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体験から発信する防災・復興支援ブログ / 被災後の後始末、防災訓練、災害ボランティア、復興支援 : 遠藤正則

災害ボランティア体験記

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パソコンBBS紹介されていたのですが(トラックバックという事で)、大変良い「小千谷市での
中越地震ボランティア体験記」を、見つけました。
http://homepage3.nifty.com/rakuyama/

中越震災の様子。ボランティアセンターの様子。あまり報道されていない浦柄地区での洪水状況。
ボランティア講習の資料。自主防災会の資料にとても良い体験記です。
一読ください。

写真は、ボランティアレポートNO.3の浦柄地区に行く道です。8月15日撮影。
5月の上旬には、自由に往来できたこの道が、現在立ち入り禁止になっています。
6月の大雨で何度も危険な状態になっているのと、「山古志と例の土砂崩れ現場の見物人」を
入れない為の処置と想像します。
危険度は、昨年11月より悪くなっているとも言えれるのかもしれません。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私の体験記が、「いかに抽象的、一部分しか情報を伝えていないか?」と反省させられました。
でも具体的には、まだ書けません。そこまで心の整理がついていません。
つ〜か・・? どう書けば多くの人に迷惑をかけずに詳細を書けるか悩んでいます。


あっ! 珍しい「激甚災害地でのボランティアセンター設営ドタバタ電気工事記」は、資料として
価値があると思うので、ネタが無くなったら書きます。(笑

12月の川口ボラ

12月の川口町ボランティア。
小千谷市では雨だったが、川口町に入ると「みぞれ(雨と雪が混ざった状態)」に変わった。
12月中旬だというのに積雪がない。春までこれないと思っていた。

ボランティア達は、少なかった。スタッフに聞いた。

「今来るのが本物。本物のボランティアだ!」
「変な奴らは、寒いからこないよ。金も続かないしね!」

そこにいるボランティア達は、汚れた服を着ていた。「泥で汚れていた。」「疲れた顔をしていた。」
被災者と呼ばれている住民と「同じ顔」、「同じ服装」をしていた。

ボランティア・センターは、うまく運営されているように思えた。
運動会で使うようなテント、コンテナ小屋ではなく、本格的(?)な2階建てプレハブ小屋が
「川口町復興ボランティアセンター」として引越しの準備をしていた。

「もう安心だ。任せて安心だ。心配して通う必要はない。」
「これなら初めてボランティアに来る人にも紹介できる。」
「地元のボランティアと社協職員を川口に送り込もう。」
「他のボランティアの手が足りないところに行ってやろう。」
 雪が降れば豪雪地に住む私は、もう川口に来れません。
 この悲劇と善意と様々な問題を地元の人間に伝えよう。

その夜。島根の学生達も大型バスで帰っていった。
残ったスタッフとボランティアは20〜30人程度だろうか?


写真:諸事情により公開できません。   ・・・イジメナイデ(ノД`)

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   3月に訪れた川口町は、一番にあのラーメン屋に食べに行くつもりだった。
   しかし除雪されず、雪に埋もれたままの店を見て車の中で叫んだ!
 
 
               < 畜生! >
 
 
 
         4月に見たラーメン屋は、店内を解体していた。
         どうしたのだろうか?
         店は、再開するのだろうか?
         それとも諦めるのだろうか?
  
 
   
         5月に見たラーメン屋は、更地だった。
         看板だけが残り悲しかった。
  
 
         6月に良い噂を聞いた。
  
  
         8月の川口町は、商店の新店舗オープン・ラッシュだった。
         見事ラーメン屋も店名を変えて再開した。
   
         おめでとう・おめでとう・おめでとう・おめでとう!

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ボランティア・センターに戻り。ボランティア用の昼飯の炊き出しを食べる。
不味かった。被災者は、これと同じような物を食べていたのかと思い気が沈んだ。
持ってきたコンビニ弁当を離れた所で食べた。
 
「この不味い食事でカンバっているスタッフ。長期ボランティア達。そして被災者。」
 
「平和な生活の象徴コンビニ弁当を食べる自分。」虚しく悲しかった。
 
午後からの仕事(ボランティア)に、あぶれた。
何かできる仕事は、ないか聞いて回った。
スタッフの一人が私の為に、スタッフの間を紹介して歩いてくれた。
仕事は、無かった。
「仕事(ボランティアの依頼)が、無いのは、良い事だ。」そう自分を納得させていた。
 
ブラブラしていると本部の人が、私を指名で仕事の打診に来た。
今、電話が有り、ボランティアセンターで依頼を受けるか迷っていたらしい。
仕事の内容を聞いて怒った!
 
「なぜ事業所の後片付けをボランティアが、しなければならないのか?」
 
「あなたは、(応援社協職員に見えるが)そんな事も知らないのか?」
 
 
 
            < ムカつきが倍になった。>
 
  
やる事がないので、私の車で仕事が終わったボランティア達を向かえにいく事にした。
 
「魚野川」を越え。「役場側」の国道17号線沿いのラーメン屋に迎えに行った。
 
そこで見た光景は、「仕事を終えた充実感で一杯のボランティア達」と「店を修理して
再開すると笑顔で別れる依頼人」の姿が、有った。
 
 
      < お互い笑顔になれる姿が、とてもうらやましかった。>
   
  
写真:迎えに行ったボランティア達を駐車場まで送った。
  :駐車場は、ボランティアセンターから遠く、泥だらけです。

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依頼者は、家の周りの瓦礫を片付けてほしいと言った。
男10人でやれば30分で綺麗になった。
どうして男10人も必要なのだろうと思った?
 
依頼者は、潰れた自分の家の柱を切断機で1mの長さに沢山切断してくれと言った。
依頼者の潰れた家の周りには、何でもあった。
切断機。ガス溶断器。アーク溶接機。それらを動かす為の200V用工事用発電機。
復旧工事で忙しい時期に個人でよくこれだけ集められたものだと関心した。
 
依頼者は、切断した柱を井形に積み上げ油圧ジャッキを据え潰れた家を持ち上げ始めた。
「何をする気だ?」と聞いた。
「潰れた家を修理する。」
「安全に作業する為に仮の土台を沢山作る。その後に家の中の片付けをする。」と答えた。
 
誰の目にも倒壊状態の家だ。たしかに修理は可能だと思うが、修理中に余震が発生すれば
中にいた人は死んでしまう。
  
「ボランティアセンターからの指示で赤紙の家の中に入り作業するのは禁止されています。
土台を組み上げる作業は手伝うが、中に入っての後片付けはできない。」
その時のグループリーダーは、皆との話合いの答えを伝えた。
  
その条件で作業を続けるが、家の柱が「ミシッ。ミシッ。」と音がする。
皆は、怖がったが、私ともう一名の者は、「これは木材の繊維が縮む音で大丈夫だ」と説
明した。依頼者は土建経験があるらしく目でお互いの技量を測っていた。
 
そうこうしているうちに「バキッ。バキッ。」と音が、し始めた。
  
「これは木材の繊維が折れる音で、これ以上はダメだ!」

しかし、説明しても依頼者は作業を止めない。男数名で「これ以上は危険だ!」と説得す
るが「むきになって作業を続行する。」
  
殴ってでも油圧ジャッキの操作棒を取り上げるところだが、依頼者の気持ちを考え説得を
続けた
   
そうこうしているうちに監視人が、「家が傾き始めている。」と伝えた。
   
それでも依頼者は、作業を止めない。
  
グループ・リーダーは、「これ以上は、協力できない。全員引き上げます。」と伝え
大の男10人が、泣きそうな顔をしながら徒歩で引き上げた。


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