健康井戸端会議

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変哲なき低山

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昨日朝、野暮用で亀作工業団地抜けて、真弓山ふもとへ。
用をすませて戻る時撮影。民家わきのなんでもない、平凡な低山に妙な興味つうか親しみ感じる。
いつか登ってみようと思う瞬間だ。
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水戸芸術館の館長吉田さんが亡くなった。故佐川水戸市長の置き土産で出来た芸術館。佐川さんの頼みで

館長を引きうけた。

さて今日の朝日に吉田純子さんが評伝を書いている。含蓄ある文だ。流石芸大音楽修士をへて朝日音楽専門記者になった人だ。

http://www.go-ondai.net/interview/vol2.html

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この1年ばかり福島県境の三鈷室山が我が街から見えるのかどうか、毎日疑問に思っている。
そのことに友が1名同感してくれている。嬉しい。
さてこの山にはどうも古い伝承があるようだ。

こんな記述がある。執筆者は登山歴50年偏平足氏。

データ】三鈷室山 870メートル▼国土地理院25000地図 里美牧場、磐城方貝▼最寄駅 JR水郡線・常陸太田駅▼登山口 茨城県常陸太田市里川町の里川宿▼石仏 三鈷室山山頂。地図の赤丸印



【案内】三鈷室山は山頂に無線中継所が建ち、このときに造った林道を車で登れば歩かずに山頂に立てる。歩く人には里川宿集落の三鈷室碑から、福島との県境にそってゆるやかな道が整備されている。山頂の無線中継所の前に石祠、墓石、如意輪観音の石造物が並ぶ。中継所や道路工事のため周辺から集められたような石造物である。なかでも中央に立つ墓石には「延寶四年(1676)」とあり、江戸時代初期の墓石の銘がしっかり残っているのに驚く。右端の寄棟造りの石祠も、関東から甲信地方でよく見られる江戸時代初期の形である。この室部に文字があったので拓本を採ってみたが草書体の銘はわからず、『里美の野仏』(昭和63年、里美村教育員会。里美村は平成16に常陸太田市に合併)で確認すると「承応二年(1653)とあった。この寄棟や入母屋造りの石祠は、戦国末期から仏堂のかわりに、江戸時代初期からは墓石として盛んに造られた。そのほとんどには祠内仏として、仏堂としたものには御本尊を、墓石としたものには御先祖様の姿をした石像を納められていたことが、残された石造物から確認できる。それがこれまで見なかった茨城の北はずれの三鈷室山にあったのも驚きである。『里美の野仏』によると、この石祠が里美村で一番古い年号の石造物となっている。『里美村史』(昭和59年、里美村史編さん委員会)には、狼除けのため「中峰に観音、前峰に霊符、後峰に法器を埋めた」故事から三鈷室山になったとある。山頂にあった石祠にはどのような石像が祀られていたのかは分からない。



【独り言】三鈷室碑 三鈷室山の登山口・里川宿に「三鈷室碑」ではじまる寛政10年(1798)造立の碑が立っています。馬力神や庚申塔が並ぶ道路脇の小高い一角です。「蓋聞」(確かに聞いた)という文で始まる236文字からなるこの碑。その文中にあるのが、狼除けのため「中峰に観音、前峰に霊符、後峰に法器を埋めた」という三鈷室山の由来です。時は宝亀七年(776)、祀ったのは行基(天平21年=749=に没)となっています。『里美村史』から内容を要約すると、行基が祀り行った狼除けの作法も行われなくなって久しい江戸時代の天明期、また狼被害が多くなったのは中峰・前峰・中峰の三峰の祭りを止めてしまったため。そこで前峰に妙見を祀って以来、狼の被害はなくなった、というものです。願主は「権大法印祐観」。三鈷室山の信仰についてこれだけ詳しく記した石碑も珍しいため、地元の里美村でもいろいろ調べられていました。なかでも行基がかかわったとする前半は別として、三峰は秩父の三峰山であると『里美村史』や『里美の野仏』で指摘されている点に関して、もうすこし踏み込んでみます。

 西村敏也著『武洲三峰山の歴史民俗学的研究』(平成21年、岩田書院)によると、秩父の三峰山が狼を御属様として貸与するようになるのは享保12年(1727)ごろから。三峰山中興の祖と仰がれている秩父郡上吉田村女部田の僧・日光によって始まったものです。

 そうすると、三鈷室碑が立てられたころには里美村にも三峰信仰が入っていても不思議ではありません。それから三鈷室山一帯は江戸時代の中期に水戸藩の牧になっていて、馬が放し飼いされていた場所です。その管理の一つに猟師による狼駆除があって、当時から狼の被害はそうとうあったようです。この牧が廃止されたのが天明7年(1787)。これを期に馬が払い下げられて各農家で馬を飼うようになり、本気になって狼対策を考えたのでしょう。「三鈷室碑」が立てられたのもこの時代でした。

 三鈷室碑から歩きだすとすぐ畑仕事をする人と立ち話をしたら、「いまは、イノシシが畑を荒らして困っている」ことを強調していました。

松井情報!嬉しいね

松井を待ち受けるいばらの道…レイズとマイナー契約へ

ニューヨーク市内の施設で1人で打撃練習を積み重ねてきた松井。レイズとマイナー契約を結ぶことが決定的となった
Photo By 共同
 アスレチックスからFAとなり、所属先が決まらないままシーズンを迎えていた松井秀喜外野手(37)が、レイズとマイナー契約を結ぶことが23日(日本時間24日)、決定的となった。複数の米メディアが合意間近と伝えた。日米通算505本塁打のスラッガー。今後は3Aからスタートしてメジャー昇格を目指すが、レ軍のポジションに空きはなく厳しい戦いを余儀なくされる。節目の米10年目。松井のシーズンがようやく始まる。

 今年2月22日の渡米後も、「やるべきことをやって待つだけ」と黙々と吉報を待ち続けた松井に、ついに光が差した。

 レイズと合意間近。自身も23日朝に父・昌雄さん(70)に「オファーをいただいた。交渉を進めていて、契約できるかもしれない」と連絡を入れた。チーム関係者は交渉が最終段階だと認めており、今週中の契約を目指しているという。

 これまで古巣ヤンキースやドジャースなどが興味を示したとされるが、正式なオファーは初めてとみられる。

 レ軍の地元紙セントピーターズバーグ・タイムズ(電子版)によると、契約後はフロリダ州ポートシャーロットのキャンプ施設での練習を経て、ノースカロライナ州の傘下3Aダーラム・ブルズに合流。松井はニューヨーク州内で1人練習を続けてきただけに、実戦感覚を取り戻すことが最大のテーマだ。しかし契約はあくまでマイナー。メジャーの舞台へはい上がるには、厳しい道のりが待っている。

 正式契約、メジャー昇格となれば、3年ぶりのア・リーグ東地区復帰となる。日本球界のラブコールを断り、選手生命の危機とも言われる中で、退路を断ってマイナーからの再出発。古巣ヤ軍や松坂がいるレッドソックスとの対決に臨むためにも、松井はチーム内の競争を勝ち抜かなければならない。


[ 2012年4月25日 06:00 ]

甥も選抜!

天心・大観・春草など我が国日本画の真髄スポット日本美術院・五浦・・・。東日本震災でこの地も大きな被災に遭い、今、復旧工事が行われていますが、天心や大観ゆかりの美術館でのこの春の美術展に当家の甥・川又聡も出品展示される。楽しみだ。花鳥風月がテーマだ。

美術館のHPは下記。



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