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「被災者の話を聞くだけでボランティアになる。」
その話を聞いて「何もできないけれど、話を聞くだけなら私も出来る」と若い女性が傾聴ボランティアとして避難所にやってくる。
事前に訓練されておらず、何の知識も無く、日頃から何らかのボランティア活動や介護の経験もなく、社会経験も少なく、感受性の強い人ならば、早ければ二日で傾聴活動をした人の心が潰れる・・。
指定避難所では、医療関係者や訓練を受けてる人以外の傾聴活動が公式に禁止される事もある。
「被災者の為に活動し心が壊れたボランティアを住民達が探しだし避難所の別室に宿泊させ介抱する。」
本末転倒。介抱される事自体がボランティアに取り苦痛だが、一人で歩けない状態では帰らせる訳にもいかない。住民側のせめてもの気持ち・・
熱心なボランティアが燃え尽きたと言い、戻ってこない。
燃え尽き症候群は災害ボランティアの間で広く知られている。
頑張り過ぎると心が壊れる。
被災地に長く居続けると冷静さを失う。
長く活動すると心が壊れる。
復興ボランティア。
通い続けるには心が壊れないように・・ 警戒しながら無理をしないで通い続けた・・
中越大震災。
能登半島震災。
中越沖震災。
岩手宮城内陸地震。
わずか4年で4度の被災疑似体験を繰り返した。
結局、被災地の混乱は、いつも同じ・・ いつも同じ混乱が繰り返されていると感じた・・
平成21年1月神戸を訪れた。
阪神淡路大震災後に何度か訪れたが、被災地ボランティアを経験してから訪問するのは初めてだった。
17日の追悼の日の前日から、追悼式典の準備をする会場を訪問した。
TVや新聞、積極的に震災関係の報道を見た。
17日の朝5時。ホテルのロビーは追悼集会に行く見知らぬ人達が集まっていた。
暗闇の中を歩く。
通りすがりのホテルのロビーや玄関には人が集まっていた。
朝から異様な日常とは違う雰囲気だった。
信号待ちのタクシーから夜の仕事の綺麗なお姉さんが飛び出し目の前でゲロを吐き、神戸市役所の周りには14人の浮浪者が寝ている前を大勢の人が歩いて追悼会場に向かう。
追悼の世界と現実の世界を殴られるように行き来する。
暗闇の中の大勢の人。ロウソクに火を灯し30分列んで記帳し菊をいただき水辺に献花する。
人の流れに従い階段を下りると亡くなった人達の名前が壁に並び、水に浮かべた菊を地下から見上げる。
日が昇り、長田町をまわり祈りを捧げる。
海辺の震災当時のまま残された港を見学し、震災ウオークの人の流れに紛れ込む。
ゴール地点のイベント会場では、中越大震災の川口町木沢の人と出会う。中越を想う・・
神戸の舞子高校環境防災科の生徒に話を聞く・・
環境防災科独自の経験は伝授されていない・・
被災地ボランティアとして、防災ボランティアとして愕然とする・・
自分の無力さを知り、脱力感と絶望感を感じる・・
震災博物館の「人と防災未来センター」の前では、追悼の鐘の音が鳴り響いていた・・
センターの中で震災当時のニュース映像を見て発作を起こした。
パニック症候群(?)が、ボランティアの自分にも起こる事に驚いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/kateinobousai/56548806.html
ホテルに帰ると自分の体が心理的に疲れている事を意識した。
いつもと違い攻撃性や煩悩が無い事は自分でも気づいたが、その日は症状に気づかなかった。
「震災ED」
ネットで震災医療関係のサイトで読んだ記憶がある。「被災後にEDを発症するケースが多いようだが実数は把握できない。被災者ケアとして問題提起している記事だった。」
被災者ではないボランティアでも、パニックを起こしたり、EDになる。
直接、家族や友人を亡くさなくとも、震災ストレスはボランティアにも同じように発生する。
この発見は、貴重だと思った。
自分が単なる野次馬ではなく、被災者といくらかでも共感している人間なのだと実感し嬉しくもあり複雑な心境だった。
「被災者の心のケア」は、声高々に叫ばれている。
被災者と同じように震災ストレス、ストレス反応は、ボランティアも同じように発生する。
「災害ボランティアの心のケア」知識としてではなく、身を持って私も訴えたい!
写真:全部、神戸で撮影
2週間経過したら治ったよヽ(゚Д゚)ノ
単なる被災疑似体験ストレスによる一時的障害かな(゚Д゚)?
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