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体験から発信する防災・復興支援ブログ / 被災後の後始末、防災訓練、災害ボランティア、復興支援 : 遠藤正則

中越元気村の想いで

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音信不通になった人と連絡が取れるといいな〜 ヽ(´ー`)ノ

被災地励ました音色をCDに 新潟日報2007年12月29日
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=2&newsNo=107253
 
闘牛の歌 http://blogs.yahoo.co.jp/kateinobousai/6658633.html
 
彼女は、日中は片付け、引っ越し手伝い。闘牛の試合の手伝い。夜は歌声慰問と忙しいボランティアでした。




写真1:右側の人。発災翌年の春。山古志と小千谷市の境目付近にて
写真4:発災翌々年の冬、仮設住宅団地集会所にて。写真をクリックすると拡大表示されます。

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柏崎の夜の避難所でボランティア達と雑談をしていると誰ともなく口にでた言葉・・

          「福さん・・ 来ているかな・・?」

          「来てるよ! きっと来てるよ! その辺にいるよ!」

           周りを見回してみるが、何も感じない・・。

           でも、きっと訪れているだろうと思った。皆、そう思っただろう・・。

           いつもの通り、明日のニーズ先の段取りの打ち合わせをしたり

           黙ってチェーン・ソーの刃を研いでいるのだろう・・。

           お帰りなさい。福さん。





写真:週末ボランティアの福原さん。中越通いは70回以上だそうです。
   http://blogs.yahoo.co.jp/kateinobousai/46985108.html
   いつもの近所の里山の手入れ感覚で通ってきていたのかな・・
   平成17年5月1日小千谷市朝日山 農道修復ボランティアに向かう

   

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神戸元気村、中越元気村の流れをくむ(?)と言いますか、民間災害支援団体に出入りしていたボランテ
ィアが全国に散らばり、各地で防災啓発、地域・福祉活動の人材となり活動しています。
その情報・支援ネットワークが「元気村ネットワーク」だと思います。(まったくの私、個人の考え)


神戸元気村副代表、中越元気村代表だった草島さんが、前回成功したテント(配布)プロジェットを
実行しています。(29日時点)
7月22日の時点では、柏崎市ボランティア・センターのアウトドア班としてやっていた事です。
柏崎小学校前での配布は、センターとしての配布活動なのか、別団体としての活動なのか知りませんが
被災住民の生活環境改善になれば良いと思います。
ちなみにテントは、市に相談すれば自衛隊テントが借りられると聞いています(未確認)。
風呂、着替え、体を拭くためのプライベートな個室。(個人、コミセン、自主避難所単位)
涼しい屋外で寝る場所、車中泊者の移動先宿泊所として有効だと思います。
数に限りがあるでしょうから、皆さんに納得いくかたちで渡していただきたいと思います。
元気村ネットワーク・ブログ http://blog.canpan.info/genkimura/
元気村ネットワークHP   http://www.gassan.jp/genkimura/

 中越元気村に関係した被災住民、地元周辺応援有志、外部支援者(ボランティア)は、被災地の親戚・
知人助け合いネットワークの一つとして草の根の助け合いをしています。
「神戸型支援」とは別の目線、支援方法を実践していますし、神戸の経験を振り回す方には厳しいと思わ
れます。




<参考情報>
・荷物の一時保管場所としては、市が準備中との話もありますが、正式アナウンスは聞いていません。
・西山地区では、支援団体がコンテナ小屋を準備していると情報も有ります。
 http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=1531
・敷地に余裕がある方は、コンテナ小屋を敷地内に設置し、荷物の一時保管、避難生活場所として暮ら
 している方もいます。大変、前向きな行動です。早期に自力再建できるでしょう。

・文化的に貴重な物、家族の思いでの品(民族学的にすでに貴重品)は、新潟の博物館が一時保存して
 くれます。エアコン管理の元、カビ、盗難の心配も無く安心です。相談ください。




<能登元気村> (たまたま似たような名前のボランティア向け宿泊所です)
BE−PAL 8月号/中越ボラの反省
http://blogs.yahoo.co.jp/kateinobousai/48562884.html




写真:柏崎ボラセン、アウトドア班のテント 7月22日

ボランティアの死

今日は、週末ボランティアの福原さんの葬儀の日でした。
葬儀には出るべきか、出ないべきか実は半年悩んでいました・・。
当然、本人も御家族もこの日が来る事を予想していたでしょう。
結局、自粛の動きもあったので無理に葬儀に参列しませんでした。
後日、集まる機会があるのではないかと思います。
少なくとも福原さんは、御家族の理解を得て小千谷に通っていたのが救いです。
あの方は、ボランティアと言うより、グリン・ツーリズムを実践している方だったと思います。
 
「災害ボラ団の代表になると死ぬ。」あの村井さんが愚痴る言葉です・・。
まあ、みんな口に出さないだけで、ガンバッた被災地の町内会長やその御家族が亡くなったり、失業し
たりするのはよくある事で、それは地元の支援者や外部ボランティアも同じ。
熱心すぎる支援を訴える人や支援者は、災害救援弱者・・・。
私も・・その一人・・。
救いなのは、神戸ボラが10年待ったのとは違い、2年半で伝える事ができそうだと言うことです・・。

ブログの書き込み頻度は下げる、下げると言いつつ毎日の書き込み。
でも災害ボラの受け入れ機関、リーダー層100人にだけ伝えて効果は、あったのだろうか?

今回も拒絶され、怒って帰ったボランティアは結構いるようだ。(何%か調査が欲しい・・)

ボランティアが被災地であまり役に立たない事を熟知している人に言われた・・
「今回の失敗は、君が能登震災前に本にしなかったからだと!」

しかし、たかが約3年の経験。先人達は沢山いる。新人が書くべき物では無い。対処方法の答えも出ない。

私も死にたく無いから、そろそろ止めにしたい。

            「私は、どんな手段で伝えるべきなのだろうか?」





写真:なし

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週末ボランティアの福原さんが、本日亡くなりました。

千葉から小千谷に毎週のように通ってきた福原さん。二十数回までは聞きましたが、その後も通い続け
最近まで月1,2回のペースで通ってきていました。
何故、そこまで通う事を家族が許すのか、奥さんに聞いてみたいと思っていました・・。
夫婦、親子連れのボランティアはいますが、親子全員でボランティアに訪れた事もある御家族でした。
災害ボランティアと言うよりもグリーン・ツーリズム。山の暮らし、山の文化を楽しみに通ってきてい
るように感じました。
学生時代は登山部出身であり、地元では里山・川辺保全ボランティアをしていた福原さんは、中越震災
初期から山に入り錦鯉の救出に当たっていた方です。

チェーン・ソーを使う一番恐れられるタイプの災害ボランティアは、常日頃から地元で放置された里山
の枝切りをし、山を、森を、川を、街を守ってきたやさしい方です。

最後にお会いし聞いた言葉は、今年1月21日東京。内閣府主催「防災とボランティアの集い」で
「災害ボランティアの安全確保について質問し、対処をお願いする言葉でした。」

やはり・・あれが最後の別れになってしまいました・・。

別れの言葉が出てきません・・・

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