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今日は、阪神淡路大震災からちょうど12年。 あの頃、自分はまだ高校2年生。連日被災地の状況や、増え続ける犠牲者に 対岸の火事として見ている反面、ボランティアとして復興や災害にあった方がた の支援の様子をTVで観ておりました。 それから2年後、大学でボランティア活動に明け暮れる日々が始まり、大学3年 のときの地域福祉論という授業で、今は亡きゼミの先生であり、自分を社会福祉士資格 取得の道へと誘ってくれた人生の恩師、故・高萩盾男先生の著書「高齢化とボランティア社会」 に出会いました。 そこには、この阪神淡路大震災のいわゆる「災害ボランティア」が、日本のボランティア 普及に大きな影響をもたらし、1995年この年を「日本のボランティア元年」として、 今後ますます進む社会の高齢化と、ボランティアとの在り方が綴られていました。 そもそも、ボランティアは、奉仕活動ととらえがちですが、厳密に言うと両者はちがうものです。 奉仕活動はもともと、宗教や教育の活動の1つで、神の使命のもと、または社会での自分の 役割のとして他者や地域へ貢献するという意味合いがあり、その活動には「神」や「教育者」 と言った「公」からのおおいなる使命という強制力が働いて、活動が行われるものです。 学校の奉仕活動は教育の一環として行われているので、ボランティアとは言いません。 (著書・高齢化とボランティア社会では、滅私奉公という言葉を用いて、私を殺してまで公に 強制され仕える点、自分の気持ちからはじめるとするボランティアと鋭く対立するもの、と記 されています。) では、ボランティアとは何か?と言うことですが、その語源から迫ってみたいと思います。 ボランティアという言葉の意味、それは「志願者、志願兵」です。 つまり、誰からも言われず、自分から志願することで活動を行おうというものです。 この、自ら志願し、社会や地域に貢献していこうとする「能動的な気持ち、心=精神」を 「ボランタリズム」と呼び、ボランティアの基礎を為す根源とされています。 さて、ボランティアは、その活動を定義するのに、「4つの原則」と言われるものがあります。 1つ目が、「自発性」と言われるもの。これは先の自らの気持ち、心で活動を行おうとするもの で、他の強制によらず、自由のもとで自らの意思・判断で活動を行う、参加するものとして捉え られています。ボランティアというものの原理の最も根幹的な、重要な要素です。 2つ目が、「無報酬性」といわれるもの。言葉からお分かりのように、活動を行うにあたって、 報酬を必要としないということ。逆説的に言えば、報酬目当てで行う活動はボランティア活動 ではない、と言うことです。 ただ、全く賃金などを受け取ってはダメか、というとそういう訳ではありません。活動に必要 な最低経費(例えば、建物を修復するボランティアなら修繕に必要な部品代など)交通費は 活動行う精神を助長するものとして、受け取るのは差し支えないと考えられます。 3つ目は、「公共性」といわれるもの。活動を行うのはいいのですが、それが公共のために おこなわれるべきだとするもので、自己満足で勝手に望まない活動を行ったり、ある特定の団体、 組織の利益のためにおこなうことを否定するものです。広く、社会のためになる活動をおこなう ことがボランティアに求められてくるのだとも言えます。 ちなみに、とある社会福祉施設ばかりに集中してボランティアを行うのは、その施設ばかりが 得をして、特定された団体の利益につながるのではないのか、という疑問が湧きますが、これは 社会福祉施設自体、公共性を強くもった組織で、そこに入所・利用されている方々多くの利益に なるものなので、公共の利益とみることができ、特定施設、組織の利益享受にならないと考え られると思います。 最後4つ目は、「先駆性(開拓性)」と呼ばれるもの。公的、私的な社会サービスだけでは、 手の届かないところを、ボランティアが埋め、逆に公的に必要なサービスを発見し、開拓する。 そしてボランティア自身がそれを先駆的に開始する、そういう可能性を秘めた存在が、ボランティア であり、これこそがボランティア特有の社会的機能であるとも言えます。 現在、ボランティアという言葉は、ある程度市民権を得てきたと感じています。 JTのクリーン活動への参加や(JTの行っているこの活動自体は、ソーシャルマーケティング の一環であり、ボランティアとは言い難いですが)社会福祉協議会が開催しているサマーボランティア 体験など、いろんな公共団体、企業がボランティアを認めつつあります。(ボランティア休暇なんて のもその良い例かも知れませんね) しかし、原則から考えると、まだまだボランティアから奉仕活動という気持ちが抜けない現状も あります。 実際、ボランティアをしていた身から、今度はボランティアを受け入れる身になって、それを 強く感じました。 ある学生が突然、明日ボランティアに行きたいのだけど、と電話をくれたので、受け入れたも のの、まったく覇気もなく、やる気も見えない。本当にボランティアに来てるの?って見てた ら、終了後にボランティア実施証明書なるものを書いてほしいと、学校から用紙を渡されたこと もありました。 ボランティアの社会的評価を利用して、自分もそれに便乗して、地位の向上を図ろうとする、 そしてそれを学校がボランティアとして教え、推奨する。 ボランティアを受け入れる側のこと、ボランティアのことを何もわからずに、学生、生徒に 「ボランティア」を説いている教育者のいる現状。愕然としました。 ボランティアは、ただやればいいものではありません。それを行うことによって、誰かの、 みんなの助けや支援になって、それを自分も実感して、継続してボランティアを行う「気持ち」 をもつことが何より大切なのです。 そしてそこから生まれる、社会関係やネットワーク、自分の進むべき未来など、様々な「可能性」 をもっているもの、それが「ボランティア」「ボランティア活動」であると言えると思うのです。 ボランティア元年から12年、学生時代行っていたボランティアの影響もあり、今の福祉の仕事 に就いている自分です。 これからも、ボランティアを受け入れる身として、活動を望まれる方々のボランタリズムを大切 にしながら、少しでもボランティアのリピーター、ネットワーク作りに貢献できるようにして 行きたい、そんな気持ちで今日の阪神淡路大震災を振り返ったのでした。
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