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このブログで何回か紹介してきた中浜小学校。
海岸に近く、設計段階から津波に耐える事を想定し作られた小学校は、津波到達時には児童らは屋根裏の避難部屋で一夜を過ごしヘリコプターで救助されたそうです。
学校は津波の海水が校舎内を通り抜けるよう設計され、そのように海水は流れたそうです。
(大型船や家などが衝突せず幸運であった)
被災後数年程、誰でも立ち入り出来る状態でしたが、備品の盗難や校舎内の破損が進み危険な為、現在は立ち入り禁止になっていますが、校舎のすぐ近くまで立ち寄る事ができ、写真パネルが展示され校舎内の様子を知る事ができます。
視察には語り部さんがおり、市教育委員会に連絡すると紹介してくれるはずです。
ぜひ地元の方のお話を聞いてください。
この学校の周囲には街があったそうですが、現在はその痕跡がありません。
学校の隣には鎮魂の線年塔が建立され、幸せの黄色いハンカチを掲げるイベントも継続されています。
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東日本大震災
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2011年、12年頃、宮城県山元町にボランティアに行くたび気になっていた老人ホームがある。
海岸線から300mに位置する老人ホーム梅香園とケアハウス福寿園の被災跡である。
まるで沼の中に半分沈むようにある建物跡を見ると祈らずにはいられない。
好奇心豊かな私も近づく気になれませんでした。
梅香園は入所者42名、職員20名、行方不明1名。
福寿園は入所者16名、職員3名。
計82名の方がお亡くなりになりました。
老人ホームの避難問題。難しい問題です。
近くに 鎮魂伝承希望乃碑が建立され、乗用車数台分析の駐車場があります。
遺族の方の祈りの場となっているのでしょう。 老人福祉に関わる方は訪れるのもよいでしょう。 場所は普門寺向いの駐車場の隣。
花釜避難丘公園に向かう途中に位置します。
なを現在は当時の建物はありません。
詳しくは検索してください。
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宮城県山元町の海岸近くに避難丘が造成されていました。
気がついただけで3箇所ありました。 万が一の津波遭遇時に一時待避する丘でしょう。 震災遺構という訳ではありませんが、防災ツアーで立ち寄るには良い場所でしょう。 丘からは長大な防波堤と草地が見渡せます。 ここにイチゴハウス群や町、人の生活があった事を語部さんや地元の方からお聞きするのも良いでしょう。 (追悼) 写真は旧山下駅から近い、花釜避難丘公園。 普門寺正面のT字路を海岸方向にお進みください。 広い駐車場と公衆トイレ、遊具があります。 |
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2018年 1月3日
宮城県山元町を約2年ぶりに訪れる。 JR旧山下駅は亡くなった方を追悼する公園になっていました。 石碑には山元町で震災でお亡くなりになった方の名前が刻まれ、町内単位で刻まれたお名前は同じ名字の方が多く、また老人ホーム利用者や通りすがりと思われる山元町町民以外の方の住所、お名前が深刻さを増します。 祈られずにはいられません。 震災後数年、この駅はボランティアグループやボランティアバスの集合場所やトイレ休憩、弁当休息所となっていました。 今後は震災を学ぶ起点、訪問地となるのではないでしょうか? 駅舎は撤去されましたが、公衆トイレ、多用途トイレが利用できます。 駐車場も大型バス3、4台が駐車できそうです。 (国道から駅までの道は狭いので注意。通れますが、大型バスは地元案内人が乗車するのがお勧め) 向かいには橋元商店があり、予約した弁当、飲み物でバス昼食もありでしょう。 年末には年賀状のまとめ買いも応援のひとつです。 駅隣には震災前の町の写真等を展示する写真館もあります。(要予約と推測されます) 追悼、遺構ツアーを企画される方は参考ください。 |
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毎月開催の支援者のつどい。
12月は恒例の忘年会形式。
久びさに活動者の近況や課題を語り合いたかったが [活動者が減ったなぁー] と実感。
寂しい、、、 しかし、それが正しい復興の形なのだろう。 |





