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 大学院に戻ることになったので、教育と労働の関係を経済学的に整理してみたいと思います。

 経済におけるヒト・モノ・カネという三要素のうち、ヒトの研究が活発になったのは1970年代と言われています。経済学というのはすべからく、希少な資源の効率利用がテーマですので、ヒトの効率利用とは?というテーマについての研究に焦点が当りました。この分野の研究を有名にしたのは、マネタリストの第一人者のフリードマン(ノーベル経済学賞)を始めとする1970年代のシカゴ学派の人たち。それらの研究は、企業経営や教育改革等で活発に取り込まれました。

ヒトの研究において「教育と仕事」という関係で有名な理論に、ベッカーの「人的資本理論」と、スペンスの「スクリーニング理論(ノーベル賞)」があります。スティグリッツの「シグナリング効果(情報の非対称性:ノーベル賞)」も重要でしょう。

「人的資本理論」とは、ヒトに体系化された知識や技術のストック(人的資本)は学校教育や企業による訓練で高められるという考え方です。ベッカーの理論が注目を浴びたのは、読み書きそろばんや一般常識ではなく、高等教育(大学や大学院以上)と人間の生産性についの関係についてです。

「スクリーニング仮説(理論)」とは、企業は技術者を採用したいときは工学部に絞って募集をだすとか、医療機関なら医学部系、教育機関なら教育学部系、等で、ふるい分けをして人を選べば、企業も社会全体も生産性が上がるということ。業務に関連する資格等も採用スクリーニングの基準の一つです。経験則的に、どこの企業もどの国でもやっていることです。

二つは対立するものではなくて、高等教育(大学以上)と社会・企業のマッチングの重要性を説いているものです。両者が噛み合えば社会全体の生産性が上がり、国民の生活は豊かになるわけです。

スティグリッツは、このマッチングが自然で行われることはなく、「シグナリング効果」が必要としています。例えば就職のケースですが、優秀な人材は自分がそうであることは分かっていますが、採用側はどの人物が優秀か事前に分かりません。これは情報の非対称性があるといわれます。そのミスマッチ(社会的コスト)を減らすためには、通常は応募者が何らかのシグナリングを送る必要があるという考えです。企業側も他社より優秀な会社であるアピールをするためにシグナリングが求められます。ここで言うシグナリングとは、難しい試験に受かった、スポーツで立派な賞を取った、リーダーの経験がある、等が最も一般的でしょうか?こういうシグナリングにより、社会全体のミスマッチによるコストを減らすことができるわけです。企業は、1万人に1人とかの特殊な才能をもった人間を雇いたいわけではないので、学歴等の標準的なシグナリングを利用します。採用段階においては、優秀な人材であることよりも、企業に受け取ってもらえるシグナリングを持っているか否か、の方が、大事といえます。このプロセスが繰り返されることにより、先進国はどこでも学歴社会が形成されているわけです。

さて、上記3つは考えは世界中に共通していますが、日本には上記に加えて、特殊なスクリーニング理論があります。シカゴ学派が「過剰なスクリーニング仮説」として研究対象にした大学ブランド偏重という慣習です。日本では終身雇用という制度と結びつきこの「過剰」はさらに増幅されます。大学のブランドとは、例えば日本には第三者評価機関はありませんので、教授や授業の質という大学側の要因ではなく、新規に入学してくる学生の偏差値が利用されます。高校三年生時(初等〜中等教育)の「記憶量」が「仕事能力・職業的処理能力」と比例する、スクリーニングするのに最も有用な方法である、という考え方です。これらは隋の時代に始まった科挙制度や、明で完成された朱子学の教科書暗記文化、つまり儒教における官僚を選抜の制度に根付いています。かつては、ヨーロッパに最良のシステムだ、と評価された科挙の仕組みも制度疲労をおこし、シカゴ学派に「過剰」と表現されるに至りました。日本への警鐘だったのですが、当時、高度経済成長をしている日本は無視しましたし、むしろ日本的経営として評価を高めたのだと思います。民族優位を説くような「日本人は優秀な民族である」という議論に摩り替った可能性もあります。

これが最も顕著に現れているのが、日本のマスコミの世界です。米国人の友人でフォーチュンの記者がいますが、彼によると、例えばハーバードを卒業した後にジャーナリズムの世界に入っても、一流紙や三大ネットワークの記者になることはまずありえないそうです。逆に、very bad startだそうです。まずは、田舎の州の小さな新聞社や弱小誌の記者からはじめ、少しづつキャリアを積み転職を繰り返し、メディアの大学院でネットワークを作り、競争に生き残った人だけが辿り着きます。それでもほぼ半数はフリーのライターですので、不景気となるとすぐ首を切られます。日本はというと、例えばマスコミ大手には大卒で直接入り、終身雇用が約束されます。転職もしません。これは、メディア業界の力、国民の便益ということを考えると、「過剰スクリーニング仮説」といわれても仕方ないと思います。

高等教育機関での実践的教育で人的資本は高まる、初等〜中等の記憶量が人的資本である、どちらも正しく、大切な要件であると思います。どちらを重視するかは難しい問題です。日本で議論されている教育改革議論は、小学校〜中学校で何を教えるかが中心ですが、私は高等教育の議論はあまりされないことには少し疑問を感じます。高等教育と社会ニーズがマッチングさせ、社会全体の生産性が上げることは非常に重要であるからです。日本で特に問題だと思うのは文系の高等教育エリアだと思います。遊んでても卒業できると言われる学部、記憶力偏重の資格試験、大学院や博士過程への進学意欲の低さ、高等教育にお金をかけない姿勢、等です。日本の理工系の学部は文系ほど問題はないと思います。カリキュラムもしっかりしていて、卒業も難しく、少なくとも教育機関としては優れているように思います(研究者へのインセンティブが少なかったり人の流動性が低いとかの問題は聞きますが)。

アナリストとして日本の企業を見ていて思うのは、企業内に優れたテクノロジーがあるのに海外で販売網を築く力がないとか、従業員の共同体の短期的な利益が重視されM&Aや事業売却に踏み切れず長期的にジリ貧になったり、とか文系側のスキルに大きな問題がある気がします。これらの問題点は、トップや数人の人間が理解しているよりは、組織全体として意識を共有することが必要な分野です。

米国の80年代高等教育の成功例を上げると、IT・バイオ産業・金融という、現在、アメリカが世界を独占している産業の勃興です。日本が車産業などで天下をとっている横目で、アメリカがさらに付加価値の高い(儲かる)産業にシフトしたことを日本人は見落としがちです。米国はレーガン時代に高等教育改革を行い、特許の先願主義を先発主義に変え、大幅な税制改革(ベンチャーや投資減税等)をして、シリコンバレーでのITとバイオ産業を生み出しました。大学ではバウチャー制やチャーター制を導入し、補助金の国から地方への財源移譲により、競争原理を取り入れてアメリカの大学は多様化していきました。

もう一つ。民間の会社で働いているモノとして、また子供の教育とかを考えた場合、日本の教育に不満を感じる部分は「資本主義や民主主義社会で戦える人間」を育てるという前提で、初等〜中等教育が設計されていないように思うことです。これも主に文系の話になるのかな。日本で一生懸命に学問に打ち込む若者の目標は、東京大学、国家一種、弁護士試験等になり、これに向けて予備校やら塾やら進学校やらで早い子供は中学から取り組むわけで、それが良い教育とされています。ただ、これらのカリキュラムは「日本で活躍する優秀な官僚」になるための英才教育であって、「民」で戦える人材の教育とは全く違うのではないかなと。上にも書いた通り、暗記重視のつめこみ教育の起源である「科挙」は、そもそも国家の救済を目的とした儒教の官僚育成システムであるわけです。また、現在、民間で求められている最も重要なスキルの一つは国際性です。残念ながら、この点については日本の初等〜中等教育は0点です。不満一杯、、、これでよいのか日本。。。海外駐在していると、日本以外を子供を教育の中心とする、と決めている方も大勢います。何の教育をするべきかを真剣に考えた結果だと思います。子供を、民間で国際的に働いて欲しいと思えば、日本で教育を受けさせることに躊躇するのは容易に理解できます。

ただし、官僚や公務員の先生が中心となって教育基本法を作っている限りは、育成する人材を「官」→「民&国際」に変えるはとても難しいと思います。また補助金で成り立っている国立大学(官の大学)が高等教育の中心である限りは、「資本主義と民主主義」で活躍できる人材の育成という発想は根付かないと思います。教育(特に高等教育)は産業競争力に直結しますので、今のように「官」の育成を目標においた日本の教育システムは、日本の民間企業の国際競争力を蝕み続けるでしょう。

日本の労働市場では、特に文系の人間では、高等教育を受けるよりも、新卒で良い会社に入ることの方が給料(リターン)の決定要因になることが、言われています。その通りかもしれません。ですので、高等教育に投資をしても無駄と言う発想が根付いています。欧米では、数百万円の借金を背負って修士や博士で勉強するのに、数十万円の資格学校の費用ですら「高い!」とかいう声をよく聞きます。何というか、この部分は、完全な悪循環ですね。
話がだいぶ飛びましたが、勉強することは先人の知恵を学ぶことであり、素晴らしいことであるというのは世界で普遍的な価値観です。また「人的資本理論」を真っ向から否定する人はまずいないでしょう。産業が高度化は高等教育の必要性を増しますし、「過剰なスクリーニング理論」を採用している日本企業は弱体化していくでしょうから、普通の性別、年齢、生まれ、に関係ない実力主義の時代に日本も近づいていくのだと思います(日本では、性別、年齢、での慣習的な差別が社会の生産性を著しく落としていると思いますが、これは次回にでも)。

産業や社会が高度化した中で個人が生き残るためには、「人的資本理論」に基づき教育投資を続け、「シグナリング効果」を発揮し、「スクリーニング」されることが必要という結論になります。特に、民間の文型職についている人間は、必要な高等教育投資を明らかにサボっているが日本の現状だと思います。また、シグナリングが要求される場面(転職時等)では、ブランド(学歴)>学習暦かもしれませんが、現場や長い目でみた場合は、学習暦>ブランド(学歴)、であることに疑いはありません。何を勉強しようと必ず「人的資本」が蓄積され、それが会社や日本を変える原動力になっていくはずです。

閉じる コメント(5)

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文系=事務屋という偏見により、ビジネスモデルを改革する、新しい価値を生み出していくという観点での教育はほとんどされていないのが実態だね。自分自身どうして行くべきか、後押ししてもらいました!! 年末会えるのを楽しみにしています。何とか時間作ります。

2009/12/4(金) 午前 9:12 [ e30*1* ]

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暗記教育ではちょっと付加価値の高い職業専門事務屋になるだけで、付加価値創造じゃないんだよね。物事の原理原則を理解させて、現場での意思決定が進むような学習が重要なんだと思う。MBAで何をやってるのか良く分からないけども、とりあえず覗いてきます。

2009/12/4(金) 午前 11:14 [ kat**kou ]

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同感!日本でもっとベンチャーが盛んになるよう制度を変えないといけません。

2009/12/5(土) 午後 4:23 [ 悲歌慷慨 ]

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関連記事から来ました。
同感です。

私も高等教育に問題があると思います。
ご指摘の通り、理工系の大学や大学院に行かないと
十分な教育が受けれないことも大きな問題ですね、

日本がかつて上手くいっていた時代には、
普通進学高より、実業高校の方に優秀な人材が進学していたようです。

今は、高校レベルの教育ではなく、
大学、大学院レベルのより高度な教育が
必要になっているのだと思います。

だとすれば、優秀な生徒に早いうちから、
それらに関わらせる。
優秀な子供が実業高校に進みたくなる。
そんな、農業高専とか商業高専とかが必要じゃないかな?
と私は考えるのです。

2010/5/29(土) 午前 0:47 [ ケンタ ]

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投稿有難うございます。そういう視点で考えたことが無かったのでとても考えさせられます。

頂いたコメントから思うことは、人のモチベーションを上手に利用しなくてはいけないということだと思います。やりたいことが決まっている学生ならば、高専のような早くから専門教育を受ける道がもっと在るべきです。

日本の教育プロセスだと、しなくてはいけないことのためにモチベーションを抑える期間が長すぎることは事実です。社会全体として多くの人的資産を失っている可能性があります。

フレキシブルな教育体系を敷いて、高専に進んだ人でも後からジェネラルな知識を身につけられるよう、普通進学校に進んでも後から専門教育が身につけられるよう、そういう体制を整備することが重要に思います。

2010/6/6(日) 午後 4:24 [ kat**kou ]


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