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体験から発信する防災・復興支援ブログ / 被災後の後始末、防災訓練、災害ボランティア、復興支援 : 遠藤正則

中越レポート

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山古志に最近作られた「山の暮らし再生支援拠点施設」通称、ロータリーハウス。
ここの名物は、「知能トイレ」???  ←勝手に命名(゚▽゚)!
木造の立派な建物。手前の立派な手洗い場。便器がウオッシュレットの金のかかっている立派なトイレ。
誰もが立派な完全な建物と思い込む条件が整っています。
しかし、このトイレはドアが完全に閉まらないのです。
だから鍵も閉まりません。使用中に誰かが開けようとすると開いてしまいます。

  ここで、あなたの注意力、観察力、適応力、周囲への配慮、協調性、アイディアが試されます!

  あなたの不意の事態の適応力、能力が試される恐ろしいトイレなのです。(-_☆)キラリ

観察すると半分の人は、静かにドアを閉めようとします。
残りの半分の人は、力任せにドアを閉めようとして ドカン、ドカン、ドカンと音が響き渡ります!

              苦労してるな( ̄ー ̄)クスクス!

ドアが閉まらないと怒った顔で聞きに来る人もいます。ドアが閉まらない状態で使用する人もいます。

はい!私は観察しました。考えました。そして使用しました。結果、答えは正しかったようです。
ドアを観察すると鍵を閉める金具が有りません。
ドアの閉まる面を見るとドアを一時的に固定する金具が有りません。
ドアの寸法が間口より、明らかに少し大きく作られています。
寸法間違いなのでしょうか・・?
私は考えました。
こんな立派な手作り的な建物が寸法間違いで造られ放置されている訳がない。理由があるはずだ?
ここは山古志。研修所的な建物・・! 何か理由があるはず!
ドアの内側横に不自然に置いてある丸太の切れ端は何だろう?
答えは、ドアの内側に置いて重しにし空かないように使用する。それで正解でしたヽ( ̄0 ̄)ノ

確認したわけではありませんが、どうも意図的に悩み工夫するように作られているようです。
建築家の遊び心。山古志の研修所の意図からも、それはOK! 面白い作りだと思います(笑)

便利で当たり前の日常生活。一見なんでも無いようで不意に原因不明な不便な生活を強いられる。
震災教育施設として見ると画期的で優秀な施設だと思います(笑)
う〜ん、このアイディア。防災研修所や林間研修施設などに良いアイディアですね。
日常では判らない、他人の適応能力を観察できる恐ろしい試験場でもあります(苦笑)

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先月、今月と長岡市山古志向田地区のロータリーハウスに宿泊させていただきました。
真新しい研修施設です。宿泊設備は有りませんがフローリングの床にゴロ寝で一泊千円でした。
施設と言っても炊事場とフローリングの床の部屋だけと思っていいでしょう。
名物は、一階の「閉まらないトイレのドア」と二階の「ドアが無く丸見えのトイレ」です。(爆笑)
手作り的に作られた建物で、なかなか面白い内装になっています。
トイレのドアに関しては、作っている途中なのか、意図的な物なのか判りません?(苦笑)
利用のルールなどよく判っていないので調べています。
 
ロータリークラブさんが作り、中越防災安全推進機構さんに寄贈され運営管理されているようです。
「山の暮らし再生支援拠点施設」通称、ロータリーハウス。
場所は、山古志支所(旧山古志村役場)から国道291号線を約1km小千谷市側に下った付近です。
復興住宅のある集落の一番下の車庫の脇の横道を上ってください。
国道から山の急斜面を約200mほど登ります。駐車スペースは十数台ほどです。
まだ看板は有りませんので初めて行く方は必ず迷うでしょう。(苦笑)
私も迷いました。他の人も迷っていました。
復興住宅のところから山の斜面を探すと小さく見えます。(写真上:クリックすると拡大表示されます)
 
 
中越防災安全推進機構 http://c-bosai-anzen-kikou.jp/
>お知らせ  機関紙第6号(夏号)発行!
の、PDFファイルで詳しく紹介されています。

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 中越震災に関心を持ち続ける事は、仮設住宅解消の目処が着く去年の春で終わりにしようと思っていた。
経験を次の震災で引き継げれば終わり。神戸震災ボランティア経験者のように次に引き継げるのは十年後かと思っていた。
資料保存にかかり初めていた矢先に能登震災は発生した。
すぐに、まさかの中越沖震災が発生した。
震災通いボランティアを止めるタイミングを逃してしまった。
さらには、山形と条件が似ている岩手宮城内陸地震の被災地に関わりを持った。
関係したからには、やりにげ、言い逃げ、物見遊山にはならない。静かに関係を持ち続ける。
でも能登は遠すぎて諦めた。通えないボランティアは関係を持たない方がいい。
 
 身近にいる仲間、新潟の人達は本音を語ってくれた。
たった4年の経験ではあるが、おかげで密度の濃い意識を持つ事ができた。
ありがとう。

 何を持って復興とするのか? 
ライフラインの復旧か、仮設住宅の解消か?
震災復興通いボランティアは、何を持って終わりとするのか?
私は、山古志の梶金地区の震災後初の盆踊りをもって中越震災ボランティア(第一期)の終わりとしよう。



写真1〜3:平成20年8月14日 長岡市(旧山古志村)梶金地区。十二神社の盆踊り。
       盆踊りの前に再建された神社に神様を招き入れる儀式がなされた。
写真4,5:平成20年8月14,15日 長岡市蓬平地区の築170年の古民家再生ボランティア作業





                中越震災ボランティア(第二期 柏崎地域)が、まだ一年残っている・・。

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中越震災から、もうすぐ丸四年。仮設住宅は解消され、大規模復旧工事も少なくなってきた。

震災からの復興とは、何を持って復興と位置づけるのだろうか?

神戸震災では、街の復興。住民が震災前に住んでいてところにもどり商店街が活気を持つことが復興のようなイメージを私は、報道や資料として読む記録からイメージしていた。
資料を読めば、人口流出何%、戻ってきた世帯数、人口何%、商店や再開発ビルの空き室率何%と数字からイメージできる。
神戸の街の歴史的形成の問題を綺麗に一掃した震災。被災市民と支援者の想い・・。
支援法による住民復興の後押しがなかった時代・・。

神戸震災復興の報道は、「震災復興とは、燃えた街に商店、ビルが建ち、住民が戻ってくる事のようなイメージ」を私にもたらせていた。たぶん、多くの人のイメージも同じだろう。

では、中越震災の中山間地。豪雪過疎地帯の復興とは、何だろうか?
「日本の過疎地政策最強の田中角栄氏の政策は失敗に終わった事を証明した中越地方。それは、海岸部、山間部も同じ。」
出稼ぎ対策効果もあり掘られたトンネルは、結局は道路の維持費、除雪費、税金の効率化の問題から、山を降りる復興政策を被災地行政は進めた。(山古志は特殊な例外と言える。)
住民も高齢者は山に残りたいと言っても、除雪の重労働、高齢者医療、孫の教育、息子の街へ通勤、集落の共同体制の維持の限界から街へ新居を建てる住民が多く、震災後に半分の世帯が移転した地域もある。
正直、ボランティアの自分も山に戻って生活を続けてほしいが、若い住民は、刺激の少ない集落で生活する事はつまらないだろうと常々思っていた。
震災前から「集落の暗黙の了解として、山を降りる事が前提となったいた山間地。それは震災前の集落の新築住宅状況や進学する学校、就職先。地域の共同作業が維持できなくなる事から暗黙の了解となっていたはずだ。
(注:私の勝手な考え)」

「山を降り、麓の街に移転する事が集落の暗黙の了解としてあったはずの被災地の住民。」
「全国からの善意、報道は、山に戻れ。山に帰そうとする動きと声援だった。」
「帰ろう山古志へ」長島村長の詭弁。
「復興ボランティア」そう熱心に頑張らないでくれ。住民の本音の言葉を敏感に感じた私。
「離村ボランティア」問題を意識している事と、どうしようもない気持ちから生み出した私の詭弁。

過疎地の集落に通えば、山に残った人も自腹で負担が求められる部分のライフラインの復旧は簡易復旧で
今後、十年、二十年の生活を考えた復旧とは言えない場面に出くわす事もある。
震災前の集落の新築割合。中学生の数。高齢者の年齢層分布。
この集落は、本気で残るのか? 十年、二十年、維持できれば住民の気持ちは収まるのか?
たえず、口に出さす考えて通っていた。

中越の中山間地に新築の家を建てた住民は、覚悟を決めた人達だろう。
街場へ通勤、通学する。あるいは住居近くに収入を得る場を持っている人達だろう。

冬に集落を通りすぎると驚くべき光景に出会う事もある。
40代の地域の青年が、車の無い高齢者数人を買い物送迎をしている風景に出会った。
当たり前の近所の助け合い。冬に便宜をはかるが、春、夏、秋と逆に世話になる事もある。
震災前には無かった冬だけの共同の家が地域にできていたりする。(豪雪地帯では以前から時折見られる。)
地域の助け合い。外部からのボランティア、支援。異質なモノを感じる自分・・。

過疎地域の復興!?
移転と静かな集落の消滅が暗黙の了解である地域の復興。
何を持って集落の復興とするのか?
ライフラインの復旧、倒壊家屋の新築、入居が完了すれば復興したと判断するのか?
新築はしたが何人の孫が成人後に、この地に残ってくれるのか?



        過疎地域の震災復興! 誰も答えを出せないでいる。




写真 :撮影は平成20年5月、8月:クリックすると拡大表示されます。
写真1:小千谷駅前商店街:郊外型店舗に消費者は流れている。震災とは別問題である。
写真2:川口町:新しい橋、新しい道路、新しい駅前。震災前とは違う街の風景が目立つ。
写真3:栃尾:大規模工事により要塞のような鎮守様が残った。
写真4:伝統的棚田は現代の法では作れない。国の補助金を使うと変な棚田になる。自力で直すのが正解だった。
写真5:他県の支援達から贈られた鎮魂のお地蔵様

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 中越震災から もうすぐ丸四年。
仮設住宅は解消され山古志周辺の災害の報道は無い。時折、再開された山間地の生活の様子が報道される。
長岡、小千谷、川口の街中や幹線道沿いを車で移動すると震災の爪痕は見られない。工事は完了している。
街で生活するには震災を思い出す事は、そうないだろう。
でも、山の方に入ると国道や主要県道沿いには大規模に工事が継続されている現場があり驚かされる。
いまだに復旧工事は終わっていない。土砂崩れの恐怖と無意識に震災の影を見つつづける生活。
主要道路からはずれると斜面の表土は雨が降れば流れ落ちやすい状況が見える。
これでは、砂防ダムがすぐに埋まるのが理解できるし、雨が降れば川の色が土の色をしている事も納得できる。
生活環境で斜面を大規模に工事している様子は無意識に恐怖だろう。
生活環境から大規模工事現場、工事車両が消えなければ心理的には安心できないのではないだろうか?

 この工事現場の下では、何軒燃えた。何人亡くなった。自衛隊員が何十人。消防団が何十人が捜索した。
当時の捜索の映像。悲しむ家族の顔・・。更地になっている意味と家族、親族、周辺の心情・・。
何ヶ月、避難勧告が続いた。地区の何割の住民が移転した・・。
通っていると、よけいな知識がついてくる・・。
いつまでも外部の者が騒いでいるのは住民からすれば迷惑だろう。
通りすがりの余所者には、どうしようもないと自分に言い聞かせて通りすぎるだけである・・
 もう工事は終わっていると思っていたので、まだ復旧・復興工事は終わっていないと知りガッガリしたのが正直な感想である。


写真:山古志と周辺地域。クリックすると拡大表示されます。
写真1〜4:平成20年5月 4日撮影
写真5〜7:平成20年8月15日撮影


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