本人が初めて英語に接したのは、もう百五十年以上になる。

百五十年余り経ったが、未だに英語 ( 外国語) に悩まされ、未だに「sorry 」も I 'm busy 」も軽く口から出せない、それを、「語学音痴」で茶化す人が少なくないが、実態はそうではないだろう。

日本は「サムライ」の国であり、「サムライ」は何よりも「恥」と「外聞」を気にする、だから、「武士は食わねど、爪楊枝」という格言が残る。

ベネデイクトが「菊 刀」で、日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決め付け、数多くの日本人が「目の醒める」思いで、「菊 刀」を読んだ。

恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定するというのです。つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、自分の行動を決めるというのです。これが「恥の文化」で、「恥をかく位なら、切腹する」という昔のサムライの生き方が、今日の日本に依然として根強く残っている。

大方の日本人は「sorry」や「I , m busy 」をよく知っているが、使わない。間違えるかも知れない、間違えたら恥をかく、という「潜在意識」が強く働いているから使わない。

知っていても使わなければ「言葉」は「死語」になる。日本人は世界で最も外国語を熱心に勉強する国民である、書店に行けば、外国語教材の氾濫ぶりはこれまた他国に例を見ない。

「学びて思わざれば則ち罔(くら)く」という孔子の教えは、学んでも使わなければ無駄になる、という事で、実利主義の唐土の人達は「無駄を嫌がる」ので、言葉も一言覚えれば一言使う。外国語だから、間違えるのは当然だと割り切って使う、だから、唐土の人達は外国語に堪能である。

一方、列島の人びとは、間違える事を恐れて、折角覚えても使わない。ただ単に「恥をかきたくない」というだけの虚栄で、語学後進国の汚名に甘んじているのが現状であり、このような「心理的障碍」を取り除かない限り、幾ら勉強の方法を改善しても、日本人の語学発展は期待の仕様がない。第一、月謝が勿体ない、と思わないだろうか。
 
 
 
 
  【 カタカナと横文字、の板挟みになった 言葉 】
  
日本に、外来語という別名がつく日本語が沢山ある。マクドナルド もそのうちの一つに入る。 外来語は、日本で使はれるために取り入れた外国語であるが、殆ど、日本人の間でしか通じないことばに変身して存在している。外来語の特徴は、カタカナ表示になっているので一見すぐ分かる。

外来語使用の利点はなにか 。ただで取り入れることができること。先進国の横文字ことばを何らかの形で使うことによって、自分を進歩的、あるいは、学識のある人物に見せること。取り分け、外国語を知らない人は、カタカナことばを受け売りで使うことにより、自分も外国のことばを知っているような気分になれること。そのような、もろもろの思惑が絡んで、日本に於いてカタカナ外来語使用の流行を著しく増長させたものだと思われる。

世の中がまだ冷戦時代だった頃、ある雑誌紙上の世相談義で読んだものだが、語り手が国家未来のことを非常に懸念して、

「米、中、ソ、 の三極構造という厄介極まる渦が巻いているに於いて、この リアル な ザイン のなかから、ゾルレン を的確に把握しないと、 日本の命運は大変なことになる。 」

と力説していた。 つまり、リアル な ザイン のなかから ゾルレン を的確につかむことが日本にとって大事だという。

この一節を読んで具体的に意味が分かる日本人は、果たしてどの位いるのだろうか、たまたま、ある中小企業の役員と部長と会食雑談した際に、私はそれに一寸触れてみた。役員氏は、

「そういった類(たぐい)の表現を一部の先生方は好んで使うが、我
我百姓にはよく分からんし、又、商売人はそんなの知る必要も
ない」

といとも無愛想に言い切った。 会社役員ですらこうだから、リアル な ザイン と ゾルレン の意味が的確に分かる日本人は、そんなに多くいるとは思えない。

しかし、早稲田出の部長はそのカタカナ日本語の意味を知っていた。学生時代、哲学書に目を通したことがあったお蔭だという。リアル なザインは「現実の状態」、つまり、現状のこと。 ゾルレン とは 「どうすべきか」 を意味するものだから、その一節を日本語に直すと、

「この現状のなかから、どうすべきであるかを、的確に把握
しないと、日本の命運は大変なことになる 」

という具合になるでしようと言って、部長は、学のあるところを見せてくれた。

リアル は 英語の real , ザイン と ゾルレン は 独逸語の sein
と sollen から来た外来語。 だから、リアル な ザイン という言い方は、英語と独逸語をちゃんぽん にした、言うなれば、アンパン 式の語法になる。
「 だから、 全くいい加減なものさ」 と、最後に、早稲田の部長は、その様な注釈を付け加えて 、呵々と笑った。

日本人は、このように、歪(ゆが)んだ外来語の使い方の薫陶を小さい時分からずっと受けていることもあって、外国語を正しく理解する上でかなりの混乱を招くようになりがちである。 だいいち、外来語と外国語のけじめをどこで付けるのか、それすらはっきりしない。

その良い例が、 たとえば、早稲田の部長が、リアルなザインの意味を説明する際に、 「 これを日本語に直すと、、、」 と前置きして始めた。 日本語で書かれた評論の意味を解釈するのに、 「 これを日本語に直すと、、、」という前置きから始める。 不思議に思はないだろうか。

日本語に直す、というのは、外国語に対して言うことであるから、リアル なザインは外国語でなければ理屈に合わない。 皮肉なことに、このリアル な ザインは日本でしか使われていないので、外国語でないのは明らかである。

このように、どっち付かずで板挾みになったことばを日本で外来語と称している訳だが、いま一度、重ねて日本語に直さなければ意味するところが良く分からない 「外来語」の存在価値は、どこにあるのかと思う。

国家未来のことを心配し、自分の同胞に対して、事態を的確に把握することが肝要であると訴えようとするのに、なぜ、簡潔で的確に分かってもらえる日本語で、「この現状のなかから、なにをすべきか、、、、」 と言わずに、リアル、ザイン、ゾルレン、 など、呪(まじない)じみた文句を使うのだろう。

もし、日本人が自分の論点を自国語である日本語で表現するのに困難があるのであれば、米中ソの三極構造よりも、 こちらの方が、日本の前途未来に及ぼす影響が遥かに大きい筈だと思はれる。

外国語を覚えようとするなら、まやかしのカタカナ文字の使用から遠ざかることから始めるのがコツである。外来語の元が外国語であるなら、二兎を追う必要がどこにある。元をがっちり押える方が賢明だと思はないだろうか。
  


     【 奇妙な マクドナルド  語学 

一頃、放送されていた日本語テレビ番組 「新婚さん、いらっしゃい」で次のような場面を見たことがある。


番組にたまたま米国人のゲストが現れた。 日本人司会者が、愛想よく、「私はよくマクドナルド へ行きますよ と言ったところ、それが相手に通じない。


更に、「マクドナルド 二、三 繰り返したが、それでも通じない。司会者は 苦笑いしながら 「どうしてこの米人は英語が分からないんだろう?」としきりに首を傾げていた。


マクドナルドという言葉の元は、英語の Mc Donald である。 しかし、かなり大きく変身しているのが、見た目にもはっきり分かる。 どの程度大きく変身したのか、試しに、マクドナルド そのままローマ字 に戻してみる。 結果は、Makudonarudo になり、 元祖のMc Donald とは全く似つかない別の字になってしまう。 勿論、米国人に通じるわけがない。にも拘らず、 マクドナルド そのものを英語だと勘違いしている日本人は少なくない。


日本人の英語について語るとき、米国の識者は、よくこの マクドナルド を引き合いに出す。外国人に分かって貰いたいなら、マクドナルド を止めて、「マック・ダーノ」と言えば、十中の八九通じることまちがいない。しかも短くて発音しやすい。 しかし、日本人はなぜだか (やすき)につこうとしない。それで、ごく簡単なことばですら、相手に分からせるのに四苦八苦する。

 マック・ダーノ の方が発音しくい、と言う日本人は恐らく居ないだろう。ならば、どうして、他人に分かって貰えるよう、マック・ダーノ と言わないのか。それなりにいろいろ訳があるのだろう。そのなかに、一種の社会的な強迫観念も入っているのではないかと解釈する識者もいる。


Mc.Donald の日本語表示は、マクドナルド の一つしかないが、 中国語表示は「麦唐諾」(マイ タンノー) 「麦当楽」(マイ タンロー) 「麦当奴」( タンヌー) などと 幾つかある。 どれを取っても、ピタッとする音訳になっていない。その訳は、漢字が表音の為にあるよりも、表意文字であるという特徴から来ている。

例えば、麦当楽の三字を見ると、麦を材料にして作った食べ物を楽しむ という意味を含んでいることが一目瞭然として分かる。 表意に重点を置いて、表音は二の次にした中国語表示の特徴がそのまま字面に現れている。ということは、若干発音が似通っていても、 それはもはや英語から全く変身して仕舞った中国語の訳であり、それを、英語のつもりで外国人相手に喋っても通じないことを、中国人は良く心得ている。

中国人同士であれば、マイタンノー、マイタンロー、マイタンヌー、の何れかを使うが、外国人相手であれば、 マック・ダーノに切り換える。そのようにして、中国人は、自国語と外国語の違いにはっきりとけじめを付けている。


けじめ 切り換え、 つまり、混同しないことと 柔軟性を持たせることが出来る 中国人の性格と、型にはめることを好む日本的習性は、外国語を覚える上でもその違いがよく表れている。これは、勿論、知的能力の違いではない。しいていうなら、考え方の違いに負うところが大であると思はれる。

日本語のカタカナは、外国語の発音を真似る点では、非常に便利な表音文字

である。漢字に比べるとずっとずっと便利であるため、一見、条件有利のように見えるが、結果的には、便利過ぎるカタカナが却って仇となって、自国語と外国語のけじめが曖昧になり、マクドナルド という日本ことばを外国人が理解しないことに首を傾げるような、面白い場面が生じるようになる。


「マクドナルド」 という一つの型に嵌まった発音になびく習性を持つ日本人にとって、これ以外の発音、例えば、「マック ダーノ」への切り換え、あるいは、二つの発音を併用する事も至難なことである。これまた、外国の人々の理解し難いことでもある。


外国語を覚えようとするなら、外国語を覚える為に、また、その限りに於て

て、日本語と一定の距離を保つことを念頭におかなければ、好ましい効果を得ることは望めないということは、誰も分かっている。理屈は分かっても、その通りに実行するかしないか、また、実行出来るかどうか、それがカギであり、日本人にとっては常にそれが難関になっている。例えば、マクドナルド を止めて、マック・ダーノに言い替えてみる。そんなのなんらわけないさ、と大抵の人は思うだろう。


それなら、複数の日本人が居て、他人が マクドナルド と言うところで、貴方だけ、マック・ダーノ を平然と口にすることが出来るかどうか、まず試してみることである。口にする文句は極めて簡単だが、口にする勇気、つまり精神的、あるいは心理的な戸惑いがかなりの重圧になることに気が付く筈であろう。


マクドナルドをマック・ダーノに言い替えることが出来る、そのこと自体は、英語の上達に直接結び付くものではない。しかし、英語上達に向かう途上の壁を一つ突破することを意味する。つまり、日本式英語から遠ざかる、これが本物の英語に近付く第一歩であることに他ならない。


 【 列島 外国語学の、昨日今日 】  
 
 () はじめに

日本が鎖国を開き、外国との交流を正式に始めて以来、すでに百数十年の
月日が経った。 その間、明治、大正、昭和、平成と時代が代わり、世の中が、国際化の色彩に溢れ、英語が国際用語として広く通用している今日に至るも、多くの日本人は依然として英語に悩まされている。 なぜだろうか

日本人が初めて英語に接したのは、もう百五十年ほどの昔になる。
1854年、日本で出版された 「異国ことば」 という本に、
            
  「 久しぶりに会いたるを ーーー ぐるもうねん
   ものもらいしときは ーーー たんきょ

と書いてあった。 英語の初めての日本上陸である。
そして、1860年に初めて米国を訪問した幕末遣米使節団の記録にも同じことばが紹介され、
              
  「 ゴリマンネン とあいさつし、
   ウエレウエレタンキョ と礼を申す

と書いてあった。

今を去る 百六十年ほど昔の日本人に, 英語の Good morning が、 ぐるもうねん 又は ゴリマンネン に聞こえていたことがこれによって分かる。

今日、大半の日本人は good morning を、 グッド モーニング と発音している。 ゴリマンネンに比べるとかなり原語の発音に近くなったので、大なる進歩だと言える。 しかし、 ここまで持って来るのに要した歳月の長さを思うと、ただただ驚く外はない。

戦後、日本のプロ野球が初めて米国遠征した際、現地の人達が、ロスアンゼ
ルス・ドジャース ダジャース と発音しているのに 日本の選手達は気が付いた。 それでも、皆 依然として 「ドジャース」 に執着したが、 ただ一人だけ 「ダジャース」 に言い換えた選手が居た。ただ、それだけのことで、その選手は、他の日本選手に、 「あいつは カリスマ を持っている」 と言はれるようになった。 という逸話を当時の雑誌で読んだことがある。

ドジャース から ダジャース に、ド に言い換えるだけで、 なぜカリスマ が必要なのか。 又、 good morning グッ モーニン の方が英語らしい上に,より簡単に発音が出来るにも拘わらず、 多くの日本人はいまだに野暮ったい グッド モーニング を好む、 なぜだろうかと思う。

ごく些細なこれらの逸話のウラに、 日本人対外国語の戦いが長期に亘り苦戦に陥っている謎を解くカギが隠されているような気がしてならない。

長年、日本の外に住んでいるという傍観者的な立場で、 異った角度から、多くの実体験をもとに、日本人が外国語に悩まされている主だった原因はなんなのか、そして、ちゃんとした自分の言葉があるのに、なぜ、日本人は外国語に悩まさなければならないのか、感じたまま 書き出して見たいと思う。
 

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