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体験から発信する防災・復興支援ブログ / 被災後の後始末、防災訓練、災害ボランティア、復興支援 : 遠藤正則

災害ボランティア体験記

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中越震災から2年。神戸震災から11年。他にも被災地は沢山ある。
中越でも交流・復興イベントや震災前から続くイベントが行われていますが、住民の方達は、心から
楽しんでいるのだろうか?
私は、「自分自身が、人が集まるイベント会場が怖い」事に気づいてしまいました。
ボランティアの私でさえこうなのだから、被災された住民や小さな子供達の中にも「怖がっている」
人がいると思います。
何かしないと前に進む機会が無い。機会の場を作る。それは大切だ。

       「お願いだ! イベントに来なかった人のケアをお願いします。」

イベントに来なかった人の中に、SOSを発信している人がいるかもしれない・・・。
(単純に疑問に思っている事なので、深読みしなくてもいいです)


  長年遊びに訪れている私の地元の雪祭り会場で、こんなふうに感じてしまいました。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 駐車場に車を駐め、歩いて夜のイベント会場に入る。

 30m歩いて違和感を覚える!?

 全身が緊張し、血が熱くなるのを感じる・・!?

 足の指先から、頭のてっぺんまで神経がすべての情報を感じようとしているのを自覚する!?

 首の後ろから「目」が生えてきて、「土砂崩れ」を監視しようとしている・・!?

 頭の後ろに「耳」が生えてきて、「倒壊する音」を聞こうとしている・・・!?

 背中から「腕」が生えて来て、「暴漢者から身を守ろう」としている・・・!?

  この感じは・・ まるであの時のようだ!!!?

  そして、周りを見回して気づいた!

 寒い夜空の中、炊き出しテントに並ぶ人の行列・・・。
 
 暗闇に鳴り響く発電機の音と投光器の光・・・。

 大勢ウロウロしている見知らぬ人、人、人・・・。

 冷たく・・ 湿気を含んだ風・・・。

 歩けば「泥が跳ね上がる音」・・・。

 トイレに並ぶ人の行列・・・。

 居並ぶカメラを持つマスコミとアマチュア・カメラマン・・。

  ここは・・・ まるで「避難所」ではないか!!!

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小千谷市の国道17号線を川口町に向け車を走らせる。
 
沢山の橋の前後に段差が有り、応急舗装がされていた。
川が造山運動の谷間として形成された事を身を持って知った。
  
「ちぢみの里」手前のトンネルを抜けると警察が検問を張っていた。
  
「この先は、通れません。Uターンしてください。」と言われた。
   
それまで通行止めの標識は、無かったので驚いた。当然通れるものだと思っていた。
 
しばらく押し問答をした。
 
「免許証」を出せと言うので出した。免許証を見ながら何かメモしている。
  
「不審者と間違われた」と思った。
    
どこかのボランティア団体に所属しているわけではないし、「災害派遣従事者証」を持っている
わけでもない。勝手にやってきたので不審者と間違われてもしかたないと思っていた。
 
対策として、期限切れの角に穴が開いた車の免許証をパスケースに入れ首からぶら下げていた。
「自分は、怪しい者では有りません。」と意思表示しているつもりだった。
  
警官が車のナンバーを控えると急に「通過してよい」と言った。
  
さっきまでダメだと言っていたのが、一転して通過して良いというのでムカつき、警官に詰め寄り
理由を聞きたかったが、警官の気が変わらないうちにと、検問を通過した。
 
別の警官が、簡単なゲートを開け、変な顔で私と、許可を出した警官を見ていた。
  
 
 
 
ゲートを通過し、200〜300mで景色が変わった。それまでとは違い「凄い事になっていた!」
 
家が真っ二つに割れ、片側が崖から落ちそうになっている家が二軒あった。
他にも斜めに歪んでいる家や、潰れそうな家がゴロゴロあった。
今まで通ってきた国道沿いには、そんな酷い状態の家は、見かけなかった。
  
道路は、段差が激しくなり、時速40km、時速30km、最後には時速20kmで走るのが
やっとという状況になった。
  
ちょうど合流した自衛隊のトラックの後をついていく。
その時は、「写真を撮ろうかな?」と思う余裕もあったが、気がついたら自衛隊のトラックは
消えていた!
 
国道17号線をたった一台で、時速20kmで走る!
周りを見渡せば、いつ崩れてしまうか判らない道路!
いつ土砂崩れが発生するか判らない斜面!
前方の東京方面は通行止めで前から車は、来ない!
後方は、検問でめったに車は、来ないだろう!
 
土砂崩れで埋まったら、いつ発見してもらえるか判らない・・!
余震が発生したら最後、死んでしまうかま知れない・・!
ノコノコ被災地にやって来た事を後悔した。家族の顔が浮かんだ。
 
写真を撮ろうなどという気は吹っ飛び、とにかく前に車を走らせる。
激しい被災写真を撮ろうなどという人は、自衛隊に守られていてこそだ。
戦場カメラマンって意外と気楽かもしれないと思った。
 
 
 
写真:イメージ  平成17年4月〜8月撮影

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10月30日
出発前日の今日になり、長岡の友人と連絡が取れた。本人も家族も家も無事。停電、断水等以外は被害が
無いという事だった。
では、お見舞いに顔をだそうと言ったが、長岡市内は交通規制が激しく車は通れないという事だった。
支援物資もすでに購入済みだった。家で使う事もできるが、長岡市ボランティア・センターに寄付するつ
もりで購入した「コピー用紙」の処分が困った。家では、使い道がない。
  
ネットを見ると「震災一週間目の今日になり、川口町と言う聞きなれない町にボランティア・センター」
ができたとあった。「まだテントしかない。物資は間に合っているが猫の餌が無い」と書かれていた。
 
地図を見ると被害の激しい小千谷市の隣だった。
聞きなれない「報道されてない町だし、今頃ボランティア・センターができたのだから、たいした被害は
無いのだろうと思った。」
 
立ち上がったばかりのボランティア・センターに金は、無い。7月の洪水の三条市災害ボランティア・セ
ンターが「受付用紙をコピーするコピー用紙を買う金が無い。」と苦労しているのを知っていたので、川
口町にできたというボランティアセンターに持って行ってやる事にした。
 
 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
10月31日
午前2時     家を出発。
  
午前3時     福島県のコンビニで猫の餌を購入。
 
午前4時40分頃 磐越自動車道を新潟県に入る。
           まだ真っ暗なのにインター毎にダンプ・カーが、一台、また一台と乗り入れてきた。
 
午前5時頃    北陸道を走る。周りの自衛隊のトラックは判るが、こんな朝早くから、民間のダンプ・
           カーが沢山走っている事に驚いた。
 
午前5時30分  長岡インターを下りる。料金を払ったが、「ボランティアだ」と言えば無料で通れた事を
           後日知った。
           市内の道路や国道には、車はほとんど通行してなく早朝に現地入りした事が正解だと
           思った。道路も気になるほど段差は、無かった。
           途中、「牛丼屋が営業中で、なんだ結構、復旧しているな」と拍子抜けした。
  
午前5時40分  明るくなり周りの景色が見渡せるようになった。
           国道17号線沿いのドライブインには、車中泊の車が、まだ多く駐車していた。
           新幹線の高架橋手前あたりから段差が発生するようになり時速60km以上で走行は
           できなくなった。
  
午前6時     小千谷市に入る手前の橋の上を走行中、ラジオ・ニュースが、これから向かおうとし
           ている川口町が「震度7を記録していた事が停電の復旧で判った。」と放送した。
  
                     「とてもビックリした!」
           
           橋を越えたら急に段差が増えてきた。
           時速50kmで走行しながらもブレーキを踏む事が多くなった。
 
           途中、コンビニが営業していたので寄った。
           水道は断水しているがポリタンクの水を給水し「肉まん類」を売っていた事に驚いた。
           商品は、けっこうあったが避難生活バージンの品揃えだった。
           駐車場には、仮設トイレ(2基?)が設置され、(手洗い用?の)農家が軽トラックに積
           んで使うような水タンクが設置されていたのを見て感心した。
           コンビニで設置したのだろうか? 行政が設置したのだろうか?
           通行する車は、まだ、ほとんどなかった。
   
   
 
写真:同じコンビニ。平成17年5月撮影。

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                      平成16年10月23日。
 
          その日は、我が家にとって待ちに待った祝いの日だった。
 
 
 あの日。結婚式場の第四組目。夕方から行われた弟の結婚披露宴の真っ最中だった。
 
 司会者「新郎新婦によるケーキ入刀です。」       グ〜ラ グ〜ラ グ〜ラ(地震だ〜
 
 司会者「お色直しのすんだ新婦の入場です。」      グ〜ラ グ〜ラ グ〜ラ(地震だ〜
 
 司会者「お世話になった御両親への花束贈呈です。」   グ〜ラ グ〜ラ グ〜ラ(地震だ〜
 
 
 私は、グラスの酒がこぼれないように持ち、料理がテーブルから落ちないか気になっていた。
「この揺れなら逃げなくてもいいだろう。しかし、ずいぶん長い横揺れだな。遠い所が震源地だろうが
 かなり大きな地震であると予想は、できた。
 酒を飲んでいる今この瞬間、泣いている人、死に直面しようとしている人がいるのは予測できたので
 気分が滅入った。」
 
 帰りのタクシーの中で、新潟で新幹線が止まっているのを聞いた。
 
 
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
10月27日

連絡が取れない長岡の友人に会いに行くために、支援物資を運ぶ車は、高速道路が無料で通れるという
「災害派遣従事者証」の手続き方法を市役所に電話し聞いた。
TV・ラジオ報道、新聞でも市役所に行けば誰でも もらえると報道されていた。
 
 
「担当者は判らず、課長に聞いても判らない。県庁に確認するから連絡先を教えてくれと返答された。」
 
 2時間後「県知事が命令した者しか発行できない」と連絡があった。
 
「だったら私を命令しろ! どうすれば命令してもらえるのだ?」
 
「返答は、なかった。」
 
 市が「新潟県に確認を取った処、物資も人も間に合っている。」という事だった。

 震災後、まだ4日目。そんな訳ないだろう。勝手に個人で物資を持って行こうと思い電話を切った。

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11月の川口町災害ボランティアセンターは、嫌な感じだった。
避難勧告が解除され、住民が避難所から自宅へ後片付け、冬を迎える準備等、雪が降るまでの
短い時間でやらなければならない誰も経験した事の無い現実に住民もボランティアも焦ってい
たのだと思う。
 
二日目は、車両隊で待期時間が有り、ゆっくりボランティアセンターや周辺のテント村や離れた
地区の様子を観察する事ができた。
一見、公助。町内会や隣近所の助け合いが大変良く機能しているように見える、この地方の町も
やはり、震災の混乱は、様々な問題を抱えているのが判った。

 ボランティアセンターでは、若者達が盛んに「自主性」、「自主性」と話していた。
前の日は、ボランティアがテント泊できるのが最後の日で、ボランティアセンター側は、近くの
学校にボランティアの宿泊所を準備しており全員が移るように朝礼で告知されていた。
午後になり移動の準備をしていないテントには、社協職員が、移動するように指導して周ってい
た。
そこでも若者達は、職員に「自主性に任せろ!」と叫び、移動を拒んでいた。
 
それを見ていた私は、 「?」
ボランティアの健康を考え、屋内の宿泊所を準備した職員に対し「自主性に任せろ!」と叫び
勝手に居座り続ける?
「訳が判らない。理解不能???」、「雨の当たらない屋内で寝ればいいじゃないか・・?」
「この若者達は、何を考えているんだ?」
「表情を見ると観光に来たボランティアとは違い、あきらかに本気のボランティアの表情を
 しているのに? 何をこだわっているんだ?」
「忙しく苦労している職員に何を迷惑な? 勝手な事を言っているのだ?」

私は、「災害地に(ボランティアの)自主性も何もないだろう。被災者の救援が最優先される
のが当然で、組織的に一番効果が高く、かつ住民と救援者であるボランティアの安全が優先さ
れる。」となんの疑問もなく思っていた。

その後、長い月日を積んで「管理され義務により行動するのは災害救援」、「自主的に考え、
行動するのがボランティア」という事に気づいた!
「多種多様な人間が、多様な考えにより自主的に行動するのがボランティア」
特に大規模災害のような事前の想定に対応しきれない救援の場では、「指導・指示を仰ぐので
はなく、その現場を見、考え、臨機応変に行動できるボランティアの活躍が期待されるのだ。」
あの若者達は、それを知っていた!自覚していたのだ。


 当時の川口町災害ボランティアセンターの運営の評判は、悪い。はっきり言って最悪!
ネットで探せば、公的なボランティア・サイトでも、課題としてゴロゴロでてくる。
でも今になってみれば、まさに「ボランティアにより自主的に運営されていたセンター」
名目上は、社協主体のセンターだが、実態は、「民間ボランティアセンター」と言えたのでは
ないだろうか?

だから、神戸震災マニュアルと違った「被災者救済の為の試行錯誤が行われた。」
「連日遅くまでミーティングが繰り返された。」
今になってみれば、大変素晴らしいセンター! 素晴らしい実験が繰り広げられていた!
数年たてば、再検討・再評価される時が来るような気がする。
まあ、当時のミーティング現場にいた者達は、そんな甘いものではなく。いつ殴り合いになるか
わからない緊迫した、思い出せば、怒り猛々しい会議だっただろう。

そんな会議の現場もスタッフが数日〜2週間でほとんど入れ替わってしまう。経過を把握している
者は、誰もいないだろう。
 
あの熱い想いは、最後まで伝わったのだろうか???
 

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