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群馬大学の清水教授は、こう言った。
=私は、「心の住民票」を持っています。平成14年4月16日に、片品村からもらいました=
こう言って回顧することでその愛着が垣間見れるように、とても片品村を愛しているのです。
その方が、片品村には、のりしろがあると、言い切ったのです。
一人一人ののりしろづくりがあって_
この地域には、それ(のりしろ)があるのである。
(ここに)世の中のあり方を見たと思います。
確か、昨年の交流会でも、清水先生は、片品に存在するのりしろを言及してくださっています。
清水教授が感心するのりしろがあるという事実、
それをどのくらい感じ、自覚しているかどうかは、私の問題です。
要は、あるというのです_から、それを増殖してゆきたいものです。
小学校の統廃合を危惧する発言がこの交流会であった。文化協会の重鎮からであった。
つまり、のりしろが今はあるが、統合されてしまったあとの地域には、子供の声が聞こえなくなった旧校舎はあるが、寂しさを感じるようになるだけだ_と言いたかったようだ。
統合後の小学校に、今まで通り、孫のような、ひ孫のような子供たちを思って、果たして通い続けるだろうか_だ。
JAの統合を目の当たりにして、寂しさを禁じ得ない。なぜか、よその組織になってしまいつつあるからだ。もっと身近だったはずなのに、組織や指示系統が変わると、そしてその組織の中心が片品から出て行ったことにより、なぜか寂しく感ずるのである。
それは、もしかして、己のせいであって、JAのせいではない_かもしれません。変化について行けない優柔不断な己(私)がいるのかもしれません。
よく言えば、JAは地域JAで生き残り策を必死に考えて、皆に迷惑をかけるのを最小限にしょうとしているのだろうから。
いずれにせよ、人と人とをつなぎ合わせるのりしろを大事にしてゆきたいものだ。そして、できれば、いや、なんとしても、そののりしろを強固にしてゆきたいものだ。
それを嫌がる人はそうはいまい。
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2012年02月23日
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