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体験から発信する防災・復興支援ブログ / 被災後の後始末、防災訓練、災害ボランティア、復興支援 : 遠藤正則

災害ボランティア体験記

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悪いボランティア? ようやく公認される

一昔前、社協が運営する災害ボランティアセンター管理下以外で自主的に活動するボランティアは、「悪いボランティア」とされる風潮がボランティアの間であった。
「勝手ボランティア、迷惑ボランティア」という呼称もある。

あの日!
社協災害ボランティアセンターの中庭で「ボランティアの自主性を認めろ」と叫ぶ若者を見ても私は理解できなかった。
その夜、決定的な衝突を偶然目にしても、全く理解できなかった。
翌朝会った地元の方は、「衝突していたそれらのボランティア達を良いボランティアと呼び」、「社協管理下のボランティアを悪いボランティアと呼び、毛嫌いしていた」 。

「何が何だか判らない」
私のシンポジュウム、研修通いが始まった。


指導者が参集するだろうと災害復興学会設立総会を訪ねた。
村井さんも 栗田さんも 黒澤さんも 「私は指導者ではない」と答えた。
私は落胆し指導者を探す事を諦めた。

被災地に通い続け、ボランティアの手が足りないという複数の民間ボランティアグループを手伝った。
1日に2、3箇所のグループを手伝う事もあった。
社協管理下の県外からの慰問系イベントボランティアの後片付けをする事が何度かあった。
「イベントを やるだけやって数日後にゴミとなった品物や大量の枯れた花を捨てた」

その頃は、災害ボランティアの仕組みを知らなかったが、なぜ社協災害ボランティアセンターのイベント尻拭い、やりっ放しの他団体の尻拭いをしているのか府に落ちなかった。

被災から2年目、3年目も毎日イベントボランティアを受け入れている山古志村災害ボランティアセンターを訪れて愕然とした!
村の人や職員が 「イベントボランティアを接待していた。 イベントをさせてあげていた!」
職員が「イベント開催を仮設住宅の方に向かい大声で告知する様子」と「空虚な目」に とても悲しくなった。

「この人達は何をしているのか?」
「私たちは村内や村周辺で全壊住宅の片付けや生活道や畑の復旧ボランティア活動で汗を流しているのに!」
「それでも、俺たちは社協災害ボランティアセンターの管理外で活動する悪いボランティアなのか!」

その後、能登半島地震、中越沖地震と通いボランティアは続く。

「社協災害ボランティアセンターも民間ボランティアグループも仲良くつなげたい」と両方で活動するが、雨の日に個人として社協災害ボランティアセンターにいくと 数名が指名され「禁止作業をさせられる事が何度かあった」
私は納得できなかったが、複雑な事情は想像できるようになっていた。

また、熱心だけどトラブルの多いボランティアに 「何処で何をやっているのか社協災害ボランティアセンターに連絡しろよ」と何度か伝えた。
それは被災地の人々に迷惑をかけず、仲間を失いたくない一心だった。
結局、その人は災害ボランティアの世界から消えた。自滅した。
「ダメなボランティアには共通点がある」
その事に気づいた。

長く通いボランティアを続けると知恵もつく。
良質な活動者や経験者とも出会える。
「目の前の人を助けたい。できなければ聞く、質問する、調べる、互いに協同し活動する。技術や能力を身に付ける」
そうやってきた。

 災害ボランティア活動、災害支援はグレーゾーンが多い。
公の表の発表と実際の内容が違う事は多くある。

だから全ての人が混乱する。
被災地の人々もボランティアも支援者も対立する。
解決するには法律、制度の運用を実情に変える事が必要だろう。

 あれから13年。
私のシンポジュウム通いは、ようやく答えを聞くことができた。

イメージ 1


一昔前(ごく最近まで?)、悪いボランティアと指を指されてきたボランティア達の活動、主張は、このシンポジュウムで全社協が「必要とする趣旨の図、発表をおこなった」
そう、それは 「目の前の困っている人を助けるに必然性のある、当たり前の行動」なのだ。
あの頃、自主的に活動するボランティア達の主張が、ようやく公に認められた。

なを シンポジウムの発表で熊本震災ボランティアの受け入れ側からは、「活動が終了(撤収 ?)したら連絡してほしい」と発表があった。
「ダメなボランティア」にならないよう活動者は学ばなければならない。
経験者は失敗を伝えなければならない。
迷惑ボランティアとして消える。排除され、仲間を失っていく悲劇は繰り返してはならない。
もちろん、被災された方に迷惑や余計な負担をかけてはいけない。
 
 フィリッピンの台風被害の映像を見て、久しぶりに泣いた。
まるで津波被害の映像のようだった。
涙は流れず、嗚咽して泣いた。
我慢するより、泣いた方がいいと知っている。
 
これって、やっぱりフラッシュバックかな?
たぶん、日本の大勢の人が同じような症状がでていると思います・・・
 
私に出来ること。
今朝、コンビニ募金をしてきました。
 

枯れ草地が怖い・・

久々の災害ボランティア体験期です。
一種のPTSDの記録としても書いています。
 
昨日、NHKの普通の番組で枯れ草が広がる場所からの放送を見て、津波被害に遭い草地になった場所で秋から春にかけ撮影した番組かと感じ、心臓と背中に緊迫感が発生しました。
 
 
イメージ 1
中越沖地震 発生翌日の柏崎市内
 
 
 またチエーン店の牛丼安売り合戦が始まったようです。
私はチエーン店の牛丼は、日頃あまり食べませんが、安売り報道を聞くと「これだけ安いとラーメン屋さんや弁当屋さんは大変だろうな〜」と思いつつ、食べにいきます。
NHKまでが無料のCMと化してしまう・・・
みごと業界の戦略に乗せられているのでしょうか!?
 
 
イメージ 2
山口県防府市 流域土砂災害のボランティアセンター近くの牛丼屋さんにて
 
 被災地に行くと時間もなく、地域による味付けの違いの心配もないので朝や昼は、牛丼チエーン店で食事をします。
中越大地震では、発災一週間後に現地に行くと牛丼チエーン店が営業していて拍子抜け!
大変な報道でも、ちょっと場所が違うとライフラインは復旧しているのですね。
中越沖地震では、柏崎市内のライフラインが停止するなか、牛丼屋さんの地域は無傷で営業していました。
みなさん、ニコニコ顔で入っていきましたね。(私は遠慮しました)
 
 被災地に通うボランティアはお金が大変なので、活動後の反省会&懇親会も牛丼屋さん。(お酒なし)
「ボランティアは、被災地で金使え!」主義の私ですが、多人数では、つつましく会食。
イメージ 3
 
イメージ 4
新潟県小千谷市にて
 
 
最近は、防災関係の打ち合わせ前の時間調整でよく食べています。
私にとっては、安心して食べる食事ではなく、やや緊迫感のある災害食のような感じがしてきました・・・。
 
 
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おまけ:夜はスタンド型の居酒屋や小料理屋で一般の方から情報収集を!
     激甚被災者やボランティアの視線ではなく、一般の方の視線を知りましょう。
     ボランティアと名のらず、工事業者とか取引先の手伝いに来たとか言いましょう。 
     ボランティアには、本音は、なかなか教えてくれないものです! 

精神疾患の人

 被災地に通うと精神疾患の人、その家族と出会う事がある。
それらの人はご近所との付き合いも狭く、福祉関係の人との付き合いが多いようである。
たぶん自分の住む町内にそんな人、家族がいても、あまり付き合う機会はないと思う。ご家族もご近所もお互いに気を使い、腫れ物に触るように遠巻きに見ながら、ほどほどのご近所付き合いをするのが一般的ではないだろうか?

 被災直後やイベント会場で奇声を上げる疾患者とその家族。どう対処してよいのか判らない。
ただ普通の顔をして日常会話を続け気にならないふりをする。特に慰めの言葉などせず普通に会話、行動をする。

 被災地ボランティアを経験する前だったら、露骨に嫌な表情が顔にでたかもしれない。その場から離れただろう。
でも、今はそこに居つづけ普通に会話を続ける事ができる。
家族の方が複雑な笑顔の表情で手を振りながら帰る様子を手を振りながら送り出す事ができる。
そうなれただけでも、人として少しは成長できたのだろうか。

 TVで思春期の精神疾患の人の様子を見たが、奇声を上げる行動や拒食、リストカットは生きたい。治りたいという叫びなのだと思う。
だから奇声を上げる人には逃げないで助けたい。そばにいたいと思う。

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